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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人は死んだらどこへ往くのでしょう?)

人は死んだらどこへ往くのでしょう?

このQ&Aのポイント
  • 人が死んだ後、行く場所について考えてみましょう。
  • 現在の信仰や宗教によって、人が死後に向かう場所は異なるかもしれません。
  • 個々人の信仰や思いに基づき、死後の世界について考えることができます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • tar5500
  • ベストアンサー率22% (852/3865)
回答No.3

私も無だと思いますね よく死ぬと地獄だ天国だ言いますが こんだけ人がいるのに地獄と天国を振り分けるエンマ様が 一人では過労で倒れます(そういう概念はないかもしれませんが) あと人間だけに地獄があるといのも解せないですね 動物にも地獄があるというなら生きるためにした殺戮が 誰が地獄だと判断できるのでしょうか? 草食動物は他の仲間が食われるのをほっておいたら 地獄へ行くのか?そー考えるとNo.1様の言うとおり 道徳的な戒めに近いものがあるかもしれませんね

その他の回答 (6)

  • ikuzecia
  • ベストアンサー率26% (364/1363)
回答No.7

>そう遠くない未来に私は死んでしまうかもしれません。 人間の一生なんてはかないものです。 人の命などは今日も知れず、明日とも知れず 朝露が消えてなくなる様なものです。 朝には紅顔あって夕には白骨となれる身です。 大地震が来なくとも明日の命が有るという保証は どこにもありません。 人は死ぬと生前に行ってきた行為(業)に より六道輪廻します。 天界、人間界、修羅、畜生道、飢鬼道、地獄に 生まれ変わり、どの世界に転生しても苦があり 終わりが有り、永遠に六道輪廻して苦しみます。 生きている時に自分で可能な限り善行を行い 人の悪口を言ったり、人を陥れるようなことをせず、 高級な時計が欲しいなどと言う物欲は捨て 慈悲の気持ちを持って社会に貢献し、 そして阿弥陀仏に深く頼みまゐらせると 俗世に生きる限り必ず行うことのある悪行は許されて 極楽浄土に導いてくれます。 六道輪廻をせず、一切の苦しみのない世界に行くことが出来るようです。 私はそう信じてます。 人間なんてはかないもので明日とも知れずなので 今からでも心がけましょう。

wind-exes6
質問者

お礼

ありがとう御座いました。

  • hidexkid
  • ベストアンサー率31% (27/87)
回答No.6

死については宗教上、科学上、哲学上で色々な解釈がありますよね。 人間は必ず死にますよね。 墜落するとわかっている飛行機に乗っているようなものです。 ただ、いつ落ちるのかはまだまだ先だったりしてよくわかりません。 まずは今を楽しみましょう!! 因みに、魂が天国に行くとか地獄とか言いますが、まだ行ってきた人はいません。 根拠もありません。空想概念です。 昔、地球は大きな象の背中に載っていると信じられたのと大して変わりません。 虹に対して敬虔な心を持ってしまうのと似た人類の本能かもしれません。 もしかすると天国ってあるのかもしれませんが無いかもしれませんよね。 だからそれぞれが勝手なことを思っていればいいのです。 ただし自分だけが思うだけで他人に押し付けてはいけませんよね。 私が思うに、例えば寝ている間には夢を見ますが見ていないときってどうですか? 深い眠りの時ってまるで時間だけが過ぎていて何もない時間が過ぎていますよね。 あれが永遠に続くのではないかと思います。 もし天国とか地獄があるのならば、まだギリギリ生きているうちの心理においてだと思います。 死に間際の瞬間ですね。言わばねていて見ている夢の間が天国とか地獄とかではないでしょうか。 自分が死ぬ時に「自分は正しく生きたのか、本当にあれは正義だったのか?」と自問すれば 全てを知る自分にごまかしは利かないのでやましい過去があれば自分を責めることになります。 戦争で人を殺しても、生きているうちは「あれは命令だった」とごまかせますが死ぬ間際には「あれは本当に正しい事だったのか、殺して良かったのか、戦争を起こし命令した人にだまされたのではないのか、結局は人殺しだったのでは?遺族を一発の銃弾で苦しめ続けたのは私?」と自問した時にごまかしは利かないのです。 なぜなら誰に言われようと選択したのは自分なのだから。 それが地獄とも言えるかもしれません。 原爆を落としたパイロットも「正義」とか言っていますが、死ぬ間際にはこの被告人席に座ります。 自分が正しかったと最後までボケて死んでいく度胸があるか、相当バカでなければ地獄行きです。 所詮人はサルです。所詮はチリからできてチリに還るだけです。 宗教は全く関係ありません。癒し効果しか説明できません。 偉そうにしゃべってるように思えるかもしれませんが恐縮ですが私の考えを話したまでですのでご参考になったでしょうか。

wind-exes6
質問者

お礼

有難う御座いました。

noname#194996
noname#194996
回答No.5

大災害で不幸にしてなくなる人々は”犠牲者”です。災害に遭って天から選ばれ、尊い犠牲になるのです。ですからおそらくですが天国、あるいは極楽浄土へ行かれると思いますよ。ご安心ください。

wind-exes6
質問者

お礼

有難う御座いました。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.4

災害が来るから死ぬかもしれない・・それは詰まらないですね。少なくとも生き残る確率は高い。努力すればいいだけですから。 私は既に心臓が弱っています。血管も一本はステントが入っていますけど、二本は狭窄したまま。すべての治療を拒否しています。なぜならマトモに説明できる医者がいないから。貴方より確率は高い。 死後の行き先については、とにかく想像するしかないです。だれも見せてはくれないのですから。 私はこう思います。魂の成長は学校のようなものだと。つまり魂にも小学校・中学校。高校・大学・そして成人の段階があるのです。人間世界は高校。大学以上は仏の世界、中学以下は胎蔵界。 魂はその行動によって重くなったり軽くなったりします。善行でなくても真面目に生き抜けば僅かずつ、ちょうど進学していくように軽くなっていく。そして三年生まで行けば仏の世界に進めるんです。 高校一年から二年に移るのが生まれ変わり。大学では菩薩行という教育実習で高校(現世)や中学(地蔵行)に行って子供達を学ばせ進学させる。そして自らもさらに進んで最終的な成人になる。この成人が如来、或いは阿羅漢という事です。逆に重くなれば落第。小学校未満になれば地獄界。善業は飛び級のようなものです。 例えば仏の世界でも修行はあると説くのと浄土思想のように死ねば仏と考えるのも大した違いはありません。見えない世界だから大雑把に考えるか、詳細を想像するかの違いだけでしょう。例えば二次は世界中で同じですけど、同じ虹を見ても七色に見る人種もいれば二色にみる人種もいる・・そんなもんです。 だから真実を考えるより、自分が納得できる考え方、生きる事に張り合いが出来る考え方をすればいいだけです。 私はそういうことから「無になる」という考えは否定します。 法曹界ではむになるという考えが大半です。だから被害者は死んじゃったんだから仕方ないじゃないかと考えるから、三人殺さなきゃ死刑にならないとか、生きている犯罪者の命の方が大切だと考えるわけです。 それにどうせ無になるのに、なぜ我慢したり努力したりするのでしょう。そこに何の意味があるんでしょう。 でも、自分が納得でき、他人を巻き込まなければ、無になるを含めても自分が納得できる考えをすればいいんです。

wind-exes6
質問者

お礼

有難う御座いました。

  • i-am-you
  • ベストアンサー率26% (42/156)
回答No.2

それが解かっている人は生きていないと思います。 えっと・・・。 引越しを・・・いやなんでもないです。 適当でいいなら知りません。 浄土真宗的にのお答えなら、 浄土真宗 死後 で調べられたら良いと思います。

回答No.1

人は死んでも「死ぬ(無くなる)」だけです。 事実としては「亡くなる」は「無くなる」のです。 宗教などにより「良い事をすれば天の神のもとへ」などと美化されていますが 事実ではなく道徳を説く教えです。 生きる事は「力の限り生きる」事です。 「定め」とは「諦め」です。 南海トラフの大地震が起きる可能性があるとは言え、何億年の中の出来事です。 あなたが生きている間は来ないかも知れません。 昨今の報道で心配はあると思いますが、死を意識しながら生きるより、どんな 方法で生き延びるか考えて下さい。

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