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大事な人が亡くなってしまって・・・
がん告知7ヶ月で、大事な人が亡くなってしまいました。 同じような質問を重ねてしまって申し訳ありません。 どうか許してください。 胸がつぶれそうで、ドキドキして苦しくて、 絞り出すようにしか泣けません。 何でもないのにとても焦ってしまい、落ち着きません。 気持ち悪くてどうしようもありません。 彼の思い出につながる物を見ると、怖い。 つらすぎて、思い出したくない。 こんなのって、薄情でしょうか。 でも泣くとつらすぎて、耐えられない。 どうにかしたいとネットをみて、 一日何かを求めて探しています。 そして少しすると疲れて横になり、 でもしばらくウトウトすると、 彼への思いが脳裏をよぎり、 ドキドキしてきていてもたってもいられなくて、 またパソコンに向かう。 そんなことをしています。 カウンセリングはどうだろうかと思っています。 でも、心理学の先生とはいえ、 見ず知らずの人に素性を明かして何もかも 打ち明けるのはちょっと気が引けます。 彼が、そんなプライベートなことを人に話すんじゃない、 と言いそうな気もします。 同じような経験をされた方で カウンセリングを受けて良かった、という方、 こんなふうに心が落ち着いた、という方、 いらっしゃいますか? どうかアドバイスください。お願いします。
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- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
そういう悲しみから逃げようとしても 難しいですね。 反対に、そういう気持ちと正面から 向き合うことをお勧めします。 例えば、 そういう辛い思いを文章にすると 気持ちが和らぎますよ。 昔の人は、そういう気持ちを唄や 詩にして慰めました。 だから、こういう場を利用して どんどん書き込みすることは 大変良いことです。 カウンセリングも、他人に話せば 心が安らぐ、という心理的効果を 狙ったものです。 恥ずかしがることはありません。 どんどん書き込みましょう。 そうやっている間に時間が過ぎて 行きます。 時間は最良の薬です。
- dremp
- ベストアンサー率47% (128/272)
貴女のご質問の趣旨である、「どうすれば落ち着けるか」という回答は、ご提案できなくて申し訳ないですが、2点ほど言わせてください。 >彼の思い出につながる物を見ると、怖い。 >つらすぎて、思い出したくない。 >こんなのって、薄情でしょうか。 親兄弟とか、親しい人が亡くなったとき、そのことをすぐに忘れてしまうのは、死んだ人に対して薄情だ、という考え方をするのが日本の文化のようです。 でも、本当にそうなんでしょうか。 実は、本質はそうじゃないんですよね。 死んだ人を忘れるべきでないというのは、けっして死んだ人のためにそうするのではなく、あくまで、残った人のためにそうしているにすぎないのです。 忘れてはいけない理由は、いくつかありますが、もっとも重要な理由は2つです。 (1)人間誰でも、死の恐怖があり、死んだあと、自分が人から忘れられ、誰からも顧みられないことが怖いのです。なので、自分が死んだとき誰からも顧みられなくならないように、生前、亡くなった人への供養を手厚く行うのです。自分のためです。 (2)亡くなった人を無碍に扱うことは、その人が亡くなって一番つらいと思っている人に対して、傷つける行為だからしてはいけないのです。 たとえば、息子が亡くなって親がつらい気持ちでいっぱいなのに、友だちがその彼の葬式にも来なかったら、親としては、二重の苦しみです。 というように、亡くなった人を忘れないのは、残された人へのケアの意味が大きいのです。 他にも理由はいくつもありますが、これらの理由で、「亡くなった人のことを忘れてはいけない」という教えが社会常識として確立しました。 死んだ人は手厚く扱い、忘れてはいけない、というのが道徳、常識として、誰も疑わないきまりごとになったのです。 あくまで、自分たちの気持ちの問題なんですよね。 なので・・・以下重要ですが・・・実際には、けっして、「亡くなった人を忘れることは悪いこと」でもなければ、「亡くなった人を忘れる人は悪い人(薄情な人)」でもないですよ。 すくなくともそれらが絶対ではない。 むしろ、それらの道徳にしばられて、自ら不幸になっているとしたら・・・それは、まさに、貴女の今の状態ですが・・・それは、間違った供養です。 たとえば、死んだ両親をきちんと供養しないと、「親不孝」みたいな言い方をしますが・・・。そうじゃない。残された自分たちが不幸になることが、親不孝なんです。 彼だってそう。 貴女が、彼のことを忘れないで悲しんでくれていること自体は、彼も喜んでいるかもしれない。 でも、それが度が過ぎて、貴女が苦しんでいるなら。それは、彼が望んでいることではないです。 彼を不幸にしないために、貴女は幸せにならないといけない。 ただ (1)残された彼の両親を傷つけないためにも、最低限彼を忘れない。 (2)貴女が彼を忘れてしまうと、貴女の周りの人も彼を忘れますから、そうなると貴女がつらい。なのでそうならない程度に(自分のために)彼を忘れない。 (3)でも、(1)(2)ができているなら、それ以上苦しまず、貴女が幸せになることを考える。 という方針でいきましょうよ。 >彼が、そんなプライベートなことを人に話すんじゃない、 >と言いそうな気もします。 というわけで、彼は、絶対にそんなことは言いません。 むしろ、貴女が苦しんでいるのに、カウンセリングを受けないでいることのほうが、彼は悲しいはずです。 よく、「死んだ人の分も幸せに」って言い方をしますが。 まさに、その通りですよ。 ただ、「残された彼のご両親や御兄弟」の気持ちを考えた上で(傷つけない最低限のことはした上で)、幸せになってくださいね。 それが、亡くなった方への供養なんですよ。
- kinpouge
- ベストアンサー率43% (52/120)
父が亡くなり、追うように母が亡くなったとき、 一人ぼっちの家で時計の音だけが聞こえてきたことを思い出しました。 あまりの悲しさにしばらく泣けませんでした。 あなたがおっしゃるように胸がしめつけられるような苦しさが襲ってきたかと思うと、 涙が出るのに泣けないんです。 何も考えられなくて、ただただ、ボーっとしていました。 何をしていいかもわかりませんでした。 何を見ても思い出すから、何も見ないように目をつぶっていました。 会社の同僚が心配して、そのまま食べられるものを買ってきてくれたけど、 ほとんど食べられません。 会社で仕事をするようになると、仕事をしている間は思い出さずにいられましたが、 家に戻って一人きりになると、真っ暗な部屋でボーっとしてたり、 胸が悲しみでいっぱいになり、搾り出すように泣いてました。 毎日毎日、泣いてるので、目の周りがただれてしまいました。 赤い目をして会社へ行くと心配されるので、シャワーを浴びながら泣きました。 そしたらある日、ものすごく大声で泣けたんです。 何分もそうやって大声で泣いてました。 そうしたらほんの少し元気が出たんです。 そういう日々を半年ほど過ごし、やっと以前のように元気を出せるようになりましたが、 やはり母の着物や持ち物を見ると、涙が出るので、すぐシャワーをあびながら泣きました。 泣くというのは、浄化作用があるらしく、徐々に徐々に元に戻れたんです。 あとは時間が解決してくれました。 といっても、忘れたということではなく、心が受け入れるようになった、ということです。 今でもたまに夢に出てきますが、その場面は何気ない日常のひとコマです。 夢の中の母は、悲しそうでも辛そうでもなく、以前と変わりない笑顔です。 見守ってて、私のことが心配になると夢に出てきてくれるんだなと思ってます。 今、あなたは自分を見失っているだけです。 悲しいのは当たり前なんですから、思いっきり悲しんで良いんです。 でも、状況は同じではなく、いずれ変わっていくものです。 私が母を亡くした悲しみを乗り越えたように、あなたも乗り越えられることと思います。 きっと自分を取り戻せます。 そして、この悲しみをきちんと受け入れることができると思います。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
>一歳で亡くなった →一切出なくなった 変換ミスです。
自分も去年5月に親父を亡くしました。 また今年9月(先週金曜日)12年連れ添った愛犬が亡くなりました。 その時は、狂ったかのように泣き崩れ気がついたらまた泣いての繰り返しです。 ですが、悲しんでいても相手の方は喜びませんよ。必ずあなたの近くで見守ってくれてますよ。 そう信じて良い思い出・喧嘩した思い出など何でも思い出して彼とあなただけの心のアルバムを 作ってあげてください。絶対彼も喜んでくれます。誰にも見られない二人だけの心のアルバムなので。 自分も今、親父・愛犬の心のアルバム(思い出)を作ろうと想い出探しをしています。
- loveser2013
- ベストアンサー率0% (0/0)
お気持ちお察しします。 大丈夫なんて簡単に言えませんが、今はそれでいいんです。 無理に自分の今の気持ちから離れようとしなくていいんです。 苦しいのも、本気でその方が大事だった大事な証拠ではないですか。 その人と共に生きてきた証ではないですか。 今の気持ちを大切に見つめて下さい。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
死んだと思わなければいいのです。死んだと考えるからこのような状態になるのです。 私の母は18年前に逝きましたが、相変わらず夢には出てきます。夢の中では生きていることになっているのです。時には大ゲンカもします。夢の中では、「死んだというのは夢だった」と言うことになっています。 目が覚めると勿論そんなことは無いことに気が付きます。でも、結局、生きているかどうかなんて本人が決めればいいことなのだと思います。私の夢に一歳で亡くなった時が本当に「母が死んだ」時なのかもしれません。 大林宣彦監督の映画、「ふたり」でも、そんなシーンがあります。怪我で死亡した姉が妹にはずっと存在しているのです。