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大学の授業
文学部になる新大学生なのですが、大学の授業ってノートとかとるんですか?板書とか多いでしょうか?一応史学科なのでノートはとると思うのですが、高校の時と比べてどうですか?
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一言で言えば、人それぞれ、です。 まず、授業の進め方ですが、板書をするかどうか、については講師によって全く違います。 それこそ、学生の方を一切見ることも無く、一言一句、自分がしゃべる内容を黒板(ホワイトボードなど)に書いていく、というような人もいます。 逆に、ただボソボソと延々と喋り続ける人もいます。 板書はせずに、パワーポイントなどでポイントなどを示す人もいますし、要点などを綴ったレジュメを配って、それに基づいて授業をする人もいます。 ですので、一言で、こうだ、ということは出来ません。 もっとも、200人、300人なんていう人数の学生が入る大教室での授業では、黒板に板書をしても見づらい場合が多いですし、そういうのを考えると、板書される機会は少なめかも知れません。 で、ノートを取るかどうか、は、これまた人それぞれです。 これもまた、授業によるのですが、出席などは取らず、試験だけ受けて、一定の成績を示せば単位がもらえる、なんていうものだってあります。 そして、教科書を読むと、授業にわざわざでなくても大丈夫、なんてことも少なくはありません。 そのような中で、要は、あなたがどうするのが一番理解しやすいのか、というのを考え、それを実行すれば良いのです。 話を聞いているだけで理解できる、というのならノートをとる必要は無いでしょう。 一言一句、漏らさずにノートを取る方が理解しやすい、というのなら、そうすれば良いでしょう。 ノートを取ったから褒められる、とか、そういうことはありません。 その上で、質問者さんがやりやすい方法で授業を受ければ良いのです。
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- potatorooms
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??? ご質問への回答ではないのですが、ちょっと疑問に思ったので。 なぜ「ノートを取る」必要があるの? そんな時間があるなら、その講義で講師が何を伝えたいか、何を考えさせたいかを知ることに集中した方が良くない? 高校と大学の違いは、「暗記」「知識」は学力ではないことです。本持ち込みOKの試験もあるくらいです。知識の「運用」の域に勉強が進んでいると思ってください。この辺は、時代に関わらず、昔も今も同じだと思います。高校までと大学以降の違いですね。 で、その上で、ご質問者さんに逆にお聞きしたいのですが、板書をカメラで収めるのと、ノートに取るのと、どっちが講師の話に専念できますか? 私の時代、ポケコンが世の中にでたばかりでした。当時、計算は計算尺や関数表じゃなきゃ身に付かない なんて言ってる人が大半でした。 次の時代では、辞書は本でなきゃダメ。電子辞書では「勉強にならない」 なんて言ってる人がいました。 今の時代、板書をノートに「書き写す」ことに、何のメリットがあるの? 今は、デジカメやiPadの時代ですから、1台に4年間分のノートを溜めるなんてカンタンにできますよね。で、いつでも見ることができます。紙のノートが不要とは言いませんが、板書をノートに書き写す必要があるとは、私には思えないので。
- TANUHACHI
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追記。 教員が黒板に書いたものを板書するだけで事足れり、と考えているならば、大火傷します。 「話している内容を自らがピンポイント的にノートに筆記していく」ための能力が求められます。「書かれたものを写す」のではなく、「自分で考えたこと、疑問を感じたこと」を同時に綴っていきます。 音楽や演劇に喩えるならば「ライブ」であり「録音・録画」ではありません(ここ、重要ね)。予定調和的に準備された解答などない世界ですから、高校までの一問一答的なクイズ形式に慣れきっている人にとっては「天地がひっくり返るほど」のカルチャーショックを受けますので、気絶しないように注意して下さい。
- TANUHACHI
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>大学の授業ってノートとかとるんですか? >板書とか多いでしょうか? >一応史学科なのでノートはとると思う >高校の時と比べてどうですか? やれやれ、今年も大きな幼稚園児の質問が寄せられる季節になりましたか。 少なくとも「学に対する姿勢」からビシバシ鍛え直さないといけませんね。高校と同じスタイルで一年間やってご覧になれば、結果から学ぶことができるでしょう。全落に近い形でしょうね。僕ならばそうします、あなたに対しては。主体的に学ぶとの意識の欠片すら見えないのですから。 歴史学科ならば、史料講読の基本から始めます。日本史学ならば、担当教員の専門領域によっても異なりますが、古文書の基本的な読み下し、刊本を使用しての「史料」の読み下しなどがスタンダードです。中国史などの領域でも漢文史料の読み下しから始まります。西洋史ならば、英語で書かれた歴史書の一節を丹念に読み解いていく、などから始まります。 演習ですから、毎時の授業で「学生に音読させる」ことが基本です。音読させた後に解釈させ、教員から「内容に関しての質問」が出される。ここまでは高校の予習と同じ感覚でもかまいませんが、質的には高校までの基礎知識を踏まえてのもの、となります。つまり不勉強な学生はその場で立ち往生したり、炎上したりします。 一二年次などは比較的「優しく丁寧に接すること」に教員は努めますが、専門課程になったならば怠け者には「今まで何をやってきたの?」と冷たく突き放します。 前期試験および後期試験および小テストも随時行われその成績が単位認定にも反映されますので、ご自身で判断して下さい。あなたの様な不見識な学生をみていると、こちらは撃墜する楽しみもそれだけ増えるということです。大学にはママもいません。自ら主体的な向学心を持つことのできない者には誰も助け船を出してくれませんのでそのおつもりで、フフフッ。
- hinako0202
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他の回答者さんも書かれていますが、大学では、高校までのように、丁寧な板書をしてくれたり、それをノートに書き写していくと試験対策になる、というようなことはまずないと思います。 その授業で使われるテキストなり資料なり、モニターの要点なりを見て、講義を聞きながら、重要なポイントを自分で書き取るのが普通です。その後、聞き取れなかったり書ききれなかったことがあれば、友人に確認したり、先輩のノートを見せてもらったり、あとは、どうしても疑問があれば講師に質問することもあるかもしれません。 まあ、大学生なので、座ってただ講義を聞いていても、注意されることはないと思います。それで単位が取れるような実力があればノートは不要かもしれません。 ですが、せっかく入学されるのですから、知識を得るために自ら学ぶ姿勢を持ってみてはいかがでしょうか。充実した学生生活をお送りください。
- poomen
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すでに回答は出尽くしているわけですが・・・・私の体験から 新入学の第一回の講義・・・よく聞き取れないぼそぼそとした声で老いた教授が虚空を眺めるようにして何かをしゃべっています。板書などもちろんしません。そうこうしているうちに講義は終了しました。 私は呆然としていました。ノートには何一つ書けていなかったのです。周りの同じ新入生連中の顔を見渡してみました。同じく悄然とした顔、憮然とした顔、様々でした。 しかし一ヶ月後なんとか自分なりに要点を書き取れるようになりました。一年後、言語障害の教員以外の講義ならノートを取れるようになり、かつ「先生!失礼ですが、もうちょっとはっきりとした言葉で講義をやっていただけませんか?」と注文をつける位にはふてぶてしくなっていました。 しかし、あなたの質問文はひどいなあ・・・まあ、なんにせよ努力と継続です。頑張ってください。
>文学部になる新大学生なのですが、 ヒトが組織や建物にはなれませんよ 笑。「文学部に入学する者ですが」。 >大学の授業ってノートとかとるんですか? 「ノートをとらなくでも聴いただけで講義を理解できる」という人物は,ぼくの生涯で1人しか知りません。そういうミュータントでないかぎり,ノートはとります。 会話文でしか質問文を書けないんですか? 「大学の授業ではノートをとりますか?」 >板書とか多いでしょうか?一応史学科なのでノートはとると思うのですが、高校の時と比べてどうですか? 高校のように,教員が板書をきちんと書き生徒はそれを丸写しするという授業は,ないでしょう。書いても詳しくは書きませんから,教員がしゃべるのを聴きながら要点を自分で理解しつつメモすることになります。高校でスポイルされていると,慣れるのに時間がかかるでしょう。 「一応」の使い方は変です。 こういう国語力では,文学部で苦労するでしょうね。
- Him-hymn
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大学の講義は、高校のときとは違います。丁寧な板書をする人は少ないと思ってください。中には板書なしの人もいるかもしれません。あるいは、パソコンで作った画面でどんどん進むとか。いずれにしても、学生が考えながら、耳から聞いたことをノートとりながらついてくるのを期待しているのです。中には、丁寧な人、わかりやすい人がいますが、それは例外だと思った方がいいでしょう。 また、読書も大事です。講義とテキスト。関連書籍。いかに本を読むかが大学の勉強の大事な側面です。がんばって勉強して下さい。