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野辺おくりについて教えてください

 まだ田舎では死者の霊を弔うために、「野辺おくり」という儀式が残っていると聞きます。 この野辺おくりはいつの世から始まったか?、 野辺おくりの本当の意味は? そして現在でもまだこの儀式が残っているところをご存知でしたら教えてください。  

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  • neil_2112
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回答No.1

「野辺」というのは遺体の埋葬(火葬)場を意味する旧来の名前です。「野辺送り」というのは、自宅での葬儀にひき続いて葬列を組んで野辺におもむいて、そこで遺体を埋葬(火葬)するまでの一連の儀式を指します。 「野送り」「野辺の送り」などと呼ぶ地方も沢山ありますし、「葬列」(ソーレツ、時にソーレンなどとも呼ぶ)という言葉で野辺送り全体を意味する地域もあります。 >野辺おくりの本当の意味は 野辺送りとは、一義的には遺体の処理に他なりません。 ただかつては、亡くなって間もない魂は荒れやすいものと考えられており、不適切に扱うと地域全体に災厄がもたらさねかねない、と信じられていましたので、葬列に色々な意味を込めた多様な呪具や民具を動員していました。 その主だった目的は、野辺までの道中故人の魂を鎮魂し落ち着かせておくこと、野辺にたむろすると信じられた諸々の悪霊・鬼霊の類を鎮めること、地域の不安定要因となりかねないケガレを祓う(抑える)こと、宗教的作善によって故人の滅罪を図ること、といったところです。これらの総体が、「遺体を適切に処理する」という野辺送りの目的に奉仕していたわけです。 野辺についてからは、葬列が棺と共に輪になって三度まわる、という作法が割と全国的に行われていたようです(これが出棺時、自宅の庭で行われる場合も多かった)。これは日本古来の鎮魂の意識が具体化した一例ですが、後には仏教的な意味合いが強まり、多くの地方で、四門(シモン)、仮門(カリモン)などと呼ばれる門(簡単な柱や曲げた青竹程度のもの)を一定の作法で通過しながら回る、という風に儀礼化されていきました。 >野辺おくりはいつの世から始まったか 原型と言えるものなら、もう平安時代中期頃には始まっていたと言えます。しかし、仏教の関与が少ないことや葬具の形態の違い、また庶民レベルには全く浸透していない、という意味で、イメージは少し異なるものです。 概ね今イメージされるようなものになったのは、江戸初期以降、というところではないでしょうか。つまり、現代に通じる家族制度ができ、世情が安定し檀家制度が根づき、仏教の唱導が行き届くようになってから、ということです。 野辺送りは、火葬の普及によってほぼ消滅に近い状況です。南の島嶼部ではまだ土葬の所もありますが、野辺送りの方が本土とは少し作法が異なるようです。現代の本土で、ということになると、かなり孤絶した山間部にしか見られないのではないでしょうか。 どういう回答をすればいいのかちょっと迷うところがあるのですが、ポイントがずれているようなら指摘してください。 なお、以前に関連質問に回答していますので、宜しければご参照ください。 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=750321 「葬儀での名前」

nonlinia
質問者

お礼

 詳しくありがとうございました。

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