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10数年寝たきりの父が永眠しました やりきれない
- 10数年寝たきりの父が肺炎で永眠しました。私は何度も肺炎になりながらも回復してくれた父に奇跡を信じていましたが、先生から難しいと言われていました。
- 父が永眠した日の夕方、私は父の病院に顔を出していました。熱が高くなってきてるから点滴の処置をするから、病室を離れてもらっていいですか?と言われたので、帰宅しました。
- 父が永眠した時、私は携帯電話を浴室に持って入っていなかったことに後悔しています。その後、急変した連絡を受け、病院に駆けつけました。でも、父の心電図はすでに止まっていました。私は後悔と悔しさを抱えています。
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お父様のこと、ご愁傷様でした。 私も半年前、母を亡くしました。 病名は膵臓ガンです。 まだ、母は若く死んでも死にきれなかったと思います。 私のお腹には第2子がおりましたので、その子を抱きたいし、成長を見たいと思ってくれてたことでしょう。 私は、予定日より20日早く出産しました。ですが、母は私の出産から13日後、亡くなりました。 予定日通りに出産していたら母は私の第2子を抱く事は出来なかったでしょう。 私も、後悔はあります。毎日、時間を一緒に過ごしていてもあります。 皆さん必ず何かしら後悔は、あられるはずです。 私は、しっかり看取った!看取りは完璧にした!後悔なんて何もない!と 思われるご家族様は誰1人いないと思います。 どんなに一生懸命、看病をしても自分が、これで満足!と納得できる看病や看取りはないのです。 私も 妊婦じゃなかったら…もっと母を支えて歩いてあげれたのに。 妊婦じゃなかったら…母は私に頼み事をしやすかったはずなのに。 妊婦じゃなかったら…母の病気が分かってても元気な内は旅行でも行けたのに。 妊婦じゃなかったら…病気の母に、私の体を心配させる事、なかったのに。 後悔は沢山です。 ですが、クヨクヨしている私は主人から上記の言葉をかけられ、気持ちを切り替えれる事が 私は出来ました。 人はどんなに看病しても自分に満足しない。 亡くなったのではなく、存在する場所が変わったんだ。 心の中に生きてくれてるんだ。 心に引っ越ししてきた。 むしろ、今の方がどこに行くにも一緒じゃないか。 私は、今も一緒だと思ってます。 そうすると、自分を責めてばかりいることが無くなりました。 どうか、ご自身を責めたり後悔ばかりをされないように。 お父様も笑顔が見たいと思ってらっしゃいますよ。 元気出して下さいね。
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- hekiyu
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”後悔は障害年金の事の 浴室に携帯電話を持って行かなかったこと 父が点滴の処置をするから 出て待っててくださいと言われたのに 明日又 来ます と行った 私・・・ 後悔やら 何をしてたんだろう・・と 考える日々・・・ 父親のことが申し訳なくて・・やりきりません” ↑ 1、年金は仕方無いです。 特に、女性には無理です。 頭がいっぱいになってそんなことは考えられないのが 現実です。 私は男ですが、祖父が死んだと聞いたとき、真っ先にやったのは 銀行を走り回って祖父名義の預金を総て下ろしたことでした。 そうでないと凍結されます。 母親とか、女性の遺族は泣いているだけでした。 こういうことは、女性には無理です。 男の仕事です。 2,浴室に電話を持って行かなかった。これはもう 運命です。 運命はどうしようもありません。 携帯時代だから、こういう後悔も出来るのです。 3,点滴の処置も同じです。 こういうのは、人智を超えています。 ”こんな私の長文の文章読んでくださり 有難うございます” ↑ 悲しいときは、このように文章にしてみることです。 少しは癒やされます。 どんどんカキコしましょう。 昔の人も、詩などにして乗り越えてきたのです。
お礼
おはようございます 的確で判りやすい お言葉有難うございます 銀行は凍結されるとは知っていたので すぐに下ろしには行きました 年金の件は仕方ないのでしょうね・・・ 後悔しても仕方ありませんね・・・ いい勉強をしたと思います 携帯電話もこれも運命なんでしょね・・ この私が書き込みをしたとき そしてコメントくださった方に 自分の気持ちを書いていたら 少しは気持ち的に お蔭様で 軽くなりました コメント有難うございました 感謝しております
- hi-sekai
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私も父を亡くしていますので 質問者さんのお気持ちは少しは解るつもりです。 そして現在病院で働いています。 父の死、そして仕事上接する患者さんの死について私が感じることは、 本当の供養とは何だろう、という事です。 例えば、立派な葬儀、お墓にしてあげること、別れを悲しむことだけではなく、 身内に対してだったら、今までしてくれたこと、 良い思い出を作ってくれたことに感謝することが一番大切なのではないでしょうか。 そして闘病中は苦しい思いもたくさんしたはずです。 その頑張ったことに対してねぎらいの気持ちを持つことだと思います。 仕事上接する患者さんの死に対しても、 一番つらいのは患者さん本人だし、ご家族の方です。 医療に関わる人間の苦労はその苦労や辛さに比べたら微々たるものです。 それなのにご家族の方と同じように悲しんだら 何も解っていないのにそれは反って失礼に当たるのではないか、そう思います。 それよりも闘病生活を頑張ったことに対して 「お疲れさまでした。」とねぎらいの気持ちと、 その人の人生を尊重し、肯定する気持ちで送り出すことが一番だと私は思っています。 ナースステーションに行った際に感じた不快な思いは 誤解されている部分も少しあるように思えます。 もちろん不快にさせる姿を見せてしまったことは失態ではありますが、 ご家族の方々と良い意味での他人としての医療関係者としての 気持ちの区別をしているように思えます。 他人とはいえ、病棟内は一つのまとまった社会です。 看護師さん達も責任を持って守る、一緒に病気と闘う、そういう気持ちは強いはずです。 その意味では他人だけど家族のような意味あいもあるでしょう。 残された家族に明るく前向きに生きてほしいというのが やはり亡くなった人の一番強い気持ちではないでしょうか。 その気持ちに添えるように明るく前向きに生きること、 そして感謝することが一番の恩返しだと思います。
お礼
おはようございます 病院にご勤務させてるかたから コメント頂戴でき 参考になりました 看護士さんたちもよく してくださった・・と感謝してます コメントに書いてくださったように 父には お疲れ様でしたと ねぎらいの声を心で想い いつまでもくよくよしたら いけないですね 正直時間はかかりますが父親のありがたさを感じ 前を向いて頑張ろう・・・・と思えました 有難うございました
- akameg
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貴女が落ち込むことは父親が望んでいるの? 死というのはそこまで悲しいものでしょうか? 個人的見解なんで一つの答えとして聞いていただくと幸いです。 人間は生きているために、生に固執しそれを永らえようとします。 自殺などは良くありませんが、精一杯生きて、亡くなったのであれば、それは仕方が無いもの。 父親も10年間ベットの上での苦しみから解放されました。 それを何故見送ってやれないの? 貴女が苦しむ姿を見て父親はどう思います? 最愛の人だからこそ、そこから立ち直り、安らかな祈りと供養をささげるべきです。 たとえばガンになって10年間ベットの上で苦しむ人と 1年ぐらいで、延命治療もせず、好きなことをしてなくなった人がいれば私は後者を選びたいです。 延命が絶対正義ではないことを知りましょう。 貴女の父親は空で貴女を見ていますよ。 今は悲しい顔で。 その顔を笑顔に出来るのかはあなたの行動次第です。
お礼
おはようございます 正直 私には死とは悲しいものです 確かに毎日落ち込んでいたりしていたら父が悲しむのは 判っております これからは 出来るだけ前を向き頑張っていきます コメント有難うございました
お礼
おはようございます 暖かいお言葉のコメント嬉しく拝見させていただきました お母様の件 お辛かったですね・・なんてお伝えしたらいいのか言葉がうまく出なくすいません やはり 皆さん どんなにしても後悔はあるんですね・・ 亡くなったのではなく存在する場所が変わったと・・ 心の中に生きてくれてるんだ 今の方がどこに行くのも一緒・・ そのとうりですね・・・ 言い方は変ですが 父は永眠して辛かった治療から 解放されたから 今は楽になったと考えないといけないですね 父も落ち込んでばかりで泣いてる私をみたら 嫌ですよね・・ 私の笑顔をみたい・・そう思っていますね 時間はかかりそうですが 前を向いて お言葉とうり 私の心の中に来てくれて どこに行くのも 一緒と思い いつも私の傍で父が見守って居てくれてる そう思います・・ これから、頑張ります 本当に暖かいお言葉有難うございます 感謝のきもちで一杯です