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なぜ今うつ病等の精神疾患になる方が多いのでしょうか

なぜ今、こんなにもうつ病等の精神疾患になる方が多いのでしょうか?

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回答No.2

まぁストレス社会と言うのはあると思います。 ただ、昔が少なかったとは言えないと思います。 表立ってなかった可能性のほうが高いでしょう。 問題として、うつ病とは客観的で確実な診断方法がないということです。 ある精神医に見せたら、不安障害である精神医に見せたらうつ病なんてことはザラです。 客観的な数値で病気を判断できないので、誤診も多いと思います。 ただの季節性のうつ症状をうつ病と判断するなど。 現代のうつ病治療は問題になってきています。 第一選択が投薬療法だからです。 製薬会社は安全を強調しますが、残念ながら副作用、離脱症状があり、安全とは程遠いです。 欧州の進んだ国などでは、軽いうつ病の場合、カウンセリングなどで対応し投薬治療を進めていません。 CMなどで安易な心療内科・精神科への受診を進めていますが、現状の日本の医療体制では気軽にいくことをおすすめしません。

noname#217390
質問者

お礼

そうですね・・確かに、うつ病だからと言って、安易に病院へ行くのも問題だと思います。 難しい問題ですね。 御回答下さり有難うございました。

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回答No.4

精神的な障害に対する専門的な客観的な知識が乏しいために、専門家と称される人達の知識もおろそかなもので構成されているから、と思います。 人間の心が『何故苦しくなるのか?』と言う基本でさえ、精神科医達や心療内科の専門医達は教えてもらっていないような感じでいます。 専門家のスタンスは、『ストレスからの逃避』を患者に教えています。すなわち『ストレス源の回避』を日常的な判断や診断の基にしている事を意味します。 その一環が『学業や仕事から』一時的に解き放ってやって、様子を見る事を意味します。おまけにストレスを減らすための『薬』を処方してです。 早期発見で早期回復が出来る事、或いは誰でも『心に風邪を引く事がある。』を歌い文句にする事で、心に問題がありそうな状態の人手さえ、病気にしてしまう事があると思うからです。 ところが治療の実態は、『寛快』までを限度としていて、その先に、悪くなるのか良くなるのかの指針や治療方針が存在していません。 早い話が、何故良くなったのか?と何故悪くなったのか?の間に線を引く事が出来ていません。つまり『如何すれば治るのか?どうすれば良くなるのか?』という事が分らないで、メクラめっぽうな方法が『薬物治療の実態』十言う事です。 明確な治療指針がない現実が『今の精神医療の現場』になっている事だと思います。 現実の社会では、故障した部分を治す場合では、治った対価として修理費が払われています、従って治らない場合では修理費を請求出来ないし、支払いをする義務さえ生じていません。 是が一般の価値観です。この価値観が、精神医学界では通用していません。この通用していない事実が精神医療の遅れている実態をあらわしていると思います。 その原因が『心を病む』原因の特定が出来ていない事を証拠付けています。 『何故心が苦しくなるのか?』『正常な心とは何か?』が分らないで治療が進められている事から、『なぜ今、こんなにもうつ病等の精神疾患になる方が多いのでしょうか? 』と言う疑問が沸き上がるのかと思います。 専門家ではありませんし、完全な部外者ですが、部外者から見た場合の方が『返って、そういう専門的な事柄を、先入観無しで見る事が出来るかも知れない?』と思って書いています。 精神医療の仕事は、『苦しんでいる心』に『癒しを与える事』が全てと思います。もっと極端な言い方にするなら『魂の救い』がその仕事領域と思います。 そうなるための手段に『投薬治療』が行われているのかと思いますが、治る人と治らない人、或いは治る場合と治らない場合の比率が余りにも差があるという現実に、精神『薬』の効果に疑問を感じています。 人間の苦しみの実態とは『現在の自分が、現在の自分を受け入れられない事』が全てです。従って患者の訴えとは『今自分が受け入れる事が出来ない事』を症状として訴えています。 その補助するものが『ストレス』=『自分が受入れたくないと思っている事柄』に相当します。失恋の場合を例に挙げてみます。 期待が大きいほど『心の痛みが大きい』事を意味しますが、実は『今のこういう現実を受け入れられない事』が原因となっています。 この苦しい心を緩和する目的で、『薬』が処方されていると思います。是は『心』と言うシステムから説明するなら『苦しみを受けている心=自我意識』が『自分自身に、目の前の現実を言葉に拠らない情報として、送る”システムが関与しているからです。” 実際の脳の機能を科学的に研究してその実績が評価されて、ノーベル賞まで貰う事が出来た研究成果です。ウイキペデアからコピーします。 『”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』 更にこの記事を補強するために、或る脳科学者が『自分自身の内面から』脳の機能分化の体験を脳卒中の為に『体験せざるを得なくなった』貴重な体験談を語っている動画を載せてみます。 もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM この動画の中で語られている内容は、宗教体験です。キリスト者であるなら『神と和解している最中』と言う意味です。或いは禅宗や仏教なら、『仏性』と出会っている最中と言う意味ですが、専門用語を使うなら『見性成仏中』と表現する事も出来ます。 その結果を『神の僕となる』或いは『生死の問題が解決する』と表現する事が出来ます。 つまり自分自身の心同士が争う事を止めて、心の中に限りない静寂が訪れる、と言う意味です。つまりい『涅槃』の世界を語っていると言う意味です。 是はストレスをストレスにしない考え方に変わると言う意味です。現実の世界で『大きく期待していた心が、現実の失恋を受入れたことによって』心の矛盾が解消すると言う意味です。 現実の目の前の真実の世界と『頭の中の期待する心』が仲違いを解くという意味ですが、他の言い方にするなら『自我意識と無意識の自分』が仲直りをするという意味です。 他の表現方法なら、自分自身の『一念』と『二念』が争う事をしなくなる、と言う意味です。 聖書からの言葉にするなら『神の僕となる』=苦しんでいた自我意識(二念)が、自分の主張をしなくなって(一念)に従う事を意味します。 上がり症なら、上がる自分を肯定する事によって、上がっても上がらなくてもそんな事には執着がなくなるという意味です。 欝の場合では今までストレスと感じて『意識上に上げて問題にしていた事柄』が、ストレスにならなくなる事を意味します。実際では『予期不安として叱られる事をストレスに感じていた事を』間違ったら叱られる事は『当たり前』と思えるようになります。 間違えない正確な仕事に『自分の心の全て』をぶち込んで行うようになる事から、間違いが少なくなっていますが、『人間だもの間違いはある事』が分るために叱られる事に恐怖感が無くなっています。 失敗も成功もどちらも自分自身という事を達観出来るようになります。元々正常な心など何処にも無かったことが、わかるようになります。正常か異常かさえ気にしないでいる事が健常者の条件であって、正常な心を探し始める時にだけで『正常な心が失われている事』を医師は教えてくれません。 ストレスとの向き合い方で心を病んだり治ったりしています。ストレスをストレスにしない考え方の変更が、本当の医師の仕事だと思いますが、薬による治療は『逆にストレスの耐性を弱くしています。』 だんだん小さな事まで『薬を使って』ストレスに変える今の精神医療の現場から、心の耐性が弱くなっている事が、『なぜ今、こんなにもうつ病等の精神疾患になる方が多いのでしょうか? 』 と言う現実を作り出していると思いますが、如何でしょうか? 精神医療の現場や教育の現場では、『問題を見え難くする事で』利益を握っている集団が見え隠れしていると感じます。その収益額の大きい者が、問題の核心を見えなくしていると言う意味です。 全人格的な精神医療の底上げと、全人格的な教育の底上げが今の日本に、欠けていて、期待されている事だと思います。小手先の技術ではなくてです。

noname#217390
質問者

お礼

詳しく教えていただきありがとうございました。 本当にありがとうございました。

  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.3

1、製薬会社と精神科医が増やしている、つまり精神疾患のほとんどの症状は一般の人にも有る訳です   たとえは鬱症状は、一般の人は疲れているという言葉で済むわけです、精神疾患に入るのは症状により   問題行動が出た場合です、ほとんどは社会に適応出来ない場合です、神経性症障害(適応障害、社会不安     障害などなど)の不安症の不安も一般の人にもあります、生活に支障がこないから病気の範囲に入らない   のです、つまり、軽い神経症障害の不安がメインの鬱症状の人もうつ病と評し、病院へ通わなくても   自然によくなる精神疾患の2、3割の人まで製薬会社の儲け主義により精神科医が病気と評し抱え込むか  ら精神疾患が増えているのです!  もう一度言いますが、精神疾患の症状は全てではないですが、一般の  人にもある訳です、生活に支障がきた場合行くべきで、それ以外は行く必要はないのです、精神疾患の  の概念は医者が決めたのですから。  2、精神疾患という概念が社会と変化と共に変えているからです、精神疾患の診断基準は概ねWHO式と   アメリカ式があります最近はアメリカ式のDSMなど操作的診断基準を日本の精神科医が使い始めたんです     操作的診断基準とは簡単にいいますと症状をメインに診断をする事です、病気は本来、原因から診断を   しますが精神疾患の場合は原因が判らない事もあるからです。 ですから鬱がメインな症状だと   うつ病にする精神科医が増えているのです、鬱の症状でも一次的にはパーソナリィティに凄く問題がある   パーソナリティ障害と病名と付けるところをうつ病と評したりするのです、或いは神経性障害にストレス   不安で、うつ状態が主な症状の人を操作的診断基準の普及によりうつ病と診断する医者が増えているので  す、本来、うつ病とはこれといった、ストレス不安、悩みがないのに、欝症状が出ている人の事を言うので  す。本来は脳の病気だと言われています。   私は統合失調症、本当の意味でのうつ病、躁うつ病、重いパーソナリティ障害(軽い人は個性で良いので  す)意外は精神科医の治療に入れるべきでないと思います。      http://bylines.news.yahoo.co.jp/nishidamasaki/20130921-00028302/ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%A4%E7%97%85   

noname#217390
質問者

お礼

詳しく教えていただき有難うございました。 御回答有難うございました。

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2313/7949)
回答No.1

昔の精神科は、一度入ったら出られないような確実な隔離施設だったし、ロボトミー手術のような外科手術とか現代では行われない治療法でもっと廃人になったりした。 そして、傷痍軍人のように公的に保護もされない、精神に異常をきたしている人が、町中にも今よりはるかに居た。 それと同類にされないため、 精神疾患が出た場合、世間の目を気にして、大家族で親族一同で人目に触れない部屋に幽閉、サナトリウムのような郊外治療にだして隔離した。 あと、睡眠薬なんかは1980年ごろまで薬局で買えたので、不眠症くらいでは医者に行く必要はなかった。 戦前ならヒロポンなんて覚せい剤も疲労回復薬として市販されていたから、抑うつ症状なんて市販薬で改善した。戦後も軍の横流し品が買えた。 その代わり、服毒自殺が社会問題になって規制された。その規制で入手困難になってシンナー吸引問題や咳止め薬の乱用につながり、規制を繰り返して、最近の脱法ドラッグまで関係します。 決して精神疾患が人口比で増えているわけではありません。 社会問題として認識され、公言できる世の中になって、適切な医療機関で治療を受けられる人が増え、治った人からも経験談が増えるので、結果的に話題が増えます。 ニートなんかも同様です。江戸の昔から穀潰しとか素浪人とか裕福な家にはよくいたのですし、引きこもっていたら目につくことがなかった。 ネットの普及で引き篭もりながら自分を発信する手段を持ち、ニートの同類の存在が確認できるようになったから、存在確認が増えています。

noname#217390
質問者

お礼

詳しく教えていただき有難うございました。 御回答下さり有難うございました。