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精神病歴を持つ者同士の恋愛について
私は摂食障害、彼は統合失調症です。 今後は友達じゃなくて、付き合うことについて、「考えておいて」と先日言われました。 正直、迷っています。 ただ、前向きに考えてみてもいいのかも、とも今回は考えています。 以下の状況をお読みいただいて、みなさん、どう思われますか?? 大事なのは、付き合うにしても、病にかかわることについて、他人依存にならないこと、と思うのです。 思うのは、抱えている病について、 「まあ、さんざんいろいろあったけどさ、なんかそれでもいっか、この際、一生よろしくねぇ~"」 と、自分の中で消化ができていれば、付き合ってみてもいいのかも、むしろ、付き合ってからわかることもあっていいのかも、とも思うのです。 それが、自分も、彼も、それぞれが自分の中で自分のことについて折り合いがつくようになっていれば、最初から付き合うことを怖がって、あえてこの話を断らなくてもいいのかも、とも思うのです。 精神的な病は人それぞれです。 だから、恋愛は、時として成立することも、予後破綻することも、いろいろあると思います。 私自身、以前にも、いわゆる健常者、から「友達じゃなくて今度はちゃんと付き合わないか」という話になったこともありました。 そのころは、彼も私が精神的に病んでいることを知っていたし、以前の健康だったころの私もみていて、それでもずっとかれこれ10年友達としていろんな話をしてきました。 ただ、私が自分の病気についてまだ消化できていなくて、どうしていいのやら、もてあましている状態でした。 自分のことが怖いやら、嫌いやら、何をしでかすか、、、で、結局、このまま友達のままで、と断ったことがあります。 その点、自分の中で紆余曲折を経て、受け止められるようになってきている点が、今回のケースではちがうとは思っています。 同じことは彼そのものにも言えて、彼自身も、自分の病について自分なりに消化している部分があると思います。 まあ、その変化は以前の彼と比較すれば、そうなってきてるね、と私個人の見解ですけど。 あと、たぶん統合失調症でも、たぶん彼は妄想型で、表面的には他人からはそんなにわからない感じ。 そして私も他人からは全然わからない感じ。入院中だったときですら、なんで入院してるの?、と聞かれるくらいで・・・(笑) あともう一つ。 彼のほうが7年くらい年下です。 お互い、もう若い20代の勢いのある年齢ではないので、ずいぶん、自分の世界観が構築できているものの、こんな私と付き合うより、健康な若い女性と付き合った方がいいんじゃないのか、と余計な心配もしていることも付け加えておきます。
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- lovechan8888
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病気かそうでないかは大きな問題ではありますが、病気でなくても、人には必ず欠点があります。 彼の病気も、その一つだと思ってはいかがですか? 私は過去に摂食障害だったことがあります。でもその彼氏が支えてくれました。(もちろん親や友達も) 今まで付き合って来た人は見た目とか、そういうのが重視だった、ように思われるのですが、その彼はわたしが太ってたときも激ヤセしたときも変わらず好きでいてくれました。これって、けっこう心の支えになってたな、といつもおもいます。 摂食障害なら、ありますよね?自分で自分をどうしたらいいのだろう、とか、吐かなきゃとか、太るとか、そういう自分自身との戦いの中で日々を過ごされていることとおもいます。 そんな質問者様を支えてくれて、そして、あなたも彼を支えていく立場になる。 お互い助け合うことでお互いが快方に向かうのではないでしょうか。
お礼
さっそくのご回答、ありがとうございます。 なにより参考になったのは、「病気も結局その人そのものの一部だ」という考え方です。 きれいごとでもなんでもなく、純粋に常々私はこの言葉に日々、共感しています。 そうですね、見た目とかの割合は、ずいぶん減りました。 私自身が安心できる人って、男女限らず、自分の話が聞いてくれた感を感じられるある種の器の大きさを感じた人です。 まあ、それが男性だったらそれを男友達とか彼氏、というんでしょう。 今回は、そういう、会話を互いに刺激し合う友達から、もうちょっと立ち入って、付き合う、という事態に混乱しているわけです。 私自身の状況は、エネルギーの量と質は歳とともに変化しているように感じます。 そもそも、行動しないで後悔するより、面白そうなことだったら即行動で、失敗して多少辛かったとしても、その経過から得たことに、満足するタイプです。 以前の自分に問題だったのは、自分の軸がばらばらだったことかと思ってます。 なぜか、聞き役・相談が多く、老若男女・上司部下・後輩先輩、ひいては近所のおばちゃんたちからいろんな話をしに来てくれました。 ただ、それが相談という形になると、なにしろ自分の軸がぶれているので、聞いた相談内容に振り回されて、苦しくなっていました。 それは、今までストレスのようなものの原因だったのでは、と思います。 その点、今は、振り回されない自分がどうやらあるんだな、いや、できてきたんだと思います。 それらを踏まえ、彼とは、友達とは違う視点で、付き合う、という形をとってみることで、私の中でも新たな人の在り方が見えるんじゃないか、という勇気すら、いただいたような気がします。 最後に、もう一度お礼が言いたいです。 「病気も結局その人そのものの一部だ」という考え方です。 そのことを軸に、また考えてみようと思います。 ありがとうございました。
補足
もう一つ、もしお考えがあれば聞きたいのが、 「支え合う」という点です。 健常者であれ、障碍者であれ、「支え合う」というのはとても大事なことです。 私も人間関係は大事にする方ですし、違うものを持った者同士との接点は積極的に持ちたがる方です。 ただ、ときに、障碍者同志というのは、当事者同士も、周囲の人も、誤解しがちなのが、 「支え合い」ではなく「傷の舐めあい」となってしまうことです。 私自身は「支え合い」「傷の舐めあい」の違いは身をもってわかっているつもりですが、 やはり、障碍者同志は「傷の舐めあい」になってしまうことが多いんでしょうか。