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宗教信仰

信仰とは感覚的なものに過ぎず実体はないのに何故宗教を信じるんですか?

みんなの回答

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.4

>信仰とは感覚的なものに過ぎず実体はないのに何故宗教を信じるんですか? 物理的・科学的に証明できない事への不安を解消する為、ですねかね。 世界三大宗教であるキリスト教・イスラム教・仏教には、経典がありますよね。 が、神道など自然・個人・動物を神と崇める宗教には経典がありません。 例えば、仏教。 釈迦の説法では、天国も地獄もありません。 釈迦の死後、各宗派が誕生してから天国・地獄の概念が生まれています。 死後については、昔から悩んでいる人が多いのです。 西国三十三カ所巡礼。 「地獄は、既に満員だ。生前に、身も心も浄化・綺麗にしろ!」(閻魔大王談) この話を聞いた徳道上人が、札所を定めたのです。 誰も、地獄に落ちたくないですからね。 浄土宗なども、戦乱の世で(多くの敵を倒した)武士が死後の事を考えて信者が増えました。 もう一つは、精神的な安定を求めているのでしよう。 「病は気から」ですから、先ず心の拠り所として宗教にすがるのでしようね。 ただ・・・。ただ・・・。 宗教に名を借りた、金儲け集団・政治集団・暴力集団なども多いです。 オウム真理教なんか、典型的な実例。 占い師・預言者も、注意が必要です。 某女性占い師は「私の言った事を信じないと、地獄に落ちる」と依頼者を脅かして、莫大な利益を上げていました。 当然、送検され罰を受けました。^^; 心の隙は、人間の一番弱い場所ですね。

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.3

宗教には、教義(キリスト教は聖書)があり、そこに答えが載っているので、考えなくても良くなります 一般の人は、ときには失敗し、人に助けてもらったり助けたり・・と、自身の経験から物事や人としての生き方を学びますが、宗教は教義を読めば書いてあります 一般の人は、悩み・苦しみ・人間関係に疲れたり、どうして良いのかと答えが導き出せない場合などは、人に相談したりして解決の糸口を見つけるのですが、宗教は教義を読めば書いてあります また、宗教に浸透している人、ハマっている人、生活のいちぶになっている人に一般の人が何かしら相談すれば、教義の内容を話してくれて、経験談は話しませんが、話したとしても結局は協議の内容に戻ります >信仰とは感覚的なものに過ぎず実体はないのに何故宗教を信じるんですか? つまり・・・楽なのです もう少しわかりやすく説明すると・・・ 子どもさんが親に、わからないことを聞くと、現代では親はすぐにスマホなどのネット端末で調べて、その内容を説明します とても楽です 昔は、お父さんもお母さんも分からないから、一緒に調べようか?とか、明日までに調べてみるからね・・など、親子の関係がありましたが、今では逆に、親に聞く前に子ども自身がスマホなどで検索すれば良い時代です つまり、現在にとっての信仰の教義は、スマホ検索・PC検索・OKWAVEなどのネット・・と言えます ので、もうスマホ自体も、スマホ教という宗教のようなモノです なので、宗教はもう、精神的な支えとしての役割が無くなる方向に・・・

  • agehage
  • ベストアンサー率22% (2753/12076)
回答No.2

生き方の指針になると思います こんなことはしてはいけないとか、こんなことをしなきゃとか。

回答No.1

 以前はジェットコースターのように、情緒不安定でしたが、まだまだではありますが、信仰が深まると、安心感とか安定感がかなり持てるということは、想定外でした。  毎回毎日、TVなどの人前で安定してしゃべれる人というのが、自分のような不安定な人間には想像がつかないんですが、関係に恵まれた人というのは、こちらが30年苦労してでも得たい安定というものを、ほぼ最初から持つことができるのかなと思うと、経済格差ならぬ、人間関係格差も日本は相当ありそうな気がします。