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団塊の世代とは
団塊の世代はすでに或いはまもなく65歳という境界を過ぎようとしています。 団塊の世代の方々、その先輩の方々、そしてその後輩の方々によってその評価は様々だと思いますが、その世代を今どのように見ておられますか? 因みに、私は昭和22年度組といわれるその世代の一期で、可もなく不可もなく生きてきたように思っています。現在は親の介護をしつつ貧しいながらも地域の方たちと楽しい日々を過ごしています。
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NO,7で回答した者です。 『ただ最後の「団塊の世代を考えるとき「無責任」」がよく分かりません。後先を考えずに突っ走ったといことでしょうか。』ということですので、私の普段考えていることを簡単に記述します。 少なくとも「後先を考えずに突っ走った」ということではありません。 私たち団塊の世代が社会を担ってきた40年間、日本の社会は、悪い意味で、大きく変わってきたと実感しています。もちろん団塊の世代の力で、良い方向に変えたものもあることは否定しません。しかし、現在日本の社会で起こっている諸現象について、「オレオレ詐欺」のようなお金に絡んだ詐欺的犯罪、多発するというか、もう当たり前で、麻痺してしまっている殺人、教育における「いじめ」、風俗の乱れなどなど……数え上げたらキリがありません。 それに対して、この40年間を担ってきた団塊の世代は、ただ単に傍観者であったり、あるいはその変化に、自ら荷担してきたのではないかと、新聞やテレビで事件の報道を見るたびに、考えてしまうのです。家内も、同じ歳なので、私は、よく家内に「私たち世代の責任もあるよねぇ」といいますが、家内も否定しません。現在の日本の社会で起きる様々なこと……私が社会に出た40年前には信じられないようなこと……に、そのことを強く感じます。それらのことを単に政治家や、教育関係者など、それぞれの責任にして、社会を担う自分たちの世代の「全体の責任」として対応してこなかったのではないかと考えてしまうのです。その意味で「無責任」という言葉が、自戒を込めていつも頭に浮かんでくるのです。 後段の「だからといって、私は、そのことに反省はしません。私一人が反省してどうなるものでもありませんし、私は、私なりに一生懸命生きてきましたし、これからも、身の丈に合った生活を心がけながら、つましく生きていきます。」は、無責任であったとしても、「それじゃ、私たちの生活は、今後、安泰なのか」というと必ずしもそうではないでしょう。これまでの生き方に、「反省はしません」とは言いながら、少しは反省もしながら、もう今更「責任」云々言われても、しようがないことに対する私なりの、一種の開き直りなのです。(*^_^*)(T_T) このような問題になると、私も少し感傷的になるので、理解しにくいかも知れません。m(_ _)m
団塊の世代は就職を始めとする多くのことで競争してきたので、成功者とそうでない人の差が激しくなった世代だと思います。成功した人々は、しっかり退職金や年金を貰えますが、そうでない人々は、最悪、ホームレスです。 成功した方々は、厳しい競争を勝ち抜いているので、優秀な方が多いと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに人数が多い分「成功者とそうでない人の差が激しくなった」ことはあるでしょうね。 ただ「成功した方々は厳しい競争を勝ち抜いているので優秀な方が多いと思います」は個人的には少し異論があります。競争を勝ち抜いことは事実なのですが、優秀という言葉がちょっと気になります。
私は団塊の世代の後半組だと思いますが、私は「団塊の世代」は、高度経済成長の恩恵を受けながら、日本の社会を壊した世代、そして、これから日本に迷惑をかける世代といえるのではないでしょうか?一生懸命生きてきたことは否定しませんが、それはどの世代にだって、その時代、その時代の中で、言えることです。 戦後復興を成し遂げ、高度経済成長を支えてきたのは、むしろ団塊の世代の「親の世代」だと思います。その「親の世代」の財産を一時期引き継いだだけです。 また、団塊の世代が、社会に出て行く頃の日本は、現在に比べると、いろいろな面で健全でした。社会の問題、教育の問題、人生の価値観の問題等々、数え上げるとキリがありません。……すべてとまでは言いませんが、団塊の世代の無責任が、日本の社会を大きく壊してしまったのではないでしょうか?この30年というのは、悪い意味で日本の社会の大転換期になったと思います。 そして、これからの高齢化社会を担うのも……「担う」という言葉は適切ではありませんが、……団塊の世代です。 まさに、許されがたい世代です。 だからといって、私は、そのことに反省はしません。私一人が反省してどうなるものでもありませんし、私は、私なりに一生懸命生きてきましたし、これからも、身の丈に合った生活を心がけながら、つましく生きていきます。しかし、団塊の世代を考えるとき、「無責任」という単語が頭から離れません。この「無責任」が団塊の世代にあり、社会に蔓延してきたのではないかと……私は考えています。
お礼
回答ありがとうございます。 団塊世代の方ですね。 「戦後復興を成し遂げ高度経済成長を支えてきたのはむしろ団塊の世代の「親の世代」だと思います」は私もそう思っています。戦後復興のバイタリティーは親の世代であって、団塊世代は戦後生まれで復興という意識はなかったですから。 「団塊の世代が社会に出て行く頃の日本は現在に比べるといろいろな面で健全でした」もそれはとても実感しますね。 ただ最後の「団塊の世代を考えるとき「無責任」」がよく分かりません。後先を考えずに突っ走ったといことでしょうか。
- go3776
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功罪ありの世代だと思います。 日本の高度成長期を牽引し、戦後日本を立て直す原動力としてのマンパワーは恐るべし。競争と、人数に物を言わせたところでジャパンアズナンバーワンの世代でしょう。豊かな日本を作るべく、ひたすら働いて定年を迎えた方々です。 一方で、人数が多かった世代が失礼な言い方で言えば大量生産的に社会に送り出され、戦後の価値観崩壊に伴って良き日本文化までも崩壊させた世代でもあると思います。物欲、金銭欲は蔓延しましたが、精神的豊かさを置き去りにした部分も否めません。 昨今の老人の無法ぶりを率先している世代と思って冷めた目で見ています。昔の尊敬される老人像はもはやありません。 これからの若者は見習わないでほしいと思いますが、いかがでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに「功罪ありの世代」でしょうね。 我々自身は分からないのですが「一方で」以降の厳しいご指摘はなるほどと読みました。「精神的豊かさを置き去りにした」という印象なのですね。 「昨今の老人の無法ぶりを率先している世代と思って冷めた目で見ています」も厳しいですが、どのような部分か是非知りたいものです。反省すべきは反省しないと若い世代が困りますね。 私はあまり出世志向ではありませんでしたが、同世代の出世群は若い世代に対してどうだったのか、横暴だったのかもしれませんね。
- ゆのじ(@u-jk49)
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団塊の世代とは、イコール全共闘世代という括りもあって、寧ろ、こちらが正統的と思われ、そうなると、大学に進学した者と地方の高校卒業後、そのまま地方に就職した者とは、感覚的にも、全く別物という感じがする。 当時の世代の大学進学率は、今では考えられないほど低く、例えば、小学校なり、中学校の同窓会をすれば、大学に進学した者は、たった数名程度だったことが知れる。で、地方にいて、全く左翼活動に興味の無い人たちは、全共闘運動に加わる者を馬鹿なやつらと軽蔑していたはず。親の金で将来が有利になる大学に入れて貰って、それで、逮捕されたりして、退学処分になりかねない運動に加わるなどということは、高卒での地方就職組には分からなかったはず。 だから、世代を一括りにして団塊の世代と言うのには違和感がある。大学に入学し、全共闘運動に何らかの形で関わった者を団塊の世代と言うのだと思う。権力にゲバ棒を振るって飛び掛って行ける世代ということ。全共闘側は完膚なきまでに叩きのめされたが、権力側は、そういう全共闘運動における精神構造を恐れたはず。 私は、団塊の世代のど真ん中の人間ですが、ジーパンファション、同棲時代、バブル経済と全て、日本の流行、最先端を走っていたのだと感じています。世の中の仕組みも、多数決の原理が民主主義の根本ということもあって、常に、団塊の世代に有利になっています。政治家が、全共闘的精神を恐れていたであろうことも、団塊の世代が有利になった要因だろうと想像できます。今後も、選挙の際の票田ですから、結局、死ぬまで、団塊の世代が不利になるようなことは無いだろうと思っています。他の世代の方々には、本当に申し訳ないという気持ちもあります。団塊の世代ほど、好き勝手に、仕事でも何でも、やってきた世代はありませんものね。
お礼
回答ありがとうございます。 力がこもった内容で頷きながらゆっくり読みました。 大学に進学した人間にとってはまさに全共闘世代ですね。大学はほとんどロックアウト。 「地方の高校卒業後そのまま地方に就職した者とは感覚的にも全く別物」は実感です。 私も地方から東京組ですが、親の介護で地方に戻って感じたことはその違いでした。 都会に憧れての東京も何十年もいるとビルと地下鉄の中全てに人人人でした。戻った地方では良くも悪くも昔と変わらない同期がいましたね。 回答の最後の二行も同感です。 東京での会社の後輩が団塊世代が頭に重く圧し掛かっているといっていました。
先進国を目指して、急いで走った人たち。 他者さんも似たような言い方をされていますが、良くも悪くも今の日本を作り上げた人たち、だと思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 「先進国を目指して急いで走った人たち」「良くも悪くも今の日本を作り上げた人たち」確かにそうなんでしょうね。自分達はよく分からずにただ走っていたという思いだけですが。 「良くも悪くも」はまったくその通りでしょうね。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
なかなか漠然としたご質問のわりには回答をお急ぎなんですね(笑)。 その世代に憧れて育って、趣味がサブカル系ということもあるのかもしれませんが、ジェット旅客機の到来、東京五輪、ベトナム戦争、ヒッピー・ムーヴメント、全共闘、ヌーヴェルヴァーグなどの影響を受けてきた世代という印象が強いです。 ご本人がそういうご趣味じゃなかったとしても、そういう世相に囲まれていた人たちだと感じます。どっぷりだった人は熱い青春を送ったでしょうし、反面、熱すぎる彼らに反発した人々も少なくなかったはずです。 戦後の栄養事情のせいか、無軌道な青春のせいか、健康を害したり、早世した方々も周囲にはわりといらっしゃいます。一方で、政治的にも文化的にも激動の時代を、平和の中で生きたゆえの、独特の誇りや頑固さも感じます。それでいて、偏見の少ない柔軟な考え方が広まった時代の走りという印象があります(実際には、戦前にもそういう時代は多々あったのですが)。 「準新人類」と呼ばれた私たち世代との決定的な違いは、団塊の方々は「彼らに偏見を抱く人たちもいるが、自分は違う」とおっしゃいますが、私たちは、それを思う間もなく、普通に誰とでも同じように付き合います(相手がどんな人種であろうと、同じように好いたり、同じように嫌う)。 ただ、どんな世代の方々であれ、「自分はこういう考えだが、別の考えも認める」という姿勢の人や、過去ばかり見ずに未来を見ている人が私は好きですし、これから頑固になっていく年齢の中、自分もそうありたいと思っています。 ちなみに、団塊世代でパソコンに強いと、それだけで下の世代との会話がはずみますよね。
お礼
回答ありがとうございます。 「なかなか漠然としたご質問のわりには回答をお急ぎなんですね(笑)」すみません。すぐにのボタンを押してしまいました。 さて、視野の広いお方のようですね。一字一句きちんと読ませていただきました。 よくご存知なので近い世代なのでしょうね。 確かに私が50代後半頃から友人が亡くなりはじめました。最初になくなったのはご指摘の「無軌道な青春」を送った友でしたね。 「準新人類」が団塊世代よりもより柔軟な思考をもつというのはよく分かりますね。 因みに、私の場合は40代半ばで社内全員にパソコンを配られ自分のことは自分でとなりました。そのパソコンも若い人に教えてもらうばかりで、多分「自分でも少しは勉強してくださいよ」と思われていたでしょうね(笑)。 ご指摘のように現在でも50代前半の社員達までとは楽しくコミュニケーションしています。 それ以下の世代は年上との交流を好まないですもんね(笑)。
- born1960
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戦後民主主義というものを履き違えて教育され、また競争があまりにも激しかったせいか「自己中心」「自分さえ良ければいい」「個人主義」と、まあこの3つとも同じような意味ですが、そのような感じを受けます。 兄弟姉妹が多かった世代のせいか、「核家族化」・・・いわゆる「ニューファミリー」のさきがけで、よくも悪くも今の日本の「家庭のありかた」というものを作った世代です。 団塊ジュニアと呼ばれる世代がおよそ1972~1980生まれで、現在小学生、中学生の親で、いわゆるモンペをつくりだした世代です。また「離婚した娘」を暖かく迎えてくれる世代だとも思います。
お礼
回答ありがとうございます。 厳しいご指摘ですが、その通りなのでしょうね。 団塊の世代といっても他の世代の人達と同じ日本人なのですが、人数が多いということで圧迫感があったのでしょうね。団塊ジュニアが1972年からだとお母さんが団塊ということですね。 「離婚した娘を暖かく迎えてくれる世代」これもよく分かります。
- toshipee
- ベストアンサー率10% (725/7148)
その走りに育てられた世代としては、家庭崩壊を作り上げた世代と認識しています。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 ご両親が団塊世代なのですね。 家庭崩壊を作り上げた世代ですか。それは働き蜂で家庭を振り向かなかったということでしょうか。それであればその通りなのでしょうね。特に頑張り屋さんほど働くことに燃えていたと思います。
お礼
22azqq22さん、お礼コメントへの説明ありがとうございます。 「無責任」とはそういう意味だったのですね。 しっかりと頷きながら読みました。 私も本当に同感です。 我々子どもの頃だった昭和30年代は誰でも貧しかったので、高度経済成長とともに豊かさに向かって夢中で走りましたね。ですから自分の家族を豊かにしようとする意識だけが先行し、社会の諸問題に対しては「ただ単に傍観者であったり」ということは確かにそうだったと思います。 そいういう意味で「無責任」だったですね。 私も残りの人生はお金や他人に勝つという欲ではなく、これからを担う後輩世代そして子ども達のためになる活動を始めているところです。
補足
たんさんの方々から回答をいただきましてありがとうございます。 我々団塊世代の友人達にも見せたいと思います。