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感受性が強すぎて生き辛い
何にでも強く影響されてしまいます。悲しいニュースや切ない物語に触れるだけで、まるで自分のことのように思え、胸が締め付けられます。影響されてしまった時は必ずといって良いほど泣き、まるで世界に1人だけ取り残されてしまったかのように寂しくなります。 かといって何の刺激や感動もない日々を過ごしていると、まったく充実していないと思ってしまいます。が、いつも影響されて悲しくなったあとに後悔します。 どうすれば色々なこと振り回されずに、生活に支障をきたすほどのめり込まずに生きられますか。
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自分を俯瞰する癖をつけるのが良いかなと思います。私の場合ですが、感受性をカバーするためか合理性が年々大きくなっています。 辛いとき、その理由や原因が同時に分かるという謎の現象が起きますが随分楽になります。振り回されると感じることに変わりはないけれど、それを含めて合理的に考えることはできます。オススメです。
- waveasdf
- ベストアンサー率0% (0/1)
私もそれに近い気持ちがあります。テレビなどは精神的に辛いので見ないようにしています。 充実していないのは趣味など打ち込める事が無いからではないですか? 日々の暮らしの中にそれを求めれば、自ずと受動的な感動から、能動的な感動になって行くようになると思います。 私は仕事や趣味に打ち込んでいる時に自分をきちんと保っていられる気がしています。 逆に人様のニュースを受け止めてしまった場合はえらく落ち込んだりします。 ニュース、人の情報=世間ではないと私は思ってます。 もっと身近な場所で、自分なりの世間の幅で生きていくと楽な様な気がして実行しています。 私はキャパが狭いので、キャパを広げる努力も必要に迫られてる気もしますが、逆に自分の生きやすい環境を作る事も大切なことだと気づいたのでそちらを優先してやっています。 自分に元気がないと人にも対応できないですものね。
- han-pen
- ベストアンサー率35% (56/157)
まずはこの無感動な世の中にあなたのような人がいるのは希少とも言えますし、あなたのような人にこそこの世の中を変えて欲しいと願いたくなります。 完成が豊かであるということでもありますのでステキなことです。 当方33歳で男性ですが、昔は20代なかばまではそういうタイプでした。 なんでも感動してしまうタイプで休まる時もありませんでした笑 いまはそれが全く無くなったわけではありません。 「感性を研ぎ澄まされる時とそうでないとき」のちがいがよく分かるのだと思います。 先日のことです。 電車で父と4歳ぐらいの男の子が目の前にいて、先頭車両の前にいました。 「ほーら、あのポイント見てみ、いま線路はあっちむいてるでしょ、でもこの電車はこの方面向きだからもうすぐ変わるよ、変わる瞬間をよく見てみな」 となんてことない微笑ましい姿でした。 僕はその時は求職先の面接に向かう途中でした。 もちろん仕事が無い無職です。あまり良い感情は湧き上がりませんよね。 ああ目の前で何騒いでるんだとも一瞬は思いましたが、でも子供の姿が純粋で、僕がとても電車が好きだった頃や今は亡き父と遊びに行ったっけとか思い出されました。 またこのお父さんは40代なかばだと思います。白髪のひげも生えていました。 すると比較的年齢行ってから結婚をしたのだと思います。 するとこのお父さんにとっても今は幸せな瞬間であることもわかります。 お母さんは今日いっしょじゃないのはなにか理由はあるかしれませんがそれは大したことはないでしょう。 もしこの姿をみて感じられるものが多ければ感性が豊かだとも思いますが、そうでないひとにすれば目の前に何騒いでいるんだと思うだけです。 影響されやすいとのことですが、影響されやすいのは「自分がない人」に多いことです。 影響というのは「ああこれはいい」と思う感性ですが、影響されやすいと 「良くないものまでいいと思い込んでしまう」ということです。 すると良くないものまで入り込んでしまいやすいとも言えます。 感受性が豊かであることも大事なことですが、あなたの場合は「そう感じられる自分が好き」と思っているフシもあるのではないでしょうか。だから良し悪しをつける基準がないので振り回されてしまうのかなと思います。 そうは言いつつも「自分に満足を出来た試しがない」ので、何の刺激もない日はとても悪いことだのように悲しくなるのだと思います。 当方も昔はそういうタイプでしたが、自信をつけたり、職歴が当時なかったので非正規でも仕事をしたり、交際歴がなかったので交際経験を持ったりしたこともその境地から抜け出せたかなと思います。 良い解決にむけて!
- ni_si_ki
- ベストアンサー率19% (302/1586)
感情移入をしてしまうのは、少なからず自分に置き換えられる材料があるという証です。 あなたが幸せになることです。