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人権を尊重する人について
- 教育に関わる団体や組織において、人権を強調する人々が存在する。
- しかし、人権を過度に尊重すると社会の基盤を揺るがす可能性もあることを忘れてはならない。
- 不治の病にかかった子供に対して適切な評価がなされるのか、という問題も生じている。
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再度回答してみます。 >喘息持ちで他にも難病を抱えて… このような場合は本人と家族の意向を受けて残留を決定します。学校サイドが決定することはありません。これが義務教育であり、高校とは違う点です。そのまま卒業することもできますが、進路先のカリキュラム等必ずがしも生徒が欠席した期間を補うものではないことがあります。例えば「中学の学力は中学で身につけたい」という希望があれば残留することは可能です。もちろん出席日数が不足している場合に限られます。 >しかしあまりに人権を尊重すれば社会の基盤を揺るがす… 人権は最大限に尊重されるべきです。社会の基盤を揺るがすような行為は尊重ではなく、濫用だと思います。「公共の福祉」という考え方がありますが、それを理解せずに、自分の人権だけを重要視することがいるのは確かです。他の人の人権も尊重する義務を忘れてしまっている人がいるのには辟易します。 以前は「革新」「リベラル」を標榜する論客の中に、我が身だけの人権を唱える人がいました。そこそこ弁が立つので困ったものです。それらの多くが日教組に所属していることも承知しています。日教組の主張の源は革新政党のようです。ただ、最近はそのような論調の教師をあまり見かけなくなりましたので、良くなったと思います。
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たとえば「いじめ」という現象は、偏狭な仲間意識優先という人間の獣(けだもの)の時代からの本能的なものなのですね。これを放置すれば人間はけだものの世界に逆戻りしますので、教師達は「人権尊重」という分かりやすいたてまえをいって無知な生徒たちを納得させ、成人するまでに彼らに人間らしい倫理観を刷り込みます。 >成人して間もなく死亡するであろう不治の病の子供に正当な評価 が与えられるかどうか。 仰ることにどのような意味を含めておられるのか、それともニュートラルな観点からおっしゃっておられるのか分かり難い面はありますが、これは分かりやすい倫理教育のテストケースになると思います。どんな人間も、人間であるならば一人の人格として尊重される、という憲法精神が守られるのは日本国内では当然のことです。これが教育の現場ですら守られなくなれば、いずれ、日本はホームレスの老人をよってたかって虐殺しても当然というおそろしい社会になるでしょうね。
- princelilac
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>成人して間もなく死亡するであろう不治の病の子供に正当な評価が与えられるかどうか。 どのような評価が正当なのか、まずは意見を示してください。 >不治の病に罹っている生徒をどうするべきか 校内に医師が常駐し、ドクターコールがあれば対応するという制度がなければ、病気が急変した場合に助けることはできません。教師の判断で一命を取り留めることがあっても、それが医療行為であると判断されると、逮捕・処罰の対象になります。指を咥えて死ぬのを見届けた場合はお咎めなしです。道義的には?ですが、同義では裁かれず、法によって裁かれるのです。
お礼
私が中学時代に留年して同じクラスになった級友が いました。喘息持ちで他にも難病を抱えていたその 人は結局また留年して中学を卒業したのは18歳の ときでした。 それが何故なのか疑問でしたが、謎は解けました。 まるでテストの点数とはかけ離れた低評価しか与えら れなかったのですね。
お礼
現実にどんなに優れた頭脳を持っていても、四肢が動かなけ れば留年となります。体育の授業を受けなければ進級てきな いというのが教育基本法のようです。 そうやって未来の優れた指導者や科学者を障害者という名目 で排除してきたのが日本の教育なのです。 しかし見た目が健常者であるならば、対応が違ってきます。 つまり下駄を履かせるという手口で進級に問題ない評価を与え るのです。 これがどういうことかをしっかり見定めなければ、国民は騙され 続けていかなければならないのです。 だがこれはれっきとした犯罪行為です。
補足
最近になって私の周りをウロチョロする人間が目立ってき ました。近くのスーパーで買い物をして出てくると、必ず自 転車で立ち去る人がいます。 若い頃なら呼び止めてどういうことかを聞き出すのですが、 自分の体を支えるのに精一杯なので声も出ません。 まぁ、今の私の状態なら頭に一発パンチを受ければ只事 では済みません。おそらくあの世往きは間違いないでしょう。 それも仕方の無いことだと半分諦めていますが、私の人生 はこういう輩に邪魔をされ、ずいぶん損をしたような気がしま す。 特に教師には酷い目に遭いました。 正義とは人の世の為にある。という言葉の下、人の世に入 れない弱小な者、半端者、障害者など介護の必要な者は 正義の範疇に入らないという教師ばかりでした。 だから体を酷使して空手を覚えた。それを必要とあらば使っ て身を守ることも度々あり、その度に相手をKOしてしまう 自分がいる。私はその力も好きになれなかった。 自分が怖いほどの力も得るものは少なかったですね。 おそらくまた襲われることがあっても自分を守るために拳や 手刀を使うでしょう。それがどんな結果になろうとも構わず 使えばおそらく相手はただでは済まない。