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質問
私は他の人と考え方が違います それを理解してほしくて話しても、皆怪訝そうにします でも私の話に矛盾はないとは皆言います でも…と何故か濁すのです ある人は、正しいかもしれないけど認めたくないと言いました 何故、正しいとわかっていても見ないふりをするのでしょう? 見たくないものには蓋をするのでしょう? 自分の気持ちを優先してては見えることも見えなくなっていくと思いませんか?
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僕は、この質問に少し矛盾を感じます。 >自分の気持ちを優先してては見えることも見えなくなっていくと思いませんか? という問いは、 そのまま質問者さまの答えになっているのではないでしょうか? つまり、 「自分の考え方を理解してほしいという気持ちを優先しているので、 相手の気持ちや考え方を理解しようという考えが起こっていない。」 …そんな風には考えられないでしょうか?
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- tnr
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考え方は違う事もあると 思います。理解してほしいと 思うなら他人の考えも理解しようと しないと… みえる事も見えなくていいと 思っている人もいるはずです。 知人に 正論ばかりを早口で いいきる方がいますが 私は うなずけません。 他人の意見に耳を傾けない姿勢と 本人はきずいていないが 上から 目線。 反論も面倒くさいので 今では黙ってやり すごしてますがモヤモヤします。 あなた様はどうかわかりませんが、 相手に共感する姿勢もあれば 楽しい議論も出来るようになるのではないでしょうか?
- a-matuki
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こんにちは。 倫理観と感情論ではまた違うのかなぁと思います。 昔から「死」はおそろしいものと認識されていたようですし、 だからこそ医療が発達したり信仰が生まれたりしたわけですし・・・。 かのピラミッドも死後の世界からの蘇り、その後の神殿として建てられた という説があるほど、死とは恐怖と結びつきがあるんですよね。 その後に訪れるものっていったい何なのでしょう。 私は死後世界を知りませんし信仰も持ち合わせてはいませんが、やっぱり 「無」になるのはこわいかなぁと思います。 どちらにしても平等に訪れるものならば、見ようと見まいと同じだと 思うので、ある意味ではどちらが正しいというものではないのでは ないかと思います。 そしてその「死」を迎える際、自分自身が納得できる道筋だったと 思えるような生き方をしていけばいいのではないでしょうか。 この質問はとても面白く、そして難しいところですよね。 個人的な感想でした。
- gooyskaao
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死は今は避けられません。 でも、iPS細胞の研究が発展すると、死ねなくなるかもしれません。 死は、選択(自殺、安楽死、(事故死))される世の中になるかもしれません。 私は、死が避けられないうちに、死にたい。 そして、自殺など、できない。 じゃあ今は、生きることになる。 どうやって生きるか? 苦痛や苦悶をしながら生きて、不幸せの感情を持ったまま死ぬのは嫌だ。 だから、できるだけ楽しいとか、幸せをいっぱい感じて生きていたい。 そのための苦労は仕方ない。 10の苦労があって、1の幸せ。 いや、その方が、幸せの度合いは大きい。 10の幸せに1の苦労は、結局100の苦労がいつか来る。 でも、大きな幸せを勝ち得れば、ほんの些細なことで大きな不幸せを感じる。 まさに、人生は、「パラドクサル」だ。 そして、悩み苦しむ。そしてそのおかげでまた、幸せを感じる。。。 その繰り返しだ。 考えれば考えるほど、わからなくなる。 そして妥協する。死ねないから、とりあえず生きる。ただそれだけだ。 死があるから、人は生きている今を幸せでありたいと願う。 私は、人の本能、DNAにそう刻まれていると感じています。 だから、宗教もあるのかも? 神に与えられた試練、それが人だと。 性善説、性悪説。 いろいろ考えると、人は愚かですね。 分かっていても、幸せになりたい。死にたくない。 人間以外の動物も、死にたくない、という感情は持っている。 死とは何か? 地球に帰るだけだろう?元素として。 でもその元素、私を形作る元素は、いつも同じか? いや違う。なのに、生を受けてから、何十年も私は私だ。 自覚がある。記憶がある。 私は誰だ? どうなってんだ? 病気になりそう。やっぱりこのへんで思考停止。
人でも動物でも死は必ず訪れるそれがいつどこで死ぬかは死ぬ直前迄解らないが後悔しない生き方を選べなら自分に正直に生きればいいのではないかと思います。他人と考え方生き方方針など違って当たり前です。あなたは正義感の強い人なんですねそこはあなたの長所です。別に他人に理解して貰わなくてもあなたさえ良ければ問題無いです。
補足
ご回答ありがとうございます 死後の真実を確実に認識出来ない限り、欲に忠実に生きることは当たり前だということでしょうか?
- bari_saku
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あなたがお話した詳細がわからないと、何とも回答がしづらいです。
補足
内容は、万人が共通して避けられないことは死であるのに何故そのことを考えようとしないのかです 生きることにばっかり執着したって必ず人は死ぬのですから、何かに執着することは死ぬ際に苦痛を味わうと思うんです 財産も恋人も地位も名誉も死んだら持っていけませんから
補足
ご回答ありがとうございます 幸せを沢山感じたいとのことですが、私の見解としましては"普通"の基準を下げていくことによって幸せは多くなるのではないかと つまり質素な生活を営めば些細なことで幸せを感じることが出来、トータルでみてもそちらの方が幸せであると 欲は尽きませんし、人間というものは欲を満たせば満たすほどもっともっと、と貪欲になりますから、永遠に幸福にはなれないと それは貪りから離れられないと そして求めても手に入らなくなる時は必ずやってくる 金銭の問題や物質の有限性の問題で、そこで生じるのはストレス、苦しみ 手に入らない苦しみ、そして手に入ってもまた次のものが欲しくなるというサイクルに陥る なので欲望をなくすことでしか幸せは得られないと思うのですがこの辺はどう思われますか?