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正しくないことと正しいことの違いとは?
- 正しくないことと正しいことの違いについて考えます。何を基準に判断すれば良いか、信念の重要性についても言及します。
- 信念の有無を基準に正しさを判断する考え方について考えます。しかし、信念を貫けなかった場合はそれが正しいかどうかについても考える必要があります。
- 正しさは「法律や人間関係」といった障壁にとらわれず、個人の信念によって判断されるべきであるという意見もあります。しかし、それが常に正しいとは限りません。
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質問者が選んだベストアンサー
正義 の反対は 大義 です 質問者さんが書かれている 障壁 は大義です つまり、長いモノです 正義と大義は重なることはなく、ただの洗脳です 戦争での人殺しは 大義 です そこに正義は存在しません 結果論として正義が存在していても結果論です 勝てば官軍です 大義という名の正義です 逆に言えば、どのような障壁に負けたとしても、正義は正義です しかし、いくら正義だと主張しても、官軍の主張が正しいのです つまり、長いモノにまかれて、思い通りに行かなくても 正義は正義として存在します けっか、正義の反対は大義ですが 大義であるがゆえに、それは正義であったと歴史には書かれます
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- hekiyu
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”この考え方は間違っているでしょうか。” ↑ ハイ、間違っています。 人間は一人では何もできません。 社会を造ってこそ人間になれるのです。 人間社会に育たなかった人間は、二足歩行すら 出来ない、といいます。 正しい、正しくない、という概念は、この 社会の秩序を維持する為の概念です。 社会の秩序を維持する方向にプラスに作用するのを 正しい、と名付け、マイナスに作用するのを 悪と名付けたのです。 たった一人で住む世界で、正しい、正しくない なんて概念は意味を持たないでしょう。 正しい、という概念は極めて社会的概念なのです。 従って、質問者さんのように、正しい、というのを 主観的に決めてしまっては社会の秩序を維持できなく なります。 故に間違っている、ということになります。 ”どう直すべきかを教えてください” ↑ 直す必要は無いと思います。 己の正しさと、社会の正しさに乖離があれば、 社会から攻撃されるだけです。 ”あなたの「正しさ」を教えてください。” ↑ 私の正しさは、上述した通りです。 ただ、私は正しい、正しくない、で行動する のはどうかな、と思っています。 正しいとか悪、というのは本来、欧米のキリスト教 文化圏の正義論、から来ています。 日本人にはしっくり来ません。 正義などと言われても、しらけます。 私は、己の行動が美しいか、どうかで決めよう と思っています。 例えば、いじめは美しくないのでやりません。 汚職も美しくありません。 美しいかどうかの判断基準は、日本人が歴史上 培って来た感情に基づきます。
お礼
ご回答ありがとうございます。
補足
「人間は一人ではなにもできない」とおっしゃっていますが、なぜ「一人でしか行動できない」という前提が付け加えられているのでしょうか? 私の考え方からして、「信念を持っている」=「孤独」という方程式は成り立ちませんし、質問文からも自明です。 「社会を造る」とは具体的にどういうことでしょうか。 抽象的で漠然としていてイメージできませんでした。 また、私のような考え方の人間は「社会を造る」ことができないのでしょうか? 私は人間社会に育っています。 正しさが社会的概念であるということに関してはとても納得しました。 私は正しさや信念を自己完結させるつもりはありません。 その信念を社会に持ち出したときに起こる衝突や軋轢を経験し、社会に問うて、自分の信念(正しさ)が形成されていくのだと思います。 私は主観的に信念や正しさを決めていますが、その決定までに至る過程は、とても客観的です。 故に、貴方のおっしゃっていることからすると、間違っていないということになります。 直さなかったら社会から攻撃されるのは承知しておりますが、私が質問したのは、社会から攻撃されないためにはどう直せばいいのかということです。 「己の行動が美しいかどうか」という判断基準はとても参考になりました。 また、日本人の歴史的背景も関係するという点においては同感です。
- osakajapan2001
- ベストアンサー率16% (236/1442)
御礼と補足を頂きました どうぞ自問自答為さって下さい 私の論理体系の正しさが尚一層理解出来る事でしょう
お礼
ご回答ありがとうございます。
補足
私は先ほどの補足で、私が言っていることとosakajapan2001様がおっしゃっていることはほぼ同じだと言いましたが、それについては同意ということでしょうか? また、先ほど私が言ったことが貴方の理論体系と同じだとすれば、自問自答するほどに私の言ったことの正しさがより理解できるということになりますが、それで間違いありませんか?
- osakajapan2001
- ベストアンサー率16% (236/1442)
なかなか面白い質問ですね 何が正しくって 何が正しくないのか 貴方は何が正しく何が間違いかと聞いてはいません それは貴方の判断基準が決める事です 他人がとやかく言う事ではありません 正しいものが常に勝つと言う事ではなく 又弱いものが常に負けると言う事でもありません この漠然とした質問には回答はありません 貴方が決めるからです 非常に主体的観点が支配する世界観です がしかし 一つだけ言える事があります それは大勢の人間が同意する事でしょう したがって社会が認めればそれは正しく 社会が認めなければそれは正しくても 正しくはないと言う事になります 理屈ですね もし信念を貫けなければそれは正しくはないのだ とすれば 今の社会は非常に苛酷な社会だと言えます 昨今 ある老人が老齢の妻の介護を悲観して首を絞めて殺しました 本人は自首しましたが 裁判は苛酷な様相を呈しそうでしたが 判決は無罪でした 当然の帰結でしょう 貴方の論法ならばこの男の殺人犯は信念に負けたのです しかし敗北者でしょうか 法律は如何なのでしょうか 判事は何を勘違いしたのでしょうか 検事は何をぼんやりと見ていたのでしょうか この男は妻を介護すると言う信念には負けたでしょうが 人生の勝利者となりました 貴方は如何いう思いを持ちますか 貴方の考えが幼稚で社会性を持たず 意味のない問い掛けだとは思いませんか 思考に支配されていたのでは 自分と言うものの人生は見えない事でしょう 何が正しいのかを考察する事も重要ですが 今何をしなければならないのかを論じる事の方が 人生には重要であるのです
お礼
ご回答ありがとうございます。
補足
私は、自分で考えて決めるのは面倒だし、何が正しいか正しくないかを日常生活においていちいち自分の信念にのっとって考えるのは時間の無駄なので、そういうときは法律や判例を調べたりします。 「この漠然とした質問には答えはありません」とご回答いただいた上で、osakajapan2001様は「貴方が決めることだからです」とおっしゃっています。 個人個人が正しさ決めることである、ということは、個人個人の信念に基づいて正しさが決まると言うことに置き換えられますか? そう置き換えられるとすれば、、、 「個人個人の感覚で正しさを決め、その個人の正しさを社会に持ち出したとき、必ずと言っていいほど別の正しさと軋轢ないし衝突を起こすでしょう。その軋轢衝突において、自分の信念(正しさ)が間違っていただとか思い直すことによって、その個人の中での正しさが形成されていきます。」 上記の括弧内のアクションも自動的に発生するでしょう。 だとすると、あなたの回答の内容は、私が言っていることとほぼ同じではないでしょうか。 私の考えたことが幼稚か社会性をもたないかは私の能力では判断いたしかねます。 意味のない問いかけだと私が思うかどうかについての問いかけですが、意味はないと思います。 この質問は意味があるだろう思ってした質問ではありません。 そこのところは質問をご覧になった段階でお察しください。 私が今何をするべきかについて他人に論じてもらうつもりはありませんが、私は常に今何をするべきか自問自答しております。 また、その行為がとても重要であることを理解しております。 ずいぶんと質問と関係ない議論になりましたね。
- Galax01
- ベストアンサー率26% (31/115)
これは数学ですが「ゲーテルの不完全性定理」というものがあります。 これは、絶対に正しいものは存在しない。「~に対して正しい」ならある、というものです。 法律に対して正しい Aという国の利益に対して正しい あなたの利益に対して正しい … これらは、いずれも成り立ちます。
お礼
ゲーテルの不完全性定理についての理解と知識がないため、おっしゃっていることがよく理解しかねました。 ご回答ありがとうございました。
- rikukoro2
- ベストアンサー率21% (1316/6195)
勝者(強者)の言うことはすべて正しく 敗者(弱者)の言うことは正しくない まず『正しい』と『正しくない』は国と時代によって異なります 戦国時代それが武士社会において正しくとも今では正しくない という事があります。 その人の生きる時代、時において『正しい』事はその社会によって左右・決定します そしてその社会のルールを作成するのは常に勝者です。
お礼
ご回答ありがとうございます。
補足
rikukoro様の言う「勝者」は、私の言うし「信念を持ちそれを捨てなかった人間」に同意ではないでしょうか。 「敗者」はその逆です。 「正しい」と「正しくない」が国と時代によってことなった理由は、その国やその時代によって、より強固な信念を持ち、かつ、リーダーとなった人間が違うからだと思います。 つまりは、rikukoro2様の回答は私の意見と完全一致ということでよろしいでしょうか?
- 柊 うろん(@uronly)
- ベストアンサー率12% (113/890)
【個人としての正しさ】の基準なら どこも間違っていないと思います ですが【集団におけるルール】として取り入れると 関わっている皆が 【信念だから好きにさせろ】と勝手なことを始めて秩序が壊れるかも? 【正義の反対は別の正義】が認められると 【正義の名のもとに】何でもできますから 【力こそ正義】になってしまう気がします ちなみに私輩の「正しさ」の基準は 相手もこれを守っている状態前提ですが やりたくない>やられたくない>やりたい>やってほしくない>やってほしい の優先度で【個人の尊厳を守ること】です
お礼
ご回答ありがとうございます。
補足
集団におけるルールの取り決め方に個人それぞれの信念を取り入れると、秩序が乱れると言うことでしょうか。 集団においてルールを決める時点で、個人個人の信念がぶつかり合い、誰かの信念を誰かが認め、ルールが決まるのでしょう。 ルールを決める段階で誰の信念をどれだけ反映させるか既に取り決められているべきです。 正義の反対は別の正義でしょうが、その両者が軋轢や衝突を起こせば、最終的にどちらかの正義が正義でなくなるでしょう。 力こそ正義、その通りだと思います。 あなたはその「正しさ」の基準を私に示しましたが、それは貴方の信じていること、信念、ということですね。
頑張る事が、正義ですかね。・・・人殺しは、違いますね。・・・人生を精一杯、生きる事だと、思いますが、結構、精一杯、生きられない世の中なので、できる程度で、いいのじゃないですか?。
お礼
ご回答ありがとうございます。
補足
人生を精一杯生きて、精一杯のアクションをすれば、すべて正しいと言うことになるのでしょうか すべてとは言わず、それは50%も正しいことになるでしょうか。
- TooManyBugs
- ベストアンサー率27% (1472/5321)
別に法は人を殺すことを禁止していませんからね。 あなたがそうやって正義を貫きたいならそうするしか有りませんね。 ただし世間はそれを認めず法によって抹殺するだけです。
お礼
ご回答ありがとうございます。
補足
法が人を殺すことを禁止していないとかそういう専門的なことはわかりませんが、一般的に殺人をすると刑務所にぶち込まれて服役しなければいけないということは知っています。 人殺しは私はしたくありません。 たとえ話です。 例えば、「世間が認めない」というのは、「親が認めない」というのと同じことですよね。 正確に言えば同じではありませんが、その違いは影響力の大きさだけだと思います。 親を認めさせるのよりも世間を認めさせるほうが難しい、それだけのことだと思います。 TooManyBugs様の回答によると、世間がそれを認め、法もそれを認め(法が改正されるなどして)れば、それは正しいと言うことでしょうか。 だとしたら、私の言う「信念の強いものが正しい」という理論は成り立ちます。
- 150715
- ベストアンサー率19% (841/4396)
>人殺しも、それに信念があって、もしも法律でさえ裁けないもので、いろんな人間に非難され卑下されても、それさえ何とも思わないくらいの信念があれば、その人殺しは正しいと言うことです これって、テロリストそのまんまの考え方ですよね? その信念が正しいかどうかもわからないのに???
お礼
ご回答ありがとうございます。
補足
信念自体が正しいか正しくないかは、誰にもわからないし、判断しようもありません。 私が思うに、信念が貫き通された結果「それは正しかった」というふうになるということです。 それが正しいことか正しくないことか、正しくないのならなぜ正しくないのかという理由とそれにかわる正しさを提示してくださいということです。
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お礼
とても論理的で筋の通った弁です。 No.10まで読んで、ようやくまともな回答を得られました。 とても私の価値観に影響しました。 ご回答ありがとうございました。 また私を見かけましたら、ぜひともご回答をよろしくお願いいたします。