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「~性」という接尾辞の法則性について
- 「~性」という接尾辞が付くか否かは、一定の法則性があるのか疑問です。
- 「必要性」「快適性」「日常性」「道徳性」「希少性」など、肯定的な言葉には「~性」が付くことが一般的です。
- しかし、「不要性」「不快性」「非日常性」「非道性」「夥多性」などの否定的な言葉には「~性」が付かないことが一般的です。
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面白い質問なのでつい、なんでかなと取りつかれてしまいました。 大体ですが、OO性が付く言葉は的もつくのではないでしょうか、 快適性はないと思います。快適な、快適だ 形容動詞だから、 日常的、日常性は有り日常が名詞だから、道徳性あり、道徳的あり、道徳は名詞 非道性は非道という形容動詞、名詞でつかえる。非道徳的、非道徳性あり。非道徳名詞 希少は名詞でもあり形容動詞でもある。ので?多分つかえる。 必然性、的 必然は名詞、 利便性、的 利便は名詞なので、つかえる。 法則性というほどではありませんが、言葉としては名詞で、その言葉が程度や抽象的な意味、 を持つ言葉。 漠然としていますが、(漠然性、的はなし、形容動詞)どもすみません。 もっと学問的な解釈が付くといいですね。
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NO.3 です。 >そこで、「~性」に関して、既にある程度決まった法則があるのか否かという事、そして、もしも、前者である場合には、その法則性はどの様なものであるのか、という事を、ここで質問させて頂いている次第です。 ご質問自体は大変意味のあることで、この規則性については#2の方がよく書かれておられます。私の立場としては、日本語はまだまだこういった縁辺で揺れ動いており、規則を考えるよりも先に実践が先になってしまうことがおおいもので、実際に使う状況でそれぞれ適切に考えて使っていけばいいのではと思っているわけです。 >「非道徳性」ではなく、「非道性」はどうなのでしょうか? 非道性という言葉はあまり使われないと思います。この反対語的な言葉で、「人道性」という言葉はあると思います。非道徳性、非人道性、それぞれ良く使われると思います。多少意味が異なっていると思います。 >「一般」の対義語は「特殊」だと思いましたので、「一般性」の事を「希少性」の対義語とは考えませんでした。 希少性は比較的使われる言葉です。ある物質が少なくて価値が高いといったような意味があらわれそうです。 では「夥多性」とはどのように使われる言葉なのでしょうか。私にはちょっと意味がとりかねます。 認識の違いかもしれませんが、ご質問者様が、必要に応じて適切な言葉を探しておられるのではなく、よくこのスレにもある ある特定の言葉の対義語を質問してくるひとたちのような「一般的な興味」からこの質問をされておられるのか?と思いました。「夥多性」という言葉が、そういうところから思いつかれたのではなく、ある文章作成のなかで、どうしてもそういう意味の言葉が必要になってひねり出す、というプロセスからあらわれる言葉ではまったくないように思うのです。それが悪いということではなく、意味がないと思うわけです。 現場での文章作業で直面したことて、どんな概念を現そうとして使おうとしているのか、そういったことが分かれば、この各々の言葉に対するご質問はより簡単にお答えできることになるかもしれません。 回答にはならなくて申し訳ありません。
お礼
再度の御回答有難う御座います。 >日本語はまだまだこういった縁辺で揺れ動いており、規則を考えるよりも先に実践が先になってしまうことがおおいもので、実際に使う状況でそれぞれ適切に考えて使っていけばいいのではと思っているわけです。 つまるところ、「~性」を付けるのは不適当とする理由は、少なくとも現在の処は、特には無いという事なのですね。 「不要性」、「不快性」、「非日常性」、「非道性」といったものに、私が違和感を感じているのは、単に私が見慣れていないというだけの事なのでしょう。 >では「夥多性」とはどのように使われる言葉なのでしょうか。私にはちょっと意味がとりかねます。 いえ、私も「夥多性」という言葉に違和感を覚えている側であって、「夥多性」という言葉を使う事を肯定している訳では御座いません。 因みに、 「需要がに対して供給が過大であるため、この夥多性の問題を解決するため」 等という様な使われ方がされている様です。 >それが悪いということではなく、意味がないと思うわけです。 そうでしょうか? 自分で文章を作成する際にでしたら、怪しい言葉を使わない様にするだけで済みますが、子供等の他人から、「この言葉が正しいのか、間違っているのか教えて欲しい」と尋ねられた場合、まさか「それを問うのは意味がない」等と答える訳にもいかないと思います。
- kine-ore
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一般に「否定の「助字」」と呼ばれてはいても、「その中で、漢語系接頭辞の「不・無・未」などは、結合対象語基に否定の意味を添えると同時に、結合形を相言類すなわち形容動詞の語幹相当に変えるという点では共通性がある。つまりこれらには、品詞決定機能があるといえるのである。…これに対して、同じ否定の接頭辞である「非」は、単に否定の意味を添えるだけで、本来の品詞性を変える機能はない。」(山下喜代「「不衛生」と「非衛生」はどう違うか?」(「国文学」1994年12月号)) 語尾に「性」を付加して特性や傾向を強調した抽象性を与える語形表現は、大量に現出した外来語の翻訳の局面において進行した経緯から、その原語に相当する用法のみが発達しており、したがって単純に日本語での反対語との相関が取られているものではないケースが多々あります。 もともとは「心的性向」上での抽象化だった「性」に比して、状態や事態の程度や傾向を表す方面では「度(度合・程度)」「具合」「加減」「状」「的」「風」「等」「抔」「質(たち)」「方(かた)」「気(げ)」「味(み)」など多種多様での使い分けがあったものが、翻訳文化の影響下で「性(-ty)」や「的(-tic)」の用法に急傾斜したため、伝統的表現を維持する立場と易きに流れる傾向とで個人差が広がって今や久しいことでしょう。 必要度⇔不要度という本来の程度表現で構わないものが、わざわざ必要性⇔不必要性という外来風の意味曖昧化が進むと、不必要性→不要性だろうと取る人も出てくる次第。快適度(具合)⇔不快度(具合)も然り。 日常⇔非常が、日常⇔非日常に、更に日常的⇔非日常的が、なお日常性⇔非日常性へと外来風に抽象化が昂進します。 正道⇔非道や、道徳⇔不道徳が、道徳的⇔不道徳的なのが、非道徳性とか非道性などと一部では造語されて抵抗を感じる向きと違和を覚えない向きとの乖離さえ招来する。 希少⇔夥多の場合は、形容動詞では体言に掛かる用法のみなので、希少価値⇔(夥多→)一般価値としての希少価値度⇔(夥多→)一般価値度となり、それを更には希少(価値性)⇔(夥多→)一般(価値)性などと曖昧化が昂進されかねません。 漢語での否定の「助辞」は体言類や用言類を相言類へと品詞転成させますが、「非」は單に否定の意味合いだけで、品詞決定性は連語語尾となる接尾語次第です。 およそ、連語を造る語尾辞は和語系も入れると幾通りもあるものなのに、歴史的な国語能力の減退事情により、また外来語の語尾との相関性優先意識によって、今や 「おれ<的>には…」といった「我的愛人」てな中国語風になったり、 「厳重<とか>注意して…」「法則<とか>あったりして」、 「希少だ<みたいな>」「大丈夫だ<みたいな>」、 「お皿の<ほう>よろしいですか」「快適の<ほう>よろしいですか」、 「道徳<っていうか>」「<っていうか>、快適かなとか」、 「それって必要<系>?」「君って非道する<系>?」、 「それって<チョー>希少」「奴め<チョー>不快」、 「あいつ<まじ>エサ過多」「ここ<まじ>快適」など、 「<まじ>に気になる言葉?」が続出なので、いまさらながら「不要性」ごときを論じるあたりは「及びではない」と植木等調で呟くばかりです。
お礼
御回答頂き有難う御座います。 付ける必要が生じるのに応じて、どの言葉にでも適当に付けていった結果、類語や対義語の中にも、「~性」を付けた言葉があるものと無いものが、特に法則性も無く乱立しているという事ですね。 >「<まじ>に気になる言葉?」が続出なので、いまさらながら「不要性」ごときを論じるあたりは「及びではない」と植木等調で呟くばかりです。 その論理ですと、世の中で最も重要とされている問題以外は、全て「及びではない」事になってしまいます。 それでは、このサイトの存在理由もない事になってしまいます。
日本語は自然言語ですから、慣習的にこなれてややかたまった部分から文法が編み出されます。逆ではありません。-ー性、という言い方は、その必要性から、誰が何につけても”必要なら”うけいれられ得る言葉になると思います。そして数が増してくるうちに何らかの法則性があらわれて、面白がってつけるものではなくなり、しだいにおおざっぱな法則性は現われてきます。#2の方が鋭く捉らえておられます。 不快性: 不快指数という言葉があります。不快な感じを与えるもの、高温、高湿度、などの不快性の高い数値が要素になる。 非日常性:猛暑の都会の中でさわやかな風が吹いている、非日常性が感じられる1区画 非道徳性:これは例示する間もなくよくつかわれるようです。 、「夥多性」これは見たことはありませんが、「希少性」の反語とも思われる「一般性」という言葉はあります。 >接尾辞の「~性」を付ける事が出来る場合と、出来ない場合がある様に思えるのですが、どの様な法則性により、付ける事が出来るか否かが決まってくるのでしょうか? つけずにおいて違和感がなければ、つけない方がいいと思います。一般的につけすぎのようです。私はそうやって決めています。
お礼
御回答頂き有難う御座います。 >日本語は自然言語ですから、慣習的にこなれてややかたまった部分から文法が編み出されます。逆ではありません。 >そして数が増してくるうちに何らかの法則性があらわれて、面白がってつけるものではなくなり、しだいにおおざっぱな法則性は現われてきます。 はい、私も恐らくそうではないかと思ってはいたのですが、その場合でも、その"現れた法則性"がある程度固まってしまった状態になってしまえば、使っても良いものと悪いものが区別される様になるのではないかと思います。 そこで、「~性」に関して、既にある程度決まった法則があるのか否かという事、そして、もしも、前者である場合には、その法則性はどの様なものであるのか、という事を、ここで質問させて頂いている次第です。 後、「不快性」と「非日常性」という言葉はあるのですね。 「非道徳性」に関しましては、使う事が出来る言葉である事は、本質問を投稿する前から存じてはおりましたが、「非道徳性」ではなく、「非道性」はどうなのでしょうか? 「夥多性」に関しましては、、「希少 対義語」をキーワードに、ネットで検索してみました処、「夥多」となっておりましたので、「夥多性」と致しました。 因みに、「一般」の対義語は「特殊」だと思いましたので、「一般性」の事を「希少性」の対義語とは考えませんでした。 【参考URL】 対義語・反対語辞典 http://hanntaigo.main.jp/
- DJ-Potato
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例えば、必要性が極めて低いものを不必要といいますね。 形容詞の名詞化したものは、一般的に程度の強いものを使います。 「高さ」「長さ」「速さ」などですね。 あえて「低さ」「短さ」「遅さ」という場合は、そのマイナス方向への程度が大きいコトを暗に示す場合に限定され、 遅いものを「速さが足りない」とか「すごい遅さ」とは言うものの、 速いものを「すごい速さ」ということはあっても「遅さが少ない」とはまず言いません。 否定的な言葉で「~性」のものは、肯定的な方が正常である場合ですかね。 非人間性が0、つまり人間性が100点満点の場合は、それはただの人間であって、殊に述べるものではないので、低いことが意義がある例に入ってくるのではないでしょうか。 ところで、日常性や道徳性という言葉は、肯定的な方も否定的な方も違和感があります。 日常的、道徳的、の方が 日常的に使うのは私だけでしょうか。
お礼
御回答頂き有難う御座います。 >ところで、日常性や道徳性という言葉は、肯定的な方も否定的な方も違和感があります。 そうでしょうか? 「~をする事で児童の道徳性を養う」とか「ブラック企業の道徳性の無さは問題である」、「この問題を解決して日常性を取り戻す」といった使い方を見かけた事は御座いませんでしょうか? >否定的な言葉で「~性」のものは、肯定的な方が正常である場合ですかね。 成程。そうしますと、日本では一般的に、道徳性がある方が、非道である事よりも正常とされている筈ですから、「非道性」という言葉も、私が知らなかっただけで、正しい日本語になるのかも知れません。
お礼
御回答頂き有難う御座います。 成程、「~性」を付ける事が出来るのは名詞に対してのみなのですね。 >快適性はないと思います。快適な、快適だ 形容動詞だから、 いえ、「快適」のみで考えますと、「希少」等と同様に、名詞でもあり形容動詞でもある言葉だと思います。 【参考URL】 快適とは - Weblio辞書 http://www.weblio.jp/content/%E5%BF%AB%E9%81%A9 実際、「居住空間の快適性」、「スポーツウエアの快適性」といった使い方を見かけた事が御座います。