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鼻 芥川龍之介 2
芥川龍之介の詩、鼻について質問させていただきます 1 内供は意外な事実を発見した事について、その事実とはどういう事ですか? 2 なぜ質問1の事実が意外と形容されているのでしょうか? 3見慣れた長い鼻より~中略~それまでである。がそこにはまだ何かあるらしいとありますがそこには何があったのですか?本文から8字で抜き出しお願いします 4 「愛すべき内供は~中略~ふさぎこんでしまうのである」とありますが「意外な事実」にふさぎ込む内供を筆者はなぜ「愛すべき」と形容しているのでしょう。理由はなんですか? 5 この鼻という作品で作者が言おうとしていることはなんですか? 6 内供はなまじいに、鼻の短くなったのがかえって恨めしくなったとありますがそれはなぜですか?理由を2つお願いします 7 「庭は黄金を敷いたようにあかるい」「九輪がまばゆく光っている」という描写は物語のどのような展開を暗示しているのですか? 8 再び鼻が長くなった内供はなぜ「はればれとした心持ち」になったのですか? 以上が質問になります よろしければ回答お願いします。 本文↓ ~省略~ ――もう一度、これを茹でればようござる。 と云った。 内供はやはり、八の字をよせたまま不服らしい顔をして、弟子の僧の云うなりになっていた。 さて二度目に茹でた鼻を出して見ると、成程、いつになく短くなっている。これではあたりまえの鍵鼻と大した変りはない。内供はその短くなった鼻を撫 な でながら、弟子の僧の出してくれる鏡を、極 きま りが悪るそうにおずおず覗 のぞ いて見た。 鼻は――あの顋 あご の下まで下っていた鼻は、ほとんど嘘のように萎縮して、今は僅 わずか に上唇の上で意気地なく残喘 ざんぜん を保っている。所々まだらに赤くなっているのは、恐らく踏まれた時の痕 あと であろう。こうなれば、もう誰も哂 わら うものはないにちがいない。――鏡の中にある内供の顔は、鏡の外にある内供の顔を見て、満足そうに眼をしばたたいた。 しかし、その日はまだ一日、鼻がまた長くなりはしないかと云う不安があった。そこで内供は誦経 ずぎょう する時にも、食事をする時にも、暇さえあれば手を出して、そっと鼻の先にさわって見た。が、鼻は行儀 ぎょうぎ よく唇の上に納まっているだけで、格別それより下へぶら下って来る景色もない。それから一晩寝てあくる日早く眼がさめると内供はまず、第一に、自分の鼻を撫でて見た。鼻は依然として短い。内供はそこで、幾年にもなく、法華経 ほけきょう 書写の功を積んだ時のような、のびのびした気分になった。 所が二三日たつ中に、内供は意外な事実を発見した。それは折から、用事があって、池の尾の寺を訪れた侍 さむらい が、前よりも一層可笑 おか しそうな顔をして、話も碌々 ろくろく せずに、じろじろ内供の鼻ばかり眺めていた事である。それのみならず、かつて、内供の鼻を粥 かゆ の中へ落した事のある中童子 ちゅうどうじ なぞは、講堂の外で内供と行きちがった時に、始めは、下を向いて可笑 おか しさをこらえていたが、とうとうこらえ兼ねたと見えて、一度にふっと吹き出してしまった。用を云いつかった下法師 しもほうし たちが、面と向っている間だけは、慎 つつし んで聞いていても、内供が後 うしろ さえ向けば、すぐにくすくす笑い出したのは、一度や二度の事ではない。 内供ははじめ、これを自分の顔がわりがしたせいだと解釈した。しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。――勿論、中童子や下法師が哂 わら う原因は、そこにあるのにちがいない。けれども同じ哂うにしても、鼻の長かった昔とは、哂うのにどことなく容子 ようす がちがう。見慣れた長い鼻より、見慣れない短い鼻の方が滑稽 こっけい に見えると云えば、それまでである。が、そこにはまだ何かあるらしい。 ――前にはあのようにつけつけとは哂わなんだて。 内供は、誦 ず しかけた経文をやめて、禿 は げ頭を傾けながら、時々こう呟 つぶや く事があった。愛すべき内供は、そう云う時になると、必ずぼんやり、傍 かたわら にかけた普賢 ふげん の画像を眺めながら、鼻の長かった四五日前の事を憶 おも い出して、「今はむげにいやしくなりさがれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとく」ふさぎこんでしまうのである。――内供には、遺憾 いかん ながらこの問に答を与える明が欠けていた。 ――人間の心には互に矛盾 むじゅん した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥 おとしい れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。――内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。 そこで内供は日毎に機嫌 きげん が悪くなった。二言目には、誰でも意地悪く叱 しか りつける。しまいには鼻の療治 りょうじ をしたあの弟子の僧でさえ、「内供は法慳貪 ほうけんどん の罪を受けられるぞ」と陰口をきくほどになった。殊に内供を怒らせたのは、例の悪戯 いたずら な中童子である。ある日、けたたましく犬の吠 ほ える声がするので、内供が何気なく外へ出て見ると、中童子は、二尺ばかりの木の片 きれ をふりまわして、毛の長い、痩 や せた尨犬 むくいぬ を逐 お いまわしている。それもただ、逐いまわしているのではない。「鼻を打たれまい。それ、鼻を打たれまい」と囃 はや しながら、逐いまわしているのである。内供は、中童子の手からその木の片をひったくって、したたかその顔を打った。木の片は以前の鼻持上 はなもた げの木だったのである。 内供はなまじいに、鼻の短くなったのが、かえって恨 うら めしくなった。 するとある夜の事である。日が暮れてから急に風が出たと見えて、塔の風鐸 ふうたく の鳴る音が、うるさいほど枕に通 かよ って来た。その上、寒さもめっきり加わったので、老年の内供は寝つこうとしても寝つかれない。そこで床の中でまじまじしていると、ふと鼻がいつになく、むず痒 かゆ いのに気がついた。手をあてて見ると少し水気 すいき が来たようにむくんでいる。どうやらそこだけ、熱さえもあるらしい。 ――無理に短うしたで、病が起ったのかも知れぬ。 内供は、仏前に香花 こうげ を供 そな えるような恭 うやうや しい手つきで、鼻を抑えながら、こう呟いた。 翌朝、内供がいつものように早く眼をさまして見ると、寺内の銀杏 いちょう や橡 とち が一晩の中に葉を落したので、庭は黄金 きん を敷いたように明るい。塔の屋根には霜が下りているせいであろう。まだうすい朝日に、九輪 くりん がまばゆく光っている。禅智内供は、蔀 しとみ を上げた縁に立って、深く息をすいこんだ。 ほとんど、忘れようとしていたある感覚が、再び内供に帰って来たのはこの時である。 内供は慌てて鼻へ手をやった。手にさわるものは、昨夜 ゆうべ の短い鼻ではない。上唇の上から顋 あご の下まで、五六寸あまりもぶら下っている、昔の長い鼻である。内供は鼻が一夜の中に、また元の通り長くなったのを知った。そうしてそれと同時に、鼻が短くなった時と同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰って来るのを感じた。 ――こうなれば、もう誰も哂 わら うものはないにちがいない。 内供は心の中でこう自分に囁 ささや いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。
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- CC_T
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前質問と同じく、ヒントから。 1 内供は意外な事実を発見した事について、その事実とはどういう事ですか? 1)後に続く文章「所が二三日たつ中に~一度や二度の事ではない」が『事実』の説明にあたります。要約しましょう。 2)意外とは「予想と異なる」ということです。「以前から変化した事」が内供が発見した『事実』の内容にあたりますが、それが内供が内心予想していたことと比べてどうだったか考えてみましょう。 3)この「何か」によって内供は「理由を知らないながらも、何となく不快に思った」のです。 4)ここまで内共の振舞いを見てきて、読者は内供というキャラクターについてどう感じているでしょうか? 5)この物語は「今昔物語」の一節を下敷きにしています。 もとのお話は内供と鼻を笑いものにした、いわゆる「コメディ」の類でしたが、それを芥川がどう書き変えたのか。 そこを考えてみると意図が読めてくるのではないでしょうか。 6)鼻が短くなってから、内供の生活は以前と比べてどうなったでしょうか? 7)どちらも「光り輝く」様子を示した文章ですね。 例えばあなたは、「キラキラ」なんて言葉に対してどういうイメージを持ちますか? 8)6の答えの裏返しが、その理由と言えます。 //////以下、回答例//// 1) ・他人が、前よりも一層可笑しそうな顔をして内供を見るようになったという事。 2) ・「鼻が小さくなって他人の目を気にしなくて済むようになったはずが、それが却って物笑いの種になってしまった事」が意外だったのです。 3) ・傍観者の利己主義 4) 内共は自分の容姿を内心気に病んでいながらも、高僧らしくあるためにそれを気にしていない風を装っている。そのへんにいそうなタイプですよね。「私もあんなところがあるな」なんて感じるような人や、「可哀そう」と感じる人は、他人に悪く思われにくいもので、内供にも読者が共感できるところがありますよね。そんな人が落ち込んでいる様子を見れば、つい肩入れしてしまうものです。 ・周囲の反応に惑わされてる内供には、共感できるいじらしさがあるから。 5)自分が自分の事を好きであれば、世間のちょっとした言動に軽々に振り回されることはありません。 しかし自分という存在に不安や不満を抱えた人は、その事柄に対する世間の目に過敏(神経質)になってしまって、例えば一時の流行にも簡単に振り回されたりして、落ち着きのない振る舞いをします。 ・世間とは無責任に勝手な事を言うものであるから、大事なのは自らの心の持ち様である。 ということを言いたかったのでしょう。 6)鼻が短くなってから「つけつけと」笑われるようになり、心の平静を保てなくなったのです。 ・周りの人から無遠慮に哂われるようになってしまった ・情緒不安定になってしまった(怒りっぽくなった) 7) ・状況の明転を示唆したもの。 8) ・鼻が小さくなる以前の気疲れしない生活に戻れると思ったから もう誰にもあけすけと哂われる事はないと思いついて、それまでのストレスから解放されたのです。 ほんと「単純で愛すべきキャラ」として書かれているのですね。 ~~~~ ちなみに内供は5の回答内容である「自分の心の持ち様で世の中が変わる」って真理(?)に気がついていません。 もっと功徳を積めば、いつしかそこにたどり着けるのでしょうかね。 もひとつ蛇足までに。 この話では、内供もそれを取り巻く人々も、芥川によって「単純な性格」で書かれています。その点を踏まえると、6の回答でももっと踏み込んだ見方ができます。 内供は鼻という「弱点」を持っていることで世間的に同情されてきたわけですが、同時にそれは内供の心のブレーキにもなっていた事と思われます。食事の際に『弟子の手数をかけるのが、心苦しい』なんて言ってみたりできるのは、高僧だけどそれを鼻にかけたところがない「いい人」として通用していたからではないでしょうか。言ってみれば鼻の存在は、内供という高僧と周囲の人のヒエラルキー(上下関係)を同等に保ってくれていたのです。だから弟子に同情されたりする。 カツラとかシークレットシューズとか、本人は周囲に気づかれていないだろうと思っていてもバレバレなんだよって事は結構ありますよね~(^^; ところがある日、内供の「弱点」が無くなってしまった。 「単純な」内供のことですから、長年の心の重しがとれたことに浮かれて、自信過剰な大胆な行動に出たりもしたのではないでしょうか。そうして欠点が無くなって晴れ晴れした顔で行動する内供を見ていると、周囲のこれまた「単純な」人からすれば「ふん、澄ましやがって。ついこの前までおどおど人目をはばかってたくせに」と、「面白くない」と思う感情が出てくる。そこで「傍観者の利己主義」が働いて、内供をバカにするようになるんですね。 例えばあなたも、学校の先生のモノマネをしてを何とはなしにバカにしたことなどあるのでは? そして内供はどんどん居心地が悪くなり、不機嫌に当り散らすことでしか心のバランスを取ることができなくなってしまいます。そうなると周囲はますます反感を強めてくる。負のスパイラル(悪いことが悪いことを呼ぶ状態)ですね。 そういうことを想像していくと、6の回答は ・それまでのように周りの人が優しく接してくれないことで、居心地が悪いと感じるようになった。 ・他人と諍う事が増え、心の平穏が失われてしまった。 なんて答えも出せるのです。 国語の文章題ってのは一応の「答え」は用意されていますが、そればかりが「正解」とは言い切れないものもある。想像力次第で結構自由な「答え」が出せるんですね。「誤答」から他人の感じ方考え方を知ることが出来たりして、面白いものです。