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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:スポーツ指導における体罰と選手の感情)

スポーツ指導における体罰と選手の感情

このQ&Aのポイント
  • スポーツ指導の場で体罰や度を過ぎたシゴキ(性的なものを除く)をする指導者を選手によっては、それもまた熱意の表れであり、辛かったけど今思えば良い経験だった。良い指導者だと思う。という意見もあれば、酷い目に遭ったと恨む選手もいる場合があります。
  • この同じ先生でも選手の受け止め方が分れる場合というのはなんでしょう? 例えば、能力が開花したり、限界を超えることができたり、何らかの気付きが出来た人は感謝し、なんも考えず、バネにもせず、なにくそとも思わず、ぶつかろうともせず、ただ耐え忍ぶだけだった人は恨むだけになる。
  • スポーツの場だけとは限らず、生活や進路の指導もあるでしょう。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hunaskin
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回答No.3

そうですね。 >能力が開花したり、限界を超えることができたり、~中略~ただ耐え忍ぶだけだった人は恨むだけになる。 ということはあるでしょう。 また、体罰と無関係に才能を開花させた選手がお門違いの感謝をすることも、ままあるでしょうし 理不尽な扱いでスポーツをする楽しみを奪われたり、体罰による怪我で選手生命を絶たれた選手が恨むことは多いでしょうね。 一番多いのは選手としての成功とは無関係に、辛い思いをした体験を否定的に捉えてしまうと自分の人生そのものを否定されたような気になるので肯定する、というパターンでしょうね。 「殴られて暴言浴びせられても耐えて頑張ったおれの人生は何だったんだ」なんて思いたくないですからね。

noname#181154
質問者

お礼

否定的にとるか、良い記憶として残すか。 本人による?本人の状態による? ありがとうございました。

その他の回答 (2)

回答No.2

虐待と同じだと思います。 虐待されている子供は親の顔を伺い、絶対に親には逆らいませんし、親の悪口は言いません。 そんなことをしたら余計にひどい目に遭うと分かっているからです。 大人になり、力では親を上回るようになっても、虐待されて育った人は親の言いなりの人が多いです。 親に逆らってはいけないと、刷り込まれていると言うか、一種の洗脳状態なんでしょうね。 驚くことに、こういう人たちは虐待されて育ったという自覚がないようです。 でも社会人になり、親から離れ、自分が虐待されていたと気付く(学ぶ)と、そこで始めて親を恨んだり、親と絶縁しようと考えるそうです。 でも、今まで絶対的な存在だった親を恨んだり、絶縁したりするまでには、精神的に相当の葛藤があるそうですよ。 選手と監督も、虐待する親とその子供の関係に似ていると思います。 監督がいなくては試合にでれませんから、選手にとっては最初から逆らえない存在ですよね。 選手も精神的にまだ幼いですから、絶対的な存在の監督に精神的に頼り、体罰も受け入れてしまうのではないでしょうか。 恐怖は愛情に似ていると言いますから、怖いから逆らわない。を尊敬しているから逆らわない。と脳が勘違いしているようにも思います。 でも卒業し、精神的に大人になり、社会を知り、体罰が異常だと知ると洗脳が溶け、当時の監督を恨んだり、反発したりするのではないでしょうか? 洗脳が解けずに、体罰だったとは一生気づかない人もいるでしょうが。。。 オリンピック選手達が監督を訴えたのは、すでに精神的に大人になっていた事と、世界を見ていますから、体罰のない最新のスポーツ教育を知っていたと言うのが大きいのでは、と思っています。 いくら愛情があっても虐待は社会的に許されないのに、スポーツの体罰だけは「愛情からだ」なんて言葉で許されるなんて、本当に古く、狭い世界だなぁと思います。

noname#181154
質問者

お礼

私の質問とちょっと違うテーマのお話しですが、 参考になりました。ありがとうございました。

  • tar5500
  • ベストアンサー率22% (852/3865)
回答No.1

相性

noname#181154
質問者

お礼

ありがとうございました。 今日も一日がんばりましょう。

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