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靖国神社の本質とは何だと思いますか。

靖国問題に興味を抱きつつも、あまりに問題が複雑で難しすぎます。 そこでまず、根本に戻って、靖国神社とはどんな性質を持っているのか、と言うことから知りたくなりました。 私は、靖国は先の戦争で亡くなった方を顕彰し、「戦死」という悲劇を「名誉」にすり替え、天皇の権威を高め、日本帝国主義、植民地主義の中心的、精神的支柱の役割を果たしたのではないかと思っています。 そういう国家の意図があって作られた、あるいは意図的にそのような性質に変えられたと思います。 しかし、そうは思っていても実際のところは確固たる自信があるわけではありません。 そこで、靖国神社の本質、体質について皆様がどのように考えていらっしゃるのか、お尋ねしたいです。 漠然としていてすみませんが、つまり、戦争に国民を駆り立てるために利用されたのか、それとも戦没者を本当に心から悲しんで追悼するために建てられたのか、、そのどちらでもないのか。。 政教分離の観点から、また、日本帝国主義の一端を担っていたという理由で、首相の参拝も私は反対です。 では、よろしくお願いいたします!

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  • hiro0079
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回答No.8

こんにちは 個人的には、質問者の方の認識に多少足りない部分があるように感じます。 まず靖国神社ですが、これは別に日中戦争や太平洋戦争に作ったものではありません。 そもそも設立が明治の初頭であることからも分かります。 靖国神社は元々、戊辰戦争以後近代日本国家の建設のために命を落とした人々を奉るためのものです。 そのため最も早く奉られた人の中には、おおよそ現代の問題からはかけ離れた感がありますが 高杉晋作や吉田松陰もいます。 逆に西南戦争で逆賊となってしまった維新の功労者、西郷隆盛は奉られていないという 極めて恣意的なものでもあります。 その後、日清、日露戦争の戦没者が奉られ始めた辺りから、 軍によっていいように使われ出した感はありますね。これは否定しません。 結局のところ、戦争美化の道具と言われる理由は後付けなものというのが私の認識です。 私としては戦後の普通の宗教法人になってからも戦争展示などを続けている神社の姿勢にこそ 問題があるように感じます。 当初の設立目的に立ち返り、あくまでも命令されて、もしくは志願して死地に赴いた 名も無き一般の国民を奉るものであるべきと思います。 それであれば首相が参拝することに対して、何に臆する必要があるのかと思います。 まあ、100歩譲って、神社でなくせば尚いいかなと思います。 また日本以上に帝国主義、植民地主義にひた走ったイギリスやフランス、アメリカは現代もでかい顔をしているのに 何故日本だけがこれほど引け目に感じるのかとも思います。 結局最後には負けたから、こう感じるように教育されてきたせいかとも思います。 戦争そのもののがいいか悪いかという評価と、とにかく戦前の日本は悪いという史観とは関係ないと思っています。

Ryu831
質問者

お礼

ご回答感謝いたします。 >日清、日露戦争の戦没者が奉られ始めた辺りから、軍によっていいように使われ出した そうですね。おっしゃるように、靖国建立時(東京招魂社)の目的と、それ以降ではその目的が戦争に利用されるようになって変わってしまったようです。 >神社の姿勢にこそ問題があるよう 私は神社を訪れたことがないので何とも言えませんが、しかし、少なくともこれらの展示はあの戦争を「正戦」だという認識があってのことだと思います。 >何故日本だけがこれほど引け目に感じるのか これは、hiro0079様おっしゃるように戦争に負けたからでしょう。 戦争に負けて、日本人自身があの戦争について総括できていない表れだと思います。中、韓にあーでもない、こーでもないと言われ、右往左往する姿は情けないの一言に尽きます。 また同様に韓国も、あの戦争で植民地支配を受けたが、自力開放できず、戦勝国にもなれないジレンマから日本同様におかしな歴史教育になっています。 ありがとうございました。

その他の回答 (7)

  • daidou
  • ベストアンサー率29% (491/1687)
回答No.7

国を守って戦死した人々を国の守護神として祀っている。 というのが本義であるはずです。 国を守って勇敢に戦い亡くなった英雄たちの霊に、これからも日本を守って欲しい。 という気持ちの現れでしょうね。 靖国神社には、明治維新時の「戊辰戦争」「西南戦争」に始まり、「日清戦争」「日露戦争」「第一次大戦」など、近代日本の経験したほとんど全ての戦争・内乱の戦死者が祀られています。 (つまりA級戦犯の合祀がどうの、というのは後々に発生した問題に過ぎません)

Ryu831
質問者

お礼

ご回答感謝いたします。 >国を守って戦死した人々を国の守護神として祀っている。 なるほど、、守護神と言う位置づけなんですね。 「死んだら神になれる」というプロパガンダを流し、兵士を死に追いやった側面はないのでしょうか。 >A級戦犯の合祀がどうの はい、これは戦後の話ですよね。 しかし、戦争で亡くなっていないのに「例外的」に祀られたのでしょうか。分祀に「例外はない」と言ったはずでしたが。。 ありがとうございました。

  • mizu-rin
  • ベストアンサー率21% (3/14)
回答No.6

靖国神社ってややこしいなあと思うことは多々あります。 でも、この問題が出てくるたびに映画「プライベート・ライアン」の冒頭のシーンを思い出します。 「私は、あなたに助けられる価値のある人間だったのだろうか・・・・」 年老いたライアン二等兵がミラー大尉の墓前でつぶやきます。 戦争を美化することは決してあってはならないと思います。 しかし、「私(日本人全部)が、あなた(戦争で止むにやまれず死んでいった皆さん)に助けられる(今日の日本で生かされている)価値のある人間だったのだろうか・・・・。」と自問し、現在の自分を振り返り、戦没者に感謝をささげることは決して悪いことでは無いと思います。 当時の戦没者は「靖国で会おう!」という悲しい号令のもと戦地へと旅立ったと聞きました。 例え、当時の国家的な画策の元にそうなったのだとしても、戦没者個人達の思いと靖国神社の成り立ちなどは切り離して考えるべきだと感じます。 当時の為政者は確かに国民の感情をデマゴークしたことはあったと思います。 それでもごっちゃごちゃになって「靖国=軍国主義の象徴」みたいな結論にだけは結びつけて欲しくは無いです。 私も皆さんもあの時の兵隊さんたちの犠牲の上に成り立って生かされているということは忘れないで下さい。 そして、心から「ありがとう」を言って、戦争が無くなるような時代が来るように努力したいと思います。 胸を張って「日本はこんなにすばらしい国になりました。」と靖国に参ることが出来る日本にしたいです。

Ryu831
質問者

お礼

ご回答感謝いたします。 >現在の自分を振り返り、戦没者に感謝をささげること もちろんです! 現代の平和ボケしたぬるま湯に漬かった生活を送っていますが、ふとそのように思うことがあります。 戦争に行った人だけではなく、空襲などでも多くの人が亡くなりました。 >戦没者個人達の思いと靖国神社の成り立ちなどは切り離して考えるべき 全く同感です。 ですから、亡くなった方にはご遺族はご遺族、我々は我々で心より追悼すれば良いのではないでしょうか。 当然、その思いを表す方法が靖国参拝であっても全く構いません。 しかしながら、私は事実として「靖国=軍国主義の象徴」であると考えます。「軍人を祀る」と言う一点だけでもそう思います。戦没者追悼施設なら民間人も靖国に祀るべきですがそうしませんよね。 >胸を張って「日本はこんなにすばらしい国になりました。」 なんとなく人々の心が荒廃化してきた印象はありませんか。 お参りするにも、何だかこんな日本になって、、と申し訳ない気持ちになっちゃいますよね。 ありがとうございました。

  • iserlone
  • ベストアンサー率18% (99/525)
回答No.5
参考URL:
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/434401023X/sr=1-2/qid=1161042514/ref=sr_1_2/503-6907270-7598349?ie=UTF8&s=books
Ryu831
質問者

お礼

ありがとうございます。この本も興味があったので近々読んでみます!

  • Forseti
  • ベストアンサー率19% (84/431)
回答No.4

あなたの認識は、まずA級戦犯ありき、まず特定アジアありき、まず朝日新聞ありき、まず帝国主義絶対悪ありきに思えます。 そんな浅はかな意見を持っているということを否定したいが政教分離なんて持ち出している。 政教分離の建前の元、国民の宗教観を無視して政治が出来ると思えない。 日本人の宗教観というものは、経典や聖書などがない無意識の産物。 日本ほど政教分離が難しい国はないと思いますよ。何を切れば宗教観と無縁でいられるか分からないのだから。 それに、帝国主義によって戦争が起こり、その戦火の中に散った命を祀ることがどうして首相参拝の反対の理由になるのか? 国家主導で行われない戦争などなく、その国家の責任者が参拝せずに誰が参拝するのか? 先ほども行ったように、A級戦犯がいる、帝国主義は悪だ、などという結論がありきの意見でしょ。 それに天皇の名において靖国の認識が変わることがあっても、靖国が国や天皇を変える事などありえない。 良くも悪くも墓ですらないところ。 靖国をこのような問題に取り上げることも、結果に都合のいい原因を捏造することと同義です。 某国に「嘘は100回つけば本当になる」という言葉がありますが、 ヨタ話を100回聞けば、その人の真実になるんですね。 知りたくなったら、まず自分で調べる。人に聴くのは後回し。それからはじめるべきですね。

Ryu831
質問者

お礼

ご回答感謝いたします。 浅はかゆえにいろんな意見を聞きたく「アンケート」として質問いたしました。 政教分離の難しい規定は分かりません。 しかし、国の指導者や内閣が、たくさんある神社のなかの一つの神社だけ特別扱いして参拝するのはなぜでしょうか。 >それに、帝国主義によって戦争が起こり、その戦火の中に散った命を祀ることがどうして首相参拝の反対の理由になるのか? なぜわざわざ「戦火の中に散った命」を国が祀るのですか。何のために?それが「義務」なんでしょうか。 それに、日本軍国主義の精神的支柱であったところに参拝するということは、それを肯定していると思うからです。戦火の中に散った命はまた別の問題であり、それはそのご遺族がすればいいことです。 >A級戦犯がいる、帝国主義は悪だ、などという結論がありきの意見でしょ。 そうですね、そのために靖国が「利用」されたのだと考えます。 その靖国が本来持っている体質が知りたいのです。単なる追悼施設なのか、そうじゃないのか。そうじゃなければ、靖国の存在意義がなんであるのか知りたいだけです。 ありがとうございました。

  • Antithese
  • ベストアンサー率33% (202/606)
回答No.3

 独立国家には、自国の戦死者を慰霊する義務と権利があります(ちなみに終戦後、靖国神社を取り壊そうという機運が高まったときに、時のローマ法皇が同じ事を言って反対したというエピソードがあります)。日本の場合、明確に国という概念ができあがったのは明治維新以降ですから、それに伴い国の為に死んでいった人たちのための慰霊施設が必要となり、作られたのが靖国神社(の前身)です。  靖国神社に行けば分かることですが、祀られているのは何も太平洋戦争で犠牲になった日本兵ばかりではありません。靖国神社自体が天皇の権威を高めるためだとか、日本帝国主義の象徴だとか、植民地主義の象徴だとかという考え方は完全に的はずれと言わざるを得ません。  今の日本の常識では戦争は悪いことですが、少なくとも太平洋戦争以前の常識では戦争は必ずしも悪ではなく、自国の権利を守るための手段の一つとして認められていました。とは言え、戦争をすれば死ぬこともあります。死地に赴く兵士にとって心のよりどころが必要であり、それが靖国だったというだけの話です。国がそのことを戦意高揚の為に利用したのは確かですが、それだけのことで靖国神社を国威高揚のための施設と断じることは出来ません(掃除をさぼって紙くずと箒で野球をしたとしても、箒は野球の道具であるとは誰も思いませんよね)。  ちなみに政教分離というのは国が特定の宗教団体の活動に干渉したり、逆に一宗教団体が国政に干渉したりしないようにという意味です。  ですから国の指導者が戦没者を慰霊することは(そこがどんな宗教の施設だったとしても)政教分離とは全く関係のない話です。そんなことで騒いでいたら、大統領の就任時や裁判の最初に聖書に誓いをたてている某国は政教分離が出来てないと言わざるを得なくなります。

Ryu831
質問者

お礼

ご回答感謝いたします。 >独立国家には、自国の戦死者を慰霊する義務と権利があります 本当ですか?? 権利なら分かりますが、そのような義務があるのは初耳です。 なぜでしょうか。。 >それに伴い国の為に死んでいった人たちのための慰霊施設が必要となり 戊辰戦争を機に作られたようですが、国のためと言っても、祀られているのは朝廷側だけですよね。同じ日本人でも国のために戦った片方がいないのは、そこにすでに何かしらの意図があり、純粋な追悼施設には思えませんが。。 >完全に的はずれと言わざるを得ません。 もちろん太平洋戦争以外の戦没者が祀られていることは知っています。 しかし、明治維新、西南戦争以外の戦死者は、日清戦争に始まり、大東亜戦争に至るまで、日本が一大植民地を作り上げてきた過程の戦争です。これが植民地主義の戦争と言わずして何というのでしょう。的外れだとは思えないのですが。。 >少なくとも太平洋戦争以前の常識では戦争は必ずしも悪ではなく、自国の権利を守るための手段の一つ 日本の戦争は、自国の権利を守るんじゃなくて、対外領土拡張戦争という認識がありますが、違いますでしょうか。 >心のよりどころが必要であり、それが靖国だったというだけの話です 「だけ」の話ですか。。? なぜ心のよりどころを靖国にしたのでしょうか。 どのように「心のよりどころ」とするような施設に作り上げたのでしょうか。戦意高揚を意図して「心のよりどころ」というものに仕上げたと思います。 靖国神社は、宗教法人法に基づく一宗教法人だと思いますが、そこに国の指導者が参拝し、そこだけ特別視するのは政教分離とは全く関係のない話でしょうか。 反論ばかりの印象ですみません。 意味が分からなかったり、納得できなかった部分であり、ご意見を否定するものでは決してありません。 どうもありがとうございました。

回答No.2

宗教的には、死者の崇りを回避するため。 実質的には、戦死者の遺族の感情の捌け口として。 つまり、戦争へ駆り立てるためではなく、戦争を維持するために必要なのだと考えます。 (葬儀や死者を悼む行為は遺族のためにある、という理屈です) >政教分離の観点から 日本国憲法を作り上げたアメリカが言うところの政教分離は、キリスト教内での宗派争いに政治を介在させないということです(キリスト教国やイスラム教国では、聖書やコーランを手に、または聖職者の承認の上で首相・大統領の就任宣言をするのはご存知ですよね?)

Ryu831
質問者

お礼

ご回答感謝します。 >宗教的には、死者の崇りを回避 神社にはそういう役割がありましたか!分かりました。 >戦死者の遺族の感情の捌け口として。 全く同感です。 つまり、遺族の悲しみを名誉に摩り替えるのですね。 アメリカが作った憲法ですが、政教分離は民主国家の基本だと思います。 ありがとうございました。

  • jinny6202
  • ベストアンサー率12% (80/663)
回答No.1

確かに、戦死=名誉には?と思ってしまう現代人ですが、戦死していった人は靖国神社を心のよりどころにしていたのなら彼ら自身のために守らなきゃかなという気持ちがあります。 まぁ正直、面倒くさいもの建てたなぁと思う最近です。50年以内には解決してると信じますが。

Ryu831
質問者

お礼

ご回答感謝します。 >靖国神社を心のよりどころにしていたのなら彼ら自身のために守らなきゃ そうですね。。 亡くなった方々の気持ちを踏みにじることはできません。 でも、きっと最後は、あるいは戦死を覚悟して戦場に向かった兵士は、靖国、天皇のことよりも家族や愛する人をよりどころにしたと思います。 ありがとうございました。

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