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他人の助けを求める:他人に迷惑をかけている?
皆さんこんにちは。 ちょっと質問がありますが。。。皆さんは小さな問題(先生の説明がまだ分からないや道に迷うなど)、そしてそのもっと大きな問題に直面して困っているとき、他人の助けを求めますか。 助けを求めない方も理由を教えてもらえませんか。 なぜ多くの日本人は「人に迷惑をかけないで」という考えがあるでしょうか。 この問題について皆さんのご意見をお聞きしたいです!
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- ZXYZY
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人は一人では生きていけません。 どんなに有能な人で頭脳明晰でスキルを沢山持っていても一日は24時間 、体は一つ、手足は合計で基本4本です。 つまりは、毎日、誰かの何かのお世話になって生きているのです。 しかし、それはお互い様。 更には、誰かの善意や施し、慈愛により行われていることが多いのです。 だから、必要以上に何かや誰かに頼るなと言うのが日本人の「人に迷惑をかけないで」という思想だと思います。 諸外国はその辺りはシンプルでお互い様の部分が強調されているように思います。 人生はgive&take施し、施されとでも訳せばいいのでしょうか。 さて、本題ですが、小さなことだろうが大きなことだろうが困ってしまい、周囲にその問題解決を相談できる、解決してくれる人がいるなら頼るべきだと思います。 それは、人生の選択肢として用意されているわけでそのチャンスを逃す手は無いと思います。 迷惑だと思ったら相手も手を差し延べないでしょうし。 そして、誰かを頼って迷惑をかけたと思ったら、その恩返しをしましょう。 その相手個人だけに限らず、社会にまた困っている誰かの力になりましょう。 仏教でいうところの布施を行えばいいのです。 お布施と言えば金品を奉納することとお考えの方が多いですが、財物を損なわない七つの布施というものもあり、座る場所を譲ることや笑顔を見せること、粗暴でない、柔らかい言葉遣いをすること等も布施に含まれます。 良いことを循環させる行いがあれば困ったときは人を頼り、迷惑をかけてもいいかと私は思います。
- sakura-333
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やはりその人の時間を奪うことになるので、思いつくがままというのはないですね。 どんなに親切な人であれ、常に時間に余裕があるわけではないですし。 個人的なことなど後回しになってしまうので、そんなことを言ってるうちに話せる時間が持てないまま終わってしまったり、手遅れになってしまったりすることもありますけど。
- yuzu7x1
- ベストアンサー率19% (268/1355)
> 人に迷惑をかけないで 安易に人に頼らない。 →質問の質が良いと安易ではない。 例)考えた結果、具体的な疑問点を明確にする 人の時間を奪ってると自覚する →安易な相談をしない。 例)コンセントが抜けてるのに、とりあえず機械のせいにして相談する。 等が考えられる言い分ですね。 相談者も相談受ける側も有限な時間を大事にしたいですね。
- sunmjin4569
- ベストアンサー率26% (19/73)
先生の説明がまだ分からないや道に迷うなど >この「先生の説明がまだ分からない」が詳しくは分からないけど、先程ものべました。先生と生徒の関係性にもよるということです、 そりゃ、教室の隅っこでガリガリ勉強とかやって声も小さくて意思表示もあまりしない人なら、 先生の反応も「あんた委員長だろ?」とか「あんた、○○大目指してるのにこれくらいわからなくてどうする?」とか「成績だけはいいんだからさ」とか言われても当然です。 ざっくばらんに、人身掌握を心得ているギャルとは違って勉強は得意だけどコミュニケーションが苦手なんですから。 そうやってウジウジムズムズやってる人は誰だって「早くして」とか「時間ないんだけど」とかなっちゃいます。また聞き返すときに「聞こえないんですけど!」とかなったり。 コミュニケーションが得意なギャルに比べて、そういう真面目な人はしゃべり方にトゲがあったり、ゴニョゴニョと小さい声でしゃべったりするから「迷惑」だと思われるんです。その助けてほしい内容というより、その人の態度がもう「迷惑」となってしまうんです。 また、何がどう分からないとか、「ここはこういう事でしょ?これはわかったの、だけどどうしてもここはどうしてもわかんないの」とか。具体的に何がどうわかんないかを教えてくれなければこっちだって困ります。
- sunmjin4569
- ベストアンサー率26% (19/73)
話は変わりますが、もしも、自分に気になる人やお近づきになりたい人がいたとして、そういうときに助けというか「協力」を求めることは恥だと思ってますか? もちろん相手にも予定があります。頼まれること事態が迷惑とかもあるのかもしれないです。 単純接触効果で、その接した回数が多ければ多いほど印象に残るらしいです。 「この間のお礼じゃないけど飯いかねぇか?おごるよ」みたいな展開をもとめたいとしても 相手にかけた些細な迷惑がどうこうと考えるせいで一歩が踏み出せなくなったりします。 そもそも、その人にとって朝飯前な依頼だったり、「あれ?そんなことあったっけ?」って思うほどあっさりしていることだってあります。 先生と生徒でもそうです。 地味で真面目でお利口な生徒より、 「先生ちょっときてよー見てー?」と馴れ馴れしくしてくれてる人の方が何かあったときに頼まれ事を生徒にされたとして「またお前か~」といいつつ、後でアイスとか食べながら駄弁ったり、 将来の悩みとかを打ち明けられやすかったりするんです。 助けを求めない方も理由を教えてもらえませんか。 なぜ多くの日本人は「人に迷惑をかけないで」という考えがあるでしょうか。 この問題について皆さんのご意見をお聞きしたいです! >単純に一人ですべてやろうとする人は“可愛くない”からです。あいつなら私らの助けなんて要らないでしょ?とかたすけようとしても“触んないで!”とか言ってる人に優しくしようがありまさんから。 限度にもよるし、やろうとしてないとか努力してないとか足りないとかそういうのはイラっと来るし“いい加減にしろ!”となるけれど、 そのあとのアフターフォローで猫可愛がりしてくれる(させてくれる)んならまぁ今回だけだぞ!ってもなります。 だけど助けてやっておきながら“自分一人で何でもやって来た”みたいな顔をされたり、ツンデレが過ぎる人は正直助ける以前に縁を切ります。 感謝しろとかそういうのもあるけれど、人に助けられておきながら、自分一人で歩んできたって人が単純に嫌いだからです。 日本人は冷たいというけれど、そりゃ、一人で何でもこなせれば構う必要なんてないだろ?って思うのは当然のことです。
- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2381/15945)
こんにちは。 先生の・・・と書かれているから学生さんなのかな? うちの娘は(偏差値の高い学校に、たまたま受かってしまい、勉強が大変でした。)勉強が判らなくて、しょっちゅう先生に質問に行って「また、おまえか・・・」と嫌な顔をされたようです。「先生、判ったら私も聞きに来てない。」と言うと「まぁ、そりゃそうだな。」と教えて下さってたみたいですが。 基本、自分で出来る最大限の努力はした後だと思います。誰かに助けを求めるのは。 何でもかんでも助けを求めたら、どうなるか・・・ 娘の先輩のクラスには留学生が居ました。その先輩に、その留学生は、すぐ「判らないから教えて。」と言って来てたらしいです。 結果、彼は自分のしたい作業が全く出来ない状態に。最終的に「ググレカス」と言い、二度と聞いてくるなと。 人に迷惑を掛けると言うことは、その人の時間を奪い、不利益を与えてるということ。一方的な不利益なら相手が断るという選択も有り得ます。繰り返されると、嫌にもなるでしょう。理不尽にも感じるし。 最低限、自分で出来る最大限のことをしてから出来なければ、助けを求めるという風にしなければ、そのうち誰からも相手にされなくなる。
- habataki6
- ベストアンサー率12% (1182/9781)
<皆さんは小さな問題(先生の説明がまだ分からないや道に迷うなど) どこかの観光いくと、駅などでも詳細な地図はでていません、目立つ 建物しか案内されていません、誰かに聞いても教えてもらえません、 確実に教えてくれる人が存在しています、そこで稼いでいる人に聞け ば、無視は不可能です、想像してもらえばわかります。 <大きな問題に直面して困っているとき、他人の助けを求めますか。 誰かに脅されれば、貴方は決意するのですか、普通は助けを 求めます、なぜなら不法行為放置すると、被害は拡大してい きます。
- ノーバン(@nobound)
- ベストアンサー率13% (294/2108)
道に迷ったら、すぐそこら辺の、歩いている通行人にも聞きますね。まあ日本人なら教えてくれるのではという感じと、用事があれば声をかけてもいいのではと思いますが、仲良くなりたくて声をかけるができません。人それぞれでしょう。 今のテーマが行動力なんですが、思っていることを思い切ってやる力とは何なのかがわかりません。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2725/12280)
基本的には助けを求めないですね。その理由の第一は相手が助けてくれるかどうか、解らないからです。その中には迷惑だから、という理由もあるのではないか、と思いますが、それだけ相手に気持ちや力や時間に余裕があるのかも解らないからです。第二に自分で頑張れば解決するだろうことが大半だからです。 私の思いから、想像するに助けを求めるということは相手に弱みを見せるということにつながります。その上で全力で助けてくれるなら、話せるであろう願いも助けてくれない、または助けようにないと思われると考えると話すのに躊躇するところも出るでしょう。 また、自分でなんとかできるのではないか、と思う間は頼まないように考えるのが多くの人の基本になっていると思います。どうしても、というとき以外は自分で何とか、と思うのでしょうが、本当ににっちもさっちも行かないようになっていると今度は頼む余裕もなくなって、行き詰まる。結果、誰にも頼まないで苦しむ、破滅する、という結果になっていることも多いような気がします。 そうした中で安易に頼むということは相手に負担をかけることにつながるので、迷惑をかけていると解釈も出来るでしょう。そういう人も多いかもしれませんね。
- tuyosik
- ベストアンサー率4% (130/2735)
求め得られるなら求める。求めても得られないなら求めない、苦だから、欲ばらない。迷惑かけないなら、助かるから、困らない、問題ない、明るい。と思います