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“自分”の“性格”って改善すべきですか?
変な質問かもしれませんが、聞いてください。 自分というのは私のことではなくて、人間個々の事です。 私はずっと無口で、そのせいで友達もできなくて、という学生生活を送っていました。 しかし、努力の甲斐あって(?)、最近はようやく友達と呼べるものもできてきました。 それでも、当たり前ですが、苦しさや悩みは消えません。 覚悟していた事ですが…そりゃあ、誰でも悩んだり苦しんだりするって事はわかっています。 ただ、このまま“友達がいない”ということで苦しむより、友達がいる上での、人間関係などで悩んだ方がずっと価値がある、と思って、友達を作る努力をしたのです。 けれど、性格が改善されればされるほど、他の悩みのレベルがヒートアップしていく気がします。 幸せが増すほど、不幸も大きくなる、みたいな。 例えば、クラスできちんとしている子とか、皆から尊敬されてる子とか、そりゃあいいですよね。 けどその分辛いモノを背負っているように見えます。良い性格なのも、その人の努力の結果だということはわかるんですが…。 そうなると、今の自分で、友達はいるけどまだちょっと人下手だな、くらいで止めておいた方がいい気がするんです。あまり夢を追いかけすぎてしまうと、いざそれが達成されてしまった時、残るのが虚しさだけなのと同じ気がするんです。 だからといって、自分の性格を悪化させたいとかではないです、ご安心下さい。それはただの怠慢だと思うので。最低限は保ちます。 改善させる努力を少しはするけれど、しすぎないというか…。 それとも、そんなことは気にせずに積極的に改善していっていくべきでしょうか? それによって生まれる楽しさと苦しさの差がとても怖いです。 皆さんの意見をお聞かせ下さいv
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- haruharu22
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全てはバランスですよ。 尊敬される人はその分努力しています。 優しい人は痛みを知っています。 いつも笑顔でいる人は、人生は苦労の連続でありその先に幸せがあることを知っているからです。 上を知る人は下を知っています。 言い替えると、下を知らなきゃ上も見ることはできないということです。 下を見ることは怖いことです。 しかし、その怖いことを避けていては喜べることも無いんじゃないかなっと思います。 意図的に下を見ることもできますし、下を見るつもりがなくとも、そうなることもあります。 もぅ人知を越える部分ですから、あなたが悩もうが悩むまいが、上下の波は訪れますよ。 性格をかえるべきか・・なかなか変えられるものではありません(笑) 変えるとするなら性格をというより考え方だと思いますよ。 今の最低限の生活は営める時代においては幸福って求めるものじゃないと思うのです。 幸福って気付くものです。 今の自分自身がいかに幸せであるかにね。 生きていく上で孤独に勝る恐怖はないですよ。
- aymhfgy
- ベストアンサー率43% (1472/3372)
生まれつき持っている性格というものはそんなに簡単に変えられる訳ではありません。 でも、努力して良い性格に変えるというよりは自分の欠点を知り、そこを改善するように努力するというのであれば人間関係も良くなり、幸せ感は増すように思います。人からどう思われるかという所に視点を置くのではなく、自分の弱点を深く知っている人は思慮深い人になり、尊敬されるようになるかもしれません。 全体として感受性が深く、自意識が強くなる時期に生きておられるguminto-144 さんかと思われます。 >改善させる努力を少しはするけれど、しすぎないというか…。 それはとても大事なことだと思います。無理をするということは不自然なことです。無理をして表面だけ変えても人には分ってしまうものだと思います。 少し引っかかるのは考え方の上で、この世を生きるのが全面的に楽しいか楽しくないかの二種類に限定されていることです。幸せが増すほど不幸が大きくなったりどんなに幸せでも虚しさがつきまとうのはこの世に生きる者の宿命です。苦しさや悩みがない世界は何処にもありません。両方、受けいれる気持ちでいれば良いのではないでしょうか。 お友達とは大いに交流を楽しんでください。そして辛いこともあるでしょうけれどそれも味わいながら臆病にならずに前向きに生きていって頂きたいと思います。
- oignies
- ベストアンサー率20% (673/3354)
高校生くらいなら向上心はもって当然で、その頃に努力しない とあとあと性格がかわるということはあまりないかと思います。 優等生とか、好かれている子はつらいものを背負っていると かそういう問題ではおそらくないですね。 気立てのよさ等は、たぶんに生まれつきものです。体力・忍 耐力も同じ。努力する性格については、周囲の環境その他 あるかと思いますが、毎日が自己鍛錬というのは、習慣に なれば、歩くとき、足が交互に自然にでるのと同じことです。 逆も同じ。 どうやっていじめてやろうか、と毎日考えていれば、いつも そういう発想になります。その当人にとっては、それが、あ たりまえの日常ということになります。 その結果として、往々にしてありがちな結果としてよくある のが、本人もしくは娘の離婚です。あくまで、知っている範 囲内でのケースですが。
うわ~!懐かしい~! 私も同じこと思ってました! だから私も友達少なかったです! でもそう考えるのは学生だからです。 働き出したら考え方変わるし 結婚したらもっと変わります。 で、40代の今ですが・・・友達少ないですよ。 でも親友はいっぱいいます♪
3つの部分について、答えます。 1、性格は改善する必要はありません。 自分の性格をうまく利用すればいいのです。 たとえば、短気な人ほど、一流のサービスマンになります。 自分がささいなことにイライラするから、お客様の気持ちに敏感になるからです。 2、しあわせが大きくなれば、しあわせが大きくなるだけですよ。 たとえば、いつも中心にいる人も悩みはあるでしょうが、 あなたが思っているほど、悩んでいません。 好きなように生きている人は、まわりからストイックに見えるだけです。 本人は苦労と思っていません。 3、友だちはいたほうがいいとは言い切れません。 くだらん飲み会に付き合いに誘われる友だちなんて、いないほうがいいです。 自分の時間を奪われます。 気が合う人とだけ関わって、後はひとりで自分を磨いたほうがいいです。
お礼
3つの回答、どれも前向き(?)で、励まされました。 これでいいのか、と少し荷が下りた気分です。 ありがとうございますv
お礼
案外同じ事を考えてる人っているものですよね、 この事に限らず。世界は広いです…。 そうですね、環境が変わればすぐ考え方も変わるかもしれません。 友達は少ないけど親友は多いって、いいですね! 私もいつかそう言えるように頑張ります。