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戦争を知らない世代が何を言うか!
かくいう私も戦争を知らないので自己矛盾なのですが、戦争を知らない世代の橋下などに「強制連行はなかった」と紋切り型に言われても、発言が非常に軽く感じられて、説得力を感じないのです。そんなに単純にこうだと割り切れるものではなく、かつての戦争とはもっと複雑で重いものだと思うからです。現代でも「現場主義」という言葉がありますが、まるで現場を知らないキャリアが、半分想像でものを言っているようにしか感じられません。戦争は会議室で起こっているのじゃない。68年以上前に何年にも渡って、何百何千もの人生が絡み合いながら、国内から遠い異国の地と広域に渡って起きていたのです。強制連行があったか無かったか、ただ黒か白か、その巨大な歴史をただべた塗りで一色に塗りつぶすことに何の価値があるのでしょうか? そもそもべた塗りが可能なのでしょうか?
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- rikukoro2
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補足 日本はやってもいない強制連行で賠償と謝罪を要求されています。 例えるなら電車の中でやってもないのに近くに居た女性に『この人痴漢です』と警察に突き出されたようなものです。しかもその事件は60年前に貴方が祖父が起こしたとされ、今更賠償を求められれています。 ここで疑問点 ・貴方が当事者ない。そして当時生きていないのだから弁解する事自体いけないことでしょうか? ・当時の日本政府および管理組織(GHQ)の調査ではそのような事実は全く発見されていない。又裁判でも無実が証明されています
- nosamajin
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確かに戦争を知らない世代が偉そうに講釈をたれる事に不快感を感じる気持ちは分かります。 また、橋下共同代表の一連の発言は人権感覚もないし、歴史を直視してるように見えないし、それに発言の内容を精査すると言ってる言葉が途中で方向性が真逆になっているしで、結局のところ説得力のある発言には聞こえないのも事実です。 しかし、日本の戦中の一連の行為は是か非か、正しかったのかそれとも間違いだったのか(私は間違っていた側と考えますが・・・。)、強制連行などの非人道行為は事実か嘘か(こちらも私は事実と考えますが・・・。)の結論は出さないとダメでしょう。 それをベタ塗りだからダメと仰るのであれば、歴史から学ばないと同意義になるのであり、同時にそれは先人の失敗を学ばずに同じ失敗を重ねることに繋がるのではないのでしょうか。 歴史の結論を出すという事は何が良く、何が悪かったかを明確にするという事です。 そういう作業に価値がないとは言えないと私は考えます。
- rikukoro2
- ベストアンサー率21% (1316/6195)
それをいうなら歴史研究など全くできません。 現代人は江戸時代以前を生きていないなら江戸の歴史以前の話はまったくできません。 質問者の意見は荒唐無稽です。 歴史学研究の方法論では、資料の信頼性を6段階に分けます。一等資料とは、ある事件が発生した時に、その場所で、当事者が残した資料を言う。 二等資料とは、当事者が、異なる時間か、場所で残した資料。三等資料とは、一、二等資料を基にして、編集・公表したものである。以上の3つを根本資料といい、歴史学研究はここまでの資料に基づかねばならない。 この資料では強制連行の事実は全く見当たらず、また強制連行があったとう証拠も多くの裁判(司法判断)で嘘だと判明しています 例えば近年の研究において豊臣秀吉の墨俣一夜城などは当時の文献や発掘資料で嘘だということが濃厚になりました。しかし質問者の言い分だとその当時生きていない考古学者は『戦国時代に生きてない世代が何をいうか!』という事になりゃしませんか?
- AVENGER
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>強制連行はなかった 強制連行があったとする証拠はありません。 朝鮮人が密航して本土に渡り、これを取り締まったという証拠はあります。 朝鮮人女衒が騙して女性を売春婦にしていた証拠はあります。 同じく親が娘を売っていた証拠もあります。 朝鮮人に徴兵制度が敷かれるまで、何百倍もの倍率で志願兵が集まったという証拠もあります。 ところで質問は何でしょうか?
お礼
針の穴から世界を見ることに意味があるかどうかです。
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お礼
歴史研究は大切だと思いますよ。しかし、現実の過去と比べた時、その歴史とやらは二束三文の紙切れに過ぎないと思います。我々が歴史と呼んでいるものは、現実の過去のほんの一部に過ぎないと思います。ほとんど黒塗りで塗りつぶされた本を読んでいるのと同じだと思います。