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ハワイ誘導の狙い

日本が真珠湾攻撃をしたハワイ。 GHQが大東亜戦争というのを禁じて、日本がアジアを開放したように言うのを禁じて、太平洋戦争というように指令もした。 ハワイは領有の歴史が浅く、イギリスやフランスも領有を宣言したことがあるらしい。 銃社会に観光とか普通はありえないが、日本人が大量に観光に行く。 犯罪率も高く、日本人はたくさん被害にあっているようだ。 アメリカ、ハワイは日本人をなぜ誘導し続けるのか、教えてください。 あそこはずっと観光地だったのか?日本人がたくさんくることによって観光地になったのだろうか。

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  • phj
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回答No.2

#1です。お礼ありがとうございます。以下補足です。 >ハワイはレイプ事件が多いみたいで、ほったらかしです。酷いですね。邦人被害者は法的に十分救済されているのでしょうか? ハワイを含むアメリカ合衆国は、人種の坩堝です。被害者を人種ごとに分けて差別していたら国そのものが成り立ちません。 ですから邦人であっても、他の人々と同じように救済されます。ただし、それがどの程度なのか、危ないところを何も知らず一人で歩いていて被害にあったのか、デートレイプなのか、など事案ごとの事情があるでしょうから、なにをもって十分なのか分かりません。 >真珠湾攻撃された島だから日本人を積極的に誘導しようという狙いはありませんか?領有の歴史が浅いから観光客をたくさん誘導して、アメリカのハワイをアピールする狙いはどうでしょう? ハワイ州自体が観光が最大の産業になっています。そのため、アメリカ本土だけでなく、アジア各国やオーストラリア、場合によってはヨーロッパまでハワイ観光を誘致しています。  実際に私がハワイに行ったときも、ドイツ人の老夫婦と出会いました。 もともとハワイのワイキキ周辺は、先にも書いたように1960年代には日本資本による開発が始まっています。DFSを中心としたワイキキ周辺には日本資本のホテルや店舗も多く、現在の日本を含めたアジア人観光客のほとんどが日系資本のエージェントにアテンドされているといってもいいと思います。  もし「領有の歴史」を言うのなら、アメリカ本土からの誘致を優先しアジア人は制限ないし無視するはずですが(韓国の竹島国内観光はまさに領有を主張するためです)そうなってはいないのです。  逆に、真珠湾攻撃された島だから日本人を積極的に誘導しようという狙い、が必要なのか、必要だとすればどのような意図に基づくのかまったく理解ができません。 ハワイはまずアメリカ本土のための観光地となり、その後「日本から行けるパラダイス」として有名になったのです。  そもそも日本の海外渡航の自由化は1964年ですが、沖縄が日本に返還されたのは1972年になってからであり、ハワイに行くほうが軍政下の沖縄よりもよっぽど簡単だったのです。 その後、経済的に豊かになった韓国人や中国人、共産主義から資本主義に変わったロシア人など極東アジア側に住む人々が「太平洋のパラダイス」としてハワイに行くようになったため、今の賑わいがあるのです。

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  • phj
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回答No.1

ハワイは1900年ごろにはアメリカの本土資本が入って、アメリカのリゾートとして開発が始まります。ワイキキ一体が観光地化されたのはこの頃からです。 これ以前のハワイは独立した王国であり、日本とも親しくしていました。1898年にアメリカはハワイを準州として、領土に取り入れ王政を滅亡に追い込むのですが、そこに至る20年程度の騒乱の時代には、日本もハワイ王国を助けるために軍艦を派遣したり、移民を送り出したりしていました。この移民は増え続け、排日移民法が成立する前にハワイには総数21万人人口比4割に達する日系人が生活していたのです。  つまり日本にとってもハワイは比較的近い隣人のような場所だったわけです。 大東亜戦争は日中事変も含めますが、真珠湾攻撃からの太平洋戦争では、当然のことながらハワイはアメリカの橋頭堡であり、これを殲滅しておくことは日本海軍としては必要な戦略でした。これはアメリカが終戦まじかに硫黄島をなんとしても攻略して日本本土決戦を有利にしたい、と考えたのと同じ地理関係になります。 日本は結局戦争に負け、ハワイも1959年に州に昇格し、戦後のアメリカ本土からのリゾート開発が活発化します。戦時中のハワイは本土から100万人の兵士が駐留したため、アメリカ本土全体にハワイの存在が知れ渡ったからです。 日本も戦後の1948年には、戦前に活発だった東京-ハワイ-サンフランシスコ客船も復活します。これによりハワイと日本との定期便が再開され、少しずつですが交流が活発化していきました。ただし、庶民にはハワイどころか海外に行くこと自体が夢のまた夢でした。 これが変わったのが1964年の日本の海外旅行規制の撤廃です。それを見込んだ日本資本が1962年ごろからハワイに資本投下し始め、ハワイ州も日本人受け入れのための観光地政策を取ったため、段々に日本人観光客も多くなります。そしてハワイがリゾートとして決定的になったのは、飛行機のジェット化大型化で、これ以降多くの人々がハワイに訪れるようになり日本も1970年には東京-ハワイ便をジェット化しています。 この後、日本は高度成長の波にのってバブル終焉までハワイに資本を投下し、多くの日本人観光客をハワイに誘致することに成功します。そしてハワイだけでは観光客をさばききれなくなり、グアムやサイパンを日本資本が観光地化していくことになります。 重要なのは、1960年代当時、日本から行ける「海外リゾート」が事実上ハワイしか存在しなかったことです。グアムやサイパンの開発は始まったばかりでしたし、それ以外の東南アジアはベトナム戦争やインドネシア戦争など、とてもリゾート開発ができる状態ではなかったのです。 つまり、日本から海外旅行に行こうとしても、韓国すら軍政でクーデターが頻発し、中国では文化大革命が進行中で観光どころではなかったので、行き先はハワイ(後にグアム・サイパン)、アメリカ本土そしてヨーロッパしかなかったわけです。 このため、日本人の海外旅行熱はハワイを含めたアメリカに向かうことになり、特にハワイはリゾートとして日系資本が開発をどんどん進めることになり、それに乗じて日本人観光客もどんどん増える、という図式だったのです。 ハワイについては、戦前の「あこがれ」から戦後の海外旅行ブームまで常に第一の候補であって、芸能人などもたくさん旅行に出かけた結果、現在でも有数の旅行先であり、また芸能人が年末年始に滞在する憧れの場所、ということになっているのです。 現在では日本人の旅行も個人手配が増えてきており、行き先も様々な場所が選べるようになってきていますが、これは1980年代後半になってからの傾向であり、HISが1980年に創業して格安航空券のを売り出した影響も大きいといわれています。 しかし、いずれにしてもハワイ以外は途上国であり、日本から気軽に安心して行けるリゾートはハワイ・グアム・サイパンしかありません(東南アジアは貧困がある上に、テロの危険もあり衛生状態もまだ厳しいです) そのため、ハワイはいまだに日本人のある意味憧れであり、確実な海外旅行先なのです。

noname#188362
質問者

お礼

ハワイはレイプ事件が多いみたいで、ほったらかしです。酷いですね。邦人被害者は法的に十分救済されているのでしょうか?真珠湾攻撃された島だから日本人を積極的に誘導しようという狙いはありませんか?領有の歴史が浅いから観光客をたくさん誘導して、アメリカのハワイをアピールする狙いはどうでしょう?

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