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恋愛と結婚、そして日本社会―個人VS社会
はじめに、(いつまで掲載されているのかは、わかりませんが)この動画をご覧ください。 「結婚差別と部落問題」 https://www.youtube.com/watch?v=Chv6nzNfq54 そして、動画を観ていただいたうえで、質問をします。 「もしも、あなたにパートナーがいて、そのパートナーが「抑圧された(される)側(差別を受ける、受けた側)」―たとえば、日本社会においては、同和地区につながりをもつ人々、ハンセン病の関係者、外国出身者、あるいは、外国につながりをもつ人々、など―の人々に属することがわかった場合、パートナーとの関係を終わらせたいと思いますか、あるいは、パートナーとの関係を継続させますか?」 上に挙げた動画においては、同和地区につながりをもつ人々にたいする差別の問題が紹介されましたが、このようなケースは、同和地区につながりをもつ人々のケースだけではなく、国際結婚、ハンセン病の関係者、障碍者にたいする差別についても、同様の議論になるものと思われます。 そして、自分自身には差別意識はないのだけど、世間の<まなざし>や、家族、親族の<まなざし>を考慮して、泣く泣く交際を終わらせた人々も、日本社会には少なくありません。このような、恋愛、結婚事情とは、個人という次元を超えた、「社会的な事情」が強く関係しています。 恋愛や結婚事情とは、「個人の問題」であると強調する人々は少なくありません。しかしながら、日本社会における諸問題に目を向けたとき、恋愛や結婚事情というものが、「社会の影響」を強く受けることは、誰もが否定することはできません。「コミュニケーションのスキル」がどうのこうの、当人の人格がどうのこうのという次元だけでは、こういった問題を語ることは容易なことではないのが、日本社会における「現実」ではないでしょうか。 あなた自身が、「結婚相手のバックグラウンドは、あまり重要な問題ではない」と口でいいながらも、「世間」がそれを許すことは、ほとんどありません。そんな「世間」に、あなたは「抗議」しますか、それとも、「世間」に従属しますか?
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- gyong
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恋愛と結婚については「個々の問題」だと思います。 動画の例は、両親の同和アレルギー価値観に影響を受けず、反対を押し切って結婚して子供を授かっています。 この動画は今回の質問の例としてはダメで、同和問題が影響して恋愛や結婚ができなかったのがよかったですね。でもそのような事例は西日本では道徳の教材などでありふれています。 最近は「低収入」の要因で結婚できないケースが多いと思います。でも「低収入」でも結婚できる男性はいますので、結局出会いのチャンスやコミュニケーション力は恋愛・結婚に大きく影響すると思います。
補足
>最近は「低収入」の要因で結婚できないケースが多いと思います。でも「低収入」でも結婚できる男性はいますので、結局出会いのチャンスやコミュニケーション力は恋愛・結婚に大きく影響すると思います。 「低収入」と「コミュニケーション力」を「天秤」にかけたとき、どちらが社会的に、大きな影響をおよぼすのでしょうか。 たとえば、日本人の国際結婚事情にかんして、1980年代より、日本人男性がアジア諸国出身の女性と結婚するという国際結婚事情が注目をあびましたが、そういった国際結婚の背景には、いわゆる「三高」といった、日本人女性が日本人男性に求めた「社会的条件」が存在しました。 結婚事情、恋愛事情は、表向きにみれば、確かに「個人のスキル」の範疇であるといえると思います。しかしながら、それ以上に「社会的な部分」が大きく影響するものではないでしょうか。いまの日本社会における「恋愛<至上>主義」も、社会的な文脈で語ることのできる社会現象ではないでしょうか。