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中国の国名の変遷と代替用語について
- 中国の国名の変遷と日本語での呼び方について調べています。中国は1949年に建国された国であり、その前の時代の呼び方には清国という表現がありました。しかし、英語のChinaに相当する日本語の国名は存在するのでしょうか?また、支那という言葉の代替用語も探しています。
- 中国の国名の変遷や日本語での呼び方について調査中です。中国は1949年に建国された若い国であり、その前の時代は清国と呼ばれていました。しかし、英語のChineseに相当する日本語の国名はあるのか気になります。また、支那という言葉の代替用語も探しています。
- 中国の国名の変遷や日本語での呼び方について調べています。中国は1949年に建国された国であり、その前の時代は清国と呼ばれていました。しかし、日本語で中国に相当する国名は存在するのでしょうか?また、支那という言葉の代替用語も探しています。
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質問者が選んだベストアンサー
「中国の国名の変遷を問わず通史的に一貫して使用できる国名・国民名」が、英語における「China」「Chinese」であることをよしとされるのならば、日本語においても「中国」「中国人」でかまわないのではないでしょうか。質問者様ご自身も、その意味で「中国」を使っていらっしゃいます。もちろん、この「中国」が必ずしも「中華民国」「中華人民共和国」を意味しないことは言うまでもありません。 日本語で清国、清国人というふううに言い変える必要があるのは、まさにその必要がある時だけでいいのではないでしょうか。日常生活においてそんな細かな区別は必要ないし、細かく区別することがかえって混乱を招くことだってあるでしょう。あんまり小難しく考えることはないと思います。
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- SPS700
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これは、通称みたいなものと、他の紛らわしい要素から区別する必要がある場合の、少なくとも二つがあるように思います。 1。 通称 過去には「支那」、今は「中国」。 2。 区別称 「漢」。 例えば「漢字」を使う地域、これで西夏文字、チベット文字、満州系の金時代の女真文字や1599年ヌルハチ(奴児哈赤)が制定した満州文字などから区別されます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E6%96%87%E5%AD%97 アルタイ系の蒙古語や満州語を話す部族と区別するときの「漢族」あるいは「漢民族」。 このように使い分ける伝統が朧げながら出来上がって来ているのではないでしょうか。
お礼
有難うございました。
- gesui3
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NO16さんは、私に誤解があるとおっしゃっていますが、誤解はしていないと思います。 その漢和辞典の記述も、近代史の中の歴史的文脈を背負っていて、チャイナ=シナとの固定観念に基づいて書かれています。 私が反論したのは、NO14全体ではなく、明解漢和辞典の編者・長澤規矩也氏などに対してです。 シナと呼び、日中戦争を支那事変と呼んだ時代があったわけですから、そのように呼んだという歴史的事実は厳然としてあります。それを否定も消去もするつもりはありません。おっしゃる通り歴史的事実です。 いま問題としているのは、現代にいたるも支那と呼ぶべきだという意見があることです。 あの地域を、欧米はチャイナと呼び、日本は中国と呼ぶ。これで誰も迷惑も不快感も抱かない。それでよいのではありませんかと回答しているのです。ですから、私も基本はNO14さんと同じ考えです。
お礼
有難うございました。
- Nebusoku3
- ベストアンサー率38% (1464/3823)
No15 さんは No14さんの回答をかなり誤解されて受け取られているように見受けられたので発言させて頂きます。 No15さんは次の部分だけを捉えて意見を述べられているようですが部分だけを捉えると判断を誤ると思います。以下の部分は以前にはこう書かれていたという引用部分ですね。 >漢和辞典の「中国」の項には「シナ人がじぶんの国を天下の中央の最もすぐれた国として、誇っていう称、したがって、われわれ外国人の立場の人がシナを中国というのは、大義名分上、おかしい」と書かれていました。(明解漢和辞典 長澤規矩也編 三省堂 昭和41年) 全てを読むとNo14さんの回答は広い見識から柔軟な意見を述べられているように思います。 私自身は歴史上の史実である言葉が人によって消去されてしまうのは非常に残念に思っていますがNo14さんの見解ももっともだと思い、 私も、呼称は肩肘を張らずに 「中国」 で宜しいのではないかと思います。 古い中国を語るときは 古代中国、 元時代の中国、 清の時代の中国などバリエーションもありそうですね。 (当然ながら支那 もどこかに残っていくでしょう。それは歴史ですから。)
お礼
有難うございました。
- gesui3
- ベストアンサー率50% (95/187)
「自分の国を天下の中央の最もすぐれた国として、誇っていう称」、だから「外国人がシナを中国というのは、大義名分上、おかしい」とのことですが、それはどうでしょうか。 「日本」だって、倭国・大和を「日ノ本の国」として名づけたのですよ。日の上る国と言っても、それは世界中で上るのだし、丸い地球ではどこが一番早いというわけでもなく、事実と異なることは似たり寄ったりです。それでも諸外国は日本→ジャポン→ジャパンと呼んでくれるではないですか。 誰もが自国に愛着や誇りをもち、他国はその呼称を尊重して呼んであげる。これが国際親善・国際協調の精神でしょう。他国で、相手の嫌がる名前を「本当はこうなのに」と言うのは、無用な国際紛争の火種を蒔くようで、如何なものでしょうか。
お礼
回答ありがとうございました。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1498/3648)
ご質問の結論としては、特に当時の国名を強調する必要がある場合以外、一般的な呼称としては歴史を通して中国・中国人を使うのが妥当ではないかと考えます。 私が中学生のころに使っていた漢和辞典の「中国」の項には「シナ人がじぶんの国を天下の中央の最もすぐれた国として、誇っていう称、したがって、われわれ外国人の立場の人がシナを中国というのは、大義名分上、おかしい」と書かれていました。(明解漢和辞典 長澤規矩也編 三省堂 昭和41年) 今でも同様の主張が散見され、「中国」という言葉を使うことに抵抗感がある人もいるようですが、私はそこまで肩肘を張らなくてもよいように思います。 かの国の人が世界の中央でもっともすぐれると誇るもの(中華)を、庶民が好む夏の食べ物の名前(冷やし中華)にするような柔軟さ・こだわりのなさこそが日本語の豊かさだと考えるからです。 世間の一部には誤解があるようですが、中国という言葉は戦後になって支那の言いかえとして初めて使われるようになった言葉ではなく、それ自体は大昔からある漢語です。明治から戦前にかけては支那のほうが一般には広く使われていたのは事実ですが、次第に中国という言葉も使われるようになっていきました。 これは支那という言葉をかの国の官民が好ましく思っていないことが理解されるようになったからで、1930年10月には、浜口雄幸内閣が中国(支那)の呼称を常則として「中華民国」とするという閣議決定を行いました。(支那国号ノ呼称ニ関スル件) 戦前・戦時中に国策として製作され、全国の映画館で上映されていた「日本ニュース」というニュース映画でも、「中華民国」や「中国」が使われています。 中華民国参戦下、初めて迎う双十節。10月10日、汪主席以下要人参列のもとに、南京において厳粛なる記念式典が挙行されました。 さらに上海でも、市長兼保安司令陳公博氏統監のもとに、軍装凛々しい中国軍隊の閲兵式が行われました。かつては租界の汚名のもと、米英侵略の拠点も今は昔。中国に還った上海市街を歩武堂々行進する中国陸軍。日華同盟新たに結ばれ、共栄建設に進む中国の前途は明るく、力強いものが宿されております。(日本ニュース第178号 1943年11月2日) 南支、広東のお正月。今日ばかりは兵隊さんもすっかり子どもになって、姑娘たちと楽しい羽根つき合戦に大はしゃぎ。文字通り、美しい日支親善風景が至るところに見られます。広東姑娘は、仲良しになったお礼に、足で羽をつく支那特有の遊技で、兵隊さんを喜ばせています。(日本ニュース第31号 1941年1月7日) 後者のように支那や略称としての「支」を使っている例もあり、当時は支那・中国が混在する過渡期のようですが、正式な呼称が求められる場合には「中華民国」(汪精衛政権を指していますが)や「中国」を使う方が好ましいという意識があったのではないかとも考えられます。 なお細かなことで恐縮ですが、辛亥革命で清朝が倒され1912年に中華民国が作られましたので1920年当時の国名を強調するのであれば、中華民国・中華民国人ではないでしょうか。
お礼
貴重な情報ありがとうございます。 言葉にも流行り廃りがありますね。 英国人の事をイギリス人とカタカナで表記するのと同様に、 中国人の事をチャイナ人と表記するのが国際化対応の観点から一番良いかとも思っています。
>清国を中国と読んでしまうってアイデアですか? いやいや 1920年当時の中国という言い方で問題ないということでアイデアではない
お礼
ありがとうございます。 問題認識の違いですね。
- Nebusoku3
- ベストアンサー率38% (1464/3823)
No1です。 自分が若かりし頃、ヨーロッパのある国に貧乏旅行をしていたときの事、(フランコ総統の独裁政権がまだ有った頃で町には自動小銃を持った兵隊が多数見られました。) 町外れのどこかの場所で 「チネーゼ、チネーゼ」 と言われて石を投げられた記憶が有ります。よっぽど「ソイ ハポネス」 と言おうかと思いましたが、それもフェアではないなと思い。黙ってました。 幸い石は当たらず何事も無かったのですが、「差別」 という事を意識した最初かもしれません。 更にある国では当時、日本人に対して 「名誉白人」 という不名誉な称号がありました。その頃、欧州に行かれた方の中にはそれを聞かれた方々もいらっしゃるかと思います。 それを聞いた時に日本に帰ったときの自分の役割がおぼろげに分かったような気がしました。自分はエンジニアなので自分の役割を果たす事、それ以外に自分が日本に対して出来ることは無い様な気がしました。 ここで言いたいのは当時、日本も戦後の貧乏な国から立ち上がろうとしてる時でジャップとかイエローモンキーなどといった言葉を気にしていられない時代でした。ケネディー大統領の Ask what you can do for your country が自分には非常に大きく響きました。 ここで中国の方々にそれとなく理解して頂きたいのは(それとなくとの表現はそれは無理かなとの意味合いもある為です。) 支那という言葉の禁止は本当に国民の皆さんの希望でしょうか。 私の考えは歴史上からあるものを消去する方が問題は大きい様な気がします。 ジャップとかイエローモンキー 名誉白人 といった言葉は今ではそれを言う人にお目にかかれないほど ”自然に消えて行った” のではないでしょうか。 ここでまた ケネディー大統領の言葉を思い起こします。 私にとって支那は歴史上のことばであって差別の言葉ではありません。 しかしながら中国国民の方々が心から嫌っていらっしゃるのなら使うのをやめるべきだとも思います。 質問者さんもそれで今回の質問となったものと思います。
お礼
再度の投稿ありがとうございます。 私も支那事変などという歴史を学んだ世代ですから、子供の歴史教科書で”日中戦争”という日本語を見て、一瞬理解できなかった世代です。 「支那そば」や「朝鮮漬け」など、何ら差別用語でないと思うのですが、今はそのような言葉が日本語から抹消される時代なのかな、と思います。 これから生まれてくる子供の時代には東シナ海とか、インドシナ半島なんて言葉まで、抹消されるのでしょうね。それとも言葉だけが残り、意味不明になるのかな。 言葉に罪はないものといえ、政治から無縁ではありえないということなのでしょう。 どうもありがとうございました。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
Chinaのカナ表記でシナも嫌がられるのでしょうかね。シナ人とか。 唐人(からびとではなく)や毛の唐人って、ヨーロッパ人ですね。 私は大陸中国、台湾中国という表記をしております。 つまり、日本人からシナといわれるのが嫌だという事でしょう。 しょうがないですよね。 イエローモンキーとかジャップって言われるのも愉快ではないからな。
お礼
ありがとうございます。 たしかに日本人からは「シナ」と呼ばれたくないということのようです。 しかたないですけど、どうしたものか。
- TANUHACHI
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こんばんは親方、夜分に失礼します。 年端もいかぬ若造ですが、個人的には「支那」との表現に僕自身は余り良い印象を持ち合わせてもいません。遙か昔、僕が未だ中学校の二年生だった頃、当時の英語担当だった教員が"China"の語源について例の「秦」が語源の一つであるとの話をしていた記憶があります。 確かに"China"をそのまま読めば「チナ」もしくは「シナ」とも読めないこともありません。そして仮に「シナ」ならば「秦」→「シナ」と転化することも容易に考えられるだろうなどと無邪気にも当時の私は考えてもいました。 けれどよくよく考えてみますと、これには些かの無理もあります。中国歴代王朝の変遷を見てみますと、元がありこの王朝はモンゴル民族です。それ以前の漢民族の王朝とは異なりもするわけで、そうした部分を捨象したままに「中国=シナ」としても良いのかとの疑問も生じます。 余談になりますが、英語では中国の古称として"Cathay"を使用し、この語源は契丹であるとされています。香港に拠点を置くキャセイ・パシフィック航空の社名はここから採用されたとも聞いております。 「支那」に余り良い印象を持てないのは、例の暴走老人を嫌いなことに起因しているのかもしれません。何かといえば、あの老人は「自分の意見に従わない者や批判的な相手」の意見など聴くこともせず、やくざとも疑いかねない対応をしますから。 日本史上ならば、足利義満の「唐好み」などもあり、外国を唐土と呼んでいたケースも知られていますが、それ以前の今昔物語の時代なら震旦の様な呼び方もありますがこれとてサンスクリット語のCīnasthāna(チーナスターナ)です。 英語で「中国=China」とするのはフェアバンクの名著『中国の歴史』等にも観られますが、こうした点は「欧米人から見ての『中国的なるもの』の変わってきた部分と変わらずに続いてきた部分に関する物語」との意味であると僕は理解しています。ヨーロッパやアメリカから見れば遙か東方のそれも価値観が根本的に異なる異質な文化との出会いですから、見るもの聞くもの全てが未知でありそれだけで珍奇な存在として丁重に扱われたのかもしれません。 アメリカの大学に日本の室町時代に関する研究を続けている友人がおりますが、彼がレポートや論文を発表する際には"Muromachi Era in Japan"との表記を用い、日本全体を指すケースとは区別もしていますから、中国史でも王朝名+Eraの表記を使用している可能性も十分にあります。あくまでもこれは歴史研究での表記ですので一般に適用できるかどうかには議論の余地もありますが。
お礼
タヌハチさん、ありがとうございます。 お若いのに、相変わらず碩学ですね。恐れ入ります。 英国人をイギリス人と呼ぶように、 中国人をチャイナ人と呼ぶのはどうかと思っています。 やはり、嫌われるのでしょうかね。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
2ですが アメリカが地名でアメリカ合衆国(合州国)が国名のような関係ですね。 詩経その他の中國は国名ではなくて地域全体を指しているわけです。 中民國や中國民國・中國人民共和國では具合が悪すぎますから中華と置き換える必要があったのでしょう。 支那ではその語源になった秦にさかのぼってしまいますから総称としては中國が最も合理的で日本語としても最も通用しています。質問の支那と同義語ではありませんが政府を越えて地域を指すならばむしろ適切な言い方でしょう。 質問の、政府・王朝の名前をこえた中国を総称する言葉・概念としては「中国」が最も合理的で適しているということになりますね。 今さらモロコシなどと言い換えるのはやはりナンセンスですね。残念です。 勉強になりました。
お礼
再度の投稿ありがとうございます。 「唐人」という日本語は既に古語となっていますかね。
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お礼
ありがとうございます。 小難しく考えないのも手ですね。