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国外で自国民全体を指して「私達」と言う人について
- 国外で自国民全体を指して「私達」と言う人がいるが、一人の立場であるにも関わらず違和感を覚える。
- 言語の慣習やニュアンスの違いも考慮しなければならないが、一般的には個人でありながら自国民全体を指すことに不快感を覚える。
- 公の立場では自国民を「我々」と呼んでも問題ないが、プライベートな場では適切でないと考える。
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例えばインドネシアで現地式のトイレに遭遇、トイレットペーパーがなくて水のホースが引いてあり、それも冷たい水が出るだけ。和式トイレ同様しゃがむスタイルで、足場も綺麗とは言えない。手で拭いて洗うんだよと説明が。 これを見た時には「私たちには無理!」と複数形で叫んでしまいます。 自分と自国民を一緒にしたつもりなのではないのですが、このトイレを毎日使う人たちとは大きく離れた立場に自分が立っているという時につい使ってしまう表現です。 自分の気持ちがどこに立っているかで私たちになったり、彼らになったり変化しますね。
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- zzz0243zzz
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ウ~ン。 ご不審を感じていらっしゃる、この一人称単数形と複数形の混用には、いくつかの要素がからんでいる気がします。 A)単数形の謙譲用法としての複数形の使用 これは日本語だけでなく、わたしの知っているいくつかの外国語でも、程度の差こそあれ同じような使い方が行なわれています。つまり、単数形にするとあまりにも自分個人を押し出す気がするので、自分だけでないというニュアンスをこめるのでしょうが、複数形にするのです。 日本語では、「わたしら」とか「わたしども」という言い方が普通でしょうが、それが話者次第で「わたしたち」になる可能性はあるでしょう。 ただし、あなたの示された例にフィットする確率は小さいような気がします。 B)あとは、話者の心理傾向に関するものになります。 示されている例では、外国人が異文化の不特定多数の日本人を前にして、自分の個人的な意見や考えを自分の文化では一般的なものという理解のもとに、自分だけでなく自分たち複数の者がこう見ている/考えているという表明をするケースですよね。 -1. この種のひとたちの多くは、自分が典型的な自文化の落とし子だというプライド(裏返すと先入観)を持っており、自分が自文化の代表選手という強い意識を抱いている。よくある良識派の先鋒などと言われるひとたちかもしれませんね。 -2. あるいは、自分の属す文化共同体への帰属意識が高く、共同体という集団が持つ価値観と自己が常に一体化されており、自己のアイデンティティが外から満たされることで安心するひと。だから自分の考えや感覚は自分の共同体のものだという意識が生じるのでしょう。 -3. もうひとつ感じられるのは、文化間の対立です。ある国に住んでいる外国人は、いくらその土着の言語や文化を知悉し深く習得しようとも、自分の幼児期から植え付けられてきた自文化の価値観をそう簡単に捨て去ることはできません。もちろん妥協は必然であり、自文化では「これが正解」というものを土着のひとびとがすべて「ノー」だと言えば、その状況を受け入れざるを得ないわけです。「あんたたちは間違っている」という思いを腹の中で転がしながら。 そういう文化の対立は必ず存在するものだし、そうなると文化というのは社会という共同体の持ち物なので、一個人の領域を大きく超えたものになりますから、そういう背景の中で、ある文化のひとたちが自分の文化では・・・ということを語る場合、主語を一人称複数形にしたくなる気持ちが湧くかもしれませんよ。 あなたはきっと上の-2.の反対の精神傾向を持つ方ではないかと思います。間違っていたら、ご容赦を。 だから、仕事などの公的な立場であっても、政治や外交のような場でないかぎり、国民や文化共同体の一構成員であるということを理由にして自分を包含する集団の中に自分という個人を埋没させる必要はないでしょう。自分は自分、自分の周りにいる集団は「かれら」なのです。
こんにちは 自分の意見、言う時は 個人で 私は・俺は・で云うべきだと思います 個人個人、考え思いは違うのですから 言っちゃう人は なんか自分の意見が、みんなの党? と勘違いしてるのでしょうねえ・・ それとも?後で責任逃れの意味も・・ あるかも・・嫌ですねえ。
- toshipee
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使いますけど、そこまで仰々しく考えて言葉は発していないですね。たまたまの私一個人でそれですから、そう言われれば、「そんなつもりで言ってない」で話は終わっちゃいますけど。 あなたの言いたくありませんも、ただのポリシーなだけですからね。
補足
→あなたの言いたくありませんも、ただのポリシーなだけですからね。 控え目に書いたが、実際はポリシーと断言される程度ではなく、 二者択一ならハッキリ「彼ら」と言い切る確信はある。