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教育ヒステリー
教育に関係すること(特に小学校・中学校)に対し、異常に執念深い傾向を持つ人がいます。 最近だと「酒鬼薔薇事件」「池田小事件」とかがその被害例だと思います。 ここで問題にしたいのは、普通に議論をしたくても、主題とどんどんかけ離れて、いつの間にか自論を展開しだして止まらず(長い)、学術的とか建設的な議論を結果的に妨害してしまうようなケースですが、そういう症状って、心理学などにおける論説や定義はありますか。 例えば幼少時に学校で何かあった人によくあるとか、学歴コンプレックスが関わっているとか。 教育社会学または心理学・精神医学を専門にしていらっしゃる方か、特に興味のある方、少なくともすぐ感情的になって質問から離れてしまったりしない方に限り、お答えいただけたらと思います。
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お礼
お答えありがとうございます。 たしかに、質問でも述べた「酒鬼薔薇事件」も「池田小事件」も、犯人自身の少年時代の学校体験やその周辺事情を背景にしていますね。 「自分を含めたあり方を卑下することが、逆に自分の存在意義の裏づけとして感じられている」というのは、きっと潜在意識のレベルなのでしょうが、ここでは「学校教育の自論(卑下)=本人の存在意義」ということになるわけだから、ヒステリックになるのは攻撃というより自己防衛に近いのでしょうね。 言い換えれば、教育に異常な執着を示す人の議論の多くにおいては、教育の在り方を適切な方向に向かわせることは建て前でしかなく、自己防衛としての純粋な「破壊」であり、止揚を目的としない純粋な「否定」であるということもできますね。 だとすると、 「普通に議論をしたくても、主題とどんどんかけ離れて、いつの間にか自論を展開しだして止まらず(長い)、学術的とか建設的な議論を結果的に妨害してしまう」 のは必然とも言えます。 (私の経験では、こういう方との議論はたいてい理念や体制・制度という言わば「根本」レベルに達することができず、単なる現場否定(批判ではなく単なる否定)で、ひどい時には粗探しに過ぎません。No.2の方のおっしゃる「○○学校のA先生は…」「A学校は…B学校は…」のような、個人・現場レベルで言わば「悪口」を言うこと自体が目標で、その「A先生」や「A学校」の統括をする「体制」や、履行しているであろう「制度」という根本問題に達することはありません。論題から離れるのでここは議論にはしないつもりですが、一応。)