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自己理解が必要な状況にある人の共通点と対処法
- 自己理解ができない状況にある人は、病名がつかず対処法も見つからないことが多いです。
- 周囲や自分自身からも理解されず、孤独を感じることがあります。
- このような人々が存在することを理解し、情報共有や支援の場を提供することが重要です。
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はじめまして。 アイデンティティ=自我論の問題かと思います。 ですが、根本にはこの文章が気になりました。 >親にも友達にも、理解されていなかったのに気付きました。 これは理解されているとの思いこみがエラーだった場合です。 ぶっちゃけ他人にも自分にも期待することをやめるということが大切そうです。 タモリさんはそういう考え方だそうです。 私も自分が何なのかを明確に定義せよと言われたらできません。 心理学では自我は個体に淀っていて一定であると解釈しますが、 社会学ではその場、その時に接している他人によって自我はいろいろ変わるという解釈だそうです。 どんどん交流の場に出ていけば次第に自分という者が他者を通じる内に、輪郭が明確になってくるのではないでしょうか? そして、たとえ他者と分かり合えないことに気がついたとしても、それは当然のこと、普通であって、何も落胆することではないし、期待していたことが間違いだったという結論でよいと思います。 質問者様は賢い方であろうと思われるので(大抵こういう自我論者は賢いです)、割り切りを上手にできれば悩みは解決できるかと思います。 あとは時間による成長です。賢いゆえにこういう自我論に陥っている。それはそれで若いときに一度経験するにはかなりのメリットのある重要問題です。 それを克服されたときには一皮も二皮も向けた存在になれると思います。 じっくり考えてみることも意外と大切です。
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- hirotan1879
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100年くらい前に同じことを考えた人が居て実存主義という考え方が始まりました。 Quote 、「実存は本質に先立つ」とする立場である。実存主義の反対語は、本質主義であり、本質が実存に先立つとする立場である。 例えば、人間がペーパーナイフをつくる場合、ペーパーナイフとはなにかというイデー(観念)が先にあって、ペーパーナイフをつくることになる。このペーパーナイフのイデーが本質である。しかしながら、人間の場合、あらかじめ人間とはなにかという本質が決まっているわけではなく、人間は自分で成りたいものになるべく、未来に投企し、自分をつくりあげる。ゆえに、ジャン=ポール・サルトルは人間の場合、「実存は本質に先立つ」とする。つまり、ジャン=ポール・サルトルの実存主義は、人間が自由であることの宣言なのである。 Unquote 最も多くの人が嵌る哲学的命題なので、質問者様のご質問は極めて一般常識的、普遍的なものだと思います。 丁度良い機会ですので図書館で 何冊か読んでみることをお勧めします。 実存、サルトル、ニーチェなどで検索してみてください。
お礼
回答ありがとうございます。 理解するのにもう少しかかりそうですが、とても興味深かったです。 早速次の休みの日に読んでみようと思います。
- d194456
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人は誕生の時に大きな声で産声をあげます。 その声にあなた自身の気持ちが込められていたのを、もう忘れましたか。 どんな決意を持って、この世に産まれて来ることにしたのだか、もう一度考えてみませんか。 産声の意味で、病名が付くことなどありませんよ。
お礼
回答ありがとうございます。 どんなものなのか正直分からないのですが、確かに産まれた時だって何かしらの気持ちはあったのでしょうね。 でも言葉もまだ分からないだろうし、言葉や形ではない何か感覚的なものですかね。
- invitrobuta
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私が何者なのか、どういう意味があるのかなど考え出すということはおそらく、哲学的な考え方をしているということなんでしょうか。 私もときどき考えましたが、哲学でいうと「自分とはなんだろう」というのは「自我」についてのことであり、そういう解釈がいろいろされていますが、あまり深く考えていくと、まわりからみたら精神病といわれてもおかしくないかもしれませんね。 私の場合は「自分とはなんだろう」=「自分の意識とはなんだろう」=「死んだら意識がなくなるということはどういうことだろう」と考え出したら死が怖くなってきてしまいました。自分という意識があるから自分であるということであって、死んだら意識がなくなる、それをどういうことかと考えるのは今の自分には無理なわけです。 とまぁ、あまり言い出すと頭のおかしい人と思われても仕方ないですよね。今は、宇宙の存在という大きな世界を考えるようにして、そこからすると自分の存在や生きている期間がいかにちっぽけなものなのかと考え、あまり深く考えずにすむようになりました。 まとまりのない文章ですみません。
お礼
回答ありがとうございます。 私は自殺願望があるからなのか分かりませんが、死んだら意識がなくなる。肉体も全て無になる。 それと同じように生きてたことすらも無かったことになればいいのに。と思います。 そうすれば悲しむ人もいなくていいなって。でもそれがもし自分の親や友人がもし亡くなった時にもそうだったら、それ程怖いことはないと思いました。 もっと大きな所で考えてみるのは良いかもしれませんね。
- fjdksla
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メンタルというより・・・哲学ですよね。 >自分が何者なのか分からなくなりました。 みな自分が何なのか分かっていません。 貴方だけでは有りませんから心配しないでください。 誰かに、「貴方は何?」「何故生きているの?」「何のために生きているの?」と訊いた所で 納得のいく回答は誰も出来ません。 ただ精一杯生きることで意味を見出しているのです。
お礼
回答ありがとうございます。 哲学なんですね。 みんなは自分が何なのか分からなくても 苦しくないのでしょうか。 何といえばいいのか分からないのですが、意味を求めてる意識はなくて、ただ存在してるのが苦しいだけなのかもしれません。 友達や親には具体的な悩みを聞いてもらったりもしますが、聞き流されたり、やっぱり病院だったり。 伝えるのって難しいですね。
お礼
回答ありがとうございます。 親も友達もみんな素敵な人で大好きなので、特別だと思い込んでました。 友達はともかく、親は何でも分かってくれる存在と決めつけていたと思います。 でもそうじゃなかったんです。今までのことを冷静に思い返すと、理解されてたとは思えませんでした。 割り切ることは必要ですよね。 考えて考えて苦しくなります。 時期によっても浮き沈みが激しく、少し前までは自分なりに割り切り、少し楽に生きてた時期もあるんですが一度考え出すと止まらなくなります。 結局答えなんて出ないので無駄なんですけどね。 期待をやめるのは難しそうです。いつもすぐに信じ切ってしまいます。 期待をしないのは寛大な心を持ってるからなのでしょうか。