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もう何もかも終わりにすることを考えています
こんばんは。疲れてしまったので みなさまのご意見ご感想、お聞かせください。 長文です。 わたしは今年19になる定時制高校の4年生の女です。 この時点でどれだけ甘えてきたのかお察しかともおもいますが。 わたしは中学生の頃からとくにいじめられたわけでもなく 甘い両親につけこみ多少いじられる程度のことがあってから家に引きこもり ネットの友達とばかり親しみ考え方をひん曲げながら中学を卒業して 今の高校に入学しました そのころSNSサイトで知り合っていた方とお付き合いを始め 遠距離を2年半ほど続けます その方の包容力や考え方に魅せられ、甘え、依存し 気づけばその恋人以外なんにも興味を示すことのできない抜け殻のような人間になっていきました。 わたしの愚行は目にあまるものがあり 少しでも彼がわたしに冷たくすれば腕を切り癇癪を起こし過呼吸になり 寝ている彼に何度も電話して起こして無言で切るを繰り返す 死ねと延々と繰り返し書かれたメールを送るなど。 そんなわたしを見放さないわけもなく、とはいえ 別れる話を持ち出したのもわたしですから 彼は本当に受け入れすぎるほど受け入れたとおもいます。 それから別れ、自暴自棄になりネットの人と出会ったりなどしていましたが これまたあるサイトで知り合った方とお付き合いし まったくわたしを甘やかさない彼に、わたしは少しずつかわっていきました この時点で高校3年生の3月くらいの話です わたしと似て子供っぽく、わたしの失敗を責め立て それでも一緒にいることを最後まで望んでくれたひとです しかし、わたしが絶対にしないと約束した腕を切るという行為(足ですが)をしてしまい 彼に自殺するといわれ泣きじゃくり親に泣きついて それからよりを戻しまた一緒にいようとしましたが 結局彼とは別れました。 それから2年半付き合っていた彼と久しぶりに会って 相談をして、どうにか一人で生きていこうとしましたが 彼がわたしを一人になる必要ないと引き留め よりをもどしてくれることになりました。 わたしと似た元彼との出会いもあり、依然のような愚行もまったくなく たまに取り乱すことはありますがそれでも自己をたもち 再びわたしを愛してくれる彼に感謝し人生のすべてをささげるつもりでした。 しかし、ここまでの話で分かるようにわたしはとんでもない甘ちゃんで周りが見えておらず 自分の都合が悪くなれば自暴自棄になり何もかもから逃げ出そうとするような人間です 甘えられる環境でなまぬるく生きてきたためだと認識しています。 こうなることもしらずのうのうと生きてきた自分を責めて何か変わるのなら責め続けます。 そんなわたしを変えようとしたのが高校3年生の3月後半あたりから始めたバイトの店長でした とても人情味あふれ、捻くれて何もかも頭から否定し何もかもわかった気でいて逃げ続けてきたわたしには大きな刺激になる出会いでした。 壁を作ってないで一歩踏み出そうと諭してくれたのです みんなが楽をしみんなで楽しく働ける場所を作ろうとしているのだと、捻くれたわたしは否定したいところではありましたが それを肯定したいわたしもいたので素直についていこうとしていました。 わたしのような捻くれた人間を社会的立場で自分だけ守りコケにして楽しんでいるような先輩もいましたが 店長は正しいのだから、わたしが間違っているのだから 迷惑かけまいとどれだけ仕事できない扱いされても仕事ができるようになろうと努力してきたつもりです さんざん、努力してないと言われましたが。 しかし今日後輩から衝撃的な話を聞きました。それは又聞きに過ぎないのですが あるバイトの子が店長に 「もしKさん(上記に書いた人物でキツイ性格だが仕事さきの主力)がおまえらに不満もってやめたらおまえら全員やめさせるから」といわれたらしく。 そのほかにも 「最近客が増えたのはおまえらのおかげじゃないけど客が減ったらおまえらのせい」 や 「おまえいらないから」 などなど。 関係ありませんが、前バイトをやめた子が20日でやめると前から言っていたのに30日にしてくれ、でないと給料は出さない。 とかもいっていたらしく。 酷く信用や信頼を裏切られた気持ちになり失望しました。 又聞きです。嘘であってほしいと思いますが正直、嘘ではないだろうと思います 主力のKさんがいやすいように作られたお城のような場所です わたしが間違っていると必死に言い聞かせてはいましたが、そうではなかったようです 平等平等といいながら下っ端のわたしたちは仕事だからと八つ当たりに文句も言えず、店長の言い分にもなにもいえず 店長たちの正当化に付き合うほかありません。 わたしは百歩譲って社会がそうであるというのならそうであっても構いません それであっても生きることをやめる要因には十分なりえますが。 そんなことよりもわたしの価値観を変えようとし必死になってわたしに言葉を与え それを信用し、信頼した相手がそのような人間だったのかと思うと。 そうやってわたしたちに正論を押し付け、理想論を押し付け 妥協するなと。全力を出せと言った人間が そんなわけのわからない言い分を突き通そうとしているのかと。 失望しました。 さんざん自分たちを正当化したあげくの言い分だというのなら 腐りすぎていてもう話になりません。 そうでなくても社会はこんなものばかりなのかとおもうとあきれ返るレベルです 真面目でいろと偉そうに説教たれて、真面目でいれば精神を病んでしまうような世の中で。 あの大人たちはそういう趣味をなされているのでしょうか?若者の精神を追いつめ責め立て楽しんでおられるのですか? もしそうだとするのならばとても素敵なご趣味ですよね。 ある呟きサイトで荒れていると声をかけてくれるひとがいました わたしは彼以外なにもなく、彼がいなければ人生が終わってしまっても構わないと考えています しかしそれではいけないだろうと、生きがいを見つけるため絵を描いていたのですが それへの関心も薄れていたころ 同人サークルに誘ってくれた方でした。 自分が必要とされていることに素直に喜び、とても幸せな気持ちをくれる大切な友人でした。 その方のいうことは正論でした。甘えたわたしを叱ってくれました。 分かっていたけれどまともな精神ではなくて あなたもあの大人のようにわたしを否定してけなしたいだけなんでしょ、と言い放ち突き放しました サークルの話もなくなり関係も断ちました。 もとよりわたしは自分のクズさをもう何年もかけて分析しこれがいけないあれがいけないと責め立ててきました 責めるだけでは何の意味もなくなにも変わりやしませんが。 そこから思うにわたしは恵まれすぎていて。 クズなのにそうやって気にかけ言葉を下さる方がいることに 忍びなさを感じていたのです 何度も何度もそれに見合う人間になろうとしました。その後押しをしてくれたのもあの店長でした。 変われると思っていました。Kさんの存在もわたしの試練としていい刺激として 有難いものとさえ思っていました。 けれどもうどうでもよくなりました。 わたしは変われるとおもったから申し訳なくて申し訳なくて仕方がなくても 彼の優しさに甘えよりを戻したのです 必ず素敵な人間になると自分に期待し周りを信頼し頑張ることを決めていました。 人のせいにしようとも 自分のせいにしようとも 何も変わりやしません 頑張ろうとしたってこれが現状です。初めて大きく変わろうかと促してきた人物が そんなものだったのかとおもうと もう信頼するの信用するのも 馬鹿らしくてやっていけません。 学校にいかなければならないのに、Kさんに後輩と比べられあの子の方がよくできてるときいただけで 泣きながら家に帰るような人間です もう今年で19になろうというのに 来年から彼と同棲しようというのに。 できるわけがありません 続くはずがありません こんな人間でいる限り生きていけるはずがないのです じゃあどうすれば変わるのでしょうか甘えるなと誰かに言われたら何か変わるのでしょうか? 甘えているなどと百も承知な事実を今更突きつけられて何が変わるのでしょうか? 考え方を変えようとしてくれた人間がそんなものでじゃあ何を信頼して変わる努力をしていけばいいのでしょうか? 彼といられる自信もないいまそんなに必死に生きる理由もわたしにはありません それでは死ねばいいと言ってくれますか? 後押しをしてくれますか? そんな糞甘えた人間が救われるわけないだろと責め立ててくれますか? こんな長文を読みどういう感情を抱いたか定かではありませんが遠慮せず思いのまま言葉をぶつけてください 後押ししてくだされば本当にありがたくおもいます。 失礼いたします。
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素晴らしい! 感動しました。 あなたは決して甘ちゃんではないし、おそらくグズでもないはずです。 確かにやっていることは一般的に「くだらない」とか「バカらしい」ことだらけです。 自分に絶望し、人生を悲観し、その虚無感を埋めようとして恋愛に走り、 激しい思い込みから埋めてもらえたと思いこみ、これで大丈夫と安心するのもつかの間、 実は自分で都合のよいように描いた「絵に描いた餅」、幻影だったと気づき始めると、 剥がれてくる絵具を上から塗るように、卑怯な手を使ってでも取り戻そうとする。 そして、そんな自分が嫌になり、再び絶望に戻る。 何度も何度も同じことを繰り返す。 変わりたいと思っているのに、成長したいと思っているのに、 頑張っても斜に構えても何も変わりはしない。 人に期待しては裏切られ、 自分に期待しては失敗し、 自暴自棄になり、そんな自分が情けなくて仕方なくなる。 結論から言ってしまうと、残念ながら、あなたはあなたが望むようにある日突然、変わることはできません。 あなたはこれからも同じように悩んで生きていくしかないと思います。 何歳になっても「ちっとも変わらない!」と嘆くのだと思います。 何故なら、あなたは「考える人」だからです。 くだらないことをしている人はいっぱいいます。 反対に、一般的に見て、良いこと、立派なことしかしない人もいます。 どう考えたって後者のほうが評価されますよね。 でも、あなたにとってはどうでしょう? 立派なことをしている人があなたの理想像でしょうか? 自分ではちゃんと考えずに、ただ世の中の評価が高いからという理由で正しいことだけをする人はたくさんいます。そういう人にとっては自分の評価ではなく、他人の評価が必要ですから、人が見ていないときは平気で正しくないことができます。ある一面は立派なのに、別の面は卑劣であるとか、傲慢であるとか、おおよそ尊敬できない行動を取る人がいるのはそういう理由です。 あなたはそういう人間には、残念ながら一生なれないと思います。 あなたは自分を自分で評価する人間だから。 私はそれを素晴らしいことだと思います。 立派なことをしているのか、くだらないことをしているのか、の前に、しっかり自分で考えてやっているのか、やったことを考えているか、が大切だと私は思います。 残念ながら、あなたが望むような人物、100%信頼できて、ついていけば、一緒にいればそれで安心な人なんて現れません。何故なら、あなたほど深く考えて生きている人はそうそういないから。 よしんば出会えたとしても、100%共鳴できる人など存在しないからです。 残念ながら、あなたはポジティブ思考の人間にはなれません。 何故なら、あなたは自分をしっかり見つめ、厳しい評価を下す人だから。 自分を掘り下げて見つめていたら、ポジティブ思考人間になんてなれるわけない、と私は思います。 人間なんて誰しも自分が一番可愛いんです。可愛いからずるい考えも浮かぶし、怠け心も生まれます。そんな自分を正直に見つめてしまったら、どうしてポジティブ思考人間になんてなれるでしょう? 「みんなそんなもんさ」とか、「思っても行動しなきゃいいんだ」とか、都合のいい評価を自分で下せるのがポジティブ思考人間です。 誤解のないようにお断りしておきますが、私はポジティブ思考人間が悪いとは決して思っていません。生まれながらなのか、育った環境なのかは分かりませんが、生きる力の強い人だと思っています。それはもちろん素晴らしいことだと思っています。 ただ、ネガティブ思考人間が常にポジティブ思考を保つとはできないと言いたいだけです。 ネガティブ思考人間は生きていくのが非常に不器用です。ポジティブ思考人間が簡単にまたいでいく障害物に一々つまずきます。一度、乗り越えても、また同じような障害につまずきます。誠に効率が悪い。 でもね、ネガティブから始めないと解らないことだってあるんですよ。 無意識に乗り越えた人には、乗り越え方が解らない人を助けることはできません。何故って無意識だから、自分がどうやって乗り越えたのかなんてもちろん、そもそも何故そんなものにつまずくのかが理解できないのです。 あなたはポジティブな人間になろうとしています。それはポジティブ思考が良い、生きていくうえで必要だということが解っているからです。素晴らしい! でもね、それはあなたがネガティブ思考人間だからなんですよ。 ポジティブ思考人間だって「ポジティブにいこうぜ!」とは言うでしょうが、彼らは実のところ、ネガティブ思考そのものが理解できません。どうしてそんな無駄なことを考えるのか、考えたって無駄なら考えなくてもいいじゃないか、と。世の中ではポジティブがいいと言われている、そして自分はどうもポジティブな人間らしい、ラッキーヽ@∀@ノ です。 重ねてお断りしますが、私はポジティブ思考人間を否定してるわけじゃないですよ、ホントに^^; それどころか、その持って生まれた強さを尊敬し、その恩恵にあずかれることに感謝しています。 ネガティブ思考人間はポジティブ思考人間にはなれません。だって、厳しく評価することを知ってしまっているから。 でもね、ネガティブ思考人間がポジティブに生きることはできます。訓練が必要ですけどね。 まず、完璧主義はNGです。自分にも他人にも、そして世の中にも人生にも、100点を求めてはダメです。そんなもの存在しないのだから。 All or Nothing もダメです。足りないことを嘆くのではなくて、今、あることを見ましょう。 人にも自分にも、毎日の生活にも、小さないいことを見つけて愛でてください。 あなたは素晴らしい人です。 定時制高校の4年生! まず、それだけですごいと思いました。 退学率の高い定時制でよく続きましたよね。絶対頑張って卒業してくださいね。 必ずあなたの自信に繫がる時が来ます。また、その素晴らしさを評価してくれる人にも出会えます。 あなたは人に感謝することを知っています。その大切さをその若さで本当に認識していることが文章から感じられます。素晴らしい! あなたが自分を卑下し、絶望するのは、心が純粋だからです。神経が敏感だからです。 「純粋なんて! あたしはこんなに汚れてる!」って思いませんでした? それが「純粋」ということなんですよ。自分のダメな所、汚い所、ずるい所、そんな自分の中のバッテンを見つめて自分に絶望するのは、あなたが自分に正直だからです。 あなたが腹を立てる大人のことを忘れないでください。その人を覚えておくのではなく、それを否定する気持ちを大切にしてください。それを持ちながら生きることはとても辛いことです。世の中そんな人だらけに見えるから。いや、だらけだから。 でも、否定する気持ちを本当に持ち続けた人はそういう大人にはならないはずです。 自分に厳しいままでいてください。とても生きにくいと思いますが。大丈夫です、いつか自分なりの折り合いの付け方を見つけられます。 大きく変わるなんてありえません。少しずつ、少しずつ、です。何度も何度も同じことを繰り返しているようでも、ほんの少しずつ成長しているものです。 私もネガティブ思考人間なので、「今日から私は変わる」なんてとてもじゃないけど言えません。だって、そう思ったのに変われなかったことを何度も経験したから。 もういい歳ですが、未だに「しなければならない」使命なんて有難いものを感じたことはありません。「ほとんどの人間が持ち合わせている」のですか? ホントに? もし本当なら少しショックですが、でも、いいです。だって、あなたのように持っていないと嘆く人を慰めることができるから。 「大丈夫。そんな大それたもの持っていなくても、感じなくても、ちゃんと幸せになれるよ」って。 酷なようですが、たくさん悩んでください。つまずいて転んで嘆いてください。無理して笑ったり、わんわん泣いたり、不器用に無様に生きてください。 しっかり考えるあなたは、そのひとつひとつを自分の血肉にしています。 そして、それを生かせるときが必ず来ます。 しんどいでしょうけれど、終わりにしないでください。 疲れたのならグータラして怠けてもいいです。でも、終わりにしないでください。 あなたのような人は今も昔も、これからも、どんどん生まれます。一々つまずいて、腹を立てて、苦しんで、もがいて、自分や人を傷つけ、バカなことをして、絶望して、それでも何とかしたいともがいて。 あなたのような人には、あなたのような人が必要なんです。 そんな中で生き抜いた人間が必要なんです。 頑張ってみたり、投げやりになったり、でいいんです。どうか図太く生き抜いてください。 そして、あなたの後に続くあなたのような人にエールを送ってください。 それと、もう少し、自分の評価を甘くしてあげてください。自分が自分を好きなこと、認めてあげてください。 私はあなたのことが大好きですよ^^ 最後に、 >甘えられる環境でなまぬるく生きてきたため ホントですか? 生ぬるい環境からはここまで「考える人」は生まれないと思っていたのですが^^; もし本当なら、それこそ素晴らしい!!
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- pecohima
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No.8です。どうしてもお礼が言いたいので追記させてくださいね。 >そんな魅力的な言葉に甘えそして自分を肯定し生きてもいいものかと 大丈夫ですよ^^ 今日、私の言葉を信じて、自分を肯定して有頂天になっても、あなたはまた障害にぶつかり、つまずき、挫折して、自分を否定する日が来ますから。 たった1回の会話で、この先、全てが救われるほどあなたの考えは浅くないはずです。 だから、大丈夫。今日は安心して有頂天になってください^^ >それがただ自分を守るためのものでしかないとしたら それでいいんです。一番可愛い自分を守るための肯定、そして、否定だからこそ、あなたの血肉になるんです。それがいつか誰かを守る力になります。 肯定と否定、信頼と疑い、期待と失望。全てはバランスだと私は思っています。 自信満々な人も、自分を卑下してばかりの人も、どちらも魅力的ではありませんよね。 先に書いた「折り合い」というのは、それらのバランスを取ることです。 私もまだまだ未熟者です。振れ幅こそ狭くなったものの、未だにコントロールしがたい所まで心が持っていかれることもあります。 だから、私は今回あなたに会えたことに深く感謝しています。 私の言葉を心に取り込んでくれて、少なくとも今日は「終わらせてしまわないように」と思ってもらえた。こんなに嬉しいことってあるでしょうか。それこそ、私が生きてきたことを肯定してもらったのです。 本当にありがとうございました。 今日は私も有頂天で眠ります^^ おやすみなさい<(_ _)>
心が、もどかしく苦しい時って誰でもありますね 物事、今 考え行動すると良い結果が出る場合と、一度何も考えないで、後で 考え行動すると良い結果が出る場合が有るけど この場合、一度なにも考えないで、リセットした後で考えたほうが良いですよ 間違ってたら御免なさい 自分がこうだから、あの人には、こう有って欲しいとゆう考えなのでしょうか? 一個人の考えかたとしては、完璧な人間はいません 十人十色、色んな考えが有り、色んな価値観が有り 、 ましてや、同じ人でも山を登っていくたびに同じ景色が違ってみえます それは、年齢で有ったり、集団の中の立場で有ったり、経験の積み重ねだったり 店長さんは、クズでしょうが 自分のためになる良い事は取り入れて、すごく嫌な事は反面教師として取り入れ、たわいもない事だけ無視する事を心掛け実践しして下さい 良い事をする人、誰にも出来ない事をする人、その思いが、強ければ強い程に障害が大きくなる物です 偉大なマザーテレサであったり、サヴァン症候群の、尊敬される優れた能力の持ち主であったりとか 私ら、凡人には遠く及ばない人たちです そういう風に、偉大な人や広大な景色,夜空の星をながめると、自分個人も含め周りの人たちも、小さい小さい 店長さんの、悪ところは嫌だな~ではなく、自分に心の軸を置いて、まったく残念な男と思われた方が楽しいですよ! だって、人それぞれ小さい心を持っているし、大きな心は、空気みたいなもので意外と自分では気がつかない物です 自分を見出だせないなら、ちょっと冒険で違う価値観を求めてみてはどうでしょう よく成功例で、今まで何人もの元カレに暴力を受けた人が、まったくタイプでは無い人を選んだら幸せになったという例もありますしね 恋愛,友達,仕事,遊び 、先ずは自分なりに色んな価値観をあせらず取り入れください。
変わるか変わらないかはあなた次第ですが、ひとつ受け入れるべきなのは、人間というのは良くも悪くも自分中心であって、自分の都合でしか行動を起こさないし、感情も動きません。 その証拠に質問者さん自身も、世の中に対して理想を語りながらも結局は自分が荒れた原因を周りに転嫁して、それをまた別の人にぶつけていますよね。 その人が仮にあなたが理想とする善人だった場合、ひょっとしてあなたから受けた仕打ちによって、あなたのように荒れてしまいその後の人生の中で更に別に人を傷つける人になっているかもしれない。 こういうことは連鎖します。 バイトの店長さんのことにしても、その人が酷い人だったからと言って、それで荒れて周りへ影響を及ぼすのは間違いなくあなた自身の起こした行動であり、そうやって「酷い」ことが拡散していったのがあなたが言うところの「素敵なご趣味を持った大人が集まる社会」です。 あなたを責めるわけではありません。 ただ、上記のことを理解することで、連鎖を自分のところで断ち切る力を持つことができる場合があります。 その店長さん、確かに酷いですね。 ただ、あなたに言葉をくれたことについては何か思うところがあってのことかもしれません。 その他の言動が酷いことについては、それこそ「何か」があったのかもしれない。 家庭が荒れてしまったのかもしれないし、どこかで若者からとんでもなく酷い言葉を受けたのかもしれない。そういうのは本人でないとわかりませんが。 そう考えれば、その人はあなたに特別危害を加えたかったわけではないし、もっと言えばあなたの都合や感情は関係ない、単に自分の鬱憤を発散したいだけだったのかもしれない。 世の中が嫌だ、間違ってる、変えたいと思うなら自分がまず勇気を出さないといけません。 間違いに迎合しろというわけではありません。 ただ、自分が受けた負の事象を、周りに拡散してしまうかどうかの判断は自分自身が握っています。 溜め込むのは良くありませんが、発散するのと周りを傷つけるのは違いますよね。 難しいことかもしれませんが、周りを変えたいならまず自分から、です。
- dadadaddada
- ベストアンサー率17% (3/17)
一生懸命に考えて、今までどうにか現状を変えようとやってこられたのが、文章から伝わりました。 自己分析がすごい。 かなり厳しい自己分析だけど、とにかくすごい。 19で、自分はここまで考えられたかな?と思いましたよ。 私は、あなたのご両親より年上だと思いますが、こんな年になっても、たまに、自分は失敗作だなあ、と涙を流したりします。信じられないでしょ?年齢が年齢なので、誰にも悟られたくない涙です。 私は何を信じてるのかなあ?目の前の、コーヒーの良い香りとか?要するに気分転換できるもの、かもしれないですね。生きていく方法として、参考になりますか?(笑 店長の言動や元彼との事などの諸々は、きっと神様が、あなたにいろいろ勉強してほしくて、起こしたことがらでしょうね。 あなたは、充分、考えてきましたよね?自分を変えようとがんばりすぎたら、疲れて燃え尽きてしまうのは、当然ですよね? ハードな減量にがむしゃらに挑戦したようなものだと思います。変化は少しずつ、ですよ。 あなたのように真剣に考えられる人は、生きていたら、必ず変わっていけると思います。 自分を変えるのが、生きていく上の目標でも、ゴールでもないはずですよ。
- tsufujifuji
- ベストアンサー率15% (213/1332)
うつ病者からしてみれば、それがどうしたのってレベルです。ごめんね。うつ病は、もっと苦しみますからね。こっちの世界に来てみます?死にたいって毎日毎日、起きている限り思い続けるんだよ。 甘ちゃんで何が悪いの?わたしは、いいと思います。それを否定するってとっても危険です。弱い人間は、死んでもいいって聞こえてしまうからです。なら、私もっていう人がどれだけいるか? 人類のほぼ全てです。深く悩みたいなら、私も手伝います。こっちの世界に来てください。一緒に悩みましょうよ。
補足
うつ病の方に申し訳ありませんが用はありません。 わたしは性格的にうつ病には絶対にならないからです わたしは真面目でもないし逃げることもたやすくできるからです 自分で自分を守ることがたやすくできるからです ひたすらに自分を責め逃げられず行き場を失ったあなたたちは 望まれたように戦い続けた立派なひとたちだと認識しています が。あなたからみたら些細なことだとかそんなことしったこっちゃ ありません うつ病だとかそんなもの振りかざそうが振りかざすまいがわたしの感じたことは本物であると だれがそれを否定できますか? 逃げることが得意だからこそ逃げるために自分を守るために 死という選択肢がうまれるだけですよ。 うつ病だとかそんな概念でもとから話をしてないので中途半端な回答はご遠慮願いたいところです
- まさしろ(@masasiro)
- ベストアンサー率35% (295/842)
甘いというよりものらりくらりという感じですね。 僕は貴方の性格や指向性を否定しません。貴方は誰かからしっかりと愛された瞬間があるのだし、それはとても素敵なことですからね。貴方には確かな魅力がある。 貴方の文章にもありましたが貴方は癇癪持ちなのです。短気で気まぐれな面も持ち合わせているかもしれませんね。そのことが克服できないのは、貴方がまだ未成熟な人間だからです。癇癪持ちが原因で、貴方はまだほとんどのことを深く理解することができないという問題があるということだと思います。 粘り強さ、根気、忍耐、寛容、楽天主義やユーモア精神が貴方には不足しているのだと思います。 誰かを信じられないのは、貴方がまだ未成熟であるのだから、貴方の見込みが間違うことはむしろ当然の結果ではないでしょうか? しかし、未成熟である貴方にはそれだけ伸びしろがあるということです。人を信じる態度とは本来どのようなものであるべきか、貴方にも深く理解できるときが必ず訪れるでしょう。 そもそも、信じていた店長さんから直接聞いた話でもないことでも、それを裏切りと捉えるのなら、貴方の態度も少し傲慢なものではないでしょうか? 相手だけを一方的に責めることは恐ろしいことです。芸術家ならまだしも、そんなことをしても孤独や断絶しか生み出しませんからね。貴方が死に魅せられているのは、貴方にとっての生き方がそうであるように、死も単純なものに思えるからではないかと思います。 貴方の理屈や、都合や、決め付けは、極端で単純なものではないですか?また、貴方が死をどうしても意識してしまうのは、貴方の生き方が短絡的で、ある意味戯れのようなものでもあるから、死が深刻なものにもなるのだと思います。だから意識してしまうのです。貴方が貴方の与えられた人生に、真剣に取り組むこと。貴方の人生を真剣に全うしようと夢中になることで死ぬことはむしろ恐ろしいことではなくなります。 貴方にとっての死は、貴方への賜物ともあなるでしょう。 人間は「しなければならない」使命のようなものを抱いて人生を受け入れたときに、死を遠ざけ、忘れることができるのです。(しかし、別の恐ろしい面を持つようにもなりますが。) さて、人間は誰かや何かの手助けができるようであれば素晴らしいことだと思います。貴方には必ずそれができる。貴方は変わらなければならないとお考えですが、貴方にはもう既にその能力は備わっていると考えるべきです。今はその能力の使い方や、工夫の仕方を学ぶ時期です。必ず機会は訪れます。 それまではどうか。気長に生きながらえることです。魔が差すこともあると思いますが、それは今の貴方が決めてしまってはいけないことだとお考え下さい。良いことも、悪いことも、考えたり経験したりできるのは生きていればこそですよね。それは楽天主義の真骨頂ですね。ケセラセラですよ。がんばって下さいね(^-^)
お礼
あのような文章の中で理解しそしてわたしを否定せずいてくださることにとても感謝します。 わたしは癇癪持ちなどとは思わずただ感情のコントロールが人より苦手で 何事も否定から入りネガティブな思考を止めようともせずのまれ 自分の感情のまま他人を傷つける それがわたしの一番の汚点であり直すべきところだと解釈してきました。 まだ未成熟であるというのは百も承知であり いまのわたしでも愛してくれる周りの人たちへ恩返しのつもりで 一心に苦手な考え方を受け入れ自分を否定し成長を続けようとしたまでです 生きることを短絡的にしかとらえられないのはそのまま生きることに執着していないからです わたしにはそのしなければならないという使命感が欠落し、ありません それはほとんどの人間が当たり前に持ち合わせそして強さでもあると考えています しかし、ありません だれのせいにしようとも自分をせめようとしようとも ほしくても ないものはないのです 理屈をこねてこれはこうであると説いても ないものはないのです 悲しいと嘆こうが ないものはないです。 誰かのせいにしこうやって否定を続けることをわたしの中で肯定することも それはわたしが生きていくために必要なことではないでしょうし 何もプラスに働くことはありません 何のためにもならなかったと言いたいわけではないのです わたしが何年もかけ自分を見つめて出した答えたちを あなたという人間が、あんなとんでもない長文を読み理解しこうやって言葉にしてくれたことを とんでもなく有難いことだと思うのです。 死をまったく考えていなかったわけではありませんが もちろんわたしも例にもれずただの構ってちゃんをしたまでです 世の中の大人はなどとこのようなちんけな体験でのたまってしまうようなわたしを わたしは否定したかったです。 何かあるごとに逃げる姿勢はもうしばらく変わりはしないとおもいます 都合が悪くなると思い込みであろうとなんだろうと感情のまま突っ走りなにもかも捨てようとするとおもいます それでもわたしのような人間が理解した気になって何もかも否定するにはもったいないような人が たくさんいると身近で感じたいと思えます。 まだ助かりたいと思ってしまうんですよね。 わたしはほんとうに誰かの手助けだなんてだいそれたことができるのでしょうか できるのならきっとそれは生きないといけないとおもう要因になりえることでしょうね これからも悩んで傷ついて何かを責めたりして 正しいやり方をただやみくもになって探しているような気がしても それでも見つかるものだと信じられれば わたしはきっとなれるでしょうね。 わたしは考え過ぎで些細なことですぐ感情を動かす人間です だからこそ、否定から入らず肯定から入りネガティブをポジティブに変えることこそが わたしに一番必要なことといえます それを教えてくれたひとがあんなことで、失望していましたが。 やはり、がんばらなければならないのだとおもいます。 あのような文章でありながらわたしのためになる言葉ばかり授けてくださり本当に感謝します もう一度頑張ろうと意気込むには十分すぎるほどです ありがとうございます。
- Devil-Ear
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お疲れ様でした。 来世では頑張りましょう!
死なないで下さい ネットや異性に依存してしまうんですね 自分の目で見て、耳で聞いたことが真実です もう自分を傷つけるのはやめましょう あなたは幸せになるために生まれてきたんです 覚悟して下さいね そして出来たら、なりたい自分を想像して下さい 何でも良いです 願いは必ず叶います 自分を信じてあげて下さい
お礼
まずは深くお礼をさせてください。 このようなわたしの個人的な悲しみを人様に丸投げするような質問を、文章を 目にとめ理解し、貴女なりの言葉をわたしに下さったことを。 本当に感謝しています。 わたしは考える必要もないことに目を向け、他人に干渉し 絶望し、そんなものかと落胆して そんなことを繰り返していたら、中身はなにもないくせにとんでもなく虚勢を張った 可愛くない人間に育っていました。 けれど、貴女のいうとおり。考えるようになってしまったことからはわたしは逃げられないと思っています 深く考えない方がうまく生きていけるのです。そんなひとをただ羨ましく思います。 けれど、考えてしまうようになった今はこれでもいいのかなとも思えるんですよ。 考えてしまうひとたちの見る世界を少なからずみることができるのですから こうやってあなたのようなひとの言葉を少なからず理解できるのですから。 けれどやっぱりこんなことは知らず何も深く考えず生きていけたらどんなに楽かと 考えてしまうこともありますね。 そういうひとを俗にいうポジティブな人間だというのなら、わたしにはそういう人間になれないというのも 納得のいくことです。 その見解をわたしは知りませんでした。 わたしは何もかも分かった気でいます、さまざまな考え方を、否定する考え方も肯定する考え方も 自分の中でたくさん生み出し、頭にとめておいて。 他人の言葉を、その中からあてはめ、それも考えた。これも考えた わたしは知っている、あなたの考えることはわたしの考えることまでであり わたしへの助言にはなりえないと否定し、そしてまたわたしより長けた考えの人がいないことに 落胆し虚勢を張ります。 もちろん常にそのようなことを考えているわけではないのですが根底にはあるかとおもうのでこういう言い方をしておきます。 けれど、いるのですよね。 貴女の言葉は、わたしが考えたこともないような わたしが自分を慰めるためにも否定するためにもいくら考えようが出てこなかった言葉でした。 読んだとき、あまりにも感動して あまりにも親身に感じ、それでいてわたしは、わたしのままでいることが必要であると言って下さるようで 涙があふれました。 優しく言葉を下さる方はたくさんいます それだけでもありがたく思いわたしは、自分の存在は否定するにはまだ恵まれすぎていると感じることができます けれど説得力はないといえばないです その点で重要なのはわたしのようなものでもそうやって思い、元気づけたいと思ってくれる人がいる これだけでもとても重要なことです わたしのためであろうと、そのひとが正しいことをしたいがためであろうと だからこそ、わたしのこの考え方をこういう人間であることを肯定されても 肯定したいわたしがいても否定することをやめないのです 分かっているからなんですよ。肯定するひとがいるように わたしをそうやって否定するひともいるから 当たり前ですよね。なんといいますか わたしにとって貴女の言葉が救いだったとしてそれが絶対に正しいとはだれも言えないわけで わたしのこのひん曲がった性格を否定しようとおもえばできるし、それを否定することもだれにもできないのです 否定されないなんてことがないのを分かっているからこその自分への酷評であり それがただ自分を守るためのものでしかないとしたら それでもわたしはそのように言ってもらえる人間なのでしょうか。 貴女の言葉はわたしにとって、都合がよすぎるといいますか そんな魅力的な言葉に甘えそして自分を肯定し生きてもいいものかと やはり思ってしまうところがあります。 けれどきっとそれでいいのだとおもいます 否定したり肯定したり、しようとも 貴女の言葉はわたしにはきっと忘れられないものであるとおもいます 場面場面いい意味でも、悪い意味でもわたしの中で作用し 無駄になることはきっとないのだとおもいます。 わたしは貴女のような人が大好きです ただ肯定するわけでもなく わたしのことを理解し、わたしには知りえないあなたの中にある経験、情報から わたしに適した言葉を選び授けてくださる。 今度はわたしがあなたのような人になれるときがくるとしたら そんなに嬉しいことはないのかと思います。 本当にありがとうございました。 わたしの視野の狭さを痛感し、下らない人間もいればこんなに素晴らしい人もいることを 心から感じることができました 嬉しく思います。 これからもこんな風に生きていかなければならないのかとおもうと少し憂鬱ですが 逃れることはきっとできないとおもいますので そのたび、終わらせてしまわないように 貴女の言葉を思い出させていただきますね。 少しでも器用に生きていけるように、少しでも理想に近づけるように これからまた、頑張っていこうとおもいます。 有難いお言葉をたくさんありがとうございました。 心から、感謝いたします。