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問題になってる柔道の指導で行き過ぎの暴力があった
事で上層部の記者会見をテレビで見てる限りでは、お騒がせして申し訳ありませんと謝罪してますが誰にと言うかどこに謝罪してるんですかね、現場の選手たちとはまったく心がかけ離れてるとしか私には思えませんが、まず選手にこそ謝罪するべきだと思うのですがどうでしょうか、選手には謝罪したんでしょうか、悩み苦しんでるのは選手達なんですから、結局上層部は強化、強化で指導方法とか選手の事は何も考えてはいないという事になると思うのですがどうでしょうか、宜しくです。
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>どうでしょうか そういうことだと思います。 世間を騒がせたことに対して、 鎮静化させるための謝罪はしても、 本人に悪かった。 自分が悪いことはしていなかった。 という謝罪のやりかたです。 ただ、選手たちも謝ってくれと 思っているわけではないでしょうから、 要は風通しのいい、まともな理屈の通る 組織に改編されるように願っていることでしょう。
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- あずき なな(@azuki-7)
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日本の柔道がクソ弱くなったのは 選手が厳しい練習に耐えられなくなったから そしてそれを暴力だと勘違いして監督を告発… ゆとりの弊害もここまで来ましたね
- okramatto888Wa
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貴方は弱い者を助けたい「浦島太郎のように」気持ちで言っているんですよね。今はなにがなんでも体罰が悪いという方向にマスコミもコメンテーターもいっています。でも昨年、韓国の大統領が「天皇陛下は韓国に謝罪せよ」という報道があった時はどのように感じたのですか。 貴方も私も自分の置かれている立場でしか考えられないのが普通で、相手の立場になるのはむずかしいことです。夫婦でも心がいっしょではありません。教師や監督も人間であり、教え子の中には不良っぽい選手やナメテクル選手もいないとはいえません。最初からナメラレルわけにいかないので怖くみせるというのもあるでしょう。やさしくすると次回になめられるとか。 日本人は戦前から「規律・訓練」による体育を重視し、敵国に勝つため強い暴力集団の軍をつくりあげました。かたやスポーツは「気晴らし」のためが起源らしいです。西洋はキリスト教で「神のもとに皆平等」「神が命」であり、神に対するおそれがあり個人個人は自立していますが、日本人には神がよくわからないのです。「草葉の陰でご先祖様が・・・」というイメージでしょうか。 試合に勝った時、西洋人は神に感謝しますが、日本人は誰かさんみたいに「自分をほめてあげたい」となるのです。八百万の神(多神教)といっていますが、何がどうなのかわからず、知人や世間の考えに合わすだけです。だから秩序の大切さを選手はしらない(教師の中にはしらない人もいるかも)のかも。 体罰の根は深く、しらずしらずのうちに我々のDNAに入り込み頭や体にしみこみ、近代スポーツの精神はとうぶん無理な気がします。警察の取り調べも言うまでもありません。交通取り締まりでも融通がきかず、人間の顔をしたただの法の番人です。どなりちらし、机をたたき、拷問に近い時もあるように聞いた事があります。権力イコール暴力ですから。ほとんどの日本人はいじめる側にもいじめる側にもなるのです。生活に神道もキリスト教も仏教も儒教も入っています。寛容なのではなくハチャメチャなのです、わからないのです。わからないけど忙しく生きているんです。自分より弱い者には同情するが、成功するとねたむのです。
補足
有難うございます、が 浦島太郎の意味も、宗教がどうたらこうたらも意味不明で、あなたの言いたい事の結論は暴力による指導は正当であると言いたい訳ですよね、私の意見は暴力による指導は思考能力が貧弱で指導者としての能力も人間性も疑いざるをえないのですが、
補足
日本が弱くなったのではなく他国のレベルが上がったというのが実情ではないでしょうか、世界中に広まってる訳ですからそろそろ柔道の発祥国のプライドから解放されてはと思うのですが