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本当の私ってなんですか?
私は中学生二年生です。 正直、毎日同じことを繰り返してることに疲れました。 朝起きて準備をして学校に行って意味もなく笑顔で挨拶して 授業を受けて帰る。なぜ、この繰り返しをしなければならないのでしょうか。 母にはいい高校、いい大学に行っていい人と結婚して幸せになりなさいとよく言われます。なぜそこまで決められなければならないのでしょう。 私は。本当の自分がよくわかりません。 学校ではハイテンションで馬鹿で友達想いのいいキャラを演じてます。 家ではよくお手伝いをして弟の面倒をよく見るいいお姉ちゃんのキャラを演じてます。 塾では一生懸命頑張って勉強をしているキャラをえんじています。 正直、毎日テンションを高くするのは疲れるし勉強だって本当はできる。それに友達なんて所詮話すだけ。家の手伝いも面倒だし弟の面倒も疲れる。塾ではレベルの低すぎる問題ばかりやって本当に疲れる。 ↑これが本当ほ私なのでしょうか? もう、本当の自分がわからないんです。 私みたいな人間はいなくなってしまった方がいいのでしょうか?
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- adadkd
- ベストアンサー率41% (5/12)
私も中学生です。とても驚いています。今の私と、同じです。 どこにいても「お芝居」をしている気分です。仮面を被って生きているようです。 どきどき、お芝居のキャラが自分のように思えてきます。 なので、私はお芝居=ゲーム。だから、演じきってやる。という考えで過ごしています。 自分を出すのは、夢か1人カラオケです。 後は、趣味は物書きなので、自分の「ゲーム」を小説風に書いています。 最後に、本当の自分とは1人のとき、何も意識せずにいる自分だと思います。 裏舞台の役者のように。
- minamo0804
- ベストアンサー率0% (0/2)
中学生です。とにかくありのままの自分を出すこと それだけで変わる。好きなこと、夢中になるものを必死に探す それだけでも変わる。
- anndoromeda
- ベストアンサー率15% (279/1846)
本当って、何ですか? 先ず、「本当」について辞書を引きましょう。 それも出来る限り多くの辞書を・・ また、あなたが何となく感じる・・本当・・自分が感じる本当を書き出して見ましょう。 本当・・の意味を曖昧にしたまま、本当を探しても、本当の・・は見つからないでしょう。 また、人は言葉にとても左右されます。 特に本当などの言葉には・・ 騙されやすい・・とも言えますね。 本当があるなら、今の自分は「嘘」なのでしょうか? そんな事は無いですよね。 今の自分も本当の自分です。 嫌な自分、汚い自分、最低と思う自分。 そして、明るい自分、人に好かれる自分・・・などなど。 それらを全部含めて、自分です。 自分をこれだ・・などとは、言い切れません。 定義仕切れません。 あなたがイメージするであろう、しているであろう、自分に都合の良い部分だけ(あるいは理想の自分)を取り出して、「本当」の自分などあり得ないのです。 そして、それは、誰もがそうです。 >>私みたいな人間はいなくなってしまった方がいいのでしょうか? どうして、その様な考えに・・ 短絡的にと言いましょうか・・ になって、しまうのでしょうね。 様々な自分を抱えて、あるいは内包して、あるいは内在して、自分です。 自分とはこれだ・・などと、単純には言えないのです。 その様な矛盾やら、意味不明とも思える部分を内在していても、では、どうするか? かも知れません。 それこそ、人様々。 悪魔にもなれるし、天使にもなれる。 悪魔の自分も、天使の自分も、どちらも、自分。 そして、どちらを選ぶかは、自分次第。 そう、選択する・・自分も内在している・・ 人とは、何と摩訶不思議な存在でもある様です。
- mojitto
- ベストアンサー率21% (945/4353)
心理学に「ジョハリの窓」というものがあります。 自分というのは4つに分類でき、 自分も他人も知っている「開放の窓」 自分は知っているが他人は知らない「秘密の窓」 自分は知らないが他人は知っている「盲点の窓」 自分も他人も知らない「未知の窓」 に分けられます。 お母さまの指摘に納得できないのは、その指摘が質問者さまの「盲点の窓」について言われているからでしょう。 お母さまから見た質問者さまは“尻を叩いてやらないとダメになってしまう”と思われているのです。 仮にお母さまから見て、質問者さまに才能があり、黙っていても努力をする人であるのなら、そのようなことは言われません。 いやいや、「あたしは優秀だぜ」というのであれば、それは質問者さまがそれを「秘密の窓」にそれを押し込んでしまい、それを他人に知らせていないのがいけないのです。 自他共に“自分”を合致させるためには、それを「開放の窓」に持っていかねばなりません。 (「秘密の窓」が多ければ、いわれのない指摘を受けるのは当然の代償です) そしてより多く本当の自分を知るには、「盲目の窓」の指摘を真摯に受け入れ、未知へのチャレンジ(「未知の窓」を小さくする)を行わねばなりません。 まぁ悩みの多い年頃でしょうし、自分の多様性とは死ぬまで付き合っていかなくてはなりません。 その扱い方を覚えれば、問題ないでしょう。
- ka28mi
- ベストアンサー率41% (969/2315)
40過ぎのオバチャンです。 まず、「本当の私」だの「真実の自分」だのというのは、錯覚です。 少なくとも私はそう思っています。 「本当の私」を探す人は、よく「今の私は演じているの」と言いますが、じゃあ、なぜ演じているのでしょう? 演じていた方が周囲が喜ぶから、周囲が喜んでいる方が自分にとって精神的にか物質的にか、都合がいいから「演じる」わけでしょう? それを選んでいるのも自分なんです。 質問者さまの今の状況、自分の在り方に疑問を持っているのは、第二次反抗期の正常な反応の一種です。 無責任に感じるかもしれませんが、どんどん悩みましょう。 ただ、ひとつひとつの悩みを単純に書き連ねるだけではなくて、もう少し掘り下げて悩んでみることをお勧めします。 たとえば、お母さまの台詞ですが、「~なさい」と言われるから「決められている」と受け取ってしまうのでしょうけれど、質問者さまの人生を生きるのは質問者さまですよ。 お母さまは、「~なさい」という希望を述べているに過ぎません。「決め」てなどいないのです。 親として質問者さまに幸せになって欲しいだけ、質問者さまには不幸になる権利はありますよ。 で結局、質問者さまは何がしたいの?どうなりたいの?ですね。 学校でハイテンションで馬鹿で友達思いのいいキャラを演じるのが疲れると思うなら、演じなければいいんです。 「今日は疲れてるの」とダレていればいいんですよ。 馬鹿を演じるのが疲れるなら勉強ができるところを見せつければいいんです。 質問者さまがそうすれば、また別の交友関係が生まれます。 家の手伝いとか、弟さんの面倒を拒絶してみましょう。 でも、そうすれば、親御さんも質問者さまの面倒をみる義理はないでしょうし、弟さんにだって質問者さまの邪魔をする権利もありますよ。 家族ってものは、一番最初の共同生活相手です。 そして共同生活には、それなりのルールがありますし、快適に暮らすためには果たすべき役割もあります。 まずはアタマの中で、「これを拒絶したら相手はどうなるんだろう?相手に本当に敵対されたら、自分はどうなるんだろう?」って考えてみてはどうですか? 塾に関しては「レベルが低い」と感じるなら、質問者さまのレベルが高いことを証明して塾を辞めちゃった方がいいですよ。 「塾」ってものは、学力を上げるために行く所、低いレベルに合わせるために行く所ではありません。 質問者さまが「こうしなければならない」「こうすることを求められている」と思っていることの多くは、実はそれほど積極的に求められていないのかもしれませんよ。 悩んで、よく考えて、視野を広く高く持ちましょう。 質問者さまは今、他者に頼りきった子どもでいるのか、自分の足で立つ大人になるのか、その分岐点にいるんです。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
>私は。本当の自分がよくわかりません。 はい、それが「自我の目覚め」ってやつです。難しい言葉だね。私も10代の頃はそんなことをいわれてもちっともなにがなんだか意味が解りませんでした。 今、いわゆる「子ども」から一歩前に進み始めたということなんですよ。子供の頃は、「やってはいけない」とか「ダメ」っていわれたら、親がダメだっていうからダメって別に深く考えずにそう思っていたでしょう? でも今は、「なんでダメなんだよ」「親がいうことはすべて正しいのか?」って思うようになっていますよね。親に対してはまだそう思わなくても、先生とか、世の中とかにぼちぼちそう思い始めてるでしょ?「毎日学校に行って、なんの意味があるんだ」なんてね。 んで、そこから反抗期になって、世のオトナたちの汚さに気づいてものすごく腹が立ってくるんですよ、いろんなものに。 でもみんな、そういう道を通って大人になるのです。別におかしいことではないです。思春期ってそんなもの。 青春時代が夢なんて 後からしみじみ想うもの 青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり
- blazin
- ベストアンサー率50% (20256/40157)
誰も貴方に「演じなさい」なんて言っていないよ? 貴方は俳優志望なの? 勝手に演じ手の役割を背負い過ぎて苦しくなっている。 だったら、 自分を楽にしてあげるのも貴方自身なんじゃないの? 今の貴方が、 自らの演じる路線に反旗を翻し始めている。 それが「本当の貴方」。 今までの貴方は、 個人的に自分はどうしたい、どうなりたい、どういう自分でありたい。 特別な意識や考えって無かったんだよ。 フワフワした貴方だったんだよ。 特別考えが無い貴方はどうしたか? ⇒周りが求めている(であろう)私に何となく近づけておく、という事。 学校では優等生、 家では良いお姉ちゃん、 塾ではやる気に満ちた模範生徒。 周りが求めている自分に近づけようとしているうちに、 段々それ自体が自分自身になっていく事もあるんだよ。 最初は演じていた(無理をして頑張ろうとしていた)状態が、 気がついたら率先して自分がそう「なりたい」と思っていたりとかね? 貴方の場合はどうか? 一応どの自分にもそれなりの結果は出している。 それぞれの顔にもそれぞれのパフォーマンスが出来ている。 器用と言えば器用なんだよ、貴方は。 でも、 そういう自分を自分でオッケー出来るか? 貴方は今オッケーして「いない」んだよ。 じゃあ貴方がオッケー出来る(したい)自分とは? 自分自身に丁寧に問うてみればいいじゃない? 貴方の答えはもう出ているよ? ⇒もっと頑張らない自分、疲れない自分を大事にしたい。 それが本当の貴方。 だったら大切にすればいいじゃない? 誰も演じ手の役割を背負わせた覚えは無いんだよ。 ある意味貴方が率先して引き受けたんだよ。 でも、 気が付いたら周りの評価ばかりに囚われている自分がいる。 周りを満たしても、 自分自身が満たされなければ意味が無いじゃないか? 貴方は自分に対してそう語りかけているんだよ。 自分で繰り返しのらせんに入り込んでしまっているから。 同じ自分で動いたら「繰り返し」。 でも、 もっと自分を大切にする目線で動いていくなら。 それ自体が「新しい」貴方じゃない? 目の前の日々が新鮮になるじゃない? 同じ意識では無いからこそ、 同じ繰り返しの感覚でも無いんだよ。 誰も貴方に良い人を演じなさいなんて言っていない。 貴方はどういう自分を良いなと思えるの? 今の貴方は、 昔の貴方よりもなりたい自分があるんじゃないの? 周りから色々言われるようになったから「こそ」、 それに対して私は・・・ 貴方にも貴方のなりたい自分ってあるんじゃないの? だったら、 それを貴方のペースで大切にしていけば良いじゃない? 誰かに向かって言葉にしなくても良いから。 まだ14歳だよ。 貴方「が」楽しいと思える日々を大切にしていけば良い。 一人演劇部はいつでも卒業可能だよ? 別に演じようとしなくても、 貴方はやれる事はやれる人なんだよ。 ただ、 やるならしっかりやろうという気持ちも強い分だけ、 気が付いたら周りの目に「適う」ように頑張ろうとしてしまう。 それはそれで一つの頑張りだけれど。 貴方の心がそれで満たされていないんだよ。 満たされていない自分を続けても苦しい。 だったら、 貴方自身が満たされる、 今の自分って何だか良いな、楽しいな♪ そう思える自分自身「も」大切にしていけば良い。 周りの為に貴方の人生がある訳じゃないんだよ。 貴方「が」心地良く日々を積み重ねていける事が大事。 深呼吸を忘れないで。 自分をもっともっと大切にしてみて☆