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国語力か?算数(数学)力か?
カテ違いかもしれませんが経験者のご意見を聞きたくこのカテに質問させて頂きます。 「国語力が上がれば算数(数学)など 他教科の成績も上がる」と言われてい ます。 一方で、「理系は文系もできる」と聞 きます。 国語力が上がれば他教科の成績も上 がるなら「文系は理系もできる」と な るのではないでしょうか? 子供に国語と算数どちらも勿論大事 にですが、どちらに重点を置かせよ うか考えてています。子供は小学生 なので、まだ文系も理系もありませ んが・・・・・通信教育選びに迷っ ているので。 宜しくお願い致します。
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- homehelper72000
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No.3の者です。甥が学んでいたプログラムは、ピーター・タスカではなく、ピーター・フランクルのプログラムでした。「アルゴクラブ」という名前で、東京の早稲田アカデミーと京都の成基学園で講座があります。失礼いたしました。
- fxq11011
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参考 他のカテでの質問文です、高校生のようです、直流モーターの整流子の働きが理解できない様子。 質問文の一部 「整流子の役割は電流が流れるように調節するというものですが」 これだけで国語能力不足を感じます。 「流れるように調節する」?意味不明です、流れるのを調節する(よりスマートな表現)流れを調節する、が普通の表現です。 流れるように・・なら「調節」は不要ですね、流れるようにする、で十分です。 そして実際の働きは、電流の流れる向きを変える働きをします。 つまり、「調節」する、ではなく正しくは「調整」するです、なにを調整する?、電流の向きを。 調整・電流(向き)、だから整流子なんですね。 いかがですか、国語能力がしっかりしていれば、科学の理解と言葉による表現がそれなりに一致します。 整流子からは、(流れる)ように、又は調節、するは連想しにくいですね。 流・整からは、流れ、調整(何かに合わせて)、の連想はそれほど不自然ではないと思います。 世間でいう、頭の良い人、とそうでない人との分かれ目がこの辺にあるように思います。
お礼
なるほど。 やはり、まずは国語力がないと始まりませんね・・・・。 ありがとうございました。
- fxq11011
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逆は必ずしも真ならず。 理系でも、考えるだけなら右脳でも可能かも知れませんが整理、まとめて記憶には左脳(国語)も大いに必要です。 もちろん、発表、情報収集も国語(言語)を使用するのが大半です。 完全な正比例の関係ではなく、そういう相関はあるということです(したがってなんの保証もありません)。 >子供に国語と算数どちらも勿論大事 にですが 何歳の子供かにも寄りますが、国語の教育は家庭内の親の言葉使いから始まります(国語の知識ではなく、感性を養うのが重要です)、算数は、和算のように感性による面白い方法もありますが、知識、テクニックを得ることでより伸びる可能性があると思います。 国語は基本中の基本、だからこそ、単なるハウツーでは対処できない、つまり魔法みたいな「良い」方法はないと思います。 勉強のなかで、他人に教えることで自分の理解がより深くなるといわれます、国語を使っていかにわかりやすくまとめ説明できるか、それが自分にも跳返ります、国語がだめだと、他人に教えられません。 理系の知識を国語で表現 → より理系の理解進む 文系の知識を国語で表現 → より理系の?(理系の知識ありません)逆は必ずしも真ならずです。
お礼
逆は必ずしも真ならず。 なるほど。 よく分かりました。 ありがとうございました。
国語か算数というよりも、勉強に対してどういったアプローチをさせるかの方が重要です。 たとえば算数の問題をお子様が間違ったとしましょう。 質問者様はどう対応されますか? あるいは先生などにどう対応してほしいと思いますか? 大きくは2つにわかれるでしょう。 解き方を考えさせるか、解き方を教えるかです。 どちらでしょうか? 多くの親御さんや学校の先生は前者を取ります。 ですが、それは遠回りです。 時間帯効果が低いのです。 必要なのは後者です。 解き方を教え、それを知らせることが重要です。 それが近道であり、最終的に一歩先、より高みに進むことができます。 そもそも解き方なんてものは、時間と体力をつかってまで考えださずとも、知っていればいいだけです。 知っていれば解けます。 知っていれば正しく対処できます。 考える必要があるとすれば、解き方が確立されてない本当に未知の問題だけです。 ですがそんなものは全問題の1%もありません。 むしろ圧倒的に必要なのは、解き方や考え方や知識などを覚えることであり、知っているという状態です。 これは国語でも算数でも同様です。 国語は考えるものではありません。 そこで扱われるような文章に関する知識を問うているだけです。 受験国語は学生に出題するという建前があるため、扱う文章テーマや方向性に限りがあります。 ですからその限りある文章に関する知識を蓄えているだけで、初見の文章であっても既視感が生まれ、簡単に攻略できます。 また受験国語で満点が取れる学生であっても、当然専門的な論文は読めません。 知らないことが多すぎるからです。 知っていればできますが、知らなければできないのは、受験国語が得意な人間でも同様です。 算数や数学もそうです。 求められているのはいかに多くの問題をパターン化して、その解き方を習得するかというだけです。 99%の問題は解き方が確立されていますから、その解き方を知っていればいいだけです。 応用問題と言われるものであっても解き方は確立されていますから、考える必要もありません。 知っていれば瞬時に解けます。 国語にせよ算数or数学にせよ、難易度が高いと言われる問題は、単純に解き方や考え方を知っている人が少ないというだけです。 そも、問題自体に難易度はありません。 対処する人間側の問題です。 解き方や考え方を知っている人間からすれば、それがなぜ難易度が高いかわからないものです。 これらは社会に出ても同様です。 仕事で何か失敗して、上司に「考えればできるだろ」なんてことを言われることがあるかもしれません。 ですが、正確には「知っていればできた」のです。 上司がそう言うのは、教えるのがかったるいからというだけです。 未知の分野に挑む先駆的業務ならいざ知らず、大半の仕事はやり方も対処もすでに決まってしまっています。 それは知っていればできることです。 社会人は学生以上に時間がないですから、対処法を考える暇があるならそれをさっさと知って、さっさと動く必要があります。 それができる人が高みに行き、それができない人は淘汰されていきます。 知識の重要性をお話しましたが、考えることが不要というわけではありません。 しかしそれは本当に高いレベルに至ってからでいいのです。 勉強であれば新傾向の問題なら考える必要があります。 社会人なら先駆的業務に携わったり、未知の分野に挑んだりするなら考える必要があります。 それらは対処法が確立されていないからです。 逆に言えば、そういった対処法が確立されていないレベルに行くまでは、覚えてしまった方が早いし楽なのです。 にもかかわらず、現状の教育では初段階から考えることを強要するため大変非効率的です。 また「考える」という行為は知識の組み合わせをすることに他なりません。 前提条件として相当量の知識が必要なのです。 それに組み合わせ方自体にもパターンはあり、それも知っていればできることです。 実際に我々人間が本当に考える必要があることなんてものはごくごく一部です。 「考える」という言葉はとても響きが良いです。 ですが下手にその響きの良さに誘われると、多大なる時間の損失になります。 金は失っても稼げますが、時間は失ったらそれでおしまいです。 以上のように、国語か算数かというよりも、どういう方向で教育していくかを決めることが先決であり、またそれは一つでも多くの知識を蓄えさせるような姿勢の方が望ましいということです。 最後に、通信教育で迷っておられるということですが、通信教育はお子様にそれをやる習慣づくりが最も重要であり、その習慣づくりには親御さんの初めの時期の対応が全てを左右します。 それができないとどんな教材でも失敗します。 お子様のためにもがんばってあげてください。
お礼
子供が問題を間違った時や分からない時に、子供自身が分かるまで考えた方が良いのか、それとも解き方を教えて(前者の分かるまで考える時間を使って)数多くやった方が良いのか・・・。まさに、それもお聞きしたかった事でした。 参考になりました。 ありがとうございました。
- spring135
- ベストアンサー率44% (1487/3332)
>どちらに重点を置かせようか考えてています. この発想に大いに疑問を感じます。 小学生でしょう。できる子はほっておいても両方できます。できない子はひっぱたいてもやらせるという対応をしないで親として納得できますか。 理系、文系は高校生になってから考えればよろしい。小学生の国語、算数の問題とは次元が違います。そんなもの同士は整合性はありません。 子供の得意そうなものは伸ばしてやって、不得手そうなものは一緒になって支えてやるというのが家庭教育の基本です。 どちらに重点を置かせようか=どちらかを切り捨てましょうか、なんてのは論外です。
お礼
どちらかを切り捨てると言うわけではありません。 国語、算数とわちらの力が他教科の影響力があるかと思って質問させて頂きました。 ご回答頂きありがとうございました。
補足
お礼の文で「国語、算数とわちらの 力が~」としてしまいました。 「国語、算数どちらの力が~」と間違いです。 訂正します。 大変失礼しました。
- ゆのじ(@u-jk49)
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どちらに重点を置くかと言えば算数です。算数は、常に、必ず満点を狙います。 一方、国語は、(小説の)作者でさえ承知していない事など、恣意的とも思える読解問題があるので、満点を狙うと却って危険です。問題出題者の「作意」を読み取ろうとして、それが却って裏目に出ると、全滅してしまいます。昨今の子供は、パソコンゲームなどでのお宝探しで、「作意」を読み取る事に慣れている分、親が思い付かないことを考えます。で、下手すると、これが大きな間違いを生む。 ですから、算数は満点、国語は95点を取りに行くのが良いと思っています。5点は問題を作った人にあげてしまうということですね。そういう気分で、自分自身の感性を信じて読解することが大切。 沢山読書して、世の中の常識、世の中のルールを学び、そして、自分自身の「感性」とのギャップを認識させること。子としての感性を、それを「汚れのない真実」として認めてあげて、でも、世の中のルールはこうなんだよねと理解させる作業が必須。こういう理解が出来てしまえば、子供は、自身の純真な感性のみで正解を得られるようになる。
お礼
なるほど。 納得です。 具体的なご回答ありがとうございました。
- homehelper72000
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ここでいう国語力とは、日本語を理解する能力と論理的思考力の両方を指していると思います。 論理的思考力が優れていれば、算数(数学)を解くうえでも、国語の評論、論説文、説明文を解くうえでも有利ですし、理科や社会でも問題文を理解するうえで有利だと思います。 なので、「国語力が上がれば算数(数学)など他教科の成績も上がる」は正しいと思います。 また、理系ができる人は、論理的思考力を要求される数学ができる人なので、国語の評論、論説文、説明文を解くうえでも有利ですし、論理的な言語といわれる英語を解くうえでも有利です。 ただ、国語の小説は心情把握が要求されますし、古文、漢文、英語、社会は暗記事項があるので、「理系は文系もできる」は必ずしもあてはまらないと思います。 最後に、お子さんに何を学ばせるかについてですが、今年灘中に合格した私の甥は、ピータータスカという数学者の開発したプログラムを小3の1年間だけ学んでいましたし、それと並行して読書も数多くこなしておりました。 参考になりましたら、幸いです。
お礼
大変、参考になりました。 とても、ご丁寧なご回答ありがとうございました。
>「国語力が上がれば算数(数学)など 他教科の成績も上がる」 これは、文章理解力のことを言っています。 算数の問題は、文章で書かれた、いわば文章題です。 問題の文章の意味が正確に理解できないと、問題を解くことができません。 社会科にしろ何しろ、教科書は文章で書かれていますので、文章そのものが理解できないと、内容を理解できません。 文系、理系の違いは数学です。 算数と数学は根本的に考え方が違います。 中学校ていどの段階で、数学の問題を算数と同じ考え方で解いていると、高等学校のレベルで文系になってしまいます。 理系が文系もできるというのは、算数でも数学でもいずれの考え方もできるためです。 文系が理系にチャレンジしても上手く行かないのは、算数と数学の考え方の見分けがつかないためです。 小学校も5・6年生ぐらいになると、ポチポチ数学的な考えを要求されてきますが、それまでは余り気にされる必要はありません。 3年生位までは、徹底的に国語を鍛えておかれた方が、本人も以降の勉強がし易いと思います。
お礼
とても、詳しく分かりやすいご回答ありがとうございました。 大変参考になりました。
- f272
- ベストアンサー率46% (8467/18127)
> 「国語力が上がれば算数(数学)など 他教科の成績も上がる」と言われてい ます。 小学校レベルではそのようだ。 もう少し上のレベルになれば,そうでもなくなる。 > 一方で、「理系は文系もできる」と聞 きます。 実際には,出来る人はなんでもできるということだろう。 > 国語力が上がれば他教科の成績も上 がるなら「文系は理系もできる」と な るのではないでしょうか? 文系というのは国語力があるということではない。 普通の文系と言われる人に共通なのは,数学が出来ないということだ。文系と言われる人が理系と言われる人よりも明らかに成績がいい科目は社会科だけだろう。
お礼
とても、興味深く拝見させて頂きました。 ありがとうございました。
お礼
再び、ご丁寧にありがとうございました。 感謝致します。