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頭の中で起きた出来事について質問です!
- テレビ画面にふと視線が行って目をはなすことが思うようにできない経験があります。
- 喫茶店から帰ってきた直後に文字が顔に見えたり、言葉が浮かんだりする経験があります。
- 言葉が変換されたり、幻聴が聞こえたりする経験があります。それによって過去の名前が浮かぶこともあります。
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No.4の続きです。 ◇《添削文》 『無意識に浮かび上がる名前と作為体験について』 1)テレビ画面にふと視線が行き、速やかに目を離そうとしたのに、まるで制限が掛かったように思い通りに出来なかったことが何度かあった。そのとき放送していたテレビの出演者が、僕がテレビ画面から目を離そうとするのを阻止しているように感じ、それに抗うように目を離すと、既知のテレビキャスターの名前が無意識に浮かび上がった。 2)勤務先の喫茶店から帰って来た直後のことだ。パソコンなどの文字を見ていたら、文字が勤務先のお客さんの顔に見えた。今日一日で、お客さんの顔が頭の中にすっかり焼き付いてしまったのだろう。そして、「ほっとく」「(頭の中に焼き付いているのを)消す」などの言葉を思い浮かべると、今度は、そのお客さんの名前が無意識に浮かんだ。 3)「どこにも行かない」「4時10分」「あと5分」などの言葉が思い浮かんだ直後に、「おい」という幻聴がしたり、近所の飼い犬が吠えたりした。すると直ぐに「どこにも行く」「0時10分」「あとマイナス分」と無意識に言葉が変換された。直ぐさま言葉は元に戻ったが、今度は拒絶意識が強まり元に戻すのを阻止したくなった。その時、僕の小・中学校の同級生の名前が無意識に浮かび上がった。 上記の1~3について補足します。 同級生や喫茶店のお客さん、「テレビのキャスター」という既知の出演者、それらの人物名が無意識に浮かび上がったということは、自分にとって、まるで何者かに操られたかのように感じられた出来事、即ち“作為体験”だと言えると思います。 (作為体験とは、何者かに自分が操られたように感じることを言います。) 何者かが、あらゆるものに関連付けて人物名を想起させ、自分を操ったように感じられた。これらは自分が抱える何らかの問題が、症状と結びついて起きたのだと思います。 ここで質問です。 無意識に浮かび上がる出来事が、作為体験に繋がったということはありますか? どなたか経験談について詳しくご回答下さい。 (自分と同じように作為体験に既知の人物の名前が関わっていたという内容でも、人物名が関連しないものでも構いません。似たような経験がある方、ご回答よろしくお願いいたします。) *** ◇《添削に関しての補注》 ※『無意識』 → 「自分では意識していないこと」 原文で“勝手に”と書かれていた箇所は「無意識に」という言葉に置き換えました。 というのも、ご質問者が“勝手にとは、自然にそうなるという意味だ”と以前仰っていたので、“意識せずにそうなってしまう”という意味ならば、やはり「無意識」とするのが適切だろうと考えたからです。 外部から操られる感じがあるので、どうしても“勝手に”と表現したいのならば、そのままで構いませんが、自分で進んでしたこととは思えないこと、特に意識せずにそうなってしまうことを表現するとき、「無意識」という言葉があるということも心に留めていただきたいと考え、敢えて使いました。 ~「無意識に」とすれば良いところを他に表現が思い浮かばなくて、「勝手に」と繰り返し使ううちに(そもそも、勝手にという言葉にはあまり良いイメージがないので余計に)被害意識が強まって行き、被害妄想的な思考や作為体験に結びついて行ったというようなことも考えられるのではないか?と思ったのもあります。~ * 同じ様な経験はありませんが、添削だけというのも何なので、ここからは1~3について思うことを書きます。 1)テレビに良くも悪くも気になる出演者が出ていたら、つい気になって注視してしまうことはありますし、自然と出演者の名前が頭に浮かぶことはよくあります。しかし、どうしても急ぐことや、やらねばならないことがあれば、画面から目を離すことは何時でもやろうと思えば出来ますし、注視してしまったからといって“操られた”とは考えません。 「私は、その出演者になんやかんやと関心があるんだな」と思うだけです。 その出演者に関して不快で仕方ないのなら、テレビのチャンネルを変えるか電源を切る、もしくはその場を離れますが、だからといってその場から去ったりチャンネルを変えるように“操られた”とは考えず、自分の意思でしたんだと捉えます。 2)文章の文字が人の顔に見えたことはありません。顔文字のように顔らしい配列に並んでいるとも思えません。「焼き付いた」とあるぐらいですから、ご質問者のは「残像」のようなものでしょう。勤務が終わって疲労感が残っているところに、いきなりきつい照明に晒された、パソコン画面の文字を直視したことで目がチカチカし、一番記憶に新しいお客さんの顔が画面に重なるように浮かんでしまったということなのか?と想像しました(ご質問者は高機能自閉症ということですから視覚過敏があって、パソコン画面のようなチカチカした照明や、詰まった文字を見ていると具合が悪くなってしまい、気分に連動するようにあまり良い感じのしない映像が見えてしまったのでは…)。 次に、「ほっとく」「(頭の中に焼き付いているのを)消す」とご質問者は思い浮かべたわけですが、忘却するために具体的な対象(=お客さん)を思い出してしまったので、個人情報としての名前も自然と思い浮かんでしまったのでしょう。 何かを思い浮かべると関連情報が一緒に出て来てしまう、そう考えるとネットのキーワード検索や画像検索に似ていますが、これは誰しも起こり得ることで、特別不思議な現象ではないと思います。ただ顔や名前が思い浮かんだからといって、作為体験に結びつけるという展開は誰にでも起こることではないし、私には経験のないことです。 私見ですが、ご質問者の場合、高機能自閉症があるので定型発達の人と比べると関連情報が芋づる式に出てきやすい(何かを意識するとき、頭の中からピンポイントで情報を取り出したりするのが苦手で、忘却もし辛い)という特徴があるので、何かを思う度に自身にとって余計な情報までもが思い浮かんでしまい、そのことで当惑することを繰り返すうちに理由を求めてしまう癖が付き、作為体験に結びついてしまったのではないかと思います(作為体験は、知らず知らずのうちに、ご質問者にとって解りやすい理由付けとなって行ったのではないかということです)。 3)犬の吠え声に関しては度々目にする話題なので、ご質問者は犬の吠え声が特に嫌いなのではないですか。それか吠えながら追い掛けられたとか、好かれていない気がするとか、犬に対して何か嫌な感情を伴う思い出があるのでは? ともかく、幻聴や犬に責められたように感じたので、直前の思考までもが否定されたように感じて頭の中でパニックが起き、言葉の変換が引き起こされてしまったのではないでしょうか。 ここが読んでいて一番謎だったのですが、変換後、折角もとに戻った言葉をそのままにはせずに意識的に変換しようとしてしまったのは何故だと思いますか? 意識的に再変換しようとしたときに、同級生の名前が無意識に浮かんでしまった様ですが、その同級生に対して嫌悪感はありますか、それとも好意的に思っていますか? 言葉に関することで、その子にからかわれるなど嫌な思い出があったのか、それとも逆にその子に助けて欲しいと思ったことがあったとか、何れにしろ、その子に何か深い思い入れや拘りがあるのではないでしょうか。
その他の回答 (7)
こちらも遅くなり誠に申し訳ないです。 今回は、No.6の補足に挙げられている「無意識」という概念に関する返信です。 「無意識」に関するご家族の説明は、私が言いたかったこととは大きく食い違っていると思います(以前にも私が言いたかったことと、ご家族の解釈が違うと思ったことがありましたが、それでも7割方は伝わったと思いましたし、解りよい噛み砕いた表現に直すと、もとのニュアンスが失われてしまうのは避けられず、締め切り後に再投稿するほど こちらの文意に影響をもたらすものでもなかったので、そのときはそのままにしましたが、今回は ご質問者から要望があったので、上手く伝わるか自信はないけれど説明させていただきます。) ご家族の説明は寧ろ、「忘却」や「記憶喪失(解離性健忘)」、もっと拡大すれば「脳死」、いわゆる「記憶が欠損してしまっている状態」や「記憶の再生自体が困難な状態、または再生不能な状態」など、記憶障害の説明になっていると思います。 私が回答中で使った「無意識」には、「記憶が欠損してしまっている」とか「記憶障害」という意味は全くありません。そこまでの重いレベルのものではなく、「意図せずに、ついしてしまうこと」とだけ解釈してください。 (ここで言う「無意識に」に近い言葉、ほぼ同じように使われる言葉としては、前述の「意図せずに」の他に「反射的に」があります。) 無意識の概念については下記の参考リンクをご一読願いたいのですが、専門知識を要するので、全部読んでも よくわからないと思います。 【無意識】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98 そこで、リンク先からの引用箇所には “タイトルごとに ◇と抜粋文には >” を付し、補足が必要と思える箇所のみ“→(回答者からの補足説明)”と私からの説明文を加えましたので、是非ご参照願います。 *** ◇意識の存在 >無意識とは何かということは、その前提に、意識とは何かということの了解がなければならない。「意識」とは、人間一般において、「わたしが意識していると、意識しているとき、自明的に存在了解される何か」であるとされる(デカルトの「我思う、ゆえに我あり」。哲学の分野では長い間、意識と自我は同一視された)。 →(回答者からの補足説明) 自我については以前に私から説明しましたし、ご質問者も主治医から説明を受けていると思いますので詳細は渇愛しますが、無意識とは、「自我として意識されない心の領域と言える」と思います。この「自我として意識されない心の領域」とは、次の段の「心のなかの意識でない或る領域」のことです。 ◇無意識の意味1 >無意識は、「意識がない状態」と「心のなかの意識でない或る領域」の二つの主要な意味がある。 >「意識がない 独: unbewusst, bewusstlos, 英: unconscious」とは、強い意味だと、大脳の働きがほとんどない状態を意味する。 >弱い意味で「意識がない」という場合は、「気づかない」という意味でもある。例えば、音楽を聞きながら本を読んでいると、最初は本の文章の内容と、音楽の両方が意識される。しかし、読書に集中していて、ふと何かで中断されると、「音楽が急に聞こえて来る」ということがある。音楽はずっと鳴っていたのであるが、読書に集中していたため、音楽の進行に「気づかなく」なっていたのである。 >人間は時間のなかで、非常に多数の感覚刺激や意味の刺激を受け、その多くを意識している。しかし、「意識していない・気づいていない」感覚刺激や意味の刺激で、大脳は感受し、記憶に刻んでいるものは、もっと膨大な量が存在する。 →(回答者からの補足説明) ご家族が説明していた「無意識」とは、上記の引用文の「意識がない状態」にあたると思います。ご家族は脳死までは想定してはいないと思いますが「忘却」の意味で使っていますよね。私が回答中に使った「無意識」とはそちらの意味ではなく、後述部の「心のなかの意識でない或る領域」のことで、「意識していない・気づいていない」感覚刺激や意味の刺激で、大脳が感受して引き起こされる感覚という意味で使っています。 それは、「自分に備わっている感覚だと、自分では普段意識しないでいること」とも言えます。 解りやすく、ご質問者の体験を引き合いに出して説明するならば、幻聴や犬の吠え声で思い浮かべていた言葉が変換されたり、テレビの出演者を認識したり、パソコンの文字を見た際にお客さんの顔が見えたような感覚が起きた際に、それら全ての現象が、「意図せず人物名に結びついたという感覚」、これが「無意識」です。 なお、本質問の“最初に引き起こされた言葉の変換”も、“パソコンの文字がお客さんの顔に見えた”のも「無意識」と言えると思います。 テレビの出演者がご質問者の行動を制限したり、お客さんが驚かせたり嫌がらせをしようとパソコン上に顔を出したのでもなければ、誰かがご質問者の頭の中の言葉を変換させたのでもなく、「ご質問者が無意識に、あらざるものを見たり、聴いたり、言葉を変換させてしまった」ということです。 そう考えると、統合失調症とは、「自分が無意識でしたことを他人の意思で引き起こされたことだと感じ取ってしまう精神疾患である」と言えます。 ご質問者の愁訴(しゅそ:患者が訴える症状)には、それが顕著だったので、主治医はご質問者を統合失調症だと診断したのでしょう。 ◇意識と記憶 >記憶は日常的に再現されており、複雑な手順を必要とする作業でも、その一々の手順を「意識しない」で、機械的に遂行することが可能である。例えば、複雑な漢字を書く場合、どの線を引いて、次はどの線をどこにどう書き加えてなどと、一々記憶を辿って書いている訳ではない(参考:手続き記憶)。 →(回答者からの補足説明) 上記の文章も「無意識」の説明になります。 手続き記憶というのは、繰り返し練習するうちに、体がすっかり覚え込んでしまった記憶のことで、良く引き合いに出されるのが「水泳」や「スキー」や「自転車」などをこなせる能力の記憶のことをいいます。 記憶喪失になって、自分の名前も家族も、生まれ故郷すらも忘れてしまった人でも、言葉を忘れてしまわずに話せる人、文章が書ける人は沢山いますよね。 お店のレジでは支払いが必要なことも覚えていたり、車の運転が出来たり、切符の買い方、電車の乗り方を誰に教わらずとも覚えていたりします。 他にも、トイレの使い方、お風呂の使い方も覚えていて、トイレに入ったら便器で用を足し水を流し、使用後は手を洗う、お風呂に入ったら体を洗い、湯につかり、湯上がりには体を拭く。誰が教えてくれたことなのか、いつどうやって使い方を練習し記憶したのかを忘れてしまっていても、次に何をすれば良いのか感覚的に覚え込んでいて、特に意識せずとも反射的に行動出来てしまえるという記憶が人には備わっています。 こうやって考えると、「無意識というのは過去の記憶がもとになっていて、ある条件下に置かれたとき、特に意識を向けなくとも反射的にしてしまうこと」と言えると思います。 ご質問者の作為体験もまた、「過去の記憶がもとになっていて、ある条件下に置かれたとき、特に意識を向けなくとも反射的にしてしまうこと」と言えると思います。 健常者とご質問者の差は、健常者が無意識と受け取って特に気に掛けないことに対して、「何者かが作為的に仕組んできたこと」と感じてしまう点にあります。 「無意識の意味が解らない、理解の仕方の手掛かりになるようなことすら思い浮かばない」という点で、ご質問者は統合失調症だと主治医から診断されたのだろうと思います。 逆に言えば、「無意識の概念が理解できるならば、統合失調症と診断されることはないだろう」ということです。 症状に関して、誰からどんなに説明されても納得できないから今の診断名があるのであって、逆に理解できるようになったときは、主治医からは寛解したと判断されると思います。 ご質問者は知らないことがあるから病名が付いたというより、主治医から説明されても理解できないことがあるから、今も治療が続いているし診断名も変わらないのだろうと思います。 ですから、今回の私の説明を読んだだけでは解らないかもしれません。 その場合、どう説明したら理解していただけるのか私には皆目見当が付きませんので、申し訳ございませんが、今回のご質問に関する回答は ここまででご容赦願います。
お礼
無意識という概念をご回答下さり、助かりました。
遅くなってすみません、No.5のお礼を拝読しましたので返信いたします。 >拒絶意識というのは、幻聴と犬の声を聞いて突然無意識のうちに頭に浮かんだ言葉が無意識に別の言葉になって浮かぶ感覚が生じたすぐさま、別の言葉になって浮かんだのが、元の言葉に戻って浮かんだというのに対し、自分が逆らったりして自分で元の言葉に戻る感覚を阻止したということですよね? 合っていますが、ご説明のままだと意味が解り難いので、もっと短く単純に纏めます。 ここでいう「拒絶意識というのは、元の言葉に戻る感覚に逆らおうとする意識(拒絶心)のことです。」 >拒絶意識という言葉を診察で使うのは大袈裟なのかな?知りたくなりました。 私も少し仰々しい(ぎょうぎょうしい:大袈裟の意)かなぁ?と思いました。自分で意識的にしたということを強調する意味で「拒絶意識」としましたが、「拒絶意識が強まり」よりは、「拒絶感情が高まり」や「拒絶反応が起きて」・ 「拒絶心が起こり」などと表現した方が自然だとは思います。いずれにしろ文意を損ねることはないと思いますが、どう表現するかは、ご質問者の感性にお任せします。 >>★印の文章について、同級生の名前・喫茶店の利用者さんの名前、「テレビのキャスター」という過去に出演者さんを認識した名前が浮かんだというのは、まるで何者かに操られたような感覚を伴うものだと感じました。 どういうふうに操られた感じがしたかというと、自分ではない何かが名前をあらゆるものの何かにくっつけて操ったような感じがしたということだと思います。 ―――に関して、意味を理解できましたか? この箇所に関しては、No.5で次のように添削しています。 >同級生や喫茶店のお客さん、「テレビのキャスター」という既知の出演者、それらの人物名が無意識に浮かび上がったということは、自分にとって、まるで何者かに操られたかのように感じられた出来事、即ち“作為体験”だと言えると思います。 (作為体験とは、何者かに自分が操られたように感じることを言います。) >何者かが、あらゆるものに関連付けて人物名を想起させ、自分を操ったように感じられた。これらは自分が抱える何らかの問題が、症状と結びついて起きたのだと思います。 添削文章は満足の行くものではないかもしれませんが、仰りたかったことは言葉として理解できていると思います(何故“言葉として理解できている”と書いたかというと、同じ様な経験がない以上、実感までは出来ないからです。) ご質問を読む限り、ご質問者には「作為体験」と覚しき症状がみられると思いますし、No.2さん宛のお礼の中で、症状と覚しきことに関して「妄想や作為体験」であろうと説明していますが、私にもその様に思えます。 しかし、統合失調症なのかどうかは私には解りません。 No.5のお礼のお終いの方に書かれていることに関しても作為体験で、他には関係念慮、被害妄想ということになると思いますし、主治医からもそう説明があると思います。けれども断定表現はなく、妄想が現実であるとか現実になると信じ切っている風でもないので、やはり典型的な統合失調症とは趣が少し違う気がします。 しかし、自分の意識の中に他人の意識が入り込んで嫌がらせをされている、意識の向け方を変えるように一々訳の分からない指図をされると苦痛を感じている様子が見受けられる点が、極めて統合失調症的だと思います。 (でも、これらは統合失調症と診断される前から、高機能自閉症であるために会話上のコミュニケーションが上手く行かなかったという実体験がベースにあると思いますので、もともと妄想的な思考をとる下地があったとは言い難いと思います。) 今、ちゃんと病院に通えて、主治医ともコミュニケーションが取れているのなら、それで良くなって行くものと思えるのに、それでは満足できずに質問してしまう ご質問者の状態を考えると、普段からコミュニケーションが上手く行かない場面が多くて、精神的に参っているのだなとお察しいたします。 文章からは高機能自閉症の特徴が随所に窺えますので、ご質問者が高機能自閉症であることに関しては間違いないと思いますが、コミュニケーション絡みでストレスを溜め込んで、自分の五感に対しても自信喪失してしまったので、妄想が強まって統合失調症によく似た病態を示すようになってしまったのではないか? …そんな気もしていますが、改善の余地はあると思います。 というのも、統合失調症の特徴はかなりみられるけれど、でもやはりベースにあるのは高機能自閉症であって、今みられる症状を改善するには、今一度初心に立ち返って、ご家族や身近な人たちに高機能自閉症の特徴について、何でもかんでも大袈裟の一言では済まさずに、視覚や聴覚の感覚過敏について理解を深めていただければ、ストレスが軽減されるように思えるからです。(視覚・聴覚絡みのご質問が多いのは、やはり、これらの感覚過敏がベースにあるのではという気がしています。No.2さんがご指摘なさっていた“共感覚”に関しても、感覚過敏と共に自閉症とは関連深い面があるので、一度これらの件に関して主治医に相談しては如何でしょうか。) もし、感覚の違いに関して周囲から理解を得られている実感がないのなら、主治医からご家族に説明していただいたり、職場にも文書などで説明していただく必要があると思います。 これまでも度々文章が大袈裟な表現になることを気にしていらっしゃったのは、身近な人たちにたしなめられてのことだと思いますが、それは周囲の人たちが自閉症の人たちに「感覚過敏」があることを、つい忘れて接してしまうからだと思うんですよね。職場も含め、身近な人たちに全部が全部、我が儘だったり大袈裟にしているのではないんだということ(特に聴覚や視覚的なことに関して)を理解していただけたら、ストレスが軽減されて、ご質問者の症状と覚しき現象も改善されていくのではないかと思います。
お礼
詳しい丁寧なご回答をどうもありがとうございます! 僕はpo-ria1さんから回答が来ているかどうかを確認する前に(特に夜中はパソコンとゲームをすることを禁じられています。)回答が来ているかどうかの問いが浮かぶことに対する言い聞かせがあって辛く感じました。 要は浮かんでほしくないのに浮かんだという言い聞かせがあったということです。 その言い聞かせは正解だったのです。 それでイライラしてしまいました。 でも今日回答が来たことで安心しました。 そういえば以前、回答が来なくてイライラしたり言い聞かせがあったりして辛いのは統合失調症の作為体験だと言えるというような回答を戴いた覚えがあります。 po-ria1さんがokwaveの会員になったのは今年の2月ですよね。 それ以来沢山のご回答を戴けて本当に安心しました。 無意識の意味は身内の人にもう一度確かめてみました。 意図してないのに浮かぶのは無意識と言えると身内の人は言いました。 ということは、添削文は自分の中で起きた出来事とほぼ合致していると言えると自分は思いました。 po-ria1さんのご回答No.5を今回はベストアンサーにします。
何度もすみません、No.4の投稿に誤字がありました。 お終いから三段目の直ぐ上なのですが、次のように訂正をお願いします。 ×語意を増やしたり表現力を付ける上での参考程度に留めていただきたいと思います。 ○語彙を増やしたり表現力を付ける上での参考程度に留めていただきたいと思います。 ~お手数を掛けますがよろしくお願いします。
お礼
訂正があったのですね。 語意と語彙という言葉は変換ミスのように思いました。
補足
po-ria1さんに伝えたいこと、po-ria1さんに理解してもらいたいことがあります。 僕の中では、無意識に起きた出来事でもあれば、そうではないと感じた出来事がありました。 意図しなくて起きた出来事だとは言えると思います。 身内の人が、無意識というのは、過去に起きた出来事を思い出せないとか、忘れてしまったという出来事が無意識とのことを言いました。 過去の出来事を覚えているのなら、無意識とは言えないと身内の人は言いました。 再回答を待ってます!
長くなって読みづらくなったので投稿を2回に分けます。 以前に添削に関しては否定的な意見(私も全面賛成ではないです)がありましたが、今回のようなご質問文は特に読みにくく、添削の必要を感じます。 文章に纏まりがあり、添削の必要を特には感じない時期もあったのですが、今回のは同じ語句や同じ意味の言葉など【一つの文中に同じ様な語句の繰り返しが多く説明し過ぎになって却って意味が解りづらく、また改行が極端に少ないので特に読みづらかった】です。それと先のご回答者が添削なさっているように【質問文中に項目が幾つもあるときは番号を振って書くようにすると読みやすい】です。 言葉の調子を整えたり重複を避けるように整理しないと、閲覧する側には内容が頭に入りにくいのです。ですから、私も先のご回答者のように、自分なりに ご質問を添削しました。 先のご添削で充分申し分のない内容なのですが、多くの言い換え表現を知ることは、ご質問者が語彙を増やすことに繋がるし、添削しないままで読むと私自身が、ご質問の内容を理解できたという実感が持てないというのもあります。 私の添削を読んでいて、ご質問者の伝えたかったことと違っているとお感じになる箇所はあるでしょうが、そのままのご質問を読んだ場合、この様な誤解が生じる可能性があると受け取っていただければと思います。 なお、添削の間違いの指摘や訂正はあってしかるべきですが、こちらが勝手にしたこととはいえ更なる添削に関しては切りがないので、ご勘弁願いたいと思います。 そしてもしも返信がなくても、それは適切な表現に悩んでのことですから、お気を悪くなさらないでいただきたいです。 (ネット上での繰り替えしの添削作業は、強迫性障害の「巻き込み」や統合失調症の「作為体験」のように、私には荷が重い出来事になり兼ねないので、表現に関しては完成度を求めずに、語意を増やしたり表現力を付ける上での参考程度に留めていただきたいと思います。) ご質問者は読書をあまりしないということでしたが、天声人語のようなごく短いコラムで良いので、出来れば毎日【目を通す・音読する・書き写す・解らない語句について調べる】を繰り返して行くだけでも、文章力や会話力が付くと思いますので、是非実行してみてください。 気持ちが急いていたり調子が悪いときは気が回りにくくなるかもしれませんが、きちんとした回答が来ることを願っているのならなおのこと、普段から上記の【 】で示した三つの内容について留意すること・実行することをお勧めします。 ご質問の添削と回答に関しては、この後に投稿します。
お礼
詳しいご回答有り難うございます! 僕は添削文を書いてもらったことにより気持ちが楽になりました。 添削文を参考に医師に症状を伝えるつもりです。 後ほどNo.5のお礼欄に詳しいお礼を書くつもりです。
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
- ベストアンサー率31% (3135/9945)
また質問が読みづらいですよ。。。 整理して書き直しつつ回答してみますね。 タイトル 頭の中と現実の連動性? 1)テレビをちょっとチラ見して、視線を元に戻そうとしてもテレビから離れなくなった。 自分の意思で視線を変えることに制限がかかったように感じることが何度もあった。 番組の出演者が自分に視線をテレビから離さないよう、操られているように感じる。 やっとの思いでテレビから視線を外すと、その出演者の名前が強制的に頭の中に浮かぶ。 私の回答-興味ある内容ならば視線を外すのは難しく感じますが、操られたように感じたことはありません。 2)仕事先の喫茶店から帰ってきた直後にパソコンなどの文字を見ると、その文字が喫茶店のお客様の顔に見えた。 長くその人の顔を見ていたせいかも知れない。 帰ってきてから「ほっとく」「消す」というキーワードが浮かんでいるときにその喫茶店のお客様の名前が強制的に勝手に浮かんできた。 私の回答-疲れているときに見間違いはありますけど、文字が顔に見えたことはありません。 名前も覚えるのが苦手で、顔と名前が一致しないことが多々あります。。。 忘れようと自らの意思でやろうとするとかえって、思い出したりします。 「(頭の中に焼き付いているのを)消す」というのは忘れると言う行為の言葉です。 だから名前が浮かんできたのだと思いますよ。 3)「どこにも行かない」「4時10分」「あと5分」というふうに言葉が浮かんだ直後に「おい」という幻聴が聞こえたり、近所の家の犬が吠えたりした。 すぐに「どこにも行く」「0時10分」「あとマイナス分」と頭の中でだと思うが、言葉が勝手に変換された感覚があった。 変換された言葉は速やかに元に戻ったのだが、それを自分が嫌がって自分の意思で言葉が元に戻る感覚を止めようとした。 その時、僕の小学・中学校の時の同級生の名前が勝手に浮かんだというようなことがあった。 私の回答-小学・中学時代にいじめか何か嫌なことがあって、相手の名前とそのキーワードが強く結びついているのでは? 嫌なことは忘れにくいし、フラッシュバックしやすいそうです。 名前や言葉(単語・キーワード)に強いこだわりがあるように見受けられます。 統合失調症と高機能自閉症と診断されたことがあるとのことで、高機能自閉症による言葉(単語)のこだわりと統合失調症による妄想があるのではないでしょうか? 上手く説明が出来ないのも障害や病気のせいかもしれませんね。
お礼
ご回答ありがとうございます! miku-chiさん、添削してもらうのは良くないことですが、今回質問の意味が分かりづらくて、添削してくれたことは嬉しいです。 どうも有り難うございます! しかし添削文に関して、自分で解りづらい表現がありましたので、このことについて質問しますので、お手数ですが、再回答戴けると助かります! 解りづらい表現は、2番目の添削箇所である‘「ほっとく」「消す」というキーワードが浮かんでいるときに’という箇所です。 僕の中では「ほっとく」「消す」という語を含んだ言葉が浮かんだと思うのです。 要するに実際には「全部ほっとく」「全部消す」と浮かんだようなことが起きていたのです。 こういうことはキーワードと言っていいかどうかわかりません。 再度お手数ですが、ご回答お願いします! それと、以下の質問文の意味は理解できましたか? >>★印の文章について、同級生の名前・喫茶店の利用者さんの名前、「テレビのキャスター」という過去に出演者さんを認識した名前が浮かんだというのは、まるで何者かに操られたような感覚を伴うものだと感じました。 どういうふうに操られた感じがしたかというと、自分ではない何かが名前をあらゆるものの何かにくっつけて操ったような感じがしたということだと思います。 僕の中では上に書いた症状が起きた感じがしたのだと思うのです。 今後別の回答者さん(No.4さん)が添削してくれるので、それが今楽しみです!
- sagamit
- ベストアンサー率37% (39/105)
共感覚ということも考えられます。 これは感覚が混同する現象で、形に味を感じたり、文字に色が見えたりします。 視覚に言葉を感じることが無いとは言いきれません。 共感覚は一般的に害がないため、病気とみなすべきかどうかもはっきりしていません。
お礼
ご回答有り難うございます! 僕はNo.3さんが解りやすくご回答なさっていて、気持ちが楽になってきたような気がします。 名前が浮かんだということが強制を伴う出来事というのは正しいと思いました。 ただ僕の中で起きた質問文のことに関しては統合失調症の妄想や作為体験のように思います。
- kyoromatu
- ベストアンサー率14% (746/5024)
連続同文質問はまずいですよ とにかく尋常ではないので あまりそれ以上酷くならないうちに心療内科なり精神科を受診されたほうが宜しいでしょう
お礼
ご回答拝読しました。 連続同文質問というのは、複数のカテゴリに同文の質問を投稿する(メンタルヘルスとアンケートカテゴリに同文の質問を本日投稿したということです。)ということで合っているのかな? 良くわからなくて、質問形式のお礼になってしまいました。 精神科の先生にこういうようなことを伝えたことはありましたが、事例を聞いた経験がないと先生は仰りました。 不安でokwaveに質問しました。 複数のカテゴリに質問した理由は「経験があるかないかの質問」をアンケートカテゴリに質問したほうが回答が来やすくなると思ったからです。
お礼
お待たせしました。これまでのご回答に対するお礼です。 No.3さんとpo-ria1さんが僕が書いた質問文の意味が難解で、添削文を書いたご回答を投稿したことについて。 僕は、このことを身内の人は“添削文を参考に報告書を書いたのを医師に読んでもらうのは良くないことである”ことを明かしました。 自分の中で起きた出来事は自分にしかわからないと以前もご回答を戴きましたが、僕にとって添削文をわかりやすく書いてもらったことは助かるなぁ・・・と思いました。 来月僕の中で起きた症状を伝える時に、「診察での報告書には他人に添削してもらった内容を書いてきました」と伝えるつもりでいます。 新聞や天声人語のような短いコラムを読み通すだけでも文章力や会話力が付くのは、僕もそれに異論はないだろうと思いました。 僕の中で起きた出来事は勝手に起きた出来事でもあれば、無意識のうちに起きた出来事とも言えると思います。 自分でしたのではなく、自分以外の意思が介在していたように感じたということが起きていたという意味だということが考えられます。 拒絶意識というのは、幻聴と犬の声を聞いて突然無意識のうちに頭に浮かんだ言葉が無意識に別の言葉になって浮かぶ感覚が生じたすぐさま、別の言葉になって浮かんだのが、元の言葉に戻って浮かんだというのに対し、自分が逆らったりして自分で元の言葉に戻る感覚を阻止したということですよね? 僕はそういう解釈に対して、異論はないと思いますが、拒絶意識という言葉を診察で使うのは大袈裟なのかな?知りたくなりました。 それと「ほっとく」「消す」などの言葉と記してありますが、正しく言うと、「ほっとく」「消す」などを含んだ言葉即ち「全部ほっとく」「全部消す」と実際は頭に浮かんでいたと思います。 po-ria1さんに理解できたかどうか質問です。 >>★印の文章について、同級生の名前・喫茶店の利用者さんの名前、「テレビのキャスター」という過去に出演者さんを認識した名前が浮かんだというのは、まるで何者かに操られたような感覚を伴うものだと感じました。 どういうふうに操られた感じがしたかというと、自分ではない何かが名前をあらゆるものの何かにくっつけて操ったような感じがしたということだと思います。 ―――に関して、意味を理解できましたか? もし理解できたのなら、po-ria1さんはどういうふうに理解したかが詳しく知りたいので、教えて下さると助かります! 健常者さんは、過去に覚えた頭の中の言葉がそのまま自然と思い浮かぶのが普通ですが、僕は統合失調症と高機能自閉症を患っているので、そういう感覚(自分ではない何かが名前をあらゆるものの何かにくっつけて操ったような感じがしたということ という箇所がそのことに当て嵌まります。)が起きたんだと思います。 もう少し詳しく説明すると、自分ではない何かが名前をあらゆるものの何かにくっつけて操ったというので、操ったというのはイコール何か嫌がらせをしてきたような感覚だとかあらゆるものを自分ではない何かが支配するのに加え、都合の良いふうに変えてきたりした感覚だということだと思います。 それと何者かがくっつけた名前の中には、あらゆるものの何かを自分以外の何かの意のままに勝手に変えるという意義が込められていたように思いました。 こういうことについてもどういう意味か、わかるかどうか確認が知りたいです。 お手数ですが、再度ご回答頂けると助かります!