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中等教育の必要性について
- 中等教育の必要性について悩んでいる中学2年の男子生徒の質問です。初等教育は必要だと思うが、中等教育はどうか疑問に思っています。
- 中等教育では一般知識を学ぶが、その知識を日常生活や将来の職業で活かす機会が少ないと感じています。専門知識が必要な職業に必要な一般知識は必要か疑問に思っています。
- 多くの先生は一般知識を学ぶことで将来の選択肢を増やすと言いますが、もう将来の職業や目標が決まっている人にとっては迷惑でしかありません。また、学校の教育も公式の暗記や年表の学習が主で、考える力を伸ばすことにはあまり重点が置かれていないと感じています。
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逆説的に。 なぜ、その疑問が生じたか?と言うと、学問をしたからですよ。 その疑問が生じることこそが、学問の本質です。 その答えを得るのも学問です。 答えが得たけりゃ、学問をして下さい。 たとえば、数学の答えを得るにも、国語的な素養も必要です。 逆に、国語を考える上で、数学的なセンスも必要。 全ての学問は、直接・間接に、繋がっているのですよ。 質問者さんが言ってるのは、「必要なことを、必要な分だけ学ぶ」みたいな効率的な学習システムです。 しかしそれは、残念ながら、未だに発見や開発はされていません。 「知識」は「知性」とイコールではありません。 「知識」+「知恵」が「知性」です。 知恵は、知識を結び付ける力とでも言えば良いかと。 「知識があっても、知恵がなければ、目標に向けた行動プランの中で活用出来ない」と言ってるのですよ。 逆に、知識がなければ、知恵そのものが浮かびません。 色んな科目の知識があるからこそ、知恵・知性が発揮されるのです。 「織田信長は、桶狭間と言う地形を利用して、何倍もの敵に勝った」と言う文章を書くのは、歴史と国語の知識ですが、理科・地理・数学などの要素も入ってるでしょ? それらの全てを理解して、これが正しく理解出来るのですよ。
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- key00001
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お礼ありがとうございます。 > すべての科目は独立しているのではなく、相互に関連しあっているという考えは素晴らしいと思いました。 その点、ご理解が戴けた様で、何よりです。 その先のことも書いておきます。 まあ簡単に言っちゃえば、「会社の社長」で考えてみりゃ良いですよ。 社長は営業部とか技術部などじゃなく、「全部」です。 会社には、経理部,法務部,研究所とかの専門部署もあります。 マーケティングなどになると、経済学,会計学,IT,社会学,心理学・・・など、多くの学問です。 営業一つとっても、国語,算数,理科,社会,体育も絡むし、社交的には音楽,美術なども決して無駄にはなりません。 装置一つつくるにも、工学系や化学系の沢山の知識が必要だし、それを営業部に「売って来い!」と言うには、文系の素養が必要なんです。 社会で高い地位になればなるほど、多くの知識を要求されます。 総理大臣が、「私は文系で、原発事故については全く判りませんので、コメントは控えます」なんて言えないでしょ? 専業主婦でも同じですよ。 自分の子供が「一次関数を教えて!」って聞かれたら、どうしますか? 塾に任せるなんて言うのも、関数が全く判らない人間が、正しく関数を教えられる塾を選べますか? 何かの知識が欠けていると言うことは、その知識が必要になった時に「しまった!」と言う事態を経験すると言うことです。 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言います。 歴史とは、学問そのもので、全ての学問が、人類の歴史の宝です。 算数の教科書に書かれていることは、人類が歴史の中で発見した宝です。 何百年とかの昔に、天才数学者が必死に発見した一次関数を、現在の我が国では、中学生が簡単に学ぶことが出来るのですよ。 まあ社会に出てから、必要性が生じて「しまった!」と言う時点で勉強しても構いませんが、ソチラを「経験に学ぶ」と言うのでしょうね。 教科書には、「未来を担う若い人たちには、そう言う経験をして欲しくないなぁ。」と言うことが書いてあって、そういう経験も含めて書いてある、歴史の宝ですよ。 モチロン全ての人が、全てのことを受け継げるワケではないですが。 「自分が受け継ぎたいモノだけで良いんじゃない?」みたいな考え方だと、受け継ぐ人がどんどん減って、学ぶべき歴史の宝が、衰退したり、埋没しちゃうんじゃないですかね? 質問者さんも、人類の歴史の宝を、未来や後世に受け継ぐ係の一人です。 得意分野を中心に、沢山受け継いで、更にそれを高めて、後世に残しても良いし。 広く浅く受け継いで、それらを組み合わせて、新しいものを残しても良いです。 自分に合ったやり方で構わないですが、今の人類の知恵で、「受け継ぐべきものはこれですよ」って言うのが、学校教育だと思います。 自分に合わないからと言って、「そのやり方は違う」と言うのは、早計じゃないですかね? 学校の科目は、レストランのメニューみたいなモノかも知れません。 メニューは豊富な方が、良いでしょ? また、メニューの全ての味を知ってるから、「今日はコレ!」「私の好物はコレ!」「たまにはコレを!」って決められるのではないですか? それと、若い頃の好物は、死ぬまで同じじゃないし、自分は嫌いなモノでも、子供の健康のために、大人は「好き嫌いを言うな!」って言うんですよ。 だから我々大人は、質問者さん達に、「一度は食べてみなさい!」って言うんです。 その上で、好きなモノ・美味しいモノを味わっても良いし。 健康のために、好き嫌いせず食べても良いし。 ただ、「どんな味か?」さえ教えないことは、絶対に間違いだと思います。 また、自分の好き嫌いに関わらず、沢山の味を知ってて、それを組み合わせたり、新しく味を生み出し、沢山の人を喜ばせる人が、社会のリーダーだと思いますよ。
- nctkhr
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勉強なんて役に立たないとか言う人って勉強してない人しか言わないんですよねぇ。 大人の世界って。 専業主婦に美術はいらない? 美術の知識があるから絵画を楽しむきっかけがあり、芸術が好きなある程度お金持ちの方と結婚して専業主婦になれたかもしれない。 私の経験上、質問者様みたいな無意味に尖った考えの女性ってそういういい所の妻にはなれない。 どちらかと言うと、得てふえてありながらも学ぶ事に素直な、一般知識がきちんとある女性です。 サラリーマンは技術と国語? サラリーマンが普段どれだけ不特定の人を相手に仕事していると思ってるんですか。 柔軟な対応と、その場その場で仕事に必要なスキルを身に付けようと行動するヤル気は、どれだけ真面目に色々な勉強に取り組んできたかその姿勢が役に立つんですよ。 何でも結果ありきで遡って考えると、思考能力の狭いバイタリティーに欠ける大人になりますよ。 それってどんな仕事をするにも、結局自分の価値と存在感を下げるだけです。 30才40才になった時、自分が書いたこの質問文を読んで見て下さい。 思考能力の狭さに恥ずかしくなりますよ。 自己啓発本はそういう人もいるな、そういう考えがあってもいいなと思う程度で読むならいいですが、すっかり取り込まれてしまうほど己のない人が読む本ではないですよ。 実際心が病んだ時、手にとりたくなる人が殆どでしょう。
- hey_hey_11
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知識はたくさん持っていても損はしません。 役立たせるかどうかは貴方次第です。 でも、知っていると知らないとでは、大きな差がでることは、特に大人になってから気付いても手遅れになることが多いのです。 多くの幅広く知識を持つことで、斬新なアイデアが閃くことは多々あります。 また、歴史を学ぶことが無駄と言うのは大きな間違いで、歴史から偉人や過去の人たちの考え方や過ちや経験を学ぶことは大切であることです。 数学は、なぜ習うのかが分からないから不要と考えてしまいます。 世界では、算数という教科はありません。全て数学になることは承知しておいてください。 では、なぜ数学が必要でしょうか。 公式や文字式に現されると、ほとんどが製品とすることができ、人の営みを豊かにします。知っていましたか。 また、文字式は何を現しているのか考えたことありますか。 数学を学ばなければ到底理解できないことになります。 理科は、どうでしょうか。 科学、化学、気象など身の回りで起こる現象を学びます。 そうすることで、危険か安全かを判断することができます。 災害時に生死を分けることにもなります。 などなどと考えれば学問、知識を持っていなければ生きていけないことにつながるのです。 だから、誰の役にも立たないのは、学んだことを応用したり利用したり、知識を増やさない貴方が損をしていると思います。
- TANUHACHI
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要するにあなたは「実利」や「実学」だけが、この世の全てのものや価値観に優先すると仰りたいわけですよね?。 でもそうした「実学」の根底を支えるものが、実学ではないことも確かです。このことにお気付きではありませんよね?。中学校の二年生程度ですから、この様な乱暴な筋立ての仕方もしかたないでしょう(でも、まともな思考様式の持ち主はそうした戯言に耳を貸したりはしませんが)。 日本が近代国家として歩み始めた切っ掛けを切り開いた人物にはどの様な人がいたでしょう。この問題一つをとってみただけでも、あなたの主張がまるで論をなしていないことも明らかです。 福沢諭吉が創設した慶應義塾大学の看板は「経済学部」で、元々は「理財科」と呼ばれていました。福沢は「経済活動」を通じて「社会と個人の関係のあり方」に着目し、この様な教育機関を設けたのです。その経済学も、イギリスのアダム・スミスにより学問体系が構築され、そのスミスも経済学と同時に哲学の思索をもう一方の車輪として重視します。 経済学を学ぶにも、数学的理解力や分析力が求められます。そうした専門領域での「より高度な知識」を得るには、その前提となる「基礎的知識の蓄積」がなければ、理解することすら適わない。 自己啓発本の殆どがイカサマや眉唾ものであることも世間の常識有る方ならば先刻御承知のことです。 初等教育は必要といっても、それだけで見識有る国民を形成するには足りません。 >歴史の授業では過去の偉人がどんな考えで、行動を起こしたかを考えることはせず、ただ年表や人名を暗記するだけ これは歴史教育に携わる者にとって耳の痛いご指摘ですが、それだけに留まっている教員よりも、より「歴史の過程をどう理解するか」に腐心している良心的な教員も多勢います。けれどもその良心的な教員が授業を行う時でも「基本的なデータ(5W1H)」を扱わねば、その歴史事象の意味を伝えることはままなりません。 現在の学校教育が制度として、目的とはあらぬかけ離れた方向を向いているのは、「受験」との関門が日本では誤解されていることにも一因があります。 戦後のベビーブームと呼ばれる世代が高度経済成長の下で、こぞって「良い大学を卒業し、良い会社に就職すれば、それで良い人生を送ることができる」と信仰の様にして唯唯諾々と従ってきたことが、今になってすれば「自分達の造ってきた日本の社会のありかたが果たして本当に唯一の選択肢だったのか」と自問自答しはじめましたが、既に時遅かった。 一つの価値観に全員が同じ方向を向いてしまったのは1945年以前と変わりません。社会の動きに対して「全て専門家に任せる」のでは、御主張のベクトルと逆の方向に引っ張っていくこととかわりません。 あなたが「私はこの分野のスペシャリストだから、世の中の人間はすべて私に従え!」と声高に叫んでも、その主張を支える論理を第三者が観察したなら、ボロボロでデタラメなものである場合はどうしますか?。 あなたにはまだ「自己検証能力」の欠片すらも形成されていません。自己啓発本など読む暇があったなら、様々な文学書や哲学書に触れることをお勧めします。そのためには前期中等教育での基礎学力を「しっかりと着実に」身に付けることが必要です 爆!
- ORUKA1951
- ベストアンサー率45% (5062/11036)
かって、「社会に出て、一般的に覚えておけば良い最低限のことを教えておけばよい。底から先は個々人の興味・進路で選択できれば良い」という理念で教育が行われていた時代がありました。 幸いに、君はその時代の教育ではありません。 特に問題になるのが、理科や数学といわれる理数科科目ですから、その点についてなぜ上記の理念で失敗したかを理解しておくことが必要でしょう。確かに、二次方程式の解法とか、原子の構造なんて実社会で必要なことは少ないでしょう。しかし、それを学ぶ目的があるのです。 ⇒第2章 各教科 第3節 数学:文部科学省( http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/chu/su.htm ) ⇒第2章 各教科 第4節 理科:文部科学省( http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/chu/ri.htm ) 【数学】 第1 目標 数学的活動を通して,数量や図形などに関する基礎的な概念や原理・法則についての理解を深め,数学的な表現や処理の仕方を習得し,事象を数理的に考察し表現する能力を高めるとともに,数学的活動の楽しさや数学のよさを実感し,それらを活用して考えたり判断したりしようとする態度を育てる。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ここまで( http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/chu/su.htm )]より 【理科】 第1 目標 自然の事物・現象に進んでかかわり,目的意識をもって観察,実験などを行い,科学的に探究する能力の基礎と態度を育てるとともに自然の事物・現象についての理解を深め,科学的な見方や考え方を養う。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄( http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/chu/ri.htm )]より いずれも、知識を教えることが目標になってはいません。数学的考え方、科学的な考え方を指導するのです。そのための手段として、二次方程式や化学反応、力学、生物の観察などを使って学ぶのです。 なぜなら、数学的な考え方、科学的な考え方を身につけるには、それらが最適と考えたからです。数学や理科には、学校では学ばない多くの分野--線形代数とか流体力学---もあるのですよ。それらの中から、これらが選ばれているのです。 具体的な例を挙げましょう。 1) コラーゲンはサプリメントとして摂取して効果があるのでしょうか? 学校では学びません。しかし、コラーゲンがタンパク質であり、タンパク質は消化器(膵液・十二指腸)でアミノ酸と言う単純な物質に消化されて(小腸)吸収されることは、学ぶはずです。体は必要なタンパク質は原料から再合成されること。これから口から食べてもコラーゲンとして働かないことは科学的に考える力がついていれば判断できることです。 2) 棒が握りにくいのでロープを巻きたい。太さは25mm、ロープの直径は4mm、棒に20cmほど巻きつけるのにロープを何m買えばよいか 3) プリンを作りたい。どのように加熱したらよいのだろう タンパク質の変性とかを学んでいたら・・ 科学的思考とは、迷信や言い伝え、あるいは権威にいっさい流されず、客観的に理由を推察して、実験や観察によってのみ真の理由は何かを見つけていく手法です。(断じて知識ではありません)この手法を身につけていなければ、日常生活にも、より高度な学問を学ぶにも支障があるでしょう。 「知識が力になりえるのは、知識が、目標に向けた行動プランの中で活用されたときだけである」 確かに知識に限れば、それは真実です。しかし、その知識を使う数学力・科学力は知識とは別物ですよ。 日常生活で出会う様々な事象を抽象的な数に置き換えて、結論を出す手法なんて知識だけでは得られません。仕事で壁にぶつかったとき、その理由を推測し、その推測が正しいか否かを試したり、資料を調べたり、観察して証明し、提案したり改善する科学的な思考方法は知識とは別物です。それらの手法を学ぶために、二次方程式やら、化学反応やら、物体の運動とかを利用しているのですよ。 『中等教育を受けずに多大な成功を収めた人もいます。』 あなた自身、それが極めてまれ(ことを知っているから)だから、あえてこの言葉を言っていますね。犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛めばニュースになる。だから、すべての人が犬を噛むと結論したらいけないのです。 塾と学校の一番の違いは、塾は点数を取ることが目的ですが、学校は違います。学校が塾になっているところもあるかもね、
お礼
なるほど、中等教育では「考える力」を教えるのですね。 私の学校では、保健のテストでは表や語句をすべて暗記、歴史も人名、条約等の名前もすべて暗記、音楽も作曲・作詞者名、音楽記号の意味もすべて暗記です。ちなみに保健は教科書中の挿絵まで暗記です。もとから数学・理科のような「考えなければ解けない」問題が多い教科はいいですが、それ以外の教科に関してはどうなのですか? 回答ありがとうございました。
- toshih2000
- ベストアンサー率22% (120/541)
自己啓発書なんかは、クソの役にも立たちません。 それよりも文学小説を読んだ方がよっぽど役に立ちます。 社会に出たら、仕事上でも私事でもいろいろな問題が発生します。 その問題は、学校のテストの様に、答えが決まっているわけではありません。 答えが無い事もあります。 そんな場合に人々は自分が最適と思う答えを導き出さなければなりません。 そうするためには、いろいろな知識や経験が必要です。 例えば、法律上の問題が発生したとしても、 法律関連の中に答えが見つかるとはかぎりません。 どんな分野のことがヒントになるか判らないのです。 そういった知識を一般に教養といいます。 専門分野がなんであれ、いろいろな分野を広く勉強する教養は必須です。 大学教育では大きく専門と教養に分かれています。 教養には専門を勉強するための準備の側面もありますが、 上記の側面も大きいのです。 はっきり言って、中学や高校の勉強に無駄なんかありません。 これは無駄とかあれは必要とか言うのは 人生をある程度経験してから言える言葉です。 中学生で能力の出し惜しみしてどうするのですか? そんなことだと大人になっても能力を出せませんよ。 中高生は知識をえり好みできるレベルではないのです。 中学生で自己啓発書に振り回されていると人生を棒に振りますよ。 自己啓発書というのは、ある一定の知識や経験がある大人むけです。 それに遠く及ばない中学生が真に受けるものではありません。
お礼
私はまだ中等教育を受けたことによって得られたメリットというのを体感できていません。だから、専門知識しかいらないと私は思います。他にも理由があります。私は、独学で語学の勉強をして試験を受け、資格を取ったりしています。そして、学校の定期テストでもいい点数を取ります。いったいどちらが嬉しいでしょうか?私は前者です。なぜなら、他人とは違うものを持っていると思うことができるからです。しかし、学校の定期テストは違います。特別感がありません。日本の中等教育は全体だけを見て、個人を見ようとしません。もはや、全体主義と大差ありません。ここも私が中等教育はいらないと思う要因の一つです。 回答ありがとうございました。
- momo_to_hana
- ベストアンサー率40% (53/130)
>>それならば、小中学校までの間に目標・将来の自分を考える時間や自己啓発に励む時間をなぜ作らないのでしょうか?そうすれば、モチベーションも上がり、不必要な学習をすることなく、貴重な時間も失われずに済むと思います。 No3で回答したものです。 すばらしいですね。まさにその通りです。 中等教育は必要。でも、子どもたちのモチベーションが上がらない・・ なぜなら将来にどうつながるかわからないから・・。 というのは今、学校教育で抱える問題の一つです。 そのため、教育界では「キャリア教育」が重視されつつあります。 興味がありましたら調べてみてください。 まだまだ効果が表れているとは言い難いですが少しずつ認知されているのではないですかね。 自分の将来を見据えて、自分から勉強に前向きに取り組めたら理想的ですね。 今後とも視野を広くもって、研鑽を積んでください。期待しています。
お礼
回答ありがとうございます。 キャリア教育、いいですね。私の学校では、「職業体験」という活動がありました。これは、地域の方々に生徒を受け入れてもらって、実際の業務の一部を体験させてもらう、というものです。 机上の理論だけでなく、そういう活動の時間をもっと増やしてもらいたいものです。
- deltaufp
- ベストアンサー率39% (136/341)
自分も同じようなことをよく思います。中学や高校で「なんと不必要な知識を教え込んでいるんだ。なんて無駄な時間なんだろうかw」と思っていましたからね。 いちいち物の体積を計算しなくても目分量でどうにでもなりますし、化学式などを習っても「人生のどこで使うんだ??」とよく思います。親や親戚の会話で「H2O持ってきて~!」とか聞いたことないですしねw 基本的に中学校で習うことを多いに役立てて暮らすということはないと思います。ことに、数学や科学に関しては全くのムダ知識といっていいレベルですね。計算については加減乗除、分数、少数点、これが理解出来ればまずもって困らないと思います。円周率とか微分積分とか日々の暮らしで使うことはないですし、使うだけ無駄でしょう。不必要に頭を使うだけです。こと最近は、インターネットなどがあり、面倒な計算はツールに値を撃ちこめばポンポンポンッと結果が出てしまいますからね。わからないことがあればその都度簡単に調べることができますし。 しかし、専門知識は基礎知識の上に成り立っています。なので、専門知識を学ぶにはある程度その前提となる基礎知識をひと通り理解する必要が出てきます。当方は、商業系の学校を出ましたが中学の知識は大いに役立ちました。というか、これがないと理解不能な部分もありましたね。専門知識といってもその根底には必ず基礎知識があります。 そして、今はなりたい職業がすでに決まっていても人生というものは直線的ではありません。思わぬアクシデントなどで変な方向に曲がってしまう場合もあります。今はその職業になりたくても、やむを得ない事情で諦めざるを得なくなったり途中で考えが変わって目標が変わることも多々あります。むしろ、幼い頃に抱いた夢が現実になるなどほとんどありません。こんなことを言うと子供の夢を壊すようであれなのですが、子供の頃に思い描いた夢など叶う確率はかなり低いです。そうした時、質問者様の言う専門知識のみだと他に道がなく、唯一の道を経たれた場合に全く使えない人間という烙印を押されてしまいます。その場合、生きる道が無くなってしまいます。 そして、日本の社会として一般常識を人を見るものさしとして使っている面もあります。就職の際、SPIという一般常識を確認するテストがあったりします。これには、基礎知識が詰め込まれており、その人が一般の社会人として適切な教養を持っているかをテストします。その結果を元に採用を決めたりもします。そして、一般常識がない人はやはり使えない人間とみなされてしまうこともあります。 世の中は、基礎知識の上に成り立つ専門知識、そして専門知識を習得した人達によって新しいものが生み出され、発展し、豊かになっていくのではないかと思います。
お礼
>>「基礎知識の上に成り立つ専門知識」 おっしゃる通りだと思います。 回答ありがとうございました。
- momo_to_hana
- ベストアンサー率40% (53/130)
お若いですね・・。いろいろと荒削りですが、今後とても伸びそうな方ですね。 さて、本題です。 1.なぜ中等教育で一般知識を学ぶことが必要なのか まず、公教育は「俺のための教育」ではなく「全体のための教育」です。 また、中学生の時点で自分の将来の姿を明確なものとしている人はほとんどいません。 あってもそれは、「希望」「憧れ」です。 つまり、「将来のことが未定の人間が多いので『選択肢を増やすため』に中等教育を行う必要がある」 ということです。 2.なぜ専門知識でなく一般知識を教えるのか これは簡単です。専門知識を活かすためには、一般知識が不可欠だからです。 例えば、サラリーマンの技術(コンピュータ)。 エクセルは関数や平均値といった基礎基本を理解できていないと活用できません。 高校レベルがあればよいですが、最低でも中学レベルの知識は必要です。 もっと大変なのは、経済学や金融といった類です。これらは 中学校の知識を活かして高校で学び、高校の知識を活かして大学で学んでやっと 理解できるかなぁというレベルです。 中学レベルの基礎基本が理解できないようでは、それらを理解するのは無理です。 中学ではそんなに手広く学ぶ時間は取れません。 3.学校と学習塾の違い 学校は勉強をするところですが、学習塾は「受験スキル」を学ぶところです。 受験スキルがあるとレベルの高い教育機関に行くことができ、 より質の高い勉強ができる可能性が高まるから、みな学習塾に行きたがるのです。 学習塾でやっているのは勉強とはすこし異なると私は思います。 4.その他 自己啓発書は諸刃の剣です。 世の中は広い・・もっと頑張らないと・・思うか 俺は世の中わかってる。周りはバカどもばかりだ・・・となるか、 注意しないとなりませんね。 また、中等教育を受けずに多大な成功を収めた人と、 教育を受けて多大な成功を収めた人、どちらが多いでしょうか。 レアケースを取り上げて一般化するのは無理があります。 要約:中学レベルの勉強が理解できないようだと、将来何もできないですよ。 進路がはっきりしているわけでもなし、可能性は広く持っていたほうがいいのでは。 とりあえず中学の勉強頑張ってください。
お礼
回答ありがとうございます。 私は中学の勉強がわからないから、不満を漏らしているのではありません。将来についてもちゃんと考えてます。 さて、「将来のことが未定の人間が多いので『選択肢を増やすため』に中等教育を行う必要がある」というのは少し疑問があります。それならば、小中学校までの間に目標・将来の自分を考える時間や自己啓発に励む時間をなぜ作らないのでしょうか?そうすれば、モチベーションも上がり、不必要な学習をすることなく、貴重な時間も失われずに済むと思います。
- f272
- ベストアンサー率46% (8468/18130)
中等教育で大事なことは 基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得すること。 これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力その他の能力をはぐくむこと。 主体的に学習に取り組む態度を養うこと です。 「2次関数、図形の体積、xyの値」などは基礎的・基本的な知識であって日常生活に使うことができるように訓練しているのです。「日常生活には使いません」というのは,単に使い方を知らないのです。「必要なのは専門知識だ」との言っていますが,専門知識の習得には基礎的・基本的な知識が必要です。 学習塾などでは公式だけを教えるのは,中等教育段階で必要な知識のごく一部を行っているだけで,それだけが期待されているわけではありません。 「中等教育を受けずに多大な成功を収めた人もいます。」を万人に当てはめることはできません。中等教育で行っているのは,主体的に社会の形成に参画し,国際社会に生きる日本人として必要な一般知識の習得であって,それなくしてはいびつで不健全な社会になってしまいます。
お礼
回答ありがとうございます。 しかし、なぜ一般知識の日常生活での使い方を学校では教えないのでしょうか?知識は持っていても何の役にも立ちません。人のために使って、はじめて役に立つのだと私は思います。
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お礼
すべての科目は独立しているのではなく、相互に関連しあっているという考えは素晴らしいと思いました。 回答ありがとうございました。