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精神障碍者の恋愛のおける「支え合い」ってどうなんだ
私も彼も、精神障碍者歴をもつ、当事者です。 ちなみに、私は摂食障害、彼は統合失調症です。 健常者であれ、障碍者であれ、「支え合う」というのはとても大事なことです。 私も人間関係は大事にする方ですし、違うものを持った者同士との接点は積極的に持ちたがる方です。 現状、私自身も彼も、それぞれが自分の持つ病について、 「他人に依存するのではなく、自分の中で折り合いをつける・病との付き合い方が消化する」 ということは、わかっているつもりです。 解決策を全面的に相手に求めることは、結局自分の中における解決にはつながりません。 かといって、まったくお互いの状況について、話さない、ということもありません。 ただ、ときに、障碍者同志というのは、当事者同士も、周囲の人も、誤解しがちなのが、 「支え合い」ではなく「傷の舐めあい」となってしまうことです。 私自身は「支え合い」「傷の舐めあい」の違いは身をもってわかっているつもりですが、 やはり、障碍者同志は「傷の舐めあい」になってしまうことが多いんでしょうか。 それとも、「人としての支え合い」と「傷の舐めあい」は、異質のものである、と考える方はいらっしゃいますか。
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- madamlucia
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白に少し黒を混ぜると灰色になり、灰色にもっと黒を混ぜれば白の存在が消えます。 もともとは白いものが黒くなってしまうこともあります。 そういう意味で、恋愛関係のスペクトラムの中に 支えあい←→依存(傷の舐めあい)があるのではないでしょうか。 真っ白も真っ黒も無く、濃淡なのだと思います。 それは障碍云々ではなく、恋愛関係のなからある人には等しくあるものだと思います。 依存しすぎれば相手は重く苦しくなり でも無感心でいられたら愛情を感じられない。 支え合いの関係と依存関係は同じ線の上にあると思います。 バランスの取れた関係であれば支えあうカップル、バランスが崩れれば依存しあう関係ではないかな…と思います。
お礼
丁寧なご回答、ありがとうございました。 どうしても、障碍者というフィルターにかけてしまうと、自分の考え方のも自信がなくなってきます。 さらに、個人的な人格を知らない人からは、私の自信のなさに拍車をかけかねないアドバイスもあります。 (もちろん、その方に悪意はないと思います。) いろいろと考えるに当たり、 「障碍云々ではなく、恋愛関係のある人には等しく存在する」 ということが、今まで培ってきた、本来の自分流の人間関係のとり方に立ち戻ろう、と思えました。 支え合いと依存関係、確かに、障碍云々ではないし、何事もバランスなんだ、という私自身の基本的な自論に、ふと立ち戻ることができました。 なにより、障碍者という言葉に、自分のもつ軸が振り回されかねないところだったので、本当にありがたいアドバイスをいただきました。 障碍者ということはあまり気にせず、お互いに「人」として純粋に、相手の人を受け止め、私も自分を出してみようと思います。 結果はわかりませんが、なにか納得できる自分ができそうです。