• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:挑戦するか、あきらめるか)

挑戦するか、あきらめるか

このQ&Aのポイント
  • 20後半にもなると、自分の能力がだいたいわかってきて、これはできるけどあれはできない、とはっきりわかってきますよね。
  • しかし、現在の自分は直感的に「無理だな」とわかっている分野こそ、死ぬまでに絶対にやりたいことなんです。
  • 自分の実力から言って無理とわかっていても挑戦する行為は間違っていますか。それとも挑戦し続けるべきですか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.8

通りすがりです 多くの成功者は、果たして『勝利』を確信してチェンジするのでしょうか? 低いハドルなら確信も容易でしょうが、難易度が高いものになれなるほど、確信率は下がる。 ただ、あなたの『無理と分かっていても』と言うフレーズが気になります。 それが、本心なら、『単なる無謀』『単なる玉砕』です。 自分の立ち向かう勇気を信じられるのであれば、それは無謀でも玉砕でもなく、チャレンジだと思います。 ついさきほど、CMを見ました。 小学生が大人(親)に向かって、 『子供に夢を託すな!(子供は迷惑と言いたいらしい)』 『夢を託すのではなく、お前(親自身)がその夢を追え!』 と言っていました。 子を持つ私としては、心が痛いです。 実際は、家族がいれば無責任なチェレンジは簡単ではないのですが、貴方には妻子はいますか? 私も30才前後で色々悩みました。たぶん、多くの男は、そのあたりで悩むのでしょう。 話はそれましたが、一度きりの人生。 そして、チャレンジできるチャンスが常にあるわけではない。 『無謀』と『向上心』の狭間で、悩み、自己責任で結論を出してください。 自己責任での判断だからこそ、失敗したとしても、反省すれど、後悔しない(できない)と思います。 その悩みは、向上心のある多くの『男(オトコ)』が通過するプロセスですから、大いに悩んでください。 ちなみに私は理解ある妻のもと、大きなチャレンジをし、希望をかなえられました。 しかし、その反動で今は焼き切れて、次の夢に向かえず、今に満足している老いぼれです。 男の競争は常に戦場。止まった瞬間に、後ろから次の勇者が追い越してゆく・・・

noname#203856
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >ついさきほど、CMを見ました。 小学生が大人(親)に向かって、 『子供に夢を託すな!(子供は迷惑と言いたいらしい)』 >『夢を託すのではなく、お前(親自身)がその夢を追え!』と言っていました。 あれは私にとってすごいタイムリーで、私もとても心が痛みましたね。 自分の信念諦めて、妥協と適応でいまの環境を選んだその選択は本当に良いのか?と。 私に限らず、私と同じような悩みを抱えている社会人が多いんだろうな、だからあんなcmが流れたんでしょうね。 今の社会人がそればっかりだったら、社会って哀しい仕組みになっていますよね。 >実際は、家族がいれば無責任なチェレンジは簡単ではないのですが、貴方には妻子はいますか? >私も30才前後で色々悩みました。たぶん、多くの男は、そのあたりで悩むのでしょう。 家庭はありませんが家庭を持つ前提で将来を逆算して考えるときがありますが、逆算していくと無責任なチャレンジを選ぶことのむずかしさをひしひしと感じますね。 やるからには絶対に成功をつかまないといけない。 そこら辺、男という生きものは本当に楽じゃない。男をやめたくなるときありますね(笑) 女の人は数年働いて寿退職なんていう選択肢がありますが、男性がそれをやることはまず選択肢として存在せず、仕事をやり続けるしかない。 仕事を続けるといろいろな責任を背負って生きていくことを強いられる。 >その悩みは、向上心のある多くの『男(オトコ)』が通過するプロセスですから、大いに悩んでください。 そうです、現状に満足していないからのさらなる高みを求めるための挑戦です。これが男の生き方なのです。 同情を得たい気持ちはありません。 最後に、 >私は理解ある妻のもと、大きなチャレンジをし、希望をかなえられました。 いい奥さんですね。 私はこんなに凝り固まった価値観なので、自分に合った、自分のわがままを許容できる女性と出会える自信と才能ないですね、負けそうです(笑)

その他の回答 (8)

  • heejyu
  • ベストアンサー率40% (8/20)
回答No.9

自分の実力から言って無理。 というのがどの様な目標かはわかりませんが、無理。と決めつけてしまうにはあまりにも早いと思います。 あなたの年で始めて遅いことなど何もありません。 確実に年齢制限がある夢はちょっと厳しいかも知れませんが、 音楽や美術系、医療系の専門職など、今からでも間に合わないものなどほとんどありません。 せっかく目標や夢があるのでしたら、諦めずにチャレンジして欲しいです。 それを仕事や将来に結びつけられるかどうかはあなたの努力次第です。 自分の経験ですが、 チャレンジすること。それ自体は難しいことではありません。むしろ、その後の過程、失敗しても認められなくても 諦めずに持続させる精神力。を保つことが大変だった気がします。 遅く無いので頑張って下さい。

noname#203856
質問者

補足

「自分は特別」 そんな驕り高ぶりは思いませんが、自分にとって不可能なことはないだろうとは常に言い聞かせています。 しかし、ひとつの分野のために全精力を注ぎこむようにすべてを捨て去る覚悟をもって挑んだ受験は自分にとって難しい現実を突き付けてきました。 持続させる精神力は問題ないはずです。 むしろ周りが見えなくなるくらいで、ボクシングでタオル投げこまれているのに気付かずなぐり合っているボクサーと同じように、私を応援してくれる身近な存在が全員タオルを投げ込んでもひたすら「なぐって」いました。 諦めたのも私が決断したというより、周囲をこれ以上不安にさせないためにあきらめた(ふりをした)のです。 諦めて何年もたった今でも、私をよく知る知人に「また挑戦しないよね?今の環境で元気にやれているんだから絶対にだめだからね」と言われました。

noname#246720
noname#246720
回答No.7

#6です。 わかり辛いと思われるところがあったので補足です。 >そういう理由があるならやれば?というのが率直な感想です。 というのは、「医者になりたい理由」に対してで >結局のところ「できない理由」しかあなたは述べてませんよね。 というのは動機以外のやたら長い経緯に対してです。

noname#246720
noname#246720
回答No.6

#3です。 補足拝読しました。 そういう理由があるならやれば?というのが率直な感想です。 重ねて言いますが、だから結局のところ「できない理由」しかあなたは述べてませんよね。 そうですね、価値観は人それぞれです。 ただ質問者さんと私の決定的な違いを一つ挙げると 私は質問者さんのような足踏み状態で苦しい時期を越えてきたという経緯があります。 こちら側から見ると、どんな理由であれ 「ああ、多分やる気無いんだな」としか思いません。 質問者さんが「できない理由」としているものを、他の回答者さんへの補足も併せて拝見しましたが 別に大した理由ではないと感じました。 もちろんこれも、私と質問者さんでは価値観が違うでしょうし、ものの見方の基準の違いはあるでしょう。 でも、だからこそですよ。 理由をいくら説明したところで、他の人から見れば 「だから?」 としか返しようがありません。 今まで大変でしたね、お辛かったでしょう、だったらもう挑戦しなくても誰もあなたを責めませんよ。 と言われてあなたが救われて挑戦を諦められるなら、それで良いと思いますよ。 でも、私は同じようなことを言われても絶対諦める気にならなかったし、諦めなくて良かったと、一つヤマを越えて思ったわけで、その価値観で前回のような回答をしました。 「私、こういうところがすごいんです。こういうところが可哀想でしょ。でも頑張ったよ!」なんてことをアピールして同情を買ったってあなたの進退には何も関係ないですよ。 全部自分で決めることです。

noname#203856
質問者

補足

私はあなたの人生がどのような歩み方をしているかは具体的には知りませんのでよくわかりません。 >質問者さんと私の決定的な違いを一つ挙げると >私は質問者さんのような足踏み状態で苦しい時期を越えてきたという経緯があります。 具体的に話してくれればその足踏みと苦しみに私は納得できますが、私には話す必要性はないです。 というのも、苦労と足踏み、その後の克服して成果をつかみとることならば、大小難易度の差はあれど、社会人になれば私だって誰だって経験している。 誰が最も苦労して失敗して成果を得たという優劣関係を決める価値観は、私には一切もっていない価値観です。 他人の苦労と成功具合どうこう、自分が納得できる生き方ができるか、それだけ。 あなたが医者で私が心から医者になるための物申しならば謝罪して真摯に受け止めます。 >「私、こういうところがすごいんです。こういうところが可哀想でしょ。でも頑張ったよ!」なんてことをアピールして同情を買ったってあなたの進退には何も関係ないですよ。 まずあなたが私の信念という者がどういうものか、「大したことない」と軽いものなのではないかと否定する形で疑問視していたからそれにこたえる形で表現したまで。 ただ表現するうえで具体的になおかつ心情を踏まえるとより伝わるだろうという計らいです。 「そうですね大したことはないです」とすんなりいえる人間ではなかったので。 敗北は私にとって最大の屈辱です。同情は周囲に敗北が伝わった瞬間であって、同情は敗北同様最大の屈辱です。 それともう一つ、挑戦に対して「できない理由」に終始している、という精神論視点は私の価値観にはないです。 というのも、世界的なアスリートがとあるアスリートはなぜできないんだということに憤りを覚えてできないアスリートに叱責し続けていたらしいです。 世界的アスリートは自分に自信があって別のスポーツでも一流になれると思い練習してみましたがまったくうまくいかず、「人には得手不得手があって、どんなに努力してもできないことってあるんだ」と身に以て経験して以降、世界的アスリートは叱責をいっさいやめたようです。 私に限らず世界的なアスリートですら自分の得手不得手を感じる瞬間を実感するわけですから、これは精神論ではなく明確な根拠をたてての結論です。 ですから、挑戦するにしても、現状自分に何が足りない部分を発見し、どれをどう克服すれば道は開けるのかという方法論さえ見つけ出せれば、精神面にも「絶対に結果を出せる」という前向きな気持ちになれると思います。 そのうまくいかない理由を何年も何年も探してもなかなか見つからないから、挑戦にためらいを感じているのです。

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.5

甘い。 まあ、まだ二十代だからいろいろとわからないことが多いとは思うけど「静かに死ねる」ことがどれだけ大変なことかをわかってないぞ?。 人間齢を取ってくるとね、どんどん気力が無くなってくるものだけど、これはある意味だれでも同じで。 そのくせ「苦痛」というのは年齢と関係なく襲い掛かってくるもの。 場合によっては増えることが多いものだね。 だから「安定した職場、安定した人生設計」というのは、少しも悪いことじゃないよ。 ただそれを自覚してやってる人が少ないってだけでね。 殆どの人は言われたとおりに、なんとなくやってるのだけどね。 …と、前置きした上で「好きな事なら出来る限りやればいい」と云います。 肝心なのは、自分の夢をかなえるための「手段」を、自分で講じ続けていけるかどうか。 努力すればなれるとか、夢が叶うとかじゃないから。 もちろん「無理を通せば行ける」というほど、簡単な事じゃないはずです。 無理とわかっていてすることは、愚かなことです。 無理を無理にしないためにどうするかを考え、柔軟に対処していけるならば少しずつ前には進みます。 情熱や努力は大事ですが、もっと大事なのは「手段」であり、考えながら行動することです。 進むことは学ぶことであり、学ぶことは自分の懐の小ささを知ることです。 少しずつ懐を広げていけないようならば、そういった考え方に辿り着けそうもないなら、夢を追うことには期限を付けて、諦めるようにした方がいいです。 人生は有限だからね。

noname#203856
質問者

補足

甘いことに良し悪しなんて基準はどこにもないですよ。 幸せだったら、満足だったら甘くても厳しくてもどちらでもよい。 前置きの位置ですが、その「甘い」と思う理由と私の見解を敢えて返答します。 うちの父親も同じように私の価値観に対して「甘い」「まだ若い」といいます。 それは年食って経験積んだら年相応の価値観やら死生観が備わるわけで、父が私のことを若いと思わなかったら私か父親どちらかが発達に問題を抱えています。 年齢やおかれた環境がそろえば自分のもつ視点は周囲とだいたい同じ考えを持つようになってきます。 例えば就活を抱えた学生は何度も何度も面接で落とされると「自己否定」しはじめ、面接落とされまくっているなか会社説明会だけ聞いても実態がなんなのかよくわからないから「自分にとってやりたいことは本当はなんなのか」の二点に悩みが終始します。 いまの私にとってみれば就活生が抱えている問題は大した問題とは思えません。 それは私が苦しい時代を乗り切って見渡しが効いてやりたいことが明確になったから、就活生が「大したことない」とみえる『錯覚』なだけであって、就活生の悩みは非常に繊細で重要な悩みですから「甘い」とは絶対に言いません。 というより、一度「大したことない」といってしまい「お前も就活経験ないのか」と猛反発され、年下ながら正論で謝罪しました。 ですから、『見渡しが効く立場になった』から若い私を「甘い」と思えるわけで、回答者様も私と同じ年齢のとき、もしくは同じ環境だったら同じような悩みを抱えていたはずです。 それを甘いかどうかを口にするのは、個人の価値観の問題だと思っていますが、私は年下の相談に乗ったとき内心小さい悩みだなと思っても、「甘い」「まだ若い」という表現は口にしないです。 というのも私自身、そういう内心くだらない悩みに一喜一憂していた時代があったので偉そうにいえる資格はまったくないし、悩みを打ち明けてきたからにはまずは否定せず同じ視点で考えられるようにしています。 好きでない父親と被って見えていろいろ思うところが多々あって、そこを自分の経験をもとに主張したかったので補足が心外でしたら申し訳ないです。

回答No.4

分かりますよ。 最終的には最高の結果がある、ただ最悪の状況も考慮するべきです。 まあ、結果的にうまくいかなかった場合ですが。 そこからのリカバリーの手立ても幾つか考えて挑まれることをオススメします。 あと無理だと思う根拠は? 身近な友人がいれば客観的な意見を聞くことも必要でしょう。

noname#203856
質問者

補足

理由は2つあります。 この理由を述べると私を知る人であるならばすぐにバレる内容ですが、本気なので理由を長々書かせてもらいます。 まず一つ目は、中学受験で地方の塾に通っていました。 そのときはサッカー選手にやりたかったのですが、親の価値観を全面的に受け入れる形でいやいやながら受験をスタートしました。 一生懸命に勉強をしたので上位層には余裕では入れましたがどうしてもトップになれないわけです。 なぜなんだろうかとトップの人間の勉強スタイルを見ると私よりも筋が良いというか才能にあふれていました。 ただ、その現実に圧倒してリタイヤするのは何の価値もないので、サッカーを捨て友人関係も断ち勉強にすべて打ち込みました。 しかし、とうとう最後までトップになれなかった。 地方の塾でトップになれない人間が難関大学で大苦戦するのは必至です。その通りになりました。 そして皮肉なことに捨てていたサッカーを何年かぶりにやっても周囲を圧倒できました。 自分は心からサッカーが好きなのと、サッカーに対する才能は誰よりも自信があるから不思議な感覚ではなかったです。 自分の直感はそこまで外れたものではない、むしろ相関性があるではないかとわかりました。 二つ目は周囲から「お前を見ているとほんとうにかわいそうになってくるからもうがんばらなくていい」といわれたことです。 努力や信念あれば無理なことはない、それをずっと言い聞かせて周囲を敵に回そうが孤独になろうがどうでもいいつもりでわがままを通して頑張っていた時期があります。 しかしどうしても、どうしても達成できない。何が足らないのか、本当に悩んだ。 そのとき私をよく知る人間から 「貴方を見てるのが本当につらい。そんな努力しているのに報われないなんてとても見ていられない。もう挑戦するのやめてください。」 と泣きながら言われました。 そこで私の何かがスッと抜けていくものを感じて、「そういうことか」と思って別の分野に進むことに決断しました。 そこから私個人まったく好きな分野ではないが才能を活かせる環境に身を置いたのですが、確かに筋があるのですぐに結果が出せるのですが、そこに価値を感じないし、結果を出しても空しさだけがつのって生きていてもちっとも楽しくないです。 少々自慢と皮肉も交じってしまいましたが、それ以上に苦しみを背負ったので自分に嘘を突き通すか、自分に正直になるか、悩んでいるのです。

noname#246720
noname#246720
回答No.3

多分、質問者さんと私では「絶対やりたい」という言葉の意味合いが違うのだと思うのですが ただ、「死ぬまでに」とか「絶対」とか言う割にはそんなもんか?と感じました。 無理だと言われても、そんなものに挑戦するなんてバカとしか言いようがないと言われても、それでもやるしかないのが 「死ぬまでに絶対やりたい」ことだと思うんですが、違いますか? 危険を冒してまでやろうと思えないなら、そこまで価値があるものでもないはずなので、だったらやらないほうが良いですよね。 まあでも、自分で「できるわけない。無理。」と感じるなら、多分本当にできないんだろうと思います。 それならもう「満足できないけど安全な人生」のほうが合っているんだと思いますよ。

noname#203856
質問者

補足

あなたと私の人生の歩み方が違う以上、自分が信じている価値観も当然異なっていくわけです。 自分と価値観が違うからと言って、私の大事にしている価値観に対して 「そこまで価値があるものでもないはずなので」 と言われるのはとても心外です。 せっかくなので詳細を話しますと、私は医者になりたいわけです。医者になりたい理由は簡単です。 自分が大病を患って命の危機に直面した時、医者の手で命を救える素晴らしさを感じ、同じように苦しむ人間を自分の手で絶対に救いたい、それだけです。 医者からいろいろな激励をもらい困難だった完治も可能にし、今の自分があるわけです。 自分の生死の狭間から掴み取った価値観であり、あこがれの人があの職業だからとか、ドラマやテレビをみて影響を受けて挑戦とかという価値観ではないです。 自分が優秀な理由で、他の人が大した理由ではないとかそういう意味ではなく、いまの生き方を選択したのはそういう憧れとか何かに影響を受けての選択は結果的に自分の価値観に合致しなかったから、原点に戻って自分の価値観を大事にしたい。 正直な価値観、正直な気持ちにウソをつきたくなくて苦しんでいるわけです。 私は他人に認められることには重要視していませんが、自分の信じてきた価値観を否定されるのは耐えられないのでお礼ではなく、補足とさせていただきました。

  • 9-jack
  • ベストアンサー率29% (29/98)
回答No.2

失敗しても諦めず、挑戦し続けることで、人類は不可能を可能にしてきた。 このことをそっくりそのまま、あなたに当てはめるつもりはありませんが、一つ言えることがあります。 それは、 無理だと諦めて挑戦しなければ、成功する可能性は0%。 無理だとわかっていても、挑戦すれば成功する可能性は0%ではなくなる。 あなたが何に挑戦したいのかわかりませんが、個人的には「出来ない」より「出来なかった」の方が好きです。 もちろん、一般の会社では一つの失敗が会社に大きな損害を与えることがありますので、なんでもかんでもチャレンジ!というわけにはいきません。 ですから、あなたもあなたのチャレンジが周囲に与える影響は考えた方がいいでしょうね。 もう一つ。 人生は選択の繰り返し。 決めるのは自分、成功も失敗もいいことも悪いことも、結果は全て自分で引き受けるしかない。 それは自分の人生だから。 失敗と挫折の繰り返しの人生を自分で全て引き受ける覚悟があるなら、挑戦の選択もあるでしょう。 決めるのはあなたです。

  • chokoita
  • ベストアンサー率19% (55/280)
回答No.1

間違ってるとも、するべき!なんて強くも言えないなあ あなたの人生ですから… 賢い選択ではないとだけは言えるけど。 人生一度きりですから、好きな事やってみりゃいいんじゃない。 でも失敗してその後の人生苦労しても あの時やめりゃ良かったなんて言わないように。

関連するQ&A