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自分を洗脳する事が要領よく生きるコツなのか
何一つ人並みにできずゴミみたいな人生を歩んでいる者です。 今までの人生を振り返ってみて、比較的幸せだった時代を 思い返してみると、いずれも洗脳状態にあったのだと思います。 特定の価値観を信奉し、それに向かって全力で走る自分に 酔っているような状態です。 例えば、リア充を信奉していた時期がありました。 派手な格好をしてチャラチャラした言動をすれば充実した 人生を送れると本気で思い込んでいました。 その結果、約2年間に亘ってリア充グループの一員として それなりに充実した日々を送ることが出来ました。 例えば、努力教を信奉していた時期がありました。 毎日コツコツと勤勉に努力を積み重ねれば自分を 変えられて、結果を出せると本気で思い込んでいました。 その結果、それなりの結果と評価を得ることができました。 しかし、いずれも2,3年で限界の壁が見え、挫折しています。 今は何も信奉していません。自分のように生まれつき無能な クズが何を信奉した所で、何も変えられないと思ったからです。 洗脳されている時の言動を振り返ってみると痛々しく、偏屈です。 一方、自分の周りで充実した生活を送っている人をニヒルに見ると、 彼らも洗脳されていた時の私と同様に痛々しく偏屈なのです。 そして彼らは今の私から見ると、結果的に要領よく生きている ようにも見えます。 すなわち要領よく生きるコツとは、特定の価値観を信奉し、 自分を洗脳することなのでしょうか。 そしてその価値観に限界が見えたら、他の価値観に乗り換える ことをあと2,30回くらい繰り返すことが人生なのでしょうか。 ご意見お待ちしております。
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#6です。コメントありがとうございました。 >私の言う「痛々しい」というのは、このたとえ話ですと、「一人で行動することが素晴らしい」という価値観の人がそうでない価値観の友人に対して「なんでお前らいつも一緒にいるの?群れててもつまらないでしょ。一人はいいぞ。一人だとな…」と、他人の価値観を否定しつつ、一人で行動することの素晴らしさを延々と説くような事例を指します。 なるほど、そりゃ痛々しいかも。 本当に一人で楽しんでいる人は、声高に自慢したり人に押し付けたりしないと言われます。 >もう挫折ばかりの人生で疲れました。 そうなんですか。 何がうまく行かないんでしょうね? 私も挫折はありますし疲れもしますけれども。最近また挫折して嫌になりました。マシになったと思ったのにまたか、と。 ただ、これもよく言われることですが、同じ物事でも、人により受け止め方が違うんですよね。そういう部分は「自分次第」だったりもします。私はそこの部分で苦労しますが。建設的に考えているつもりでも、心の奥底にどうしても引っかかるものがあるから(それが何なのかはイマイチ分かりません。模索中です)。 質問者さんは自分を嫌いなのではありませんか?「何一つ人並みにできずゴミみたいな人生」とか言って。 そういう風に考えていたら、何をやっても多分うまく行かないと思います。 たとえ上手く行った時も、「たまたま上手く行っただけで、本当はどうせ自分は駄目なんだから」とか、人と比べて「あいつのほうが上手く行っている。自分は絶対にああいう風にはできない」とか思わないでしょうか? または、上手く行かなかった時に、「ほら、どうせ自分は駄目なんだから」「やっぱり何をやってもダメなんだよ」とか、諦めを自分でさらに強化するとか。 変えるんだったら、自分を否定して消そうとしたりするんでなく、一旦「自己受容」してからのほうがいいんですよ、ほんとは。「違う意味で諦める」というか。自分はこういう人間なんだから、これはこれで仕方ない、これでいいんだ、と。 心理学の本は読んでいますか? 考えを整理して新たな道を見つけるのは、カウンセリングを使ってみるのもいいかもしれませんよ。何か変わったカウンセリングやワークショップでなくて、ベーシックな心理カウンセリング。地味で面倒くさいですけど。 あと、本当に出来ないことがあるんだったら、出来るようになるために、工夫したり、適切な方法で練習したり、さらに経験を積んだりする必要があります。仕事なんかは特にそうです。最初から出来なくても良いんです。最初からスイスイ出来る人もいるけど少数派です。 でも出来る人を見ていると悔しいですけどね。ハイハイ、どうせあなたは何だって出来るんだろうよ、と。 ただ、その人たちだって実は、その人たちなりに苦闘していたりするんですけどね。完全無欠なわけではないし。 何をやっても楽はないんですよね。嫌になりますけどね。 心理学な読み物です。 http://www.counselingservice.jp/lecture/lec123.html http://www.f5.dion.ne.jp/~with/irrational.htm
- marun_2008
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>すなわち要領よく生きるコツとは、特定の価値観を信奉し、 >自分を洗脳することなのでしょうか。 あ、そうですよ。気がつくのに時間かかったね。私は14歳のときにそれを知ったよ。 要領よく、という価値感は私にはわかりませんが「幸福に感じて生きる」にはそうするしかないです。 最初からすべて持ってる人は幸せの感じ方知らないこと多いよね。 なぜなら幸福は「ない」ことときに比較して感じるものだから。 たいていの人は生きている間に最初から持っていた何か(親とか)をなくすので、 なくす前の自分が幸せだったと気がついて、次はなくす前に楽しもうとするんだけどね。 お金を苦労して得るなんてばかみたい。疲れる、いやだ →自分がやったことで評価されてお金までもらえるなんてラッキー。私は幸せもの! ご飯をわざわざ自分で作ってたべるなんてばかみたい。面倒でいやだ →自分で作ったら好きな味にできてうれしいなー、しかも作ったら 家族がみんな感謝するんだよね。私ったら幸せ! まあ幸福感っていわゆる「よかった探し」だから。 同じこと体験しても幸せに終わる人と不満で終わる人がいて、 不満で終わる人はある意味才能があってもっといいものを手に入れるためにがんばることができる 幸福に感じる人はそこで終わりだけど人生の大半を幸せに過ごす。 だからあなたが「イタイ」と感じる人達は、自分が幸福と思う人生送ってるだけ。 あなたは今、幸福を手に入れることはできない人っていうだけ。
- pct10968
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じじいです。 すべての行為が経験として生きてきます。 >すなわち要領よく生きるコツとは、特定の価値観を信奉し、 自分を洗脳することなのでしょうか。 最終的には、要領よく生きる事もなく、特定の価値観を信奉する必要もなく 自分を洗脳する必要もない、素のままで生きられる事が望ましいですね。 あなたは、詰まる所あなた自身にしかなれないのですから・・・
お礼
回答ありがとうございます。 私にも素で生きられるような強い心と判断力があればいいのですがね。
#6です。 自己レスです。 >派手なのが似合わない人だっているし、 似合わないと言っても、他人から見ての評価でなくて、自分的に合ってない、という意味です。無理してる感じで居心地が悪いとか。 似合わないでなくて、合わない、ですね。失礼しました。 ※もともとの性質、気質によるので、どっちがいい悪いではない。
要領よく生きられる人=幸せではないのですが(要領が良いのに本人は不幸な気持ちでいる人たちを知っています)、 「要領よく生きるコツとは、特定の価値観を信奉し、自分を洗脳すること」とは思いません。 なぜなら「特定の価値観」が、要領が悪い価値観の場合があるからです。 挫折は辛いし嫌なものですが、価値観がガラガラと崩れることがあるのが人生です。良くも悪くも。 やったことが全部無駄だったということはないと思います。 一見無駄なようでも、そこを通ってきたから分かったこともあるでしょう。 チャラチャラしている=幸せとは限らないんだなとか。 それこそ、現実に経験してみたことと、考えているだけって違いますから。 >自分の周りで充実した生活を送っている人をニヒルに見ると、 >彼らも洗脳されていた時の私と同様に痛々しく偏屈なのです。 これは余計なお世話かもしれませんよ。 外から見ても人の心は分かりません。 たとえば、一人旅や一人カラオケを「寂しい奴」「つまらなそう」「やりたいとも思わない」と見る人もいれば、「自由で楽しい」「私も好きですよ♪」と見る人もいるし、同じ事柄でも人によってどう考えるか違います。 派手なのが似合わない人だっているし、地味な人が不幸なのか?というと、そうとは限りませんし。
お礼
回答ありがとうございます。 もう挫折ばかりの人生で疲れました。
補足
>これは余計なお世話かもしれませんよ。 >外から見ても人の心は分かりません。 >たとえば、一人旅や一人カラオケを「寂しい奴」「つまらなそう」「やりたいとも思わない」と見る人もいれば、「自由で楽しい」「私も好きですよ♪」と見る人もいるし、同じ事柄でも人によってどう考えるか違います。 私の言う「痛々しい」というのは、このたとえ話ですと、「一人で行動することが素晴らしい」という価値観の人がそうでない価値観の友人に対して「なんでお前らいつも一緒にいるの?群れててもつまらないでしょ。一人はいいぞ。一人だとな…」と、他人の価値観を否定しつつ、一人で行動することの素晴らしさを延々と説くような事例を指します。
- haruharu22
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2~3年で限界を見、挫折を繰り返す。 それが人生ですよ(笑) ただ、その挫折を経験として自分の糧として捉えることが出来るかどうかですね。 人生、最初から最後まで楽しい人なんていないでしょ。 最後に笑って終える人生が最高なんじゃない? 私は35になりますが、今ではどうやったら最後に笑えるかな?っていうことを頭の隅に起きながら行動するようになってます。 小さいことから大きいことまで、自分の行動を選択する機会は日常にたくさんあります。 時には自分のための選択をし、時には家族のための選択をする。 正しい選択、間違わない選択をするためには、知識を得、挑戦し成功の喜びと挫折の苦しさを知り、それを経験とし少しずつ間違いを減らし、プラスを重ねて最期を迎えます。 最終的には死んで全て無くなるのですから、最終的に感じれる幸せって『笑顔』になれるかどうかじゃないかな? まぁ洗脳するのもされるのも、挫折するも立ち上がるのも、自分ですからね。 悩むのは必要なことです。 時には立ち止まるのも必要なことだと思います。 しかし、時間は全ての人間に限りあります。 やりたいことを見つけたら、時間はいくらあっても足りなくなりますから(笑) 30代って世間にはまだまだ若いと言われますし、自分でもそう思いますが、確実に20代の時よりかは選択肢は狭まってますし、しておけばよかったと後悔することは多々あります。 洗脳の良さも悪さも知ったこと。 それはあなたの経験です。 若いときの価値観なんてことごとく崩され、しょうもないプライドなんかは粉々に打ちのめされ、変化していくのです。 これから、どういう選択をするかがこれからの人生ですよ。
お礼
回答ありがとうございます。 最期に笑って死ねるように生きたいです。
- bari_saku
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一生にわたって信奉できる価値観を探せばいいのでは?
お礼
回答ありがとうございます。 やはり、そうなるのでしょうかね。
- E-1077
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要領よく生きなくてもいいんじゃないのかなというのは回答として成り立たないか。 特定の価値観を信奉する? つまり自分では納得がいかなくてもとりあえずはそれを鵜呑みにして信じて実行するってこと? 自分を洗脳する・・・・ これは、それを徹底的にやり、他の考えには同調しないってこと? 価値観は成長とともに変わるし、時代によっても違う。 立場が変わればその持っている価値観も変わる。 でも、人間の本質は損なわないし、またそれぞれの持つ本音というか本性の部分では変わらないと思う。 取り繕って周りに合わせてみてもボロがでる。 乗り換えずに、重複し、または削除しつつ、自分の中での新たなる価値観を見出すのが、大人になることじゃないかな。 よく親の作ったレールに乗りたくないとかいう人いますよね。親の七光りは迷惑だとか乳母日傘じゃダメだとか。 あれも考えようで、ない人にはある人の気持ちはわからないし、あるならあるでそれを存分に行使してもいいと思うんです。 そのうえで自分の考えをしっかり持てるようになれば、何もそれがものすごく遠回りの道であっても目的地に着けばいい。 遠回りをした分だけ他の人よりもっと人生が楽しいのかもしれない。 洗脳という言葉がずいぶん極論な気がします。そこまで浸透させなくても出来るのではないかな。 しかも、二つ三つ併用しないかぎりは生きていくのに不便だと思うんですけど・・・・。 人間はだれしも「無垢」で生まれてきます。 学習しそこに自分を作っていくのは大変なことです。 70歳でもまだまだだと思える人もいるでしょう。 隣の人がどのようなアイデンティティをもって生きているのかなんて誰も知らないしね。 まずは自分を自分で卑下することをやめてみてはどうでしょう。 自分を崇拝するのは難しいですか? 無能・・・・であり続けることはかなり難しいだろうし、クズというカテゴリーにいることを認識できるのはかなり達観しないと無理だろうし。 その点でご自身をよくわかっているのですから、何も宗教じみたことをしなくてもいいと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 「自分」は「状況判断力が普通の人より低いようだから、何かをする時にはできるだけ周りの人に確認を取った方がいい」と医者に診断された低能クズ人間なので崇拝するのは難しいです。
そもそも、要領よく生きるのが、いいことかという疑問がありますね。 もちろん、迷いなく、いいことだと、あなたが思うならいいんですよ。 ぼくは、要領が悪くても、自分の好きなように、生きたいです。 常に、ハイペースでいるより、変則的なマイペースが、いいですね。^^
お礼
回答ありがとうございます。 むしろ私はハイペースで生きないために要領の良さを身に付けたいと思っています。要領が悪すぎて、何事にも全力で取りかからないと失敗してしまうので。
- sutorama
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書かれているその時期は、その状況に「満足」している状態です 満足しているので、新たな向上心は生まれにくいです 本来ならば、目標を見つけて、努力を積み重ね、邁進する状態を「満足」(充実)していると思うのですが、それを知らないと現状に「満足」(充実ではない)していますので、勘違いに近い思いあがりも出てしまう で、書かれています「要領よく」は、その間違った「満足」の状態を維持する方法だと思います 例えば、目標に向かって邁進していないのに、「俺は○○になるつもりだ」などと言っているだけで満足なのです(洗脳?) で、その状況を守るために、理論をかざしたり(偏屈?)、上目線の言動があったりします 若いころはそれで良いのかもしれませんが、歳を重ねると、気づきがあります その気づきを無視して、その後も特定の価値観を信奉し、自分を誇示(洗脳?)しつづけると、偏屈なおっさん・おばはんになります で、書かれている「他の価値観に乗り換えること」と、人に好かれないじいさん・ばあさんになるので、やはり、新たな目標をみつけて頑張ってみる・・・その姿をカッコいいとも悪いとも思わず、固定された価値観ももたず、生きててみると良いのではないかと思います
お礼
回答ありがとうございます。 私の周りの環境が低レベルなのか、温厚で人間のできた人より、偏屈なおっさんおばさんばかりが得をしているように見えるのでいろいろと考えてしまいますね。
お礼
回答ありがとうございます。 人生やってられませんわ。