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科学が発達するにつれて宗教への信仰心 薄れる?
これから、100年、200年経ち、 科学が発達するにつれて 宗教への信仰心は比例するように薄れてきますか?
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米国人の90%は神の存在を信じていると いわれています。 宇宙飛行士のチャーリー・デューク氏は、 宇宙に出て神の存在を確信した、として とうとう伝道師になってしまいました。 アインシュタインは、宇宙には神の意志が 感じられると言っています。 脳科学の最先端を走っている科学者は、 研究が進めば進むほど、神の秘密を感じる としています。 しかし、それでも昔よりは、宗教の力は 落ちていると思います。 信者は減らずとも、信じる度合いが減少 しているのでしょう。 狂信的な信者は一部だけになりました。 ただ、この現象は科学の発達とはあまり関係無い としている人が多いです。 前述した数々のエピソードも、それを物語って います。 宗教の力が以前より衰えてきたのは、情報化 によるところが大きいのでは、と考えています。 つまり、信じても報われないことが判って 来たのです。 報われないのは、自分だけではない。 情報化により、多くの人が報われないことが 判明した。 それが原因だと思います。
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- tge38
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信仰心が薄れるかもしれませんが、消える事は無いと思ってます。 何故ならどれだけ科学を突き詰めても、我々が存在している真理までは永遠に到達出来ないからでしょう。 カルト地味た理に適ってないものは、娯楽の範囲を除けば消え去っていくでしょが、 例えば般若心経や七つの大罪等、人が考える事や社会性を失わない限り、永遠と受け継がれて行くのではないでしょうか。
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ご回答ありがとうございました。
- key00001
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> 宗教への信仰心は比例するように薄れてきますか? 難しいところです。 日本で言えば、たとえば「天皇」も信仰に近いものがありますが、現在の天皇陛下も、国民から根強い支持を得ています。 戦時中は、少なくとも表向きは国民全員が、天皇陛下を現人神として崇拝していたことに比べますと、「信仰心」としては、かなり変化してきており、それを「薄れてきている」と言えるかも知れませんが・・。 ただ、江戸時代までは日本の人口は4千万人もおらず、現在の1/3以下くらいですから、仮に天皇陛下に敬意を持つ人間を「信者」としますと、信者の数としては、「現在の方が増加している」とも言えますよ。 これを、たとえば今でも原理主義者など、狂信的な信者を持つイスラム教などに当てはめ考えると、今後、科学が発達(≒経済や産業が発展)し、人口も増加すれば、ちょっと恐ろしい事態も想像されますね。 また、ある意味「科学を信じる」と言うのも、「科学教」と言う信仰みたいなモノではあります。 たとえば、科学的に「神仏や、死後の世界は存在しない」と解明されたとして、最後はそれを信じるかどうか?と言うことですから。 一見しますと、科学と宗教は相容れない性質の様ですが、ノーベル賞を受賞した科学者でも、教会で讃美歌を歌ったり、葬式で焼香したりしてるでしょうから、共存が出来ないものでも無いですし・・。 そもそも宗教も、それが発祥した頃は、「最新の科学」みたいなモノです。 古くに発祥し現在まで存続している様な宗教には、たとえ科学的では無くても、人間と言う生物にとっての「真理」みたいなモノを含んでいるものも多く、科学的な真理を探究する学問と、相通ずる部分も多いです。 まあ「幸〇の科学」なんてのは、インチキですが・・。
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ご回答ありがとうございました。
- love_pet2
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逆だと思います。 意外と科学者や医者に何か超越したものを感じる人がいるそうです。 科学をつきつめればより、限界や理解できかねることにも合うのではないでしょうか。 また、オカルトといわれることは、現在未知なだけで、未来の科学だと思っています。
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ご回答ありがとうございました。
- Tann3
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オカルト的な宗教、魔術や奇蹟で人を操るような宗教は、だんだんすたれるでしょうね。 ただ、まっとうな宗教というものは、この世の成り立ちや、世の中のあり方、人間の生き方といったもののよりどころを与えるものなので、人の心の不安や将来に対する不確実さ、死に対する恐怖といった「人間的な弱さ」がある限り、無くならないと思います。また、個人と社会のかかわり方、社会正義や道徳、個人の欲望や感情のコントロール、、対人関係といった人の道の規範としての意味合いもあります。 こういったものは、「科学」で解決できるものではありません。 また、「科学」自体が、神の作った自然界の成り立ちを解き明かすという意識から発達して来たという歴史もあるので、科学=反宗教と考えるのは必ずしも正しくはないようです。 アインシュタインも、神はこの世を矛盾のない整合性のとれたものに作ったはずだという信念から、「光速度一定」を原理として相対性理論の体系を作り上げました。量子力学の確率論的解釈に対して、「神はサイコロを振らない」といって反論したそうです。宇宙規模から、素粒子の規模まで、同じ法則が支配しているはず、という考え方自体が、一神教独特の発想なのだそうです。(日本の「八百万の神」の国では、そういう徹底した統一理論は生まれなかったのでしょう)
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ご回答ありがとうございました。
>科学が発達するにつれて 宗教への信仰心は比例するように薄れてきますか? おおむねそういうことはいえるでしょうね。そう願いたいです。既に100年以上前から先取り的な人間の叡智は神を否定していますし、共産主義の台頭もありました。それがいまだに世界宗教が健在なのですから、神はしぶといといえると思います。 それよりも >これから、100年、200年経ち、科学が発達するに こういった前提そのものが、どうかな?という気がします。あまりにも楽観的過ぎる気もします。まあ、それはおいて、 文明がどれほど進んでも、科学が先端をきわめて、神そのものの居場所が実質なくなっても(既にそうなっているのですが)、人間そのものは1万年前とあまり変わってはいないのですから、賢人と凡人、バカの比率はこれからも一緒のはずです。大勢に流されて他人の口ぱくに思考停止してしまう大方の人間が生き残っていく限り、宗教もさほど勢力を失わずに居られるのでは、とも思えます。残念ながらそれは美を愛したり食い物に貪したり、ヒトラーの演説に酔ったりする人間の基本的な遺伝形質のひとつだと思いますし。
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ご回答ありがとうございました。
科学の発達が信仰心の衰退に繋がるのは知性の低い人に起こり易い傾向なので、知性が高い人よりも低い人の方が多いと相場が決まっている世の中では科学が発達すれば信仰心の衰退に繋がり易くなるでしょう。 知性の高い人でも低い人の人数とその愚かさには敵いませんからね。 科学の発達はどこまで進んでも宗教を否定する事にはならない筈ですが、否定する事になっていない事実の部分を簡単に無視して無茶な飛躍をしてしまう人はかなり居ます。 この事実は、科学が宗教を否定できる能力を備えていないという事実とは無関係に信仰心の衰退を招くのではないでしょうか。
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- Mokuzo100nenn
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現代の科学でもせ核に理解出る人は人類の1%、日本人の10%ぐらいしかいないのではないでしょうかね。 この先、科学がいくら進歩しようとも、それを理解できる人の比率はどんどん少なくなってゆく。 20世紀の初頭にアインシュタインがこの世の時間の相対性を発見し、速度の絶対性を説明したわけですが、21世紀の現在においても時間の相対性と速度の絶対性を理解している(=説明できる)人は人類の1%、日本人の10%も居ないのではないかと思います。 したがって、今後の科学の進歩は、大多数の人類の宗教に対する依存心を低下させることにはつながらないでしょう。
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ご回答ありがとうございました。
- trajaa
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過去100年200年の変化を見れば、将来も予測できる
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ご回答ありがとうございました。
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ご回答ありがとうございました。