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上のものほど激務で当たり前なのでは?

最近の企業会社は、常識がなく、上のものほど犠牲心が足りなくて困るということはないでしょうか? 多くもらっているものほど、大変な激務で下をラクに仕事できるようにするのは当たり前のことなんです。 それがわかっていながらわからぬふりをする企業が多いとは思いますが、それを罰しているのが、富裕層への税金負担増としてかえってきているようにもみえます。 なぜ、上のものほど犠牲を払わないのでしょうか?

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  • oo14
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回答No.1

半沢直樹はドラマとはいえ、仕事をしているようにはみえません。 (倍返しが得意なようですが) 部下が優秀なんでしょうね。 それにつけても、東電のドラマは悲惨ですね。

cleanenergy
質問者

お礼

thankyou

その他の回答 (1)

  • ka28mi
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回答No.2

「上の者ほど激務で当たり前」とは思いません。 もっとも、よくあるブラック企業のように下のもには無茶をいい、上は遊び半分というのは論外ですが。 あと、上であれ下であれ、「犠牲心」で働くものではないと思っています。 自分が犠牲になるだけなら自由ですが、「犠牲心」とか「忠誠」とか言いだすと、どうしても他人に求め始めます。あるいは、自分が「犠牲」になっていると周囲に「感謝」を求め始めます。 これって、互いに不幸になっていくだけだと思うんですよね。 冷たい言い方ですが「犠牲心」でしようが「私利私欲」でしようが、結果を出せるかどうかには直接影響しませんし。 激務を当然と思わないのは、上の者ほど責任は重くなって当然だと思いますので、重い責任を負い大きな判断をくだすためには激務で余裕のない状況は望ましくないと思うからです。 下の間は単純作業で時間に追われて走り回り状態でもよかったけれど、上がるにつれて余裕を創る技術がないとリスクが高いなと思うようになりした。と言いつつも、なかなか余裕って創りにくいものですが。 すごく忙しいはずのトップクラスの人が、きちんと余裕をキープしていて部下の状況を見ているのには、素直に敬服してしまいます。 「上に行くほど犠牲を払わない」理由ですが、まず、質問者さまのお立場と何を見ていらっしゃるのかが分かりませんけれど、質問者さまには見えない所や違う観点で犠牲を払っている人もいると思います。 それを除けば、私のような「上に行けばいくほど余裕を持たなければいけない」という考えの人、上に行ったんだから楽できなければ損だという甘えた人、楽をするために上に行く努力をしたのだという人、このどれかが多いのではないでしょうか。

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