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山部赤人 富士讃歌
山部赤人は長歌で富士山を讃えています。彼は実際に富士を見たのでしょうか。 「夏でも頂に雪を讃えている」と特異性を挙げていますが、実際には夏には雪は消えて万年雪にはならないはずです。 彼は、伝聞だけで創作したのではないか、という気がするのですが、どうでしょうか。
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「雪が夏の間も消えない」とは言っていないのでは。富士山の終雪は7月頃が多く,7月中に残っている雪を見ることもあります。また8月の初冠雪も珍しくありません。「富士の高嶺では季節によらず雪が降る」と解釈すればいいのではないでしょうか。
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- toshineko
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#4です。 Wikiの記述の中に、山部赤人が「上総少目」であったとの記載があります。 その当時は遥任であったとは考え難く、現地(現千葉県)に赴任していたと考えられ、 赴任の際には東海道を下って、富士山を実際に見ていたと思われます。 また上総国の国府は、現在のいすみ市国府台付近と考えられています。 太平洋側になりますから、いつも富士山が見えたわけではないでしょうが、 東京湾側に赴いたりした時には望むことができたと思います。
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ありがとうございました! そうですか、実際に見た可能性が高いのですね。思えば「ときじくそ 雪は降りける」の解釈が間違っていたところから出発した、私の要らぬ詮索でした。申し訳ありません、山部赤人様。
- toshineko
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gesui3 さん、こんばんは。 赤人が活躍した飛鳥~奈良時代にかけて、日本は寒冷期であったようです。 夏でも雪が残っていた可能性はありますね。 その後の平安時代は比較的温暖な時代だったようです。
お礼
toshinekoさん、ありがとうございます。 いまとは気候が違うのですね。それならなおさら、夏に雪が新しく降ったり、積もっていたりすることはあり得ますね。どうもありがとうございました。
- banzaiA
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その歌は、夏の季節に詠んだものですか? 浅学な私に、その根拠を教えて下さいませんか? 伊勢物語に 「時しらぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ」 という歌がありますね。 「5月の末だというのに」雪が積もっている云々 これを見ると平安時代初期には、夏だのに雪が積もっていたと思われます。
お礼
「時じくそ 雪は降りける(時季を問わずに 雪が降り積もっている)」とあります。年中、雪があるというなら、夏もでしょう。
- heisenberg
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>>◇実際には夏には雪は消えて万年雪にはならないはずです。 僕は、夏の富士山の頂がどうなっているのか、見たことがありませんが、もし、あなたの指摘が事実なら、赤人は、「伝聞だけ」で富士を歌った可能性はあります。 ただ、近年は地球温暖化が言われていますし、赤人の時代は、もっと寒かったかもしれません。 そうすると、当時の富士は、夏でも冠雪したことも考えられます。 そのことも考える必要があります。 もし、当時も、夏は冠雪していなかったなら、「伝聞だけ」で歌ったと言えるでしょう。 「波浮の港」という歌曲が在ります。 その中に、「波浮の港は、夕焼け小焼け」という歌詞があるのですが、実際は、方角の関係から、波浮の港からは夕日は見えないそうです。 野口有情は、想像だけで歌詞を書いたんですね。 また、「国境の町」という、有名な懐メロがあります。 これは、ソ連と満洲の、酷寒の冬の国境の情景を歌っていますが、作詞をした大木敦夫は、現地の状況を見ず、「真夏の新宿(東京)の喫茶店で、額に汗を流しながら書いた」「後年、実際に行ってみて、現地の様子が歌詞の通りだったので、驚いた」と言っています。 この場合は、「伝聞だけ」で書いたものが適切だった、というケースです。 赤人の場合、「伝聞だけで歌を詠み、間違えた」可能性は否定できないです。
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ありがとうございました。どちらともいえるのですね。
お礼
そうでしたか! すると、夏でも雪が降って白くなることがある、と解釈すればいいのですね。 ネットなどでの他の評者によれば「雪が降るのが下から見えるわけがない、想像だろう」とか「降り積もっているの意だ」とか、いろいろ言っています。しかし、mideさんのように解釈すれば、雪が降って白くなったのを下からも見られますから、何の矛盾もないことですね。 どうもありがとうございました。