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父の死に際 危篤からから亡くなる直前
今週父は他界しました。 享年56歳。 私は26歳です。早すぎる父の死で立ち直れずにいます。 父が倒れたので病院にいると電話が入り、翌朝電話で2日で危ないかもしれないときき、 すぐ病院にいきました。 病院に着くと先生から話があるとICUのに通されました。 先生が父の状態を話してくれたのですが、脳の一部が反応してないし、心筋梗塞、低血圧、黒吐、とても危険な状態だと 話している途中、看護婦さんが先生を呼びました。 そして待合室に戻ろうとしたら 呼び止められ、ICUにいきました。父がいました。 心臓モニターを見てゆるやかな波になっていき線がまっすぐになりました。 私は泣き崩れ、なくなったことを理解しました。偶然父が死ぬところを見たのでしょうか? それともモニターは停止状態でも上がったり下がったりしていたように記憶しています。 とてもつらいです。 その前、娘に植村かなさんのトイレの神様の本を読み聞かせしていました。 曲にもある、私を待っていてくれたかのようにという言葉がよぎりました。 こんなことってあるのでしょうか? 父は私を待っていてくれた、そう思えてなりません。 看護婦さんが付き添っていただろうし、身内がきたことは看護婦さんが父に話さなくても先生に話している声が聞こえていたのか? ただの想像ですが、瞳孔が開いていたのですが、動いているように見えました。反対ではなく私のいるところを見たような気がします。 意識がなくても目は動くものなのか、声はきこえているものなのか 父の葬儀の帰り道、髪の毛を誰かが引っ張ったのに娘ではありませんでした。 服にひっかかっただけなのでしょうか。 過敏になっているだけでしょうか。 父に感謝の言葉もかけれず、冷たい態度を取っていた私は後悔ばかりしています。
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私の父も他界するときに、人工呼吸器はつけてました。先生が「ご家族の声はお父様に聞こえますよ」とおっしゃってました。 遠方から兄が病院にかけつけて、父の死に目に間に合いました。無言のお別れを言うために、ちゃんと兄を待っててくれたんです。 葬式からしばらくの間、不思議な出来事がたくさんありました。 亡くなる前の晩まで父は話ができましたので、寝ずの看病をしていた私は父に「何か飲む」と聞いたら、酒好きの父が「ビール」と言いました。冗談好きの父でしたので最後まで家族を笑わせてくれました。 お葬式の晩、父の仏前にコップ一杯のビールを注ぎました。「あっ~」と父のおいしそうな声が、確かに聞こえました。 それからしばらくは、いるはずのない部屋からの物音、父の部屋のドアの開け閉めが続きました。 入院中、父は「家に帰りたい」としきりに言ってましたから、「ああ父が居るんだな…」と思いました。私は怖がりなので仏壇に向かい「お父さん、家に帰りたい気持ちはわかるけど、私は怖がりなんで夢の中だけに出て来てね」とお願いしました。それからブツリと家の中の気配がなくなりました。 父が亡くなったころ、私の母はがん治療中でしたので、父は家族の心配もあったんだと思います。後から母に聞きましたが、母も父の気配を感じてました。母もその後、亡くなりました。 相談者のお父さんも、あなたの髪の毛を引っ張ったりとかは、あなたへのお別れの挨拶だと思いますよ。 亡くなったけど、あなたの事を見守っていると思います。あなたの後悔もわかってくれています。父親ですから…。 私も両親が亡くなり、色んな後悔はあります。両親が亡くなるまで魂とか信じてなかったけど、きっと娘の私を近くで見守ってるんだろうな…と思ってます。 月並みな言い方かもしれませんが、お互いに話すことができなくなった親子だけど、あなたの気持ちは必ず天国のお父さんに通じてます。だから、親に心配かけないように生きましょう。それが何よりの供養です。 いつか天国で再開した時「お父さん、私は頑張ったから誉めてね」と両親に頭を撫ででもらいたい…。 いい歳したオバちゃんの私ですが、そう思います。
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- yukiryoayu
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心から御冥福をお祈り致します。 30代、女性です。 私の母も、お父様と同じ年に癌で亡くなりました。私も質問者様と同じような年齢でした。 その日、子供達と買物に行き、何故か、夕飯をすぐに済ませなければ、と思いました。そのまま自宅に戻らずとても早い夕飯を取り、帰宅途中に兄から危篤の連絡を受けました。 そのまま車で1時間かかる病院へ直行しました。 離婚した父も、母の病気がわかってから本当に色々と助けてくれました。 その日も、何故か、今お見舞いに行かなければと思ったらしく、仕事の合間にお見舞いに行ったところ、雑談の中で「子供達をよろしくね」と言われたそうです。 父、私を含む子供達全員、そして孫(私の子供達)が揃い、一旦安定したものの、しばらくすると亡くなりました。 母は全員が揃うのを待っていてくれたのだと思います。初孫も含め、皆に看取られました。 仮退院を翌日に控え、私が母を迎えに行く予定でした。もう食べ物も体が受けつけない中で「ひじき煮を作ってね」と頼まれていて「お家に帰った時のメニューにするよ~」と話してました。お風呂も一緒に入る約束をしてました。(自分一人では無理な為、さすがに兄には頼めなかった為) 今だに、色々と後悔が押し寄せてきます。泣いてしまう事もあります。散々、心配もかけました。 辛くて堪らない時は、母のお墓に行って話に行きます。他愛のない話も、悩んでる話も…。お墓が無理なら写真にたくさん話しかけます。毎日話しかけます。 時間が多少は解決してくれます。今は通常の生活を送っています。辛いから考えないようにするのではなく、たくさんたくさんお父様とお話をして下さい。 上手な回答にならず申し訳ありません。
- michael-m
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人が死ぬと遺されたものは必ず罪の意識に苛まれます。「そのときこうすればよかった」「あぁすれば死なずに済んだかもしれない」というように。そして心無い人はそれを攻めます「なんですぐ医者を呼ばないの」「前から具合が悪いって言ってたのに医者に見せなかったの」などなど。 自分の感覚を素直に信じてください。 魂というものを感じたら素直に感じればいいんです。 魂が今世での修行を終え、肉体の呪縛を離れることを死といいます。死を迎えても魂は不変なんです。 人が一人前の社会人になるには、小学校や中学校、高校や大学を経てやっと一人前になりますね。 仏教では一人前の社会人を「悟りを開く=仏陀」といいます。 あくまでも喩えですが、胎臓界が小学校とすればこの世は中学校です。つまり死は中学校からより専門的な高校に進む卒業式です。高校が仏界と呼ばれる仏の世界です。 また中学の中でも一年から二年になるのが転生です。 高校生になったといってもその人自身が変わる訳ではありません。つまり魂は不変です。 でも久しぶりに先輩に会うとそこには自分の知らない別の先輩が居ますよね。仏の世界や転生すればそこには自分の知っている人とまったく知らない人が同居しているのです。 魂の春休みは四十九日です。それを過ぎると次の段階に進まねばなりません。 ですからその間に話せるだけの思い出話をしましょう。それが忌中の真の意味です。 そして春休みを終えたら、一心不乱に勉学にいそしみましょう。それが忌明け、喪明けの真の意味です。 そして同窓会である彼岸や盆には懐かしく迎え、思い出話をしてください。自分の成長を見てもらいましょう。 私は父から「死に目に会えると思うな患者第一でいろ」といわれ、暮に危篤に陥っても帰りませんでした。 仕事納めをして飛行機嫌いな夫婦は飛行機で父の元へ、父は待っていてくれました。 年越しのそばくらい食べたいねといったら父の寿命は延びました。 せっかくだからおめでとう言いたいねといったら年を越しました。 家族交代で付き添っていて、交代のために私が病院に着くと、聞こえるはずもないモニターの心音が耳に飛び込んできました。私は「父の心音だ」と直感し、急いで病院の階段を駆け上がりました。 その心音は父の病室の前まで響き渡り、私がドアを開けると同時に止まりました。 私は父が私の着くのを待っていてくれた。私はそう信じています。 父は「死んだらあの世から知らせるからな」といっていましたが15年経つ今でも何の音沙汰もありません。 否、私が鈍感だから感じないだけなのか・・。 でも、心音のモニターを私に聞かせたのは確実に父です。それだけで十分なんです。 いまでも何かにつけ、墓の前に行きます。べつに花も線香も上げません。それでも父は聞いていると感じています。
- forever520
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40代既婚者男です。 まずは、心よりご冥福をお祈りいたします。 お父さんにとって、最も大切な娘さんに最後に会いたいと 願うのは当然です。 大切な人が来るのを待っていたかのように、旅立つということ は、よく聞きますね。 たとえ、お父さんがその時すでに意識が無かったとしても、 あなたがそばにいたことは分かっているはずです。 そして、今もあなたのそばにいるはずです。 旅立った人というのは、残してきた者が寂しがり、悲しんで いると、心配で、いつもそばにいるのだそうです。 私の祖母も、あなたと同じように、たまたま取れた休暇の 日にお見舞いに行った時、私の目の前で亡くなりました。 最後に、見えないはずの目が大きく開き、僕やおじいちゃん、 母達を一通り見て、旅立っていきました。 そして、祖母が亡くなってからは、夢に何度か出てきたり、 いつも何か祖母を感じていました。 ある夜の夢の中で、祖母が私をじっと見つめていました。 とても悲しそうな顔で、私がどうしたの?と聞いても何も 答えてくれなかったのです。 そして、ある時、ある方から、こう言われたのです。 「亡くなった人は、残してきた人が悲しんでいると心配で いつもそばにいようとします。でもそれはその故人が次に 進むべき場所へ行けないという事を意味しています。 悲しいのは分かりますが、それが本当におばあちゃんの為 だと言えるのかを、よーく考えるのです。」 私は、その時、自分がおばあちゃんのことを何も考えて いないこと。自分の為でしかなかった事に気付きました。 以前は、おばあちゃんを思いながら、寂しいよ、悲しいよ、 そばにいてよ、助けてよ、って言っていたのですが、 それからは、僕なら大丈夫だからね。ありがとうおばあちゃんと 言うようになりました。 すると、不思議なのですが、夢にまた祖母が出てきまして。 今度は、とてもいい笑顔だったのです。生前いつも私を見る おばあちゃんの笑顔でした。 その夢以降、私の感覚として、もうおばあちゃんを感じる ことは無くなり、それ以来夢にも出てこなくなりました。 葬儀の帰り道に、あなたの髪を引っ張ったのは、きっと お父さんだと思いますよ。 生前、冷たい態度を取ったことや、優しい言葉をかけて あげられなかった事を悔やむ必要はありません。 お父さんは、あなたが産まれてから旅立つまでに、数え切れない ほどの幸せをもらったのです。 最愛の娘との出会い、孫との出会い、お父さんにとって、 早い旅立ちではありましたが、最高に幸せな人生であったと 言えると思いますよ。 あなたがお父さんに意識を合わせれば、必ず繋がります。 そして、これまで言えなかった言葉を伝えるのです。 きっとお父さんに届きますからね。 そして、いつか必ず、私のようにお父さんを次への場所へ 見送ってあげて欲しいと思います。 旅立った者の一番の心残りは、やはり残してきた大切な 家族です。 その家族が、自分のせいで毎日泣いて悲しんでいる姿を見る ことはとても辛いことです。 残された者が、故人に対してしてあげられる最高の贈り物 とは、自分の人生を精一杯前を向いて生きて行くことなのです。 悲しいでしょうけど、乗り越えてください。
- kurikuricyan
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56歳、、早いですねぇ~。 でも、これもお父さんが生まれたときから、持ち合わせた「運命」なのです。 その人の人生は、オギャーと生まれたときから、もう、決まっているのです。 お父さんが、両親(貴女の祖父母)の元、長男で生まれるか、次男、三男でうまれるか、 どういう学校を卒業して、どのような仕事につき、どのような女性と結婚し、何人の子供を 持つ、、そして、事故でなくなるか、病気で亡くなるか、、も、お父さん自身が お母さん(祖母)の胎内に入ったときから、お父さん自身が決めて生まれてこられたのです。 肉体は滅んでも、魂は永遠に生き続けます。 もちろん、肉体亡きあと、貴女の行動も貴女が考えてることも、お父さんは 霊界からお見通しです。 霊界の世界で、医師会からも絶大な好評を得ておられる 飯田史彦さんの「生きがいの創造」という本を是非、おすすめします。 これを読むと、お父さんの魂は永遠で、常に貴女を見守ってくださってるのが よくわかります。 ↓ http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E7%89%88-%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%AE%E5%89%B5%E9%80%A0-%E9%A3%AF%E7%94%B0-%E5%8F%B2%E5%BD%A6/dp/4569657060/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1328397569&sr=8-2#_ 何も悲しむことは、ありませんよ。 この本を何十回と読んでみてください。 私も、この本を読むことで 救われた一人です。 何百万部も読まれてるほうです。 特に医療関係者に、、。
- 宝(@shima_sp)
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こんばんは。 年齢は私の方が倍近いですが、医療ミスで同等の経験者です。 母や兄は解らないと言っても、声掛けると、指が動くんですね。 2代目として、商売を引き継いだからか??? ICUで人口呼吸器で心電図が乱れ線になった時は、商売の喧嘩ばかりしてたのに、言葉になりませんでした。 病院は、何も責任は取らさず、最期を看取った医師に形見を渡したぐらいです。 貴女が来るのを父親は待っててくれたんです。 最期を看取って欲しかったんだと思います。 この文面書きながら、当時が蘇りますが・・・。 危篤から人口呼吸器で、話す事も何も出来なかった自分が辛かったですが、最高の葬儀と7日づつの坊主を呼んでの供養を1年続け、落ち着きました。 もう後悔しても前進は有りません。 近くに墓が有るので、雨でも台風でも、仕事前には毎日墓に行ってます。 有効期限の切れたオヤジの免許証を持ち、「一緒に行くか」と声掛けて、仕事をしてます。 辛いでしょうが、前向きに、「父親は私を待ってくれた偉大な人」と心で叫び、貴女なりの最高の供養して上げて下さい。
- sachi7283
- ベストアンサー率21% (256/1170)
お父様は相談者さんを待っていたと思いますし、目でも見ていたと思います。 大体、意識が無いって、機械や検査に反応が無いだけで、本当の事は分からないじゃないですか。数値にする意識は無かったかも知れないけど、相談者さんを感じていたと思いますよ。 お父様はずっと相談者さんを心配していて、耳に声が響き、目にその姿が映り、安心なさったのだと思います。 冷たい態度を取っていたのですか? でも、ご結婚されて、お孫さんもいたんですね。だから、お父様は本当に安心なさったと思いますよ。親なら、子供が冷たい態度を取っていても、幸せに暮らしているのなら、自分も幸せですから。だから、後悔はしなくても大丈夫です。 葬儀の帰り道も、お父様は「もう帰るのかい?」と声をかけたのだと思います。 だから髪の毛が引っ張られたのでしょう。 どうぞ、お子さんに、お父様の事を話してさしあげて下さい。 こんなおじいちゃんだったよ。私は子供の頃に父とこういう遊びをしたよ。こんな事言ってたよ。 私は、それが供養だと聞きました。孫の体と記憶の中に、生きているって事だと聞きました。 墓参りや位牌に祈る時、声を出して「ただいま」と言ってあげて下さいね。お父様は絶対に聞いています。