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大鵬が理事長になれなかった理由

大鵬の死去のニュースから36歳で脳梗塞を患っていたこと知りました。 私は長い間、大鵬が理事長になれなかったのは、ロシア人と日本人のハーフであるという出自からくる差別だと思っていました。しかしそれは病気が原因であったのではないかという疑いを持つに至りました。長い間、誤解をしていたのではと思い、質問させていただきました。 大横綱大鵬が理事長になれなかった理由、ご存知の方教えて下さい。 なお、今後白鵬級の外国人力士が日本国籍を取得後に理事長候補になる可能性はあるのでしょうか?

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回答No.3

若くして健康を害したというのもあるでしょうが、それと同時に、入門した一門が二所ノ関だったのが結果的には理事長を目指すのに不利に働いたということがあると思います。 この際、父親がウクライナ人だったというのはあまり関係ないのではないかと思います。 日本相撲協会に理事長という職ができて、その地位に元力士が就くようになったのが1944年(昭和19年)です。 それ以来69年の年月が経過していますが、そのうち二所ノ関一門の親方が理事長を務めたのは通算で5年半だけです。 一方、出羽海一門の理事長が在位した期間は通算すると実に48年間に達します。 このように、理事長職は基本的に出羽海一門から選出するのが言わば伝統のような形で現在も根付いています。 そもそも理事長になるためには、まず理事にならなければなりません。 理事長は理事の中から互選により選出されることになっているからです。 理事の定員は10名で、2年毎に改選することになっています。 当時は理事立候補者が定員を超えないように各一門で候補者を調整するのがならわしになっており、二所ノ関一門では毎回理事候補者を2人に絞って擁立していました。 大鵬が引退した1971年(昭和46年)の時点では二所ノ関一門の理事は大鵬の師匠である二所ノ関(元大関佐賀ノ花)と、初代若乃花の師匠である花籠(元前頭大ノ海)の2名でした。 ややこしいことに二所ノ関一門の中でも本家二所ノ関系と花籠系の2系統に勢力が分かれていたのですが、理事に関してはその両系統から1人ずつ輩出する形で勢力が均衡していたわけです。 その後、1975年(昭和50年)に元佐賀ノ花の二所ノ関が亡くなり一門の理事の座に1つ空きができました。 翌1976年(昭和51年)に理事の改選が行われることになっていたので、後継者を一門から選ばなければなりません。 有力候補は本家系の大鵬と、花籠系の二子山(元横綱初代若乃花)の2名でした。 元大ノ海の花籠は継続して理事になることになっていたので、本来ならもう1人は本家系の大鵬というところでしょうが、一門の総意としてはそうはなりませんでした。 当時、花籠系は貴ノ花、輪島、魁傑など人気のある横綱大関を擁しており勢いがあったのに対して、本家系といえば中堅どころとして麒麟児や青葉城がいるぐらいで横綱大関は琴桜や大麒麟が土俵を去って以来まったく出ていません。 それに加えて本家系では佐賀ノ花の死後に二所ノ関部屋を誰が継承するかでひと悶着が起こってしまい、大鵬もその騒動に巻き込まれた影響もあり、最終的には花籠系の二子山が擁立されることになりました。 当時の理事長は出羽海一門で元横綱栃錦の春日野でした。二子山とは「栃若時代」という一時代を築いた仲です。 二子山は春日野理事長とともに二人三脚ともいうべき活躍をして実績を積み重ねていきます。 一方、大鵬は1980年(昭和55年)花籠が理事から勇退したのに伴って二子山から4年遅れて理事の座につきますが、健康問題の件もあって二子山には実績面で大きく水をあけられます。 そして1988年(昭和63年)春日野が理事長職を辞するに当たり、二子山に春日野から理事長の座を禅譲されることになります。 もともと冒頭述べたように理事長職は出羽海一門から優先して選出する言わば不文律のようなものがあり、出羽海一門の春日野から同じ一門の出羽海(元横綱佐田の山)へと理事長職が引き継がれるのが既定路線と言われていました。そこに反主流の二所ノ関一門から二子山が理事長として入ったのは「異例中の異例」とまで言われたものです。 この時点で大鵬が割って入る余地はとてもありませんでした。 ちなみに今まで理事長を務めた人を一門別に見てみると、 出羽海一門から、常ノ花、出羽ノ花、栃錦、佐田の山、北の湖、三重ノ海の6人、 時津風一門から、双葉山、豊山の2人、 二所ノ関一門から、若乃花、魁傑の2人、 となっています。 二所ノ関一門からもう一人の理事長となった元大関魁傑の放駒は、その前の理事長の北の湖と武蔵川(元三重ノ海)が相次いで不祥事により任期途中で理事長辞任をしたのを受けて緊急登板的な意味合いで理事長をすることになったもので、これも言わば異例の理事長就任ということになります。 今後理事長職を務めるのに遜色のない実績がある力士としては、高砂一門の千代の富士、伊勢ヶ濱一門の白鵬、それに無派閥の貴乃花がいますが、これらの一門からはいずれも今まで理事長が選ばれたことが全くありません。 もしも今後これらの中から理事長が選ばれるようなことがあれば再度の「異例中の異例」ということになりますが、日本相撲協会がその「異例」を起こす力を生み出せるかどうかを注目したいと思っています。

avalokita
質問者

お礼

いやあ~感激しています。 長年の誤解が払拭された思いです。 ご丁寧な解説感謝します。 ありがとうございます。

その他の回答 (4)

回答No.5

私は長年の大相撲ファンです。 現在までの回答に補足させて下さい。 No.3 さんの説明が一番妥当なところではないでしょうか。 日本相撲協会の理事長になるには、まず理事に選出される必要があります。 その後の理事会で理事長は互選されます。 理事になったからといってすぐに理事長に就けるわけではありません。 普通には、地方場所の担当部長や相撲教習所長あたりから始まって、他の役職を経験します。 そして、協会No.2 の事業部長になってから、最後に理事長というのが、一般的でしょう。 ですから、年齢的にも50代くらいにならないと無理だと思います。 大鵬の場合、昭和46年(1971)に30歳で引退。 それでも昭和51年(1976)に35歳の若さで役員待遇・審判部副部長に抜擢されました。 しかし翌昭和52年(1977)に脳梗塞で倒れたのです。 その後脳梗塞のリハビリを重ね、昭和55年(1980)から平成8年(1996)までの8期、理事を務めています。 歴代の理事長は、元力士出身は2代目からですが、  (2)七代・出羽海(横綱・常ノ花)  (3)十二代・時津風(横綱・双葉山)  (4)十三代・武蔵川→八代・出羽海(前頭・出羽ノ花)  (5)九代・春日野(横綱・栃錦)  (6)十代・二子山(横綱・若乃花)  (7)九代・出羽海→境川(横綱・佐田の山)  (8)十四代・時津風(大関・豊山)  (9)北の湖(横綱・北の湖)  (10)十五代・武蔵川(横綱・三重ノ海)  (11)十七代・放駒(大関・魁傑)  (12)北の湖(横綱・北の湖) となっています。 これを見ても、圧倒的に出羽海一門が多数です。 元力士出身の理事は10人ですが、これまでは各一門毎に、それぞれが抱える年寄数に応じた形で理事候補者を事前調整した上で、理事選に臨みましたので、無投票選出がほとんどでした。 大鵬が理事になったのも、二所ノ関一門の代表の一人となったからです。 長い間、出羽海一門が独占に近い形で理事長を輩出してきたのは、年寄を多く抱えてきたからです。 戦前から昭和20年代にかけて、出羽海部屋の関取が多くいたため、引退後の年寄数も圧倒的に多くなります。 しかし、昭和30年代以降、二所ノ関一門が関取を増やしていく一方、出羽海一門の関取数は減少しています。 年寄の定年は65歳ですから、現在出羽海一門の年寄数も徐々に減りつつあります。 一門のこういう力関係で、これからは出羽海一門が理事長を独占する体制も変化していくのではないでしょうか。 現に1期前の理事選は、各一門の調整がつかず、実際に選挙が実施され、まだ若い貴乃花親方が選出されました。 他の一門から投票する親方があったからです。 年功序列的な旧弊も変わっていくことを私は期待しています。 ところで、大鵬についてですが、もし脳梗塞という病に倒れないで健康体であったなら、必ずしも理事長になれなかったとは言えないと思います。二所ノ関一門の代表として理事にもなっていたのですから。 現役時代の地位ばかりではなく、その実績は比類のないもので、十分考慮される価値があります。

avalokita
質問者

お礼

本当に感謝に堪えません。 これほどご丁寧な回答をいただき恐縮です。 相撲界の流れも変わってきそうですね。 これからが楽しみになりました。 5番のかたにもベスト回答に選びたかったのですが、申し訳ありません。

  • uniquepro
  • ベストアンサー率50% (347/681)
回答No.4

理事長就任が成績順ではないということでしょうか。 現代の相撲界にもありますよ。たとえば大横綱千代の富士の九重親方、その弟弟子だった横綱北勝海の八角親方。実はこの2人、相撲協会での役職では八角親方の方が格上です。九重親方については件の朝青龍の問題で高砂親方が失脚するまで、理事にさえなれないとされていたくらいです。この両者どちらが理事長に近いかと言われれば、間違いなく八角親方でしょう。 同様に各一門・グループで成績以外の要素で力関係が決まっているのが普通です。今年限りで閉鎖となる二所ノ関部屋などは一門の総領部屋とされていますが親方は元関脇金剛です。 過去で言うなら栃若時代を共に築いた栃錦・初代若乃花。でも理事長就任は栃錦の春日野親方が先着でした。当時は今以上に一門の力学が大きく働いていたのでしょう。まして大鵬は力があるとされた二所ノ関一門を分離独立した身、現在の貴乃花親方の理事選当選も角界では奇跡と呼ばれるほどの難易度だったわけで、当時の親方としての大鵬に同じような勢力を張れるほど力があったかと言われれば疑問です。 とはいえ大鵬に直接は関係ないですが、自分が関わった力士・親方の不祥事がこの数年相次いで(賭博・八百長での阿武松(元益荒男)・大嶽(元貴闘力)、薬物での露鵬など)、本当に安らかに逝去出来たのか個人的にはそう懸念しています。

avalokita
質問者

お礼

政治力と時の運が相撲界にも存在するのですね。 それも人間社会ですから仕方がないことですが…。 ありがとうございます。

回答No.2

じゃあなぜ 字の読み書きができない北の湖が理事長になれたのでしょうか… という疑問も出てきます 大鵬の場合は推薦されたが辞退した ともきいた事があります ミスターが大鵬と対談したときにそんな事を言っていた と言うのを長嶋氏がテレビで言ってました なお 日馬富士は日本国籍をとるみたいです

avalokita
質問者

お礼

長嶋氏の話はリアリティがありますね。ありがとうございます。 断った理由はやはり健康上のことだったのでしょうか? それとも立候補しても選挙で勝てないとみこしての判断だったのか。 大鵬包囲網の噂はぼくだけの空耳だったのでしょうか? 疑問は残りますね。 読み書きができないこと初めて知りましたが、評判の悪かった北の湖が理事長に再選されたことには違和感があります。

  • kusirosi
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回答No.1

脳梗塞なので、車椅子移動が基本となったために勝負審判が務められず、 挨拶で土俵に上がるのにも支障が生じるので、理事長などはなれませんでした。 出羽海・時津風が歴代理事長に名を残しているのを見ると健康なら 選ばれたと思います。  日本語で、きちんと対応処理できれば帰化力士でも理事長になれると思います。 ※私は大鵬親方の高校の後輩ですが、人並み以上に真面目に仕事を務めてから 定時制に通い、卒業後も長く模範として、ひととなりが讃えられてました。

avalokita
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね。僕も大鵬が健康であったならば選挙で選ばれていたと思いたいです。