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学問の一般的なアプローチ
- 学問のアプローチには体系的な学習と興味に基づいた学習がある。
- 数学を例に挙げると、興味を持った章や節を勉強しながら学習し、その後体系的にまとめるのが効果的。
- 興味のない科目は距離をおいてもよい。自然に興味が湧くまで待つことが大切。
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質問者が選んだベストアンサー
学問の元プロです(学位は工学博士で前職は研究職でしたが、現在は歯牙ないサラリーマンです) 大変ご立派な考え方にも見えますが、若干違和感を否めません。 確かに学問へのアプローチとして興味が重要である、これは真だと思いますが、 現時点ではその行き着く先が単なる知識の獲得で止まっているように思います。 いろいろと複雑な要素が絡み合っているのですべてを言うことは難しいのですが、 私なりに質問者様が現時点でそういった考えに至っている理由を書いてみたいと思います。 まず、現代の教育についてですが、ざっくり言ってしまうと、大学卒が多くの有名企業の就職のための通行手形になってしまっていることが問題だと感じています。 ここを終点に逆線表を描くと、次のような感じになると思います。 高校卒業相当の知識を有するものであってより知識をたくさん持った(これを「優秀」というらしいです)学生を選別するために、大学入学試験というものがあります。 普通科高校ではこの大学入学試験で高得点を得られるような知識を生徒に与えるための授業(試験問題に解答するための技術訓練)を行います。 普通科高校の良し悪しは、より難易度の高い大学に合格した人数によってランク付けされるといわれているため、よりその目標に近い下地を持った生徒、つまり教えられたことをちゃんと覚えて回答する力を持った生徒を獲得するために高校入学試験で選別します。 逆に高校を選ぶ側も、より「いい」高校を目指すため、入学試験で高得点を得るための技術を必死になって訓練します。 おそらく私が中学高校の時分にも同様の傾向があったとは思いますが、大変残念なことに現時点の方がより学校教育が解答のための技術訓練的要素が強くなっているように感じます。 これを打破しようと提唱されたのが「ゆとり教育」で、理念は大変素晴らしいと思ったのですが、これも残念なことに本当の問題点が克服されることなく、間違った方向性で実施されてしまいました。 そして「脱ゆとり教育」では、解答のための技術訓練を強化した詰込み型学習により重きを置いてしまっているように思います。 簡単にいえば、知識は確かにつくかもしれないが昔と比べて子供は自分の頭で考える必要性が少なくなってきているということです。 質問者様は、こういった教育環境の中に身を置いていますので、多少は別として必然的にこういった状況の影響を受けているのではないかと思います。 私は勉強は最終的に知っていることが多いのが重要なのではなく、知識を獲得するために考えるプロセスを学ぶものだと思っています。 裏付けなく知識を得ることは、その後も同様に詰め込むしか知識を得る方法がないのに対し、考えるプロセスを知っているということは、その経験自体が自律して(独り歩きして)新たな知識を獲得することができるということなのです。 そういった意味では、微分積分のような算数的(微分法、積分法は今や、四則演算と同列のただの計算方法です)知識をただ知っていることよりも、台形の面積の求め方の公式を自分で編み出すために頭をひねった経験の方がよほどためになるのです。 しかし、そういった経験をするためには材料が必要なこともまた事実です。 よく、点と点を結ぶと線になるといいますが、そもそも点が少なければ引ける線は限られてきます。 そして、より易しく線を引くに至る点というのは大抵近くにあります。 賢明な質問者様なら既にお分かりかと思いますが、一つの方法として近い場所にある点を知り、線を引くことを繰り返すと結果的に体系的になって来るのではないかと思います。 恐らく質問者様が疑問に感じられていることは、線の引き方すら覚えさせられて、自分の力で線を引く努力をさせてもらえないことも一つあるのではないでしょうか。 現在中学生とのことで、目の前にある事柄に対するアンチテーゼを示しそれこそがより正しいとお感じになる年頃だと思いますが、目の前にあることでも良いことはいくらかあります。 いろいろな「ためになること」を取り込んで、質問者様なりの学問への取り組み方をブラッシュアップされることを期待します。 最後に、私は会社員なのですが、「会社」って何のために存在すると思います? この問いかけから、公民についても少し興味を持っていただければ幸いです。
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- akechimitutada
- ベストアンサー率60% (9/15)
No1です。 私の回答に関心を持って頂いてありがとうございます。 私の専門は、人間科学です。その中でも社会系の「フランス現代思想」を専攻しております。 阪大の人間科学部では、人間に関する基礎的研究として、社会系(人類学や社会学、哲学等)、行動系(心理学、動物行動学など)、教育系(教育哲学、教育心理学、教育社会学等)という三つの分野から総合的に研究しています。 蛇足ながら、質問者さんは、すでに微分積分を理解されているので、次に学ぶことは「統計学」になります。これは、日本では大学に入って勉強する学問です。なので、先生に次の話ができなくても仕方ないことだと思います。 人間の抱える問題や事象を数学を使って明らかにする学問は、社会学や行動学等様々ありますが、それを分析する方法は「統計学」になります。数学を使った物事の理解は、人間の経験則や直観などあいまいな知識に対して明確な答えを示すことができます。 お勧めの本は、ナツメ社の「図解雑学」シリーズです。難しい学問の内容をとても明瞭に解説しています。著者もその分野の一流の研究者です。古いものでは、BOOKOFF等で100円で売っていますよ。 また、堅い文章になってしまいましたが、また、ご質問等があれば遠慮なくしてください。
- thegenus
- ベストアンサー率49% (330/673)
総合成績は?高校受験は歴史だけ恐いもの無し?歴史だけで社会は何点? 君は日本の大学は向いてないと思う。卒業できないタイプに思える。 英語の時間に小説?(三国志演義)を読んでいて怒られる理由は微積分でも解けませんか。 微積分の方が将来、公民よりも役に立つと考えますか。偏向で偏向を肯定する循環論法なのでは。 なんとなく質問者さんは外国留学して孫正義みたいな事業主になるのが合っているような。起業家は主体性がすべてだからね。親父さんは金儲けの話をしない技術者ですか。 お求めの書籍は知りませんが君のように自我が強い人は標準的な教育論・学習論を受け入れないでしょう。 ネットでの質問のされ方も自我の芽生えも問題ありませんが、書籍探索よりもとりあえず、数学、歴史など個別にカテゴリをあたり各科について意見を蒐集されてみるのはどうでしょう。各学問を統一的に議論できるという前提は正しいですか。 質問者は中学校の専制から孤立した自我を守ろうと論理武装を自らに課しネットや言論界に打開策を求める心理状態に陥っていると思います。 しかし抵抗精神を正当化する以外の何物でもない、理屈のため理屈を築く精神活動は、インテリ社会主義者同様に非生産的で現実的進歩がありません。実際に正当化の必要がありますか。自己正当化は外界に影響を与えない妄想です。 学校に在籍する限り学校のルールを尊重しながら好きにされたらいいだけでは。正当性の議論ではなく君一人の希望に合わせた時間割りに出来ない集団の現実だろ。英語の時間に三国志を読むのはルール違反かどうか担任にでも教頭にでも問い合わせたらいい。なんなら校長室のドアをノックすればいい。現実的に前進しますよ。授業中に他の本を読むのと違い、校長室に行くのは全くルール違反ではない。 ところで地理や理科に興味はないの? 想像による感想ですが、ネイティブトークを根に持ったというご推察が真実ならば、最近の中学校の教師は器が小さいのかと思います。農耕民族論は西欧も農耕民族ですから安直です。日本人の性格が、快活な武士道ではなく陰湿に貴族化しているような。
お礼
多少否定的な回答になってしまいますが了承ください。 まずthegenusさん私の質問の趣旨から回答がずれてます。 別の話ですが、先日小学生の天才ピアニストという特集があり興味があったのでYoutubeでいろいろ聞いていました。 するとびっくりしたのは大人も含めて否定的なコメントばかり。thegenusさんに似たものを感じました。 >英語の時間に小説?(三国志演義)を読んでいて怒られる理由は微積分でも解けませんか。 解けるはずがありません。これは米国などでは肯定されるようなことの方が多いようです。 もっと広義に考えるとこのような問題に対し「普遍的に正しい価値観」なんて存在し得ないと思います。 人間の考えることが微分積分ですべて解決されるのであれば今回のアルジェリアのような悲惨の事件なんて起きていないはずですね。 人の考えることなんてそんなに単純ではないと思います。 >微積分の方が将来、公民よりも役に立つと考えますか。 考えてませんしそのようなことは一言も申し上げておりません。数学は私が好きで積極的に取り組んでいる学問であるだけです。 >親父さんは金儲けの話をしない技術者ですか。 このような偏見はやめましょう。 >質問者は中学校の専制から孤立した自我を守ろうと論理武装を自らに課しネットや言論界に打開策を求める心理状態に陥っていると思います。 一理あると思います。ですが自らに課してはおりません。自分が間違っていれば正そうと思いますし、自分でいうのも嫌ですが 校内ではわりと成績が良く自分の考えるようなレベルにおいて悩んでおり相談できる人が見当たらないので自然に思ったことを 聞いているまでです。 正当化するつもりはありませんが前の回答者のようにいい大学を出てる人の中でも賛成してくれる人がいれば心の励みになります。 心の励みになることにおいて、やれ妄想であるとか言われる筋合いはないと思われます。 >学校に在籍する限り学校のルールを尊重しながら好きにされたらいいだけでは。 私自身学校のルールに原則違反なんてしません。(眉毛で一度注意を受けたことはありますが…) あたかもルール違反をする不良のような扱いはやめてください。 校長室のドアをノックすることで現実的に前進するとは思えないのですが… 隣人間で揉め事がある場合にすぐに裁判に行きますか?まずは自分の主張の正当性を確認したり当事者 同士で解決しませんか?校長に意見を聞いたところで、校長や教頭とていくら意見を言おうとあくまでも個人の見解。 それで私が問題提起した議論は解決するとは思えません。 最後に >想像による感想ですが、ネイティブトークを根に持ったというご推察が真実ならば、最近の中学校の教師は器が小さいのかと思います。 お言葉で申し訳ありませんが、私の質問の趣旨を理解しないで大学を卒業できない等、否定からはいるところをみると 回答者さんの器も対して変わらないのかと…
- akechimitutada
- ベストアンサー率60% (9/15)
No1です。 ぜひぜひ、上位の大学を目指してがんばってください! 日本の全体主義的傾向は、ご指摘の通り農耕民族であることも要因ですが、島国という国土や西洋のキリスト教と同義の天皇制なども絡みあって構造化していったと考えられています。 実は、西欧などの個人主義の国では、いじめが個人的な問題として捉えられています。例えば、いじめを受けると親同士、子ども同士で解決を図り、学校は関与しません。学校はあくまでも勉強を学ぶ場所だからです。しかし、なかなか良くならないので、日本を手本にして、学校や政府が関与しようとする動きになっています。個人主義は、強い人間には、優位に働きますが、大部分の人には、ダメージを与えてしまいます。 一概にどちらがいいとも言えませんが、いろんな選択肢を作り出すことが社会を豊かする原動力ではないかと考えます。 受験は、大変だと思いますが、好きな学問をするためには、上位の大学に進学する必要があります。しっかり勉強して、自身の夢をかなえてくださいね。応援しております!
お礼
ありがとうございます。 すみません。akechimitutadaさんは大学ではどのようなことを専攻なさっているのですか? いただいている回答が非常に専門的な感じがしてそのようなことを勉強しているのかなと思いました。 いただける内容が非常に新鮮で嬉しいです。 いじめに学校が関与しないなんて日本人からすると異文化と言った感じがしますね。 どちらがいいか…これはどちらにも長所や短所があり一生解決しないテーマに思えますね。
- akechimitutada
- ベストアンサー率60% (9/15)
阪大の博士課程に通う者です。 私の中学生の頃と似ているので、共感しました。 結論から言うと、質問者さんの考え方はとてもすばらしいので、自分自身の考えるように学習を進めていったほうがよいです。 周りの教師や大人は、残念ですが質問者さんよりも論理的思考力で劣ります。よって、教師たちが質問者さんの考えを理解することは無理です。幸いお父さんは一流なので、お父さんの意見を聞きいた方がよいと思います。 質問者さんの学習の仕方についてですが、1と2については良いと思いますが、3については、受験勉強は文字通り、受験のための勉強なので、時間を決めて確実に毎日やるようにした方が良いです。 学問の分野(体系)についてですが、社会で生じる「権力構造」にご興味が御有りのようですね。この問題は、学問の歴史の中では、第二次世界大戦が終わって、今まで強いものが弱いものを支配することの「摩擦(コンフリクト)」が戦争を容易に引き起こしてしまったことの反省に様々な分野で研究されてきました。 例えば、「ゆとり教育」は、生徒を評価する価値を一つにすることで、序列が出て、この価値に当てはまらない生徒が荒れ始めた事実から考えられたものです。つまり、価値を多様化し、いろんな生徒の個性を認めることによって、競争原理を弱めようとした意図を持っていました。また、動物行動学(エソロジー)では、鶏を集めてゲージの中に入れるとすぐに喧嘩をはじめ、序列ができることを確認しました。一番弱い鶏は、すぐに死んでいくそうです。
お礼
回答ありがとうございます。阪大 すごいですね。私も将来的に阪大のような素晴らしい大学にはいれたらいいと思います。 周囲の教師などは確かに正直言って学問の面で尊敬できる人はいません。「そんなところは勉強する必要はない。」なんてことを教師からいわれればではなんのために勉強しているの?と思ってしまいます。私ではありませんが最初にはなした帰国子女の子が学校の英語がすべてわかるからつまらなくみんなに迷惑をかけないように三国志を勉強、自学自習をしていると「みんなと違うことをするな!」なんて言ってましたが私は個人的にみんなに迷惑をかけているならともかく、自分が完璧に理解しているようなことをなぜあえてみんなに合わせて勉強しなければならない?と思いました。それはある意味、農耕民族である日本人という特性を表していることなのでしょうか? 3.についてはその通りだと思います。受験のためと割り切って、勉強することも必要だと思います。
お礼
学問のプロとは東大や京大卒ということでしょうか?(申し訳ありません。多少意味がわからなかったので…) 通行手形の件はその通りだと思います。私の父も大学は義務教育と思えというようなことをいうので「大学ってそういうところではないんじゃないの?」って聞くと必ず就職の話になりますからね。。現実にはそのようなものなのでしょうね。 内容が内容で少し難しいので消化するまでに時間を使おうと思います。ただ点と線の話はその通りで私が悩んでいることそのものだと思います。何と無くスッキリしました。ありがとうございました。’ 「会社」の存在意義:これは利益をあげるためといったことで手始めの回答とさせていただければと思います。 まだそれが「公民」とはリンクしませんがしばらく考えます。 ありがとうございました。