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下っ引きについての質問
- 時代小説を読む際に、下っ引きについての予備知識を得ることが面白さを増す
- 下っ引きは町人であり、同心の判断で雇われる個人探偵のような存在
- 下っ引きの生活や権限、報告の仕方について詳しい情報を知りたい
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私も詳しくは無いのですが… 同心 :武士階級の役人。 役人だが、俸禄だけでは食べていけないため、 ワイロ(付け届け)で生活をしている。 事件解決のため、複数の岡っ引を雇う。 岡っ引 :同心が私的に雇っている人。 同心から給料を貰うが、それで食べれる程では 無いため、副業やワイロで生活をしている。 時代小説では「親分」等と呼ばれる事が多い。 縄張りがあり、通常は別の地域の事件には 関与できない。 下っ引 :岡っ引が私的に雇っている人。 簡単にいうと、岡っ引の手下。 岡っ引から給料を貰うが、親分も副業をして いるのに、専業で生きていける訳が ありませんね。 岡っ引も下っ引も、町人です。 同心が事件解決のために、地域毎に探偵社を雇っており、 その社長が岡っ引、社員が下っ引、と考えれば… とも思いましたが、権限的にはもう少しありそうですね。
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- anchorage
- ベストアンサー率24% (23/95)
佐藤雅美の「半次捕物控」に詳しく書いていたような・・・ 岡っ引きの生活についても詳しく書いていたので、一読を。
- kine-ore
- ベストアンサー率54% (808/1481)
徳川時代でも、享保期(1716-36年)には「目明し軆之者」は禁止となり、宝暦期(1751-64年)には「岡引」も禁制となったもので、公然とした名称は実際にはなくなっています。ただし寛政期(1789-1801年)になっても地方においては「手先」としての「按内」という語が用いられている記録があります。 もちろん公文書上ではなくなったにせよ、火附盗賊改方や町奉行方でも本来の「本引き」だけではなくあくまでも「岡引き」として、その「手先」「按内」という言葉で、更には歌舞伎セリフでもあった、天保期(1830-44年)以降はいわゆる「御用聞き」の形で、単にそれぞれの同心の内証で使う「小者」として、必要悪として、蔭の存在だったことになります。 基本的には、「蛇の道は蛇」の発想から、捕まえた盗賊や博打打ちの処罰を見逃す代わりに同業者を密告させる狙いからでしたが、往々にして無辜にして弱者たる市民を犯人にでっち上げては仲間内の悪事を糊塗していたために、このようにお上の禁令が相次いだもので、まさに「只働きほど高くつくものはない」次第でしょう。 「下引き」は、そんな手先の小者が使い走りに使っている「手下」や「乾分」であり、「三下(博奕詞で「3から下で「目が出ない/取るに足らない」屑札」)」「三ピン」とも呼ばれ、いわば破落戸(ごろつき)・ならず者の類いを指してもいます。 そのようであればこそ、小説や講談・芝居などで、義侠・任侠・鉄火肌の親分やお兄さんお姉さんが活躍する御伽噺が生きてくるものでしょう。 このような小者のルーツとしての戦国期の忍者・素波・乱波時代については村上知義の「忍びの者」が、江戸期に入っての火附・盗賊については池波正太郎の一連の作品が、実情に即した研究の上での小説として評価できるのではないでしょうか。
- ginkuro814
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参考までに。 『時代小説職業事典』なんて本があります。 http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784054035980
お礼
回答ありがとうございます。 うーむ江戸時代は読めば読むほど副業の嵐と言うか、 本業以外にあれもこれもやってなんとか小銭を稼ぐのがあたりまえすぎて、 誰が何をやってるのかサッパリ分からない所があります(笑 岡っ引きは町人でしたね。 質問を書くときに、私が何か勘違いしていたようです。 奉行-与力-同心-岡っ引き-下っ引き ですね そもそも十手って、同心が何本も持ってる物なんでしょうかねー 岡っ引きに持たせる描写は読んだことがありますが… しかし考えてみると、江戸時代は町人たちが自分で自分の街を守っていたとも考えれるわけですね。 同心は小遣い銭を工面してこないといけなくて大変だ。 そういう方面に才能がある方が、本人の探索能力が高いより大事だったかもしれませんねぇ…