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日本語文法について

原文:  狂牛病は、1986年にイギリスで見つかりました。この病気にかかった牛は、脳がやられてしまい、まるでスポンジのようにスカスカになってしまうのです。このため、立っていられなくなったり、異常な行動をとったりして死んでしまいます。  この病気が、1966年になって、人間に移る可能性が出てきて、大騒ぎになりました。「新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病」という病気が、狂牛病にかかった牛を食べることによって起きるのではないか、ということになったのです。この病気にかかった人は,忘れぽっくなったり、体がマヒしたり、歩けなくなったり、周囲の様子が分からなくなったりして死んでしまうのです。こんな様子が、狂牛病にかかった牛と同じなのです。この病気で、イギリスでは100人もの人が亡くなっています。 質問1:「~という病気が~によって起きるのではないか、ということになったのです。」ここではどうして「~ことになった」を使いますか? 質問2:「~100人もの人が亡くなっています」こちにはどうして「~ている形」を使いますか?      先同じ質問をする時、「過去のことを表す」と答えてくれました。しかし、まだ理解できないみたいです。昔教えてもらったのは「~を続けていく状況」、「~今している状況」を表す時「~ている」を使います。それで、またどんな状況で、どんな場合で「~ている形」を使いますか? 質問3:「~100人もの人が亡くなっています」ここでどうして「もの」を使いますか?先「強調」、「驚き」、「尊敬」と答えてくれました。しかし、いったいどちが当たりますか? この文法について詳しく説明していただけませんか?よろしくお願いします。

みんなの回答

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.3

 こんばんは。夜分に失礼します。 この原文には「3つの時間」が記されていること。先ずはこれを理解していただくことが前提にもなります。 (1)「狂牛病の発見された年」 (2)イギリスで新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病と呼ばれる疾病が発生もしくは発見された年 (3)この文章が書かれた年    こうした時系列関係を整理してみますと、現在から見ての「過去の話」が、この文章のテーマとなっていますから、(1)の答もそうした理由になります。  (2)の問題は、1996年のイギリスで100人もの人間が「新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病」とされ疾病によって死亡しているとの事実を話題にするとの使い方です。  これは「時制」との問題ではありません。話題化する、現象文を作るなどの「が」の機能に着目する必要があります。  (3)の問題は「100人にも上るほどの感染者」がいた、との意味で、その人数の多さと深刻さを示す「強調」の用法と「驚き」二つの用法を同時に示しているといえます。  質問者様は恐らく中国の方とみえて、何か安直にパターン的な形で日本語を暗記しようと闇雲に彼方此方へと手を伸ばしそれが禍となって更に混迷を深めているように見受けられますので、日本語を理解しようとされるならば、語彙と文法そして語法とニュァンスといった部分の基本から学ばれることをお勧めします。

xuhanwennuan
質問者

お礼

ありがとうございました。(⌒▽⌒)

回答No.2

1、~と言われ始めたからです。~と主張する人が現われたからです。嫌なら、←と、しましょうかね。 2、過去完了の進行形。時制を過去に戻して、その地点に立っての物言いということ。 3、強調。 なお、どうでも良いことだが、「1986年にイギリスで見つか」ったものが、「1966年になって、人間に移る可能性が出て」来るというのは妙な話。時代が遡って、人間が発症する可能性を知るということはありえない。

xuhanwennuan
質問者

お礼

答えいただいてありがとうございました。

xuhanwennuan
質問者

補足

ごめんなさい。間違えてしまいました。原文は「1996年」です。

回答No.1

(質問1)「~という病気が~によって起きるのではないか、という説が定着した。」という意味で「~たことになった」が使われています。 (質問2)「ている」形には、五つの用法があります。 (1)動作の進行:「私は今、手紙を書いている。」 (2)結果の残存:「木が倒れている。」 (3)動作の反復:「私は毎朝、散歩をしている。」 (4)過去の出来事・経験「私は過去に二度、フランスを訪れている。」 (5)状態「私の家は、駅から離れている。」 「イギリスでは100人もの人が亡くなっています。」は、過去の出来事を表すので、この「ている」形は(4)の用法です。「イギリスでは100人もの人が亡くなりました。」でも、意味は通じます。 (質問3)「も」と「の」に分けて考えます。「も」は「100人という多さ」と、程度を強調しています。「の」は「100人」を「人」という名詞に結び付けるために用いられています(もっとも、「100人」「人」と「人」が二度出てくるのは、日本語としておかしいとも言えますが)。 なお、原文4行目の「1966年」は、「1996年」の誤りでしょうか。

xuhanwennuan
質問者

お礼

答えていただいてありがとうございました。

xuhanwennuan
質問者

補足

はい、「1996年」のほうが正しいです。間違えてすみません。