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人生のどん底
私は今人生のどん底にいます。 事業に失敗して、仕事をなくし、多額の負債〔個人)を負い、また姉妹にもたくさんの援助をしてもらい 迷惑をかけました。 今は目先の食いぶちを稼ぐのさえままならぬ状態です。 何とか再起を願ってますが、まったく光がみえません。 どなたか同じような境遇に合ったかたアドバイスをお願いします。
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- terepoisi
- ベストアンサー率44% (4090/9254)
>どなたか同じような境遇に合ったかたアドバイスをお願いします。 暮らし向きのご様子がわからないのでなんとも言えないのですが、 苦しい時は誰でも「今がどん底」と思うようです。 しかし考えてばかりでは解決しませんし、日々の生活は続けないといけません。 周りの人はなんとかなるとなぐさめてくれますが、なんとかするのは他人ではなく自分です。 再起を目指すお気持を忘れずに、でもけっして焦らず、 身の丈にあった生活を続けていくことだと思います。 先が見えない不安をなくすことはできなくても、一日一日積み重ねていけば 少しずつでも前へ進むことができるでしょう。 いつも遠くばかりを見ないで、できるだけ足元を踏みしめていくことが大事かと思います。 具体的な回答でなくて申し訳ございません。
底無し沼ではないので大丈夫です。
私の実家も『事業に失敗して、仕事をなくし、多額の負債〔個人)を負い』ましたが、『姉妹にもたくさんの援助をしてもらい』は無かったです。父は破産宣告を受けました。 よくここにも書きましたが、何度も死んだ振りして除夜の鐘を聞きました。盆も正月も無かったです。ですから、本当の貧乏経験も無い奴が「苦労は買ってでもせよ。」なんて言うと頭にくるのです。あんな経験は誰にもさせたくないです。娘には一切苦労はさせていません。お金の大切さなんて苦労が教えてくれなくとも馬鹿でなければ分かることなのです。 私の場合は父は親戚のところで少ない給料で働き始め、私は母が知り合いのところの“内職”をして必死に高校まで出してくれました。幸い、子供の頃から懇意にして頂いていたお医者さんが「大学は出ておけ。この町を出て行ったら東武電車で帰ってくるようなまねはするな、ベンツで帰って来い。」と言ってくれ、母もどこで“作って”くれたのか、入学金(四十数年前当時は18万でした)を用意してくれたので大学を出ることができ、今の私があります。 人生って運否天賦は付きものです。今は苦しいでしょうが、それをバネに頑張ってください。私も大学を出てからは必死で働きました。同窓生は一流企業と言われる会社へ就職し、安定を選択しましたが、私はそれでは両親に合わせる顔も無く、ベンツで帰ることも出来そうにないので(笑)、苦労は覚悟で自営の道を選びました。50の声を聞いてやっと生活も安定しお医者さんに言われたとおりに出来るようになりました。(ベンツは女房殿に泣いて頼んで買う許可をもらいました) 確か母が亡くなる何年か前の暮れに、正月のお金として100万円を持っていった時に母はやっと安心してくれたようです。両親とも既に鬼籍ですが、出来るだけの親孝行は出来たと自負しています。お墓も女房殿の死を切っ掛けに近くに移し昨日も墓参りをしてきました。 結局、私の人生は出会った人に恵まれたのだと娘にも話し、出会った人と大切にお付合いするように話しています。質問者様も人との出会いを大切にして頑張ってください。社会では荒波を乗り越えてきた人ほど“良い答え”を持っているものです。明後日はあるパーティーがあります。主催の区長は私の大学での後輩ですが、選挙の時に応援したので毎年呼ばれています。このパーティーでもたくさんの方を紹介してくれます。皆さん“良い答え”を持っている方々です。今回は娘も連れて行き、娘の婿さん探しの“頼みごと”をしてくるつもりでいます。これが済んだら私の“お努め”もやっと終わるのです。あと残された“務め”はポックリ死ぬこと。娘に残せるのは少々の資産と私のたくさんの知人・友人です。人生なんてそんなモンでしょう。
- nokko-777
- ベストアンサー率40% (91/227)
私の父が事業で失敗し、多額の借金を残して亡くなりました。 その頃、私と弟はまだ学生で、負の財産を放棄出来る事を知りませんでした。 母も専業主婦でした。 そこからが地獄のはじまりです。 母は体が弱く、私は外で働く事に反対でしたが、 本人の強い希望により体に負担のかからない職種を紹介して貰って 働き出しました。 弟は社宅があり、家賃と食費の要らない地方のパチンコ店で働きました。 私は朝の9時から夜の12時まで2つのバイトを掛け持ちしました。 その時は「何故、私がこんな目に合うんだ」とか 「もう人生終わりだ」とかいろいろ思いました。 しかし、今から思うと休日が全くなかったワケでもなく 全く遊べなかったワケでもなく 欲しい物が、1つも買えなかったなんて事はありませんでした。 自分と人とを比べ、その境遇を恨んでいたのです。 父が作った借金ではありましたが、 そのお金で買ったお米を私も食べていたかもしれません。 後になって気付くのですが、 体が健康であって、働く業種を選ばなければ仕事はいくらでもあります。 私は、「今が1番最悪」だと思わないようにしていました。 3人でこんな生活を13年続け、 今は、私も弟も結婚し、幸せに暮らしております。 「お金」の事については相当、忍耐力がつきました。 今は職種を選ばず、ただ働くしかないと思います。
- 2181
- ベストアンサー率24% (652/2691)
八方塞がり、て訳ですね しかし、それで終わらせないのが人生でしょ 今はどん底でも這い上がる未来は来るんじゃないですか