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こんばんは アンビバレントが、自分が考えているのと違うかもしれないですので、イラストの感想を書きたいと思います。 イラストが明るくてとっても綺麗です。 明るいイラストは大好きです。 今まででのイラストで、トップクラスの傑作の作品だと思います。 グリーン系とホワイト系の色がすぐに目に入ります。 グリーンの色は見ていてすごく癒されます。 右の家がライムグリーンの屋根で、左の方がアイボリーの色の屋根で違いますし、窓が開いている、開いていないで、窓の伸びた植物は綺麗です。 赤の逆三角で家につながっているのも、アクセントになっていてすごく良いと思います。 ただ、自分が一番好きなところは花壇です。 右に黄色と赤の花、左に白とピンクか紫系の色の花でしょうか。 花壇に明るいライムグリーンの芝生は素晴らしいと思います。 とっても素敵で癒されるイラストでした。 >恐らく、言いたいことが言い切れないもどかしさがおありだと思います さすが博識のalterdさまです。見抜かれてしまいました。 数行は問題ないのですが、個人的なメッセージが万が一の可能性もありましたので書けませんでした。大変申しわけありません。 また感想書きます。 alterdさま どうぞご自愛ください。
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- hazar
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こんにちは alterd1953 様 … 例に よって 間違えている 記述や、 お伺い いたしたく 思って いて 忘れてしまった ことが、 幾つか あり … まず サセッタ の 『聖アントニウス と 聖パウロ の 邂逅』 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7a/Sassetta_-_The_Meeting_of_St._Anthony_and_St._Paul_-_WGA20868.jpg に ついて ですが、 これは 聖 アントニウス 伝 の 連作の 一枚の よう です ので、 上に 小さく 旅している 二人は どちらも 聖 アントニウス でした … 右 中央 上の 森の 端で 白い 怪しい 人影に 道を 尋ねて いますが、 下の 解説に ある ように、 この 相手は、ケンタウロス で 下 半身が 馬の、 ギリシャ 神話の 半神で、 射手 座の … http://art.pro.tok2.com/G/Grunewald/PaulAntony.htm ケンタウロス や サテュロス は 半人 半獣 の 神話の 森の 住人 ですが、 源には 古来 征服された 先住民や 貧しく 捨て置かれた 病や 奇形の 人 として 差別されていた 人々も 含まれていた らしく … 異教の 出自の 彼らと 対等に 話し、 その 意見に 耳を 傾ける 聖人の 人間 性も 偲ばれ … … グリューネヴァルト の 作は、 やや おどろおどろしい ですが … 大好きな イーゼンハイム 祭壇画 の うちの 一枚で、 聖 アントニウス の 火 という 麦角菌に よる 恐ろしい 病 等 に 斃れていく 人々を 看護した 聖 アントニウス 会 修道院 の 施療院に あった もの … この 二 聖人は 医術に 長け 病を 治す 奇蹟を 数多の 人々に 行い、 陰暦に よる もの とはいえ たいへんな 長寿を 全う されました … 今は 美術館に なって いて、 全部 外され ばらばらに 開いた 状態で 展示されて いますが、 http://art.pro.tok2.com/G/Grunewald/Resurrection.htm この 翼など は 想像を 絶する 光輝と 浮遊感を 放っていて … これは 1511-1515 頃 の 作とされて おり … 1445 頃 の Master of the Osservanza (Sano di Pietro) 作 の http://en.wikipedia.org/wiki/File:Master_of_the_Osservanza_-_The_Resurrection_-_WGA14606.jpg 1458-1459 頃 の ピエロ・デラ・フランチェスカ 作 の http://it.wikipedia.org/wiki/File:Resurrection.JPG と 併せ 見ると、 闇と 光と 復活を どの ように 表現 しよう と された か、 それぞれの 画家の 意図が 伝わって 来る と 共に … 何と なく グリューネヴァルト と ピエロ は、 それぞれ サーノ・ディ・ピエトロ の 作を 知って いて、 それを 自身の 表現の 基礎 というか 参考に している ような 気が しますが、 グリューネヴァルト は ピエロ に ついては 知らなかった の かも しれず、 両者の 違い と それぞれの 良さが くっきり した ように 思われました … … さて 肝心の サセッタ の 作 ですが … 画面 手前の 二 聖人の 衣襞が 手前に 緩やかに 膨らんで 見える ように 描かれて いて、 背後の 洞窟 の 入口に 合う ように 描かれて います … つまり 二人が 洞窟の 入口 の 扉 というか 門を 形作る ように 成されていて … 更に 二人の 間 というか 聖 アントニウス の 赤み がかった 袈裟 と 聖 パウロ の 黄み がかった 衣の 間に、 聖 アントニウス の 濃紺の 衣が 覗いて いて、 これが 洞窟の 闇に 連って ゆき … 二人の 形作る 扉 というか 門は、 洞窟へと 開かれて いる ことが 解り … 二人を 通じて 洞窟の 奥へと、 聖 パウロ から 続く 耀く 光の 道が、 聖 アントニウス から 続く 深い 闇に 伴われ つつ 登って ゆく、 死を 通過した 先の 彼岸 である 何処へ か の 入口と なって いる … 二人の 交錯する 足の 周りには、 互いに 手を 差し 伸べた 瞬間に 手を 離れた 杖が、 平行に 横たわって います … 二人の 邂逅を、 タオの ように と いった のは、 太極の の 誤りでしたが、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%A5%B5 図らずも 「道生一 一生二 二生三 三生萬物」 道は 一を 生じ、 一は 二を 生じ、 二は 三を 生じ、 三は 万物を 生ず、 という ことを、 サセッタ も … そして alterd1953 様 も … 表されて も いる ことに 気づいて 愕然と し … サセッタ の 二人で 一つの 聖人の、 黄と 赤が、 濃紺の 闇を 包んでいる のは、 それが 無暗と 広がる の では なく、 人間の 歩む 道の 上に、 光を 受け かつ 歩む 重み として、 影 として 伴われる ように コントロール して いる … 此処では 恐らく アントニウス が 耐え 忍んで きた 並 外れた 艱難 辛苦 から その 濃紺の 闇を 借りて、 死に 代表される 病や 災害と いった 苦難を 表し、 また、 パウロの 白金の 如き 黄を 借りて、 光に 代表される 正義や 真実 と いった 幸いを 表し、 さらに アントニウスが 自らが 引き 受けた 濃紺の 闇の 上に、 時に 羽織り、 時に 荷として 負うている、 赤 … は、 おそらく 人間の 血や 肉、 生きる 為の 業 という か 人間 らしさ の ような もの … を 表している ように 思われ … これは 木の 幹にも 賦されて いて、 その 為 木々は 深い 緑の 闇を、 光を 受ける 為にも … 生じている … つまり alterd1953 様 が 背景の 木立に 為されている のと 全く 同様 なの では ないか と 思われ … つまり alterd1953 様 も サセッタ と 同様 ニ から 三を 生じ させよう と されて いる … 三と なって 万物を 生ずる 為に … サセッタ は 淡い 赤 と 淡い 黄 で、 濃紺 を 包んで それを 成し 遂げよう と されました が、 alterd1953 様 は、 樹木 の とは 違う けれども 大地 にも (… 草 として …) 賦され … それゆえ 樹木の 葉叢 との 差が やや 和らげ られ、 窓辺の 鉢から それぞれ 下がる 葉で 更に 少し 近づけられて も いる … 明るく 若々しい 可能性を 秘めた 緑 と、 サセッタ の に 近い、 淡い 黄 を、 くっきりと した 赤で、 しかも 逆 三角形 で、 繋いで いる … サセッタ の 洞窟 の 形、 上は 丸みを 帯び、 下は 暈されている … 三角形 と かなり 反対 です … 位置も です が … 更に、 サセッタ は 二 聖人の 真ん中の 濃紺が 後ろ (の 洞窟の 三角形) へ 完全に 抜けて 仕舞わない ように アントニウス の 髭や 数珠 や 腹 側の 赤い 布を 描き 込んで、 更に 釣合いを 取ろうと 見えて いる パウロ の 頭から 髪を 幾房か 背に 垂らしたり して いますが、 特に 髭は パウロの 左腕の 下に なっている ので 翼か ネイティヴ アメリカン (… 未だ 知る はずも ない …) みたい に なって いる のに 対して … alterd1953 様 の ほうは 窓を 開けたり 閉めたり、 鉢から 下がる … 髭や 数珠 みたいな … 葉の 色合いや 垂れ かたを ちょっと ずつ 変えたり … 道の ほう には 白を 賦され、 その 白を 双方の 戸口 側の 面に 賦されたり されている … 戸口には 少しの 段差が あって … サセッタ の ほう には 洞窟の 周りに ギザギザ が … 入口 (出口) は 開け 放たれ て いて (扉は 影も 形も ない)… サセッタ と 同じ … 左の 窓は 反射して ます が … 右の 窓の 部屋の 中には ピアノが ありますか … ? … 他にも、 戸口の 中の 陰の 色 と サセッタ の 洞窟 右脇の 陰の 色、 右の 人物と 建物の 一方の 色と サセッタ の パウロ と 洞窟や 岩山の 地面の 色、 中景を 覆う 樹木の 幹の 連なり と 樹冠の 葉叢の 丹念な 塊の 連なり 等、 心を 砕かれる 処が サセッタ と かなり 呼応している ようで、 とても 興味 深く … これは もう 左の 人 が アントニウス で 右の 人が パウロ なんだ な と … 自分の 中の タイトルは、 『アントニウス と パウロ の 邂逅』 に なって しまい … 更に サン・テグジュペリ の、 引出しの 中の 羊 … では ありませんが、… 家の 中に 居る ほうの 二人 (…) は、 もう ちゃんと 出逢って いて、 風見が 持って 来て くれた パンを 肴に お茶 して いる んだ な と …
お礼
どうもです(笑) >『聖アントニウス と 聖パウロ の 邂逅』 確かに私のイラストと似た雰囲気がありますね。 ただ、私は、最初にいくつかのモチーフはあるものの いざ描き出すと、あまり分析的には描かず イメージ優先で描き上げますので、細かい所の類似は偶然です。 ひとつ、モチーフを種明かししますと カポーティが「冷血」を書いた時の言葉で 殺人犯と自分の家庭環境の類似を踏まえた上で 「我々は、同じ家で育ち、一人は表から出て、一人は裏から出たのだ」 から来ています。 ですので、あの二つつながった家は「ブラック・ボックス」と言えるかもしれません。 人間性における究極の対立は「善と悪」なんでしょうが 他にも様々な乗り越え難い相克が存在するように思います。 ニーチェやヴィトゲンシュタインは生涯、それらを乗り越えようとしたのだと思います。 ニーチェは「絶対的な価値など無い」と言いましたし ヴィトゲンシュタインは「哲学の役目は論理を明澄にすることだ」と言い ドゥルーズは「哲学の仕事は新しい概念を作り出すことだ」と言いました。 私は、明澄な論理による新しい価値や概念を強く求めています。 そして、偏狭な思想を持つ人が 自分の都合の良い資料を山のように集めて 反対者の意見は、さして根拠に乏しい反論で一蹴し軽蔑する態度とは 対極でありたいと願っています。 いずれにせよ「太極図」を私のイラストに見られたのは 正に、hazarさんの炯眼だと思います。 ではまた(笑)
- adele24
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こんばんわ。 自分の回答6.を読み返し、なんだか考え過ぎてとても感じの悪い回答してました(-_-;) また、誤解を招くような書き方もしていましたので、少し追加回答させてください、。 (この絵を見て「アンビバレント」という言葉が浮かばない)と言うのは、私、 「アンビバレント」という言葉に、’対立からくる緊張’のような、マイナスのイメージを 持っていたので、この絵に、そういうマイナスな要素は感じないと思ったのです。 最初にパッと観て、明るい色調と全体の構図が、とてもステキで好きな絵だったので、 (alterd1953さんが、目指すものなのでしょうか。)というのは、 >世界の相反する物事を乗り越えたいという強い願望…<というお礼文を拝見し、 この絵に表われてる心地よさは、その乗り越えた先のものなのかなあ、と思いました。 私、音楽やアートは、感覚で’感じる’もので、’考える’という習慣がなく、 音楽はメッセージ性の強いものは苦手で、絵はますます素人なので、殆ど好き嫌いだけで、 意味を汲み取るのはやはり苦手な作業でした。 そもそも、「アンビバレント」の解釈が間違ってるかもしれません(-_-;) いずれにしろ、上手く表現できず失礼な文章、本当にすみませんでしたm(__)m
お礼
いえいえ。 お気になさらないでください(笑) 実際「アンビバレント」はあまり良い意味の言葉ではないと思います。 ここで敢えて種明かしをしてしまうと 最初は「ニコイチ住宅」というコミカルなタイトルにしようと思ってました。 それが、文字を確認しようとググってみたら なんと「被差別部落」の住宅を表わす名前として出て来るじゃありませんか。 私は、人を出自で差別することに絶対反対ですし 実際、私の友人にも被差別部落出身の者がいるぐらいですが 敢えて、ネガティブなイメージのあるタイトルを避けた訳です。 別に、そこまで気にすることは無かったかも知れませんがね(笑) いずれにせよ「相反する考えを具象で表わす」という意味では やや、こなれないにしても「アンビバレント住宅」でも良いかなと 急ごしらえのタイトルにしました。 まぁ、ことほど左様に「言葉」というものは扱いが難しいものだと 改めて思います。 ではまた(笑)
- adele24
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こんばんわ。 このイラストをパッと観た時の私の印象は、明るい色調のポップアート、 家も庭も花壇もシンメトリーで、西洋的、心地よく乾いた空気感、、でした。 左右の家の屋根と壁の色が、正反対に使われているのが、幾何学的で面白く、 シンプルで、マットな色と質感が、無機質な印象を与えているようです。 何か比喩的であることは感じますが、タイトルを見なければ、多分、私は、 「アンビバレント」という言葉は浮かびません、。 真ん中の赤い三角屋根が、この絵を引き締め、この絵に体温(温もり)を与えています。 むしろ、明るく、均衡がとれている、バランスよく、調和的、という印象は、 alterd1953さんが、目指すものなのでしょうか、。
お礼
そうですね。 あまり「予定調和」は信じてないんですが 目指してはいるでしょうね。 「矛盾を乗り越えた調和」でしょうか。 ご回答ありがとうございました。
- hazar
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こんにちは alterd1953 様 伊勢 神宮の 遷宮 とか を 思い 浮かべて 居りました … 十年 毎の 伊勢 神宮 と 六十年 毎の 出雲 大社が 今年は 重なる ことも あり … それで 十七年 蝉 の こと とか も … 建物の 奥に 鬱蒼と 繁り立つ 樹冠の 下の 幹の 連なりを 塀 の ように 思ってしまい、 伏見 稲荷 大社 様 や 根津 神社 様 等 で 赤い 鳥居が 幾重にも 連なって 朱く 透き 通った トンネルを 作り 出す 様子を 思い 浮かべたり … http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B7%E5%AE%AE http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:KyotoFushimiInariLarge.jpg http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E5%A4%A7%E7%A4%BE … 古今 東西の 画巻や、 時禱書 等 の 挿絵、 祭壇画 下部の 横に 長い プレデッラ 等 に 描かれた 一続きの ように 見えて いて 四季を 廻らせても いる 風景の、 其処 此処に 旅人として 描かれた 人物が 同じ 一人の 登場 人物だったり する、 異時 同図 という 手法が 見られますが、 此処では 人物は 互いに 視線を 交わして おり、 それでも 尚 (且つ) 過去や 未来の 自身の 姿に 思いを 馳せている ようにも 思われます … 何かが 想い出される よう でした ので、 待って 居りました 処、 数学者 であり 思いも よらぬ 目眩く 幻想の 持ち主でも あった ウッチェロ の 『聖餅伝説』 等 を 経て、 もう ずっと 見ていなかった サセッタ に 辿り着きました … 構図、色彩とも よく 似て 居られますね … 同じ 感性を もつ、 同じ 何かを 求めている という … 特に、聖 パウロ と 聖 アントニウス の 邂逅 は、 遠くに 見えている 二人が 手前で しっかりと 抱擁し 合い、 独りに なっている よう でも あり … タオの ように … 背後には 不思議な 光と 影の 鬩ぎ 合う 洞窟も … http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%BF http://en.wikipedia.org/wiki/Stefano_di_Giovanni http://en.wikipedia.org/wiki/File:Sassetta_-_The_Meeting_of_St._Anthony_and_St._Paul_-_WGA20868.jpg http://en.wikipedia.org/wiki/File:Sassetta_001.jpg もう 一人、 この かたも よく わかっては いない よう なのですが、 似た 感じの かた だな と 思っており、 特に 暗い 中での 細部の 表現が alterd1953 様 に とても 近い ような 気が します … http://en.wikipedia.org/wiki/Master_of_the_Osservanza_Triptych http://en.wikipedia.org/wiki/File:%27Saint_Anthony_Abbot_Tempted_by_a_Heap_of_Gold,_,Tempera_on_panel_painting_by_the_Master_of_the_Osservanza_Triptych,_ca._1435,_Metropolitan_Museum_of_Art_.jpg http://en.wikipedia.org/wiki/File:Master_of_the_Osservanza_-_The_Resurrection_-_WGA14606.jpg http://it.wikipedia.org/wiki/File:Maestro_dell%27osservanza,_sant%27antonio_abbandona_il_suo_monastero.jpg … あと 風見を 見ていて、 レンカクを 想い出し … 大好きな Yoshi World 様 ので 初めて 見せていただいた の ですが … 北斎の 天井画の 白い 鳳凰だったか の ようでも あり … 夏羽と 冬羽での 逆に 目立つような 異なる 色彩に アンビバレントな ものを 秘めても 居る の かな と … http://pub.ne.jp/Yoshi_beautiful/?cat_id=149736 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%AF
お礼
どうもです(笑) 私、どうにもこうにも「宗教」と名のつくものが苦手で 知識がほとんど無いんですが 仰る通り、私のセンスに似たものがありますね。 但し、「哲学」なんかにも言えることだと思いますが まだ「科学」なんて言葉が無い頃には、世界の根源を知ろうとする行為は 全て「哲学」と呼んでたんでしょうね。 その点「宗教」も内省的なアプローチの一つだったのかなとも思います。 前にも言ったと思いますが「傲慢」な人間より「敬虔」な人間の方が好ましいことは私に取って厳然たる事実です。 残念ながら「ソドムとゴモラ」の昔から現代まで「傲慢な人間」で溢れかえってますけどね(笑) 「レンカク」は私も観たい鳥の一つではありますが 「ケリ」なんてのも割りに身近に観られる内ではなかなか派手なやつですよ。 ではまた(笑)
- chikusuke
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「ポピュラス」ですか?(違うかも) 懐かしい~。
お礼
「ポピュラス」って知りませんでしたが 確かにゲーム・ソフトっぽい雰囲気はありますね(笑) ご回答ありがとうございました。
alterdさんこんばんわ。 印象を語ります。 今回も、またシュールレアリスムの色濃い作品です。 色調はマグリッドから一気にポールデルボーの寓話的世界をおもわせる 明るいものです。かといってエッシャーのだまし絵的嗜好は一切なく あくまで絵画の構成要素の中に小さく埋め込まれた記号が何かを語りかけて いるだけです。 アンビバレント住宅とは、文字通り相反する意見を持つ住宅。相反する 住宅ということで、右と左の家では全く相反する行為が行われているようです。 右側の家の窓は開けはなたれ部屋の中が見える。左の家の窓は閉ざされています。 右の家の家人が帰宅し左の家の家人は出かけていこうとしています。このふたつの住宅が一つの角で接して赤い屋根を持ってひとつにつながったかのように見えます。屋根の上には風見鶏。今は左側の家の方を向いています。これはおそらく偶然であり、そしてここだけが左右相称ではない点に注目すべきです。 この絵は、実は人間の脳、右脳と左脳を表現したものではないでしょうか。それぞれの家の上方に 広がる緑の森はまるで脳の形そのものではないでしょうか。 そして画面中央のコリントゲームの盤のようなもの、これが右脳、左脳、間脳など脳を図式化したものなのかもしれません。家の背後にある赤い塀のようなものは血流そのものでしょう。風見鶏の屋根も血液を表しているにちがいありません。 相反する住宅という言葉から、普通なら家庭不和とか受け入れられない愛情というような事柄が浮かびがちですが、この絵画の中に私的感情はまるで伺うことができずただただ明るい画面の中にあるのは、相反する二つの世界が静かに存在することを告げているだけです。作者が私たちに求めるのは解釈ではなくその空気を味わうことなのかもしれません。 今回も大変おもしろかったです。 次回ももっとシュールリアリスティックな作品をお待ちいたします。
お礼
どうもです(笑) exhibitionistさん、絵もお詳しいんですね。 確かに、ポールデルボーの色調に似ていますね。 そして、私は、奇を衒い過ぎて、かつ理屈っぽい「だまし絵」をあまり好みません。 後、「右脳と左脳」のご指摘は、なるほどと思いました。 私も「地図を読めない女と話を聞かない男」を興味深く読んだくちです。 あれは確か脳梁が女性の方が男性より太いので同時に別のことが出来ると書いてあったように思います。 すると、あの赤い屋根は脳梁でしょうか。 それと、仰るように、明るい色調にしたのは 世界の相反する物事を乗り越えたいという強い願望から来ています。 >次回ももっとシュールリアリスティックな作品をお待ちいたします。 実は、マグリットへのオマージュなんですが ピラミッドが砂上に浮いているというアイディアを得ましたので 資料を探していると、先に描かれていましたのでポシャりました。 残念ながら、次はいつになるか分かりません(笑) ご回答ありがとうございました。
- Nannette
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まさに Ambivalent な意味を感じさせるレイアウトです。あまりにもシンメトリーが強調されて いますので、それが逆に非現実的な雰囲気を見る者に与える気がします。そのために、あ のエッシャーの絵をふと思い出してしまいます。ですが、この絵にはエッシャーの絵のような 非現実さはなく、騙しの要素も見つかりません。 となると、こうしたシンメトリカルな構図をあえて選んだご当人の、ものにこだわらない自由な 発想と、それを絵として完成させる大胆さに敬服の念を禁じ得ません。 シンメトリーがあえて意識的に強調された絵でありながら、屋根の塗色を、雲の様を、そして 山の姿をと、微妙に左右で変化を持たせてある、そうした繊細な心遣いも、幾何学的な無機質 さに柔らかい雰囲気が加わって心地が良い気がします。 しかしなんといっても印象に残るのは絵の中央、左右二棟の接合部の部分の三角の赤い屋根。 これがあることで、なぜか心が落ち着きます。
お礼
さすがNannetteさん、鋭い所を突かれますね。 真ん中の屋根の赤をわざと強調して統一感をもたらそうとしました。 そして、赤は、私の子供の頃から未だ続く強い情熱を表わしています。 また「アンビバレント」と言うと、普通、「愛憎」等が浮かぶかと思いますが 私の場合はそうではありません。 物事を解釈する時の「二元論」を何とか越えたいと言う気持ちを表しています。 そして、シンメトリーの退屈さを崩す為に窓を閉めたり開けたり 人物の姿勢を微妙に変えたり、たまたまですが林の幹の長さが違うのを そのままにしています。 ご回答ありがとうございました。
お礼
どうもです(笑) アンビバレントは「両価性」なんて小難しい言葉で訳されますが 普通は「愛憎半ばする」なんてのが分かり易いでしょうか。 但し、私は、「嫌悪感」は強く持つことはありますが 「憎悪」はあまりありません。 憎んでもエネルギーの無駄ですからね。 単に拒絶するだけです。 それよりも、私は、社会無くしては1日も生きてはゆけませんし 社会を真面目に支えている方々には 心からの感謝と敬意を表しますが 究極の考え方や芸術的センスにおいて、あまりにも多くの人々と相違があるように思います。 また、哲学的にも「観念論」と「唯物論」のような 古くからある対立がありますので それらの相克を何とか越えられないものかというのが長年のテーマなんです。 ただ、それらをそのまま描くとえらくしんどくなりそうですので 出来る限り明るく描こうと努めました。 それはそうと、次のアイディアがポシャってしまいましたので 次はいつになるか分かりません。 ではまた(笑)