※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:通訳に頼らず,みずから英語でアピールしたら…)
英語でアピールすれば通訳なしで外国人ジャーナリストに理解を得られるか?
いわゆる従軍慰安婦の問題に関連して,先日,全国規模で支持者を増やしている政党の代表でもあり,地方公共団体の首長をつとめている人物が東京都内において,外国人ジャーナリストなどを対象とした記者会見をおこないました。
この記者会見において,彼は日本語で,みずからの主張をアピールし,さらには,日本語を使い,記者との質疑応答にのぞみました。彼の日本語は,複数の通訳によって,「とても綿密な作業」をとおして,英語に訳されました。
この記者会見において,彼がみずから英語を話し,みずからの主張をアピールすると「仮定」しましょう。そうすることによって,彼が主張するところの,いわゆる「日本人の言い分」は,記者会見に参加した,外国人ジャーナリストたちの「理解」を獲得できたでしょうか? 通訳を通すのではなく,みずから英語を話すことによって,得られる「効果」についても,考える余地があると思います。
お礼
再度のコメント,ありがとうございます。 「英語と日本語では論理構築が異なる場合が多いです」 → そのためか,わたし自身は,何かを書いたり,何かを主張するときには,英語のほうが日本語よりも容易に,みずからの意見を主張することができます。日本語よりも,英語のほうが使いやすいと感じるのです。 「英語は細かいものから大きなものに話が進んでいく傾向があります。たとえば名前。ファーストネームから始まってファミリーネームが続きます。住所もしかり。アメリカの場合は、最初に番地がきてストリート名が続き、その後に群や市などの行政区画、郵便番号、州です。」 → とても良いたとえです。 「あとは察してくれ、ということかもしれません。」 → こういった要素があるので,わたし自身は,日本人とコミュニケーションをするときには,「細心の注意」を払っています。 「やはり英語で自分の意見を表現しようと"努力する"過程で、英語話者たちの考え方に触れる機会が生まれて来ることになりますね。橋下氏が外国の常識を理解していなかったことと英語を話せないことはほぼ同義だと思います」 → なるほど。このような主張からうかがえることは,「教育の問題」をふくんでいることだと,おもいます。 「英語を学ぶ前にまず日本語を学ぶべし、小学校で英語教育義務化反対、という意見の人が日本には大勢います。ああやっぱり島国だなぁとつくづく思います。そういう意見の人は日本語で考えた意見と同じ意見を英語でも言えるはず、という前提に立っているんでしょうね。でもそれはそうではないのです。」 → あなたの主張したいことは,痛いほどわかります。これは,とても難しいトピックです。異文化理解という点において,たくさん議論のできるトピックであると同時に,言語理解のプロセスとか,英語教育のありかたとか,いろいろな「可能性」や「教訓」をふくんでいるものです。いろいろと考えさせられる内容です。