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感動や泣ける物語に何を求めるのか?
感動ものや、泣ける物語に皆さんは何を求めているのでしょうか? 映画や小説を勧められる時、「すごく泣けるからおすすめ!」と言われますが何故泣けるからいいのかよく分かりません。 皆さんは感動や、泣ける物語に何を求めているのでしょうか?
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子どもの頃は、泣ける映画や小説なんて、自らは求めていませんでしたよね。 泣きたいときは、いつでも泣けるし、「泣くな!」って怒られても泣いてたりします。 それが、だんだん大人になるに従って、泣きたくても我慢しなければいけなくなります。 大人は、人前ではなるべく、涙を見せないようにしなければいけない。 人前で涙をみせたら、「大人なのにみっともない」、「恥ずかしいから人前で泣くな」などと言われます。 葬式の時でさえ、泣けば、「故人が成仏できないから泣くな」なんて言われる有様です。葬儀で号泣してる人なんて見たことがありません。泣きたいと思っても、せいぜいすすり泣き程度です。 大人だって、たまには大手を振って泣きたいです。 にんげん、生きるためには、喜怒哀楽、どの感情も当然持っているはずです。でも、表現したいのに中々できないのは、「怒」と「哀」です。 ストレス社会と言われる現代の生活環境。 せめて、思い切り泣ける映画や小説で、「泣きたい時は泣いてもいい状況」に導きたいのではないかと思います。 あとは、大人になってから出来た様々な「心の垢」を取り除いて、純真無垢な心を取り戻したいという気持ちもありますね。 ちなみに、泣くことは、「カタルシス効果」があると言われてます。 以下、gooヘルスケアより。 ❖ カタルシス効果(cathartic effect) ❖ 心の内にあるさまざまな不安やイライラ、苦悩や怒り等の感情を言葉にして表現すると、その苦痛が解消され、安堵感や安定感を得ることができます。これを精神分析の用語では、カタルシス効果と呼び、「心の浄化作用」とも表現されます。
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現実逃避でしょうね。 体験したフリをしたいんです。 なぜ泣けないかっていうと、 「現実じゃない」ってことを自覚しているからでしょう。 逃避癖がつかないのでいいと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 逃避ですか、そうですね。 体験したふりをしてカタルシスを得る、というのに私はすこし抵抗を感じるので泣くことでの逃避癖がないのでしょうね。 けれど現実逃避なら泣けるタイプ以外の映画や小説でもできるはずです。 何故その中で泣ける物語を好む方々がいるのでしょうか? やはり泣く事による現実逃避の効果が大きいからでしょうか。
- toshipee
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ストレス物質を身体から出して、前向きな意志を持つ効果は科学的に証明されています。私もネタとして泣きものはよく使いますが、「泣けない」というヒトほど、不幸を悲劇のヒロインのように維持して生活のエネルギーとされているようで、「泣けばもうちょっと肩の力が抜けるのにな」と思いますが、おもしろいので「あ、そう」とそのままにしてます。「泣けた」というヒトは、結構幸せになり始めているヒトですね、客観的に見て。 共感できる資質というのは、どん底から幸せを知ったヒトとしか持ち得ません。いつも笑うヒトも泣き尽くしたヒトです。私から言わせてもらうと、「なぜあの程度で泣けるのかわからない」というヒトは、まだ泣き足らないからだと確信しています。ちゃんと底を見た人は、恐れずに泣けるのです。 そういう意味でも、笑える話には笑い、泣ける話には泣き、喜怒哀楽はきちんと出せる人間になることは、ひとつの悟りだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに泣ける人ほど幸せそうですね。 共感できるかどうかは別として何故泣きものを望むのでしょうか?
お礼
本当に分かりやすく説明してくれてありがとうございます。 やはりカタルシスのトリガーとして求めているのでしょうか。 私自身あまり強い人ではないのでカタルシスが必要なのでしょうけど、ほとんどの泣かせるために作られたストーリーを見ていると馬鹿らしく感じてあまり泣ける気になりません。上の回答者のように現実逃避だと思っているのかもしれませんね。 感動したいために感動モノを見て、実際泣ける人が少し羨ましいです。