※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:10数年寝たきりの父が永眠しました やりきれない・)
10数年寝たきりの父が永眠しました やりきれない
このQ&Aのポイント
10数年寝たきりの父が肺炎で永眠しました。私は何度も肺炎になりながらも回復してくれた父に奇跡を信じていましたが、先生から難しいと言われていました。
父が永眠した日の夕方、私は父の病院に顔を出していました。熱が高くなってきてるから点滴の処置をするから、病室を離れてもらっていいですか?と言われたので、帰宅しました。
父が永眠した時、私は携帯電話を浴室に持って入っていなかったことに後悔しています。その後、急変した連絡を受け、病院に駆けつけました。でも、父の心電図はすでに止まっていました。私は後悔と悔しさを抱えています。
10数年寝たきりの父が永眠しました やりきれない・
10数年 寝たきりだった父が 肺炎で永眠いたしました
私は 何度も 今まで肺炎になりながらも
回復してくれてくれたんで今回も乗り越えてくれるだろう・・・
そう 信じていました。
でも 今回 先生から 肺炎がひどいから 難しい・・かもと言われていましたが奇跡を信じてました
そうは 思いながらもすっきりせず、時間を作っては 毎日・・ 時間の取れないときは
1日おきに顔を見にいってました
父が永眠した日の 夕方 私は父の病院に顔を出していました
看護士さんたちが あわただしい感じがしましたが・・・
熱が高くなってきてるから 点滴の処置をするから 病室を離れてもらっていいですか?
と 言われたので
それなら 今日は帰りますと 私は看護士さんに伝え
父に 点滴打ってもらって
元気になってね・・・と声をかけて 帰宅しました
今 考えると 何で 待たないで 帰宅したのかと後悔です
自宅に戻ったもの 何か落ち着かず・・ ぼっとしてました
シャワーだけでも 浴びたら 少しは違うかな・・と 気が進まなかったのですが
浴室に行きました
私は 何かあったら 病院から電話があるから トイレに行くにも お風呂に入る時も
携帯電話だけは常に傍に置いていました
そのとき入浴するときに いつもなら 持っていく携帯電話を この時間帯なら
かかってくることもないかな・・・と思い 携帯電話を浴室まで持って行きませんでした
シャワーを短時間ですませ 固定電話をみたら 留守番電話が入ってるのが
すぐ 気が付きました
嫌な予感がしたら 病院からで 携帯電話を急いでみたら
病院からの着信履歴に 留守番電話が入ってました
すぐ 留守番電話を聞き 容体が急変したので 連絡くださいとの事でした
病院に連絡をしたら 容体が急変したんで 病院に来てくださいと言われ
あわてて 兄に連絡して事情を説明して 兄もかけつけるとのことで
電話を切り 急いで着替えて 病院に向かいました
病院に着いた時 つけていた 心電図の機械をみたら
夕方には 動いていたのに その時は もう 動いていませんでした
4時間位前は動いていたのに・・
父にふれたら 暖かいので 看護士さんに心電図動いてないけど
父は亡くなったんですか?と言ったのを忘れません
看護士さんはご家族の方は いつおみえになれそうですか?と聞かれたので
2~30分で病院に着くかと思いますと 伝えたら その時 先生の診察をしましょうと言われ
兄が来るまで 父の傍にいて 父の顔を見ると 悲しく大声で 泣いていました
私は後悔というか あの時 携帯電話を持たず なんで入浴したんだろうと
そしたら 父の死に目に 立ち会えたかもしれない・・と 何か悔しいやら 何で
持って入らなかったんだろ・・・と いまだに 心に引っ掛かってます
しばらくしたら 私の携帯がなり 兄からでした
夜間の入口はインターホンになっており 鳴らしても 出ないし開かないから
看護士さんに言って 開けてもらってくれ と言われ
私はすぐ近くの ナースステーションに
行ったら
窓越しから 看護士が 作業をしながら 他の看護士と笑って話をしてる姿が見え
そのとき こんな時に なに?と思いました
とにかく鍵を開けてもらわないといけないんで 兄がインターホン押してるけど 開かないから
開けてくれませんですか?と 怒りをこらえ 伝えました
そして 兄が来ました・・・
しばらくして 先生が きて 診察をしに来ました
父は 永眠しました と言われたときは まだ信じれれなく 現実を受けいてられなかったです
兄から 先生の説明を一緒に聞いた時に 先生から今回は難しいと説明をうけた時点で
兄から 何にもないのに 越したことはないが 亡くなったら病院は早く出て行って欲しい
みたいなところがあると 実体験された方から聞いていたらしく
一応 葬儀会社に相談してみてくれと言われ 永眠しましたする2週間前に相談には
行ってました
病院は特に 急ぐことは言い出さなかったのですが
兄が 病院にはもうあまり 父を居させたくない
というので 私は自宅に戻り 相談した葬儀会社の連絡先を取りに行き 連絡をしたら
30分位で お迎えに上がりますので・・と言ってくれて その間父の傍にずっと 泣きながら
いました
葬儀会社の方が来てくれて 私は父が乗ってる車に同席して そこでも ずっと父の手を
握ってました・・・
葬儀場に付き 父は畳の部屋の お布団で 安置されました
通夜は ずっと父の傍から離れることが出来ず だんだん 冷たくなっていくので
手や顔 ずっとさすっていました
泣いたらいけないと思いながら でも涙は止まってくれませんでした
葬儀になったら お棺に入るから こんな風に父に触れることは 出来ないからと・・・
お棺に入るまで 手をさすったり 顔をふれたりして 今でも 感触は忘れません・・
葬儀になり お棺に入る時が来ました 最後に 今まで今まで苦しい治療耐えて お疲れ様でした
と声をかけさせてもらいました
お棺に入った父に中々もう ふれることは出来ず でも傍にずっといました
本当に最後のお別れの時が来ました
本葬儀を終え 火葬場に向かいました・・・
最後のお別れと
火葬場の係の方から言われ
もう 辛い処置とか、ないよ ゆっくり休んでね お疲れ様でした ありがとうね としか言葉が
出ませんでした
父が そして 数時間して 灰になりました
係の方が年配で丁寧だったのが救われました
骨を兄と 骨壺に 係のかたの説明で 納めていきました
そして 1周忌もその日にしたかったので お寺さまで 1周忌をすませました
しばらくして 公的手続きをしに役所周りをしました
何か 本当に父が 居なくなったんだな~と思いました
役所に周るたびに 落ち込んでしまいました
その時 私は 肝心な事を忘れていたのに気がつきました
私の父は 障害手帳1級を持っており 頑張って生きていてくれた時に
障害手続きをしとけば 障害年金が下りることを 本当に遅くすぎますが 気づきました
少しでも父にお金を残してあげれなかった 自分の馬鹿さに苛立ちをおぼえました
余談ですが
私は なんだか 眠れなくなってきました 私が寝たら父が寂しいんじゃないかとか思ってしまい・・
それから 食べ物を見るのも 食べるのも嫌になりました
父は 数十年前から 胃ろうになり 口から食事をしてないので
私が 食べて いいのだろうか・・と思うと お腹は空くのですが 食べたら 受けつけなくなりました
今は ウイダーインかポカリ位しか口に出来ないです
何か
上手く気持ちが整理できてないのでお伝えできないのですが
後悔は障害年金の事の 浴室に携帯電話を持って行かなかったこと
父が点滴の処置をするから 出て待っててくださいと言われたのに
明日又 来ます と行った 私・・・
後悔やら 何をしてたんだろう・・と 考える日々・・・
父親のことが申し訳なくて・・やりきりません
まだ永眠してから そんな日にちが立たず 頭が ぼ~っとしてるため
文章が お伝えにくくてすいません・・
こんな私の長文の文章読んでくださり 有難うございます
私の後悔してることに お言葉をいただければ 嬉しく思います
宜しくお願いいたします
まことに 勝手ですが
パソコンのない状況が多くなり お礼のコメントが遅くなりますが 申し訳ございません
お礼
おはようございます 暖かいお言葉のコメント嬉しく拝見させていただきました お母様の件 お辛かったですね・・なんてお伝えしたらいいのか言葉がうまく出なくすいません やはり 皆さん どんなにしても後悔はあるんですね・・ 亡くなったのではなく存在する場所が変わったと・・ 心の中に生きてくれてるんだ 今の方がどこに行くのも一緒・・ そのとうりですね・・・ 言い方は変ですが 父は永眠して辛かった治療から 解放されたから 今は楽になったと考えないといけないですね 父も落ち込んでばかりで泣いてる私をみたら 嫌ですよね・・ 私の笑顔をみたい・・そう思っていますね 時間はかかりそうですが 前を向いて お言葉とうり 私の心の中に来てくれて どこに行くのも 一緒と思い いつも私の傍で父が見守って居てくれてる そう思います・・ これから、頑張ります 本当に暖かいお言葉有難うございます 感謝のきもちで一杯です