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変に思われる~暗記と物覚えと習得の違い
- 物覚え、暗記、習得の違いについて解説します。物覚えの悪さに悩む筆者は、暗記と習得についても自己評価がありません。言語処理は早く身につき、数理処理は時間がかかりますが、正確さとスピードは高いと感じています。能力は高いが部分的に欠損していることもあり、非言語コミュニケーションにも苦手意識があります。
- 周りから変に思われる筆者は、能力の凸凹が極端で一部の分野で得手不得手が変わることに困惑しています。先天的な発達障害も関連していると専門家から言われました。筆者は訓練を積んで欠点を修正し、周囲から変に思われない人間になりたいと考えています。
- 努力は大切ですが、筆者は努力の仕方を間違えると災難を招きやすい体質であることに気付きました。どうすれば欠陥を修正できるのか、努力の方向性に悩んでいます。
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その三つは、その程度ならなんの違いもありません。 多分、普通の人です。 心配し過ぎるのは止めましょう。 ちょとアスペルガーなのかなとも思いましたが、アスペルガーの人の記憶力や、計算のスピードの速さは「高いようです」といった程度ではありません。言葉は悪いですが「気違いなみ」にすごいです。(そういう友人が二人ほどいるので) また、「変な人」と言われることに全く頓着しませんし、へこんだりもしません。 気になるところを自分で気をつけながら生活をすればいいと思います。 ご参考まで。
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No.4です。 失礼しました。“取得”ではなくて「習得」でしたね。 「習得」とは、五感に刻み込ませて覚えるということになるのでは…。 絶対音感とかリズム感とか味覚とかは暗記によるものでもなければ、物覚えの類でもなく、「天賦の才」によるものと思います。 そういった生来から持っている才能の伸び代を訓練によって磨き、技術を身につけることが「習得」だと思います。 伸び代が余裕である分野では訓練によって習得が可能だけれど、伸び代が殆ど無きに等しい分野では習得が困難であるというのは誰にでもあることだと思います。 シビアですが、環境に恵まれていれば誰もが音楽家やオリンピック選手になれるわけではない、というのと同じことだと思います。 >「(丸)暗記」と「習得(体得)」については、 エラくもの凄いスピードで覚えると言われたり、 分野によっては真逆に、異様に習得が遅いと言われます。 でも、当の本人である私に、その自覚は全くありません。 得手とか不得手とかは、自分では解らないということですね。 「好きこそものの上手なれ」と言いますが、得意分野に携わっているときは、気分が高揚したり工夫するのが楽しかったり、研究意欲が湧くものと思いますけれど、そういうのはないですか。 逆に苦手な分野に携わるときは、仕事がなかなか捗らなかったり、モチベーションが下がったり、集中力を保つのが大変だと思うのですが。 訊かれても困ると思いますが、どちらに対しても特にモチベーションの変動はないし、等しく興味がないということなのでしょうか。それとも、どちらの場合も、ずっと集中して全力を注ぎ込んで物事に当たっているので、得手とか不得手とか、そういう感覚が特に湧かないということなのでしょうかね。
お礼
二度の回答に感謝します。 少し考えたりしてスッキリする問題でもないので、 時間をかけて整理して、専門家とも相談したいです。
『 暗記:ひたすら覚える。 物覚え:コミュニケーションを含め、生活に必要なことを覚えられる力。 取得:生計を立てる上で必要なことを覚え生かす。』 ――だと思います。 *** 発達障害と呼ばれる人たちより、定型発達と呼ばれる人たちの方がスッパリと物事を忘れたり、けじめをつけるためにと諦める傾向が強いし、物事を自分にとって都合良く解釈してモチベーションをアップするのに長けていると思います。 定型発達者でも、取り分けテキパキしていると評価が高い人ほど、自分が生活する上で必要ないと判断した物事は、忘却するのが得意な人が多いと思います。 必要のない情報は捨て去られ、常に記憶の上書きが為されるので、能率的で無駄がないのです。 よって、「あの人は空気が読める人」 「仕事の出来る人」と評価されます。 例え、個人個人の気持ちを汲み取るのがそれほど得意ではなくとも、状況(仕事の能率化・全体の流れ)を読んで先回りして動けるので、やはり、「空気が読める人」 「仕事の出来る人」と評価されます。 一個人にとっては非情であったとしも、全体の空気が読めるので「臨機応変な人・機転の利く人」として重宝され、本人もまた自信とプライドを持ち、益々「切り捨てに長けた人」になって行きます。 上記は定型発達者の中でも能率化に特化した人、全体主義の傾向が強い人の例なので極端な例ですが、定型発達者と発達障害者とでは、潜在的な作業能力の差以上に、物事に対する姿勢や価値観の違いが大きく影響していると思います。 >私は一週間前の晩飯と混同したりします。 一週間前の晩ご飯に何を食べたのかということを、定型発達者は覚えていない人が多いと思います。 例えば、糖尿病だとかダイエット中で食事内容をこまめに記録するなど、普段から食事内容を意識する必要を感じている定型発達者なら、一週間前の献立を覚えているでしょうが、特に意識する必要を感じなければ自然に忘れてしまうので、一週間前の晩ご飯自体を思い出せないのです。 ご質問者の場合は一週間前の晩ご飯のことを覚えているから混同が起きるのであって、必要性がないことは忘れ去るのが得意な定型発達者には、そのメニューの記憶自体が残っていないので、混同すら起きないということです。 定型発達者は何でも覚えているのではなくて、「実生活で必要性のあることを記憶するのが得意で不必要と判断したことを忘れるのが得意」なんです。 能力が全般に高いのではなく、便利を優先して生きる術に長けているので、発達障害者側からみれば、そつなく仕事をこなせているようにみえるのです。 空気を読むということは、定型発達の枠に入れられている人たちにだって、苦手な人はいます。 苦手というよりも、空気を読む能力はあっても、能力の高い定型発達者に比べると、切り捨て術に長けていないので、選択肢だけはやたらとあり、どこまで気を遣えば良いのか解らず、優先順位を決めかねて生きるのが下手な人もいるんです。 でも、諦めることや忘れ去ることに努めること、悩みを表に出さないようにすることが発達障害者よりは幾分得意なので、傍から見れば深刻に悩んでいるようには見えない、ただそれだけだと思います。 発達障害と定型発達の中間にいる人間もまた、それなりに集団の中では苦労しているし、両者の気持ちがそれとなく解るので、もっと気楽に構えたら良いこと、見なければいことまで空気を読もうとしてしまい、無駄に疲れてしまうのです。 冒頭で挙げた能力の高い定型発達者だって、全体の信頼は厚くとも一部の人からは冷血漢と呼ばれるでしょうし、恨まれることもあるでしょう。 能力は高くとも潜在的には敵の多い人だと思います。 捨て去ること忘れ去ることの能力の特化で社会的には高い評価を受けているので、身近な人からは恨まれても、能力の発揮に生き甲斐を見出せていれば、その人は幸せであり、逆に個人から恨まれることを気に病めば、自分のことをまるでロボットのような人間だと憐れむことでしょう。 結局のところ、定型発達者として括られている人たちは、「自分を含めた物の見方を変える術に長けているので、自虐的にならずに済む」そういうことだと思います。 それでも極端に自虐に傾けば、滅私して全ての意思を汲み取ろう、全ての空気を読み取ろうと努め続ければ、心を病みます。 人の意見を全て受け入れるのではなく、出来ることから少しずつ受け入れて行く、そうでなければ誰もが心を病むし、能力を発揮できなくなると思います。 定型発達だとか発達障害の能力値の差よりも、如何に自己実現できるようになるか、叱責を悪口と取るのか、それとも助言と受け取るのか、「能力そのものよりも如何に物事をプラスに解釈できるようになるのか」、そちらの方に拘って生きた方が道は開けるものと思います。 「叱責=悪意」それが全てではないし、「叱責=善意」と受け取ろうと努めなくても良いと思います。 その叱責が自分にとって改善すべき課題なのかどうか、そこが大切なのであって、拘るべきことは叱責されたという事実よりも、「自分で克服したい工夫したいと思っていることなのかどうか」ということだと思います。 >これらの欠陥を軌道修正するには、 一体どんな努力をすれば良いのでしょうか? 「あの人ちょっと変なんじゃないか?」といった本人に直接訊くという手もありますが、ご質問者がその人を毛嫌いしていたり、不信感を持っていたら、訊くのは得策とは思えません。 その人とご質問者、両者のどちらの立場もよく知っている人物からアドバイスを受けてはどうでしょうか。 ご質問者の苦手な分野と得意な分野を熟知しているのは身近にいる方たちですからね。
お礼
二度に渡る回答に感謝します。 ちょっと考えてスッキリする問題でもないので、 改めて時間をかけて考えたり、専門家に相談します。
>努力は大切ですが、自分の場合、 >努力の仕方を間違えると災難を招きやすい体質であることも、 >だんだん分かってきました。 これは質問者さんだけでなく、他の人もそうです。 どっちの方向に向けて努力すればいいのか、どういう風に努力すればいいのか、いつまで努力して、いつやめるのか。などなど、誰でも悩むことがあるし、分からないものなんですよ。 もしかしたら世の中にはすぐにパッと分かる人もいるのかもしれなけれど、凡人はたいてい試行錯誤するものです。 もしかしたら発達障害・・・・障害というより特徴や個性と考えたほうがいいんじゃないかと思いますが、何かあるのかもわかりません。 けど、「訓練を積んで自分の欠点をある程度修正」するのは、そういう特徴が無くても、ある程度は同じです。 「うつ状態になりやすい人がストレスを軽減する考え方や生活を学ぶ」とか、あるいは精神面でなく肉体面であれば、「膝の怪我や病気がある人がリハビリ施設でリハビリをする」とか、「心臓病の人が血管を広げる処置を受けてから定期的に通院し、生活に気を付ける」とか、「糖尿病の人が食事に気を付けながら通院を続ける」とか・・・・・治療や指導を受けて弱い部分をカバーする「工夫」をするのは変なことではありません。 どういう分野であっても専門家に見てもらいながら行いますから、質問者さんの場合も、検査結果を医師と相談しながら、適切な方法を選ぶのが良いのではないでしょうか。 ショックもあるでしょうが、気づけたことは良かったのだと思います。 気づいたのなら対処の方法も見つかるでしょうから。
お礼
ありがとうございました。 正直困惑気味です。 自分でも整理が付かないので、 個別のコメントは避けます。 今週末にゆっくり皆様の回答を 一字一句読み直してみます。
- JqqF
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私は、診断済みのどアスペルガーですが、あなた程に自身の性質について悩みません。 いわゆる定形発達者がどれほどに優秀なのかと問いたいです。空気が読めると豪語しながらも、空気の読み違えで揉め事ばかり起こしている。要するに、定形発達者とは空気が読める人種ではなく、相手にばかり空気を読んで欲しがる人種なのだと思います。見習おうとは思いません。 分からない事は聞けばいいんです。分かったふりなど必要ありません。欠陥は自覚しているだけで充分です。役立ちは他方で挽回出来ます。 変人に見られたくないというのは見栄の問題なので、どうにも回答しかねます。
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- kamikami30
- ベストアンサー率24% (812/3335)
私には、あなたの変というところが何なのか伝わってきませんでした。 空気を読むのが苦手な点については、 話を聞くことを優先して、自分が発言するときには、相手がどう理解するのか考えてみたら良いと思いますよ。 相手の話を聞くときにも、 思ったことを包み隠さず話す人なんてそういませんから、 具体的な事例の状況や言動の説明があれば、一つ一つに対して意見することは出来ると思います。
お礼
ありがとうございました。 正直困惑気味です。 自分でも整理が付かないので、 個別のコメントは避けます。 今週末にゆっくり皆様の回答を 一字一句読み直してみます。
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ありがとうございました。 正直困惑気味です。 自分でも整理が付かないので、 個別のコメントは避けます。 今週末にゆっくり皆様の回答を 一字一句読み直してみます。
補足
ちなみに、私も「自分の好きな事に限って」は、 または「好きな事ではなくとも特定分野」に関しては、 無意識に大容量・高速記録(記憶)を行うようで、 周囲(女性)に気持ち悪がられて嫌われたことがあります。 例えば、好きなドラマシリーズ百数十回分のセリフを、 一字一句正確に、鮮やかに丸暗記したり。 便利なようですが、意外と他の処理を妨害したりします。 似たようなセリフに日常で出くわすと、 余計な記憶が紐付けされて引き出されたりして、 関係のない情報の記憶が妨げられたりして困ります。