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科学とあなたの信条。どうへだてていられるか。
趣旨。 科学は人間社会の生活に広く深く浸透して。 当然の事実として受け入れられた。 しかしその迷妄は。 多くの人々を退廃へと追いやった。 その科学的生き方への警告として。 あなたは。 科学的人生を捨て。 こころ豊かな人生に一歩。 新たな岐路に立ち。 正しい道を知り。 正しい人生を生きられるか。 あなたの信条を聞き。 あなたの科学による毒された始末を聞きたい。 どう社会に生活においてその科学的人生は毒をまいているか。 知るために。 私の結論は述べたとおり。 科学的人生は。 空疎なたたれた迷走した人生をゆく。 信仰に入らなければ。 その人生の指針は得られずに。 ただの欲望の虜として。 科学の毒から身を守るすべはないのである。 皆様の率直な。 科学への理解信条をお聞きしたい。 そうして人生のひとつの。 悪いものを外に出す排除の運動を起こせれば。 あなたのこころは清らかになろう。
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ホーキング博士が、こう言ったことがある。「宇宙は神が作ったものではない」。 これは欧米では衝撃を以て受け止められた。 では、ホーキング博士は神の存在を否定したのだろうか? そうではない。人間の知り得るところに神はいない。 そういうことだよ。 人間の卑近なことに、神を持ち出してあれこれ語る必要はない。 必要な教えは、もう貰っている。神を道具扱いして、あれこれ言う必要は既になくなっている。 それで充分なわけだよ。
仕方がないか。では単刀直入に。 あなたの思う通りにはならない。それが世界を保つ仕組みなわけ。
- cucumber-y
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信仰を持っている人にしては珍しく、回答者に対するお礼の中で命令文を使うという一般的には失礼極まりないことをされているので気になってよく読んでみましたが・・・。 『呪い』や『地獄』のように他人に何かを伝えるのに恐怖や不安を与えるよう脅しを含み、純然たる日本語の文章なのに文法を無視しているあたりオウムかアレフの方のように感じました。 違ってますか? ※私の興味本位の逆質問なので無理に答えろと言うつもりはありません。
お礼
あなたの意図するところがわかりません。 その教団について。 よく知りません。 地獄の警告は。 おどしでしょうか。 いや。 真実だから伝えているまでです。 失礼とは。 相手に対して。 礼儀を欠くこと。 もし私のいたらなさで。 どこか不快失礼あったならば。 おゆるしを。 なにかの。 あなたの。 一助にしていただければ。 私が質問し書いた目的はあると思います。
信仰は信仰を持つ人にとっては素晴らしいもので、かけがえのないものです。しかし、信仰を持つゆえに自分が素晴らしいと思うと、それが野狐禅、魔境となります。 さらに、信仰といった心の働き自体を大事にすることについて、それと無関係なツールである科学(あえて心理学等を含みます)より優れりとするならば、傲慢ともなります。たとえば、金づちを罵っても、少しも自分を高めることにはなりません。 そもそも、科学というものは、「これが科学である」として創始されたものではないし、今でも何が科学かは曖昧模糊としています。明示的に書かれてあることだけ、勉強されすれば誰でも理解し、さらに資金次第では誰でも検証することができるといった程度です。 そして、もう一度言いますが、科学はイメージの世界に論理的な知識としてあるだけのものです。信仰や哲学的な思考で自分に何かが内在するのと異なり、科学という方法論で何をいくら突き詰めても、自分の中には何も生じません。むしろ、生じたような錯覚に陥らないよう、厳に戒められます。自分の中に生じたような何かは、他人と共有できません。一部たりとも他人と共有できないものがあるなら、それは科学ではありません。 ちなみに、私は神がいるかどうか知りません。特に気にしていません。もしいたとしても、決して現実世界に介在しないと思っています。多少口が悪いですが「神は怠け者」ということです。また、何かを信じるということは極力避けています。悟りや啓示や天命も幻想です。幸福も幻想です(そのため、対比される不幸もない)。 しかし現実世界は厳然として、私の思惑などとは無関係に、あるがままに存在しています。それは真実です。 また、私は私の死とともに、全て消滅すると思っています(願っている、信じていると言い換えて可)。魂や霊という考えは、不滅に憧れる幻想と思っています。不滅などは要りません。死後に私が現実世界にいた痕跡は、できる限り少なくなることを願っていて、実際にそのようにしています。私個人はそう思う、であって、他人様は他人様の信じたいように、とも思っています。 また、寿命は50年あれば充分です。それ以下でも何ら問題ありません。そうした諸々について、この程度は信仰を持つ方には、遥かに及ばないわけですが、それは宗なる教えに縁がなかったので仕方ありません。 それはさておき。道具は道具。泥人形は泥人形。それを宗なる教えと引き比べるのは、宗なる教えに失礼ではあるでしょうね。
お礼
あなたの考えは考えとして。 謙虚な傾聴が必要。 もし。 間違いだとしたら。 自分のなかで。 なんとか理由をこねているのでなくて。 世界には信仰励む人々がいる。 そういう動かし難い事実を。 見て。 どうして。 懸命に。 信仰するのか。 狭い日本の常識にとらわれずに。 一歩。 立ち止まって。 こころで。 考えてください。 その。 理由抜きにした。 外部への。 探索こそ。 あなたの人生にとって。 ためになり。 大きく。 恵みある結果を。 もたらすと思います。 私はみなさんに対し。 善意で書いています。 あなたのために。
もう一度だけ。科学は道具ですよ。方法論と言い換えてもいいでしょう。信じるものではありません。信じるならば、それは科学ではなくなってしまいます。 敢えて単純化した言い方をすれば、科学とは目に見える事実関係を疑うことです。目に見える事実関係を疑う学問ですから、現象をでき得る限り懐疑すると言い換えてもいいでしょう。 信仰は心の持ちようの一つです。心の在りようや機能までは科学が何らかの基準を設けて『記述』することはあり得ます。しかし、何をどう心に抱くかは科学では決定できません。 そして、一番大事なことは科学が記述する世界は現実世界ではなく、現実を何らかの基準で描く仮想世界です。 素朴な数で考えると分かります。目の前にミカンが二つあるとします。ミカンには数など含まれていません。それを見ている人間が抽象化して思い描いているだけです。 ミカンをもう一つもってくれば、2+1=3個のミカンになる。しかし、ミカンには相変わらず1も2も内在していないし、三つのミカンのある場所に2+1=3は生じていません。やはり、すべて人間の脳内の抽象化されたイメージだけです。 あるいは、現実世界に対する地図です。地図のうえで何をしても、現実には何も起こりません。単に、どこかへ行きたいときに判断の助けになるだけです。それも脳内のイメージだけで起こることです。 このことは、特に物理学において戒められています。現実世界をR世界(Real)と呼び、物理学が数学で記述する世界をM世界(Model, Math.)と呼び、両者を混同してしまうと、現実世界を誤解します。 現実世界が3次元空間だとか、4次元時空だとか言うのは、人間がgん実世界をある基準で理解するための便宜であって、現実世界に直交座標やら時間軸などは内包されていません。 R世界とM世界を混同してしまうことをピグマリオン症候群と呼んだりします。ピグマリオンは自分の作った女性の彫像に恋してしまうギリシア神話の人物です。 科学に関わる人は、ファンを含めて、科学が人間を支配しているといった妄言に悩まされます。単にある方法で現実世界を眺めてイメージしているだけなのに、何か力を振って現実に介入していると思われてしまうのは、とても残念なことです。 せいぜい、過去をもう少し詳しく知ったり、未来予測が多少正確にできるだけのものが科学です(それには現在に対することも基礎として含まれる)。 アインシュタインが記者に「音楽も物理学で解明できますか?」と問われ、「できたとしても無意味だよ」と答えています。ある意味、音楽は科学的に解明されています。たとえば五線譜ですね。しかし、五線譜を眺めても(門外漢には)何も感動を呼び起こしません。奏でられて聴いて、初めて意味があるのが音楽です。 その程度のものです、科学は。科学『も』好きだからといって、何かに敵対していると思われるのは心外なものです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 混同しては。 何事も正しくはいかない。 しかし。 わけへだてられるものか。 ただの音楽のように。 その時の音色だけですむ話なのか。 あなたは。 知らずに重大な指摘をした。 もし知っていったのだとすれば。 こころについて理解ある信仰者だろう。 信仰とは。 こころ。 いくら祈りのポーズをとっても。 なにもならない。 いくら信じていると口さきでいってもなにもならない。 心底。 信じ祈り讃え帰依する。 そうして。 はじめて。 御慈悲の扉が開かれよう。 はじめて。 本当の信仰を知ろう。 こころ。 尽くせ。 祈り。 尽くせ。 帰依。 尽くせ。 そして。 偉大な主のために。 思いの限り。 努力せよ。 信仰は。 まさに。 こころのこと。 こころなくして。 なにもないと教える。 したがって。 事実はこころにあり。 こころでどう思いどう行うのかが。 信仰で一番問題にしていることなのである。 混同とは。 たんに心を空想の手段としか見ていないものが説く。 しかし。 1たす1は10と思う。 そこには。 たしかに。 無意味な。表現のようでいて。 感情や。思い。 なんのためか。目的。 意識などが合わさって。 ひとつの現実というありようを示している。 決して。 宙にういて。 思うことはなく。 すべてを内包されたなかでしか。 人は思い考え行うことは決してないのである。 運命とは。 いやおうなしにのがれがたいこのありようを言っている。 真実は。 こころ。 どう思うのか。 そこが。 科学を否定する。 わけである。 のがれがたい。 呪い。 冒とく。 そういう悪の流れる。 記述には。 とうてい。 信仰は。 近づくことを嫌い。 その冒とくに対して。 激しく。 叩き潰す運動を行う。 いっかんとして 信仰こそ。 すべて。 信仰こそ。 正しい。 信仰こそ。 すべてあるゆえ。 と言ってやまない。 科学は。 たんに。 間違った。 イデオロギーを含んで。 こころを汚し。 こころを暗く影さし。 こころを歪め。 こころを否定する。 科学は。 たんに道具として。 すめばいいが。 間違いを助長させて。 とても激しい。 嫌悪。 呪い。 災い。 不幸。 悪。 忌むべきものとして。 信仰の。 こころの世界では。 遠ざけられなければならないのである。 信仰者は。 こころを正す。 不信仰者。科学の愛好者信奉者科学者は。 こころに気づかずに。 たんなる思いは道具として。 誰にも気づかれずにそっと悪をおこなえるものと軽信して。 とてつもない悪を静かに確かにきざまれているのである。 こころこそ。真実。動かし難く。わけ隔てられずに。 見る世界を確かに。刻んで。 思う時を確かに。刻んで。 行う時を確かに。刻んで。 どうしょうもなく。 のがれられない。 この一瞬。 混同のようなものではなく。 正しく。 読み。 思う。 そこには。 まぎれもなく。 真実がある。 動かし難い。 真実がある。 信仰は。 まさに。 細微にわたって。 こころのありようを。 問われ。 永遠に残るものとして。 最後の審判の日に。 確かに。 厳しく。 細微にわたって。 問われるのである。 信仰をしなければ。 こころ知らずに。 悪を思い。 悪を行い。 地獄に落ちるのである。 知れ。 科学は。 こころという真実にてらして。 間違い。 迷妄である。 1たす1は10ではない。 1たす1は2なのである。 ないものなく。 あるものはある。 こころなくしては。 すべてを失う。 信仰なくしては。 なにも世界はなく。 喪失のうちに人生を終えるのである。
歴史に名を残す偉大なる科学者の多くはクリスチャンでした。 多くの科学者は神が実在しないことを知っており、なおかつ神の存在を信じています。 これはキリスト教に限りません。中世、もっとも科学が発展したのはイスラムの世界でした。 科学と信仰を敵対する存在としてしか捉えられないとは、どういう宗派の方なのでしょう。 キリスト教宗派でも科学を全否定するのはごく一部のカルトに近い宗派のみで、多くは科学と共存しています。 あなたは、本当の科学を知らないか、 あるいは、本当の信仰を知らないのでしょう。 >あなたの科学による毒された始末を聞きたい。 >どう社会に生活においてその科学的人生は毒をまいているか。 私もあなたに聞きたい。 あなたの信仰による毒された始末を聞きたい。 どう社会に生活においてその信仰的人生は毒をまいているか。 新たな岐路に立ち。 正しい道を知り。 正しい人生を生きられるか。 あなたの率直な。 信仰への理解信条をお聞きしたい。 そうして人生のひとつの。 悪いものを外に出す排除の運動を起こせれば。 あなたのこころは清らかになろう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 論理的に言って。 あなたは間違いをおかしている。 というのは。 本当の信仰というのは。 科学とは無縁だから。 預言者ムハンマド。 よおく天にあり地にあるものを見よと。 啓示を授かった。 イスラームでは。 中世では。 科学の発展を見た。 しかし。 その理由は。 なんであろうか。 キリストは。 科学をせよといったか。 否。 まかれ種は。 豊かな土壌にて花咲かせ実をつけると教えた。 したがって。 迷妄の宗教ではなく。 正しい教えは。 信仰せよと教え。 決して。 科学せよとは教えてはいない。 発展したのは。 歴史であり。 当時の人々の営みでである。 信仰の結果として。 あったのか。 裁きは偉大な主による。 論理的には。 正しくは。 科学は信仰を。 前に。 助けたか。 であり。 科学の否定は。 信仰の否定であるとするのは。 たんなる詭弁の誤りである。 正しく。 信仰は。 毒まかずに。 よろこびと。 幸せをもたらす。 毒は。 信仰を間違う。 愚か者によってである。 信仰を知れば。 なにが正しく。 そして。 なにが誤りかを。 知ることであろう。 正しい信仰とは。 容易には。 はいれない。 しかし。 腐った腹こわす実と。 芳醇な豊かに実る果実は。 けっして同じではないし。 間違いの宗教のなかで。 正しい宗教は。 確かにあるのである。 毒まくのは。 すべて間違いから。 偉大な主は。 決して。 正しい信仰者の。 結果を。 毒とはせず。 豊かな実り多いものとされる。 知りなさい。 あなたは。 詳しく。 こころで。 知ろうとせずに。 宗教は。 間違いという。 誤った。 論理観念で。 思うことを停止している。 一歩立ち止まって。 本当に信仰を知ろうとすれば。 そこは実に豊かで。 よろこびあふれる。 幸せがあろう。 知りなさい。 こころで。 偉大な主はいらっしゃる。 偉大な主は。 確かに。 あなたに。 信仰に入れと。 おっしゃっている。 さあ。 本当の毒は。 科学ではないか。 欲望を肯定し。 悪を認め。 善を否定する。 その迷妄。 決して。 科学は。 欲望を満たしこそすれ。 こころを正しく。 清らかにはしない。 信仰は。 豊かに。 間違いを退けて。 真実を。 強く。 あなたに。 教える。 正解とは。 ある。 答えは。 ある。 害あって。 どうして。 祈ろうか。 害あって。 どうして。 信じようか。 害あって。 どうして。 偉大な主を求めようか。 あなたの。 正しい。 反省を。 こころまちにして。 その毒は。 欲にあり。 毒を避ければ。 善果を見られよう。 信仰には。 正しく。 慎ましく。 欲張らない。 善きものが多くある。 信仰を。 こころで。 考えれば。 善い実をつける木か。 毒の実をつける木かを知ろう。 必ず。 正解はあるのである。
- cucumber-y
- ベストアンサー率17% (1846/10420)
科学はただの今のところ見えてる事実の羅列。 『ただの今のところ見えてる事実の羅列的人生』なんて誰も受け入れてません。 (ご質問者さんは受け入れているようですが。) 悪いものを排除するだけの使い捨て思考は昭和で終わっています。 これからは悪いものを、どのように良いものとして残していくか考えることが肝要だと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ただの今のところ見えている事実の羅列。 それが科学だとはいいません。 科学は。迷妄。妄想。 科学は。間違い。 事実の羅列ではありません。 事実の発見であり。 ひとつの恵みである。 しかし。 その誤った。 見方により。 すべて。 呪いがかかる。 読むに避けるべきものとして。 忌避される。 嫌悪される。 遠ざけられる。 科学は。 正しい。 生を。 もたらしはしない。 その。 迷妄は。 人を。 誤らせて。 つまずかせる。 科学は。 事実の羅列という。 控え目なものではなく。 真実の否定という。 冒とくのイデオロギーを含んだとんでもない誤り。 科学的人生とは。 信仰のない。 科学で。 運命が。 地獄へ向かう人生のこと。 そういう生は。 なにひとつ。 真実をつかめずに。 ただ。 欲望と。 表面だけの。 生で。 もがく。 そういう人生は。 悲しくも。 最後には。 すべての清算を。 地獄という。 懲罰で。 おわされる。 科学は。 冒とくのイデオロギーを含んだ。 とんでもない。 迷妄であり。 信条として。 無信仰の後押しをする。 あなたが。 もし。 科学が好きで。 信仰を。 軽く見るならば。 事実の羅列にとどまらず。 冒とく的な。 真実から遠く隔たった。 誤りの中にさまよう。 知れ。 信仰は。 真実。 羅列した。 事実は。 あなたを。 正直にさせるか。 信仰という。 動かし難い。 世界での営みは。 あなたに。 嘲笑をさせるか。 それとも。 謙虚に。 真剣に。 祈り。 信じ。 行う。 人々の。 信仰への。 呼びかけに。 謙虚に耳を傾けるか。 信仰は。 あなたに。 こころを知れとまず教える。 目で見るだけでは。 事実は。 ただある。 しかし。 よおく考え。 よおくこころで思うならば。 世界は。 まったく違った。 ものとなるはずである。 信仰は。 正しく。 清らかに。 祈り。 信じ。 行わせる。 欲望の科学とは無縁な。 世界で行われる信仰は。 謙虚な。 あなたの。 観察と反省を。 こころまちにして。 真実は。 羅列などというものでなくて。 すべてを支え。 すべてを。 たちゆかせる。 ああ。 科学的人生よ。 哀れにも。 その人生の先には。 遠く見えなかった。 真実の。 地獄が待ちうける。 嘲笑っていた。 ことに。 とうとうはっきりと。 囲まれる時が。 来る。 そのまえに。 気がつけ。 たんに。 見知り。 するだけでは。 真実はつかめないと。 謙虚に。 聖なるものに。 注意をはらって。 聖なるものを認めなければ。 あなたの。 事実のリストは。 穴だらけの。 地獄を隠す。 覆いにすぎないのだから。
- Lost_R2D2
- ベストアンサー率18% (25/138)
こんばんわ。 科学は、便利ですし豊かさの象徴の一つでもあると思いますが、 それが当たり前の感覚になってしまうと良くないのかなと思います。 今の豊かな生活が必ずしも人間だけの力でなりたっているわけではないですからね。 あと、無駄に便利さを享受して却って身を危険にさらしているなんてこともありますよね。 例えば、小中学生の携帯電話やSNSの利用とか。 便利でさえあれば何でも良いという時代ではもうないんだと思います。 まあ、科学が悪いと言うよりも使う側次第ということだと思いますが、人間が皆そこまでお利口と言うわけではないのも事実。自分もその内の一人かも知れませんが。 車の運転に免許が必要なように、色々と制限することも必要かもしれませんね。 ちなみに自分としては、どんなに便利で良い物であっても必要の無い物は、使わない買わない持たないと言う感じです。 坂の上の雲の秋山好古の「男は茶碗一つと帯一本あれば事足りる」でしたっけ。この言葉がとても印象的に思います。 携帯が無いと友達が作れないではなくて、携帯が無くても繋がってられる友達を作れる人間になる事が大事だと言うことでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 便利さだけでは。ゆかない。 おっしゃるとり。 欲望だけでは。 おぼれてしまう。 欲望だけでは。 ま逆になってしまう。 それてしまう。 おっしゃるとおり。 科学は。 ひとつの恵みをもたらしている。 その科学の問題点は。 愚かにも。 自惚れて。 方法的限界を知らずに。 無制限に。 正しく知れるとする。 誤解。 にある。 床掃除をする。 そして。 どうすれば。 きれいになるかを科学する。 いっていの。 結果という。 努力による恵みがある。 掃除機を科学した。 ダニも殺す。 布団掃除機を発明した。 いっていの結果という。 恵みである。 しかし。 宇宙から見れば。 ダニ以下の人間が。 思いあがって。 すべてを知りえるなどという。 誤解をまねく。 そこには。 科学はすべて知りえる。 科学はすべて正しいという。 間違いがある。 せいぜい。 床掃除くらいのものなのだが。 宇宙の存在のゆえを証明できるなどという。 途方もないおもいあがりを企てて。 宗教は。 人間の空想などという。 とほうもない。 イデオロギーを内在させる。 そこには。 物以外なく。 物以外つかめず。 自分の知れない方法外のことには。 ないというレッテルをはって。 自分は正しいという。 自己満足を得てるにすぎない。 そこには。 悲惨が横たわる。 便利さの科学。 しかし。 とほうもない。 おもいあがりを暗に含んだものとして。 とうてい。 信仰者の側からは。 読むことすら。 嫌悪すべきものとして。 社会からの。 排除を。 望む。 必要なもの以外は得ない。 必要な物しか欲張らない。 正しい。 こころがけ。 便利になり。 金と物があふれる社会にあっては。 科学の恩恵を受けている。 しかし。 その悲しい裏に気がつかなければならない。 便利さの裏には冒とくという途方もないおもいあがりが隠れている。 科学を捨てて。 信仰へ。 信仰以外。 人が救われる道はない。 信仰こそ。 あなたが一番必要とする。 幸せ。 正しさ。 やすらぎ。 よろこび。 善。 そして。 来世での至福。 すべて豊かに与えられるのである。
- hunaskin
- ベストアンサー率30% (1854/6060)
>科学への理解信条をお聞きしたい 科学は信じるものではありませんよ。 ものを観察したり分析したりするための手法に過ぎません。 そういった根本を理解しない者が >科学的人生は。 >空疎なたたれた迷走した人生をゆく。 なんてかっこつけても無意味だしみっともないだけです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 科学は信じるものではない。 信仰は。信じるもの。 では。 あなたは。 信仰を行っていますか。 信じるとは。 そうだと疑わないこと。 では。 偉大な主の御創造を否定する科学を読むことは。 ひとつの結論を信じてはいないのでしょうか。 すくなくとも。 私から見れば。 科学を信奉する者たちは。 強くひとつの世界観を信じてやまない。 欲望という。 正しい満ちからそらす。 つまずきをおって。 それている。 ただ。 世界は。 物しかなく。 物の解明で世界は完全に理解できるという世界観です。 科学はその急先鋒として。 うちにイデオローギーとして内在させているのです。 科学は。 その便利さを理由に。 広く社会に受け入れられています。 しかし。 そのうちにある。 たんなる物質主義は。 こころを忘却させて。 荒廃に至り。 金。物。欲。自分。 という。 正しい道とはま逆の。 つまずきを重視しているのです。 したがって。 科学は。 信じられている。 たんに。 あたらしい事実の発見でなく。 見えるもの以外。 物質以外。 ないという。 イデオロギーを暗に支持しているのです。 信仰は。 そういう。 危惧を持って。 科学を信じ行う者に対して。 こころ目覚めよ。 世界はそう単純ではなく薄っぺらではないと。 警告を発するのです。 真実は。 よろこびのなかに。 真実は。 祈りの結果として。 ああ。 信仰こそ。 あなたが生きそして死ぬわけ。
科学は便利なものです。 信仰は自己満足です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自己満足とは。 辞書を引くと。 自分自身自分の行為に満足すること。 とあります。 満足とは。 望みが満ち足りて不平のないこととあります。 信仰とは。 満足を得られる。 不信仰は。 満足を得られない。 科学的人生でも満足を得られはしない。 ということになります。 自分自身に満足する。 まさに。 信仰する自分に安心する。 ひどい背信でなく。 偉大な主に帰依尽くす自分に安心する。 信仰者の心情。 では。 科学的人生は。 たえず不安で。 落ち着きなく。 欲望をおって。 しかし。 いつまでも渇きをぬぐえない。 そんな人生ではないのでしょうか。 信仰は。 はっきりと。 こころの安らぎを得る。 そのためには。 静かに。 祈る。 人生。 安泰な人生。 信仰者の人生。 なのです。 科学とは。 たんに。 便利さだけもたらすもの。 ならば。 こころ知って。 科学を捨てて。 信仰こそ。 あなたの信条として。 強く。 あなたを。 鼓舞し。 正しく。 人生を。 送らせる。 科学とは無縁の。 やすらかな。 人生を。
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お礼
おつきあいいただきありがとうございます。 なぜ。 なぜか。 そんなに。 世は。 悪くはない。 そんなに。 世は。 うまくいかない。 しかし。 あきらめずに。 ねばりづよく。 語る。 そういう努力を。 怠っては。 武器を手にして。 あれくりまわる。 そんな。 世になります。 思うようにいかないわけは。 じゅうぶん承知のこと。 謙虚とは。 すべてを。 偉大な主におまかせすることだから。 あなたは。 もし。 長い人生で。 ゆきづまったと思うことがあったら。 謙虚に。 偉大な創造主に。 おゆるしをこうてください。