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自分で見分けられないのに、なぜホンモノにこだわる?

美術品に関する番組がやっていました。 不思議なのが、なぜホンモノにこだわるのか? ってことです。 インチキ時計商売人の事件の時、クロサギで言ってたのが、 「なんで自分で見分けられないのに、ホンモノにこだわるかわからないね。 これ(ニセモノ)だって、立派な時計じゃんか。 時間がわかるもん」 ということ。 本質をついてるなと感じました。 ニセモノだろうが、自分はホンモノだと信じて、飾ってしあわせを感じればいい。 なのに、なぜ人はホンモノにこだわるのでしょうか?

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  • demerger
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回答No.7

骨董的ホンモノは、あまりわかりませんが。 リトグラフなどは・・ シリアルナンバーのようなものはついているとしても。 言ってみりゃ・・全部コピーみたいなもんで。 要は。 自分の審美眼は支払った対価に見合うか? それだけでしょう。 支払者の審美眼vs「本物ですよ」という売り手との掛け合い。 それが贋作で、 法外な対価であれば、 支払者の審美眼は「負けた」感が伴い、手に入れたものは感動を失う。 しかし真贋を別にして、 単に自分の感性との波長にどれだけの対価を支払ってよいか。 それだけを真摯に問うならば、真贋は問題にはなりませんね。 感性波長と対価バランスだけの問題です。 そして。実は、審美の基準は不動では無い。 今は評価されずとも、後世が評価されるものがある。 そこが・・・文化と言うモノの、面白いところです。

noname#202739
質問者

お礼

あなたのような考えがいちばん芸術を楽しめるでしょうね。 自分と合う波長に対価を払う。 カッコいい考え方です。 ぼくもそういう観点で芸術を見ることにしましょう。 ホンモノが流動的なら、ますますホンモノにこだわる意味がわからなくなってきた・・・。

その他の回答 (6)

回答No.6

他者依存的なものを基準としていると不幸になるかもしれませんね!(誰が不幸って決めるの?不幸ってなに?というのはおいといて) ホンモノを求めることが全て他者依存ではないように思いますよ!「ニセモノでも時間が分かるから立派な時計じゃないか」というのも、機能を求めて満足する他者依存でもあります。 それを他者依存ではない、というのは受け止め方の問題ですよね。 ホンモノを持っているというある種優越感や自信、ホンモノかニセモノかにこだわらずいいものを選んでいるんだ、という優越感や自信。 どちらもたいして変わらず、どちらも、ときに幸せな気分になり、ときに人を傷つけるように思います。 「あの人はニセモノ持って喜んでる。おかしいんじゃないか(笑)」 「あの人は見分けができないくせに、ホンモノにこだわり過ぎ(笑)」 「あの人はニセモノかホンモノかにこだわらずに自分の価値観でモノ選ぶ素敵な人だな♪」 「あの人は常にホンモノにこだわり自分を磨こうとしている素敵な人だな♪」 こんな風に、同じ行動をしても、その人により感じ方は違うと思いますよ。 つまり、ホンモノにこだわる人はこうだ!というのではなく、その人によりますよ~、てこと。 ちなみに、「ニセモノだろうが、自分はホンモノだと信じて、飾ってしあわせを感じればいい。」は、他者依存的な考え。 「なのに、なぜ人はホンモノにこだわるのでしょうか?」、人は~、という書き方は「人」の中にあなた自身も含まれいる書き方で、心のどこかで、あなた自身もホンモノにこだわっているのではないでしょうか?

回答No.5

本物を身につけないと、永遠に本物と偽者の違いが分からないじゃないでしょう。 本物だと分かる人は、そういやって長年トレーニングしてきたからこそです。

noname#202739
質問者

お礼

そうですね。 そういう発想なら、ニセモノをつかまされても、いい勉強になったと割り切るでしょう。 問題はブランド物を見せびらかす人が、ホンモノを自分で見分ける気があるか? 勉強してるか、ですが。

回答No.4

こんばんは! ニセモノつかまされて周りからバカにされたくない、とか、ホンモノ持ってる満足感とか、そんな感じだと思いますが。 それもアリだと思いますよ!価値が分からなくても、自分はホンモノを持ってるんだ、という自信が他の行動にも現れてプラスになればいいと思います♪(傲慢になっちゃったらダメですけどね…) 新しいお気に入りの服を来て出掛けたら、いつもよりワクワクしたり颯爽と歩きませんか? 似たようなものだと思いますよ。 だからと言ってホンモノにこだわれ!と言ってるわけではなくて、ニセモノでもなんでも自分が気に入れば嬉しいもんです。 みんなそれぞれの方法で幸せになったり楽しんでるだけだと思いますよ。 決してその機能や価値やモノを買っているだけでなくて、自分の心が満たされる、ワクワクする、そういったものを求めてるんじゃないでしょうか?

noname#202739
質問者

お礼

ホンモノにこだわることで、しあわせになるならいいんですが、 それでトラブる人がいるので、よくわかりません。 自分が満たされる要因として、ブランドという他者依存的なものを基準にしてると不幸になるなって。 ありがとうございます。

回答No.3

他の方もおっしゃってますが、その時計を買った人は、時計を買ったというより、「ブランド」という価値にお金を出したのですよ。

noname#202739
質問者

お礼

要するに世間から認められたもの、認定されたものだから、価値があると。 まぁ、たしかに。 でも、なんか踊らされてる感が・・・。

回答No.2

本質ではありません。 美術的価値あるいはブランド価値について論じてるのに、機能的価値に話をスリ替えてるだけです。

noname#202739
質問者

お礼

「機能的価値ではなく、美術的価値だ」って言ってしまえば、 人はカンタンに幻想じみたものに金を出すんですね。 言葉ってすごいなぁ。

回答No.1

自己満足の為です!

noname#202739
質問者

お礼

なるほど。 人間らしい気がします。